2013年4月1日月曜日

「穂国」の伝統芸能「笹踊り」の写真がとどく。

 わたしの若い友人柴田晴廣さん(牛久保町在住)から,今日(31日),行われたばかりの祭りの写真が「どさっ」ととどきました。その祭りというのが,わたしの子どものころ住んでいた大村町の懐かしい祭りです。そこでは珍しい「笹踊り」という郷土芸能が伝承されています。この地域,つまり,東三河ではあちこちの村祭りの名物のひとつになっていて,それぞれの地域によって少しずつ踊り方が違う「笹踊り」が伝承されています。柴田さんは,じつは,この「笹踊り」の研究者の第一人者でもあります。ですから,祭りがはじまると忙しく,あちこちの祭りのフィールド・ワークにでかけます。わたしが大村町の出身であることを知っている柴田さんは,わざわざ,雨の中,出かけていって写真を撮って送ってくださった,という次第です。


 もう少しだけ,柴田さんのことを紹介しておきたいと思います。柴田さんには『穂国幻史考』(常左府文庫,2007年)という大著があります。「穂国」(「ほこく」とふりがながしてありますが,わたしは「ほのくに」と読みたい)とは,いにしえの東三河地方の地名です。日本が律令国家としての体裁をととのえるころの古代史に注目し,たとえば,持統天皇がわざわざ「穂国」に行幸したのはなぜか,と問いかけ中央の大和(瑞穂の国)の歴史(たとえば『古事記』や『日本書紀』)に封じ籠められた「謎」を解きほぐし,古代史の「定説」に一矢報いようという,きわめて意欲的な著書を書いていらっしゃいます。いま,話題になっている古代史読解の魁的なお仕事をされた方として,わたしは注目しています。その関連で,「笹踊り」も重要な研究対象とされていらっしゃる,というわけです。こちらは,朝鮮通信使との関連で,瞠目すべき考察を展開されています。


 この柴田さんの『穂国幻史考』に触発されて,ちょっと待て,わたしの育った「大村町」というところもよくよく考えてみると,とんでもないところだったのではないか,といまごろになって気づきはじめています。いまの段階では,あまり詳しいことはまだ書けませんが,いずれ明らかにしてみたいと思っています。そのひとつの手がかりが「八所神社」のお祭りです。大村町には,現在,五つの集落があります。それらの集落にはそれぞれ一つずつ村社があります。それらとは別に,それらの集落を全部合わせた共同の神社として「八所神社」があります。ということは,あと三つの集落がむかしはあったのではないか,それがいつのまにか消えて五つになっている,という不思議な謎があります。

もう一つは,この大村町という地域の広がりが,いまの行政区画で確認してみても,おどろくほど広いのです。しかも,むかしは(と言ってもわたしの子どものころ)大雨が降って豊川が氾濫すると,大村町の半分の集落は大水に浸され孤立してしまいます。もちろん,学校も休みでした。そのむかしは,豊川が氾濫するたびに,その流れを変えて,この大村町の区画も川になったようです。その痕跡があちこちに,いまも,残っています。そのため,豊川の氾濫する水を塞き止めるために二重の堤防が,この地域にはあります。わたしの育った寺は,その二重の堤防の外側にありました。そのことの意味が,いまごろになって,ああ,そういうことだったのか,と想像できるようになってきました。


 水の問題は,どうやら,この大村町にあっては大昔から大問題でした。ですから,この水の対策にこの地に住む人びとは頭を悩ましつづけたに違いありません。それでも,この地を捨てるわけにはいかない人びとが,ずっとこの地を守ってきました。その水問題との関連で,八つの集落が力を合わせて,大きな事業をなし遂げる必要があったのでしょう。それが堤防と用水でした。つまり,豊川が氾濫するときの水の逃げ道として,この大村町は位置づけられていたということです。そこに至りつくまでには,相当の紆余曲折があったに違いありません。その全集落を挙げての協力・結束の記念すべきシンボルとして「八所神社」がある,とわたしは考えています。

 その「八所神社」に「笹踊り」が伝承されているというのも,偶然ではない,とわたしは考えています。朝鮮通信使が東海道を練り歩く姿を,「穂国」の人びとは熱烈歓迎したことでしょう。そういう心性を共有した人びとが多く住んでいたのでしょう。もっと言ってしまえば,持統天皇が行幸に来なくてはならない,なんらかの理由のある人びとが,この「穂国」には多く住んでいたということでしょう。その謎を解く鍵のひとつは,三河国一宮である「砥鹿神社」(祭神は大巳貴命)にあります。ここからさきの話は,柴田さんの独壇場です。『穂国幻史考』を参照してください。


 
 わたしも,大きくなったら,青年団に入って,この「笹踊り」を踊るのが夢でした。が,その夢を果たせないまま上京し,そのままこちらに居つくことになってしまいました。まだ,将来のことなどなにも考えない子どものころ,毎年,羨望の眼で眺めていた懐かしい「笹踊り」の写真を眺めながら,思いは一気に60年前に・・・・・。


 来年はなんとか時間を工面して,この祭りに出かけてみよう・・・・とそんな気になってきました。そのときは,ぜひ,柴田さんと一緒に・・・・と勝手に決め込んでいます。柴田さん,よろしくお願いします。

 というところで,ひとまず,ここまで。

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