今日(4月9日)からT大学の聴講生になりました。N教授の許可をえて,学部学生さんの授業にもぐりこんで,これから一年間,聴講させていただくことになりました。今日はその第一日目。記念すべき日です。とても新鮮で,感動しました。
N教授は,もともとはバタイユやレヴィナスといったフランス現代思想の研究者としてスタートを切りました。が,やがて,ドグマ人類学の提唱者ピエール・ルジャンドルと親交を結び,生身の人間を軸に据えた思想・哲学へと思考を深めていきます。そして,人間の生存の基本条件・仕組みを明らかにすべく経済や政治や宗教の領域に踏み込み,みずからの思考を展開してきた人です・・・と,ここまで書いてみましたが,とてもこんな紹介では収まらないことに気づき,わたしの方がたじろいでしまいます。なぜなら,N教授の守備範囲は,「死」とはなにか,宗教論,戦争論,世界史論,メディア論,身体論,医療思想史論,舞踊論,絵画論・・・・という具合にとてつもなく広いのです。そして,最近では,グローバル・スタディーズという看板を立ち上げて大学でのひとつのポジションを確立して,仕事をなさっています。
別の見方をすれば,ヨーロッパ近代が生み出したアカデミズムの硬直化した思考の枠組みの外に飛び出して,アカデミックな分野を超越した,インターディスプリナリーな,新たな知の構築を目指している,といえばいいでしょうか。もっと言ってしまえば,知のための知の呪縛から解き放たれた,生身の生きた人間のための知のありようを探求する,ということになるのでしょうか。わたしには,そんな知の営みのようにみえてきます。その到達点のひとつが「グローバル・スタディーズ」ということになるのだろう,と。
これだけでは,まだまだ,N教授の研究者としてのスタンスを紹介できてはいませんが,それはお許しいただくとして,そんなN教授が学部の学生さんに向けて,どんな話をされるのか,わたしにはとても興味がありました。そうしたら案の定,驚くべき話題から,この授業の導入の話をはじめました。その概略を紹介してみますと以下のようです。
わたしが小学生の高学年のころに「即席ラーメン」なるものが商品として登場しました。その味はとても新鮮で,いっぺんに「即席ラーメン」のとりこになってしまいました。しかし,この登場したばかりの即席ラーメンには化学調味料がふんだんに用いられていました。しかも,その化学調味料のなかには一部,遺伝子を傷めてしまうものがふくまれていたというのです。そして,この「即席ラーメン」が好きで,こればかり食べつづけていた知り合いの女の子は20歳そこそこで癌を発症し,あっという間に死ぬ,ということが起きました。
ちょうど同じころに,中性洗剤なるものが登場します。汚れがよく落ちるというので,あっという間に各家庭のなかに浸透していきました。しかし,この中性洗剤なるものも,初期のころのものは悪性の化学薬品が多くふくまれていて,やはり遺伝子を傷つけることになりました。こちらは,常時,使用することによって徐々にわたしたちの体内に侵入してきました。
この「即席ラーメン」と中性洗剤は,あっという間に世界中に広まっていきました。その結果,わたしたちの世代のからだはともかくとしても,わたしたちの子どもたちの世代には遺伝子異変と考えられるアトピーやアレルギーが急増することになりました。
この因果関係については,一時,大きな話題になりましたが,あっという間にこれまた話題にならなくなってしまいました。なぜなら,当局により,メディア・コントロールがなされ,闇のなかに追いやられてしまった,というわけです。
こんにちの「即席ラーメン」(いまでは「インスタント・ラーメン」)や中性洗剤は,毒性のある化学薬品は極力抑えられている(基準の範囲内)といいますが,その実態はあまり定かではありません。なぜなら,これらの製品のテスト結果はメーカーの提出するデータを,役所が確認するだけですから,あまり信用はできません。いま,問題になっている原発の安全テストの仕組みをみれば明らかです。電力会社の提出するデータのみです。
わたしたちの生存の条件は,このようにして,あちこちからガンジガラメにされていて,ここから抜け出すことはできません。これが,グローバル世界を生きるわたしたちの生存の基本条件です。なぜ,こんなことになってしまったのか,そこから脱出するためにはどうすればいいのか,そういうことを考えるための養分を提供するのがわたしの役割です。
とまあ,こんな風に切り出して,ケミカル汚染世代,社会の二極化,政治と経済の違いはなにか,グローバリゼーションを支えている論理はなにか,Politicsとはなにか,市場経済とはなにか,なぜ軍事力が求められるのか,医療や生命科学の問題,臓器移植とはなにか,iPS細胞とはなにか,といった問題の所在をひととおり総ざらいしていきます。そして,これらの問題をトータルに考える研究領域,それが「グローバル・スタディーズ」だというわけです。
その上で,いま,求められていることをひとことで言うとすれば,「魂」化すること,つまり,「魂」を呼び戻すこと,すなわち,アニメート(animate)することだ,と。このひとことは,わたしにとっては衝撃的なひとことでした。
こうしたことがらについて,来週から,きちんと章を立ててお話をします,というところで今日の授業は終了でした。
来週からは,許可を得て,ボイスレコーダーを用意して行こうと考えているところです。こんなに中味の濃い授業を,ただ,聞き流すだけではもったいない,何回もリピートして思考を鍛えなくては・・・と思案中。
以上,今日のところはここまで。
N教授は,もともとはバタイユやレヴィナスといったフランス現代思想の研究者としてスタートを切りました。が,やがて,ドグマ人類学の提唱者ピエール・ルジャンドルと親交を結び,生身の人間を軸に据えた思想・哲学へと思考を深めていきます。そして,人間の生存の基本条件・仕組みを明らかにすべく経済や政治や宗教の領域に踏み込み,みずからの思考を展開してきた人です・・・と,ここまで書いてみましたが,とてもこんな紹介では収まらないことに気づき,わたしの方がたじろいでしまいます。なぜなら,N教授の守備範囲は,「死」とはなにか,宗教論,戦争論,世界史論,メディア論,身体論,医療思想史論,舞踊論,絵画論・・・・という具合にとてつもなく広いのです。そして,最近では,グローバル・スタディーズという看板を立ち上げて大学でのひとつのポジションを確立して,仕事をなさっています。
別の見方をすれば,ヨーロッパ近代が生み出したアカデミズムの硬直化した思考の枠組みの外に飛び出して,アカデミックな分野を超越した,インターディスプリナリーな,新たな知の構築を目指している,といえばいいでしょうか。もっと言ってしまえば,知のための知の呪縛から解き放たれた,生身の生きた人間のための知のありようを探求する,ということになるのでしょうか。わたしには,そんな知の営みのようにみえてきます。その到達点のひとつが「グローバル・スタディーズ」ということになるのだろう,と。
これだけでは,まだまだ,N教授の研究者としてのスタンスを紹介できてはいませんが,それはお許しいただくとして,そんなN教授が学部の学生さんに向けて,どんな話をされるのか,わたしにはとても興味がありました。そうしたら案の定,驚くべき話題から,この授業の導入の話をはじめました。その概略を紹介してみますと以下のようです。
わたしが小学生の高学年のころに「即席ラーメン」なるものが商品として登場しました。その味はとても新鮮で,いっぺんに「即席ラーメン」のとりこになってしまいました。しかし,この登場したばかりの即席ラーメンには化学調味料がふんだんに用いられていました。しかも,その化学調味料のなかには一部,遺伝子を傷めてしまうものがふくまれていたというのです。そして,この「即席ラーメン」が好きで,こればかり食べつづけていた知り合いの女の子は20歳そこそこで癌を発症し,あっという間に死ぬ,ということが起きました。
ちょうど同じころに,中性洗剤なるものが登場します。汚れがよく落ちるというので,あっという間に各家庭のなかに浸透していきました。しかし,この中性洗剤なるものも,初期のころのものは悪性の化学薬品が多くふくまれていて,やはり遺伝子を傷つけることになりました。こちらは,常時,使用することによって徐々にわたしたちの体内に侵入してきました。
この「即席ラーメン」と中性洗剤は,あっという間に世界中に広まっていきました。その結果,わたしたちの世代のからだはともかくとしても,わたしたちの子どもたちの世代には遺伝子異変と考えられるアトピーやアレルギーが急増することになりました。
この因果関係については,一時,大きな話題になりましたが,あっという間にこれまた話題にならなくなってしまいました。なぜなら,当局により,メディア・コントロールがなされ,闇のなかに追いやられてしまった,というわけです。
こんにちの「即席ラーメン」(いまでは「インスタント・ラーメン」)や中性洗剤は,毒性のある化学薬品は極力抑えられている(基準の範囲内)といいますが,その実態はあまり定かではありません。なぜなら,これらの製品のテスト結果はメーカーの提出するデータを,役所が確認するだけですから,あまり信用はできません。いま,問題になっている原発の安全テストの仕組みをみれば明らかです。電力会社の提出するデータのみです。
わたしたちの生存の条件は,このようにして,あちこちからガンジガラメにされていて,ここから抜け出すことはできません。これが,グローバル世界を生きるわたしたちの生存の基本条件です。なぜ,こんなことになってしまったのか,そこから脱出するためにはどうすればいいのか,そういうことを考えるための養分を提供するのがわたしの役割です。
とまあ,こんな風に切り出して,ケミカル汚染世代,社会の二極化,政治と経済の違いはなにか,グローバリゼーションを支えている論理はなにか,Politicsとはなにか,市場経済とはなにか,なぜ軍事力が求められるのか,医療や生命科学の問題,臓器移植とはなにか,iPS細胞とはなにか,といった問題の所在をひととおり総ざらいしていきます。そして,これらの問題をトータルに考える研究領域,それが「グローバル・スタディーズ」だというわけです。
その上で,いま,求められていることをひとことで言うとすれば,「魂」化すること,つまり,「魂」を呼び戻すこと,すなわち,アニメート(animate)することだ,と。このひとことは,わたしにとっては衝撃的なひとことでした。
こうしたことがらについて,来週から,きちんと章を立ててお話をします,というところで今日の授業は終了でした。
来週からは,許可を得て,ボイスレコーダーを用意して行こうと考えているところです。こんなに中味の濃い授業を,ただ,聞き流すだけではもったいない,何回もリピートして思考を鍛えなくては・・・と思案中。
以上,今日のところはここまで。
0 件のコメント:
コメントを投稿