2012年4月10日火曜日

日本記号学会の原稿「近代スポーツの終焉?──判定の変容,裁かれる身体」の初校校正終了。

2010年5月8日(土)・9日(日)に開催された日本記号学会第30回大会「判定」の記号論の第3セッションが,標題の「近代スポーツの終焉?──判定の変容,裁かれる身体」でした。このセッションで話題を提供するよう依頼され,喜び勇んで参加させていただきました。仕掛け人は神戸大学の前川修さん(芸術学)。わたしの対論者は京都大学の吉岡洋さん(美学)。記号論についてはまったくの素人ですので,とても緊張しましたが,いい経験をさせていただきました。

このときのセッションは三つあったのですが,それらをまとめて本にしてくださるとのことで,テープ起こしをしてくださった原稿に手を入れ,それがとうとう初校ゲラとなって送られてきました。昨日一日かかってゲラの校正と脚注づくりを済ませました。もう,すっかり忘れていましたので,かなりの苦戦でした。が,いま読み返してみると意外にうまくまとまっていたので,ほっとしているところです。

わたしが話題提供した内容については,2年前の同時期のブログにも書きましたので,重複は避けたいと思います。が,その骨子だけは触れておくことにしましょう。
取り上げたのは,スピードスケートの判定の変容です。冬季オリンピック第一回シャモニー大会(1924年1月26日~27日)での計測は5分の1秒まででした。詳しい計測の変容は省略しますが,1972年の札幌大会では100分の1秒となり,1988年の長野大会では1000分の1秒まで計測するに到ります。

いまの500mの選手ですと,平均秒速が約14m。眼にも止まらぬ速さとはこのことでしょう。このスピードでゴールに飛び込んでくる選手の差を1000分の1秒まで計測して,順位の判定を行うというのです。つまり,人間の眼では判定できない差を,テクノロジーでカバーして,差異化をはかろうというのがスピードスケートの世界だ,ということです。このことがなにを意味しているのか,考えてみましょう,というのがわたしの提案でした。

ここからさきは,本がでてからのお楽しみということにしておきましょう。
ことしの日本記号学会大会は,5月12日(土),13日(日)に開催されるようです。たぶん,この日までに間に合わせるという段取りで出版社は取り組んでいると思います。つまり,あと一カ月後には本になる,というわけです。

嬉しいことに,出版社の編集担当者は,校正ゲラに「スポーツの判定はとてもおもしろかったです」と書き込んでくれていました。すっかり気をよくして,新しい注文であった脚注にも力を入れて取組みました。わたしのプレゼンテーションの最後のところの「ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』」については,長文の注を付しておきました。圧縮した,濃密な注にすべく相当に気合を入れました。うまく成功していることを祈るのみです。

書名は『判定の記号論』(?),出版社は新曜社です。
来月中旬には書店に並ぶことと思います。見つけましたら,ぜひ,手にとってめくってみてください。

吉岡洋さんとの掛け合いも,とても面白く展開していると思います。ときおり,わたしがオロオロしたりしていますが・・・(笑い)。また,競馬の研究者でもいらっしゃる檜垣立哉さん(大阪大学・哲学)のお話もとても魅力的です(『賭博/偶然の哲学』河出書房新社,2008年)。期待してください。

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