西谷修さんが,久しぶりにブログを更新しました。わたしは個人的に西谷さんの最新の行動予定を聞いて知っていたので,じつは,どんなブログを書かれるか楽しみにしていました。そうしたら,想定どおり,いや,想定をはるかに越える,最新のトップ情報を惜しげもなく開陳されていて,わたしは何回も何回も繰り返して読みました。
なにより嬉しかったのは,そのブログの冒頭にわたしの名前まで書いてくださっていたからです。あまりに嬉しいので,引用しておきましょう。
「少しブログの更新を留守にしたが,この間,3月19日(月)にISC・21(稲垣正浩主催)の研究会でナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』をどう読むか,について講演,21日・22日には立命館大学で開かれた国際会議「カタストロフと正義」に参加,主に招待講演者のジャン=ピエール・デュピュイと,彼の持論「啓発的破局予言論」について議論した。そして23日から一週間は主として研究打ち合わせのためにフランスに行っていた。」
わたしの研究会にきていただく前も,東奔西走,じつに精力的に「アメニモマケズ」の精神を発揮して移動をつづけてこられたことを知っています。ですので,ここは辞退した方がいいのかな,と一瞬は考えました。でも,もう3~4カ月前からのお願いですので,ここは強行突破と覚悟を決めました。そうしたら,なんと,レジュメまで用意してきてくださいました。いつもは,わたしからお願いをして「フリー・ハンドできてください」と念を押すことにしているのですが,今回はもう,そんな必要もないだろうと思っていました。ですので,申し訳ない気持でいっぱいでした。お蔭で,研究会はとても盛り上がり,わたしたちは至福のときを過ごすことができました。
その一部の報告は,わたしのこのブログでも書いていますので,ご確認ください。しかし,残念なことに,あのあと時間がなくて,ブログは「未完」のままで終っています。それは,西谷さんがどんなお話をされたのか,レジュメに沿って要約しようとしたのですが,どうしても途中で詰まってしまって書けませんでした。それをたぶん知っていてのことだと思いますが,ご自分で,こんな話をした,とこんどのブログで書いてくださっています。それも,引用しておきましょう。
「ISC・21の研究会では,まず,アメリカの行動主義心理学と新自由主義的経済体制の適用に見られる人間観・社会観の共通性を説明し,ついで,市場の自己調節機能に信を置く自由主義経済の考え方と,西洋近代の「自由」の観念を準備したキリスト教的世界観(アウグスティヌスの「悪の弁神論」からカルヴァンの救霊予定説,アダム・スミスの「見えざる手」まで)との関係の概略を示し,さらに現在の新自由主義経済のグローバル化と,3・11以降の日本の復興についてのコメントをした。」
この文章を初めて読む人はおったまげてしまうかも知れませんが,西谷さんは,こういう難しいテーマをじつにわかりやすくわたしたち素人にも理解可能なまでに,咀嚼してお話をしてくださいました。わたしも,この文章を読みながら,ああ,あのときのお話の骨子はこういうことだったのか,とあらためて認識し直しています。
じつは,西谷さんのブログは,このあとが本番です。全部,引用するわけにもいきませんので,あとは西谷さんのブログでご確認ください。で,ブログのタイトルになっています「グローバルな『世俗哲学』の胎動」の,さわりの部分(まとめ)が最後にでてきますので,そこを引いておきます。なにが「世俗哲学」なのか,ということもわかりやすく書いてありますので。
「いずれにしても,いま新しい『世俗哲学』が生まれつつある。宗教,技術,経済も含めて,近代と西洋キリスト教世界を抜本的に相対化する哲学だ。それにはアクチュアルな思想が(帰依するのではなく)合流することができる。それがグローバル化が生み出した状況の所産だろう。もちろんグローバル化はあちこちで「危機」を引き起こしている。だがその「危機」が何であるか,その出口が那辺にあるかを明らかにするのは,いま熟しつつあるこれらの思想的営為だろう。」
この部分は,4月21日(土)にある「ISC・21」4月大阪例会でのわたしのプレゼンテーション「グローバリゼーションをどのように考えればいいのか」の最新情報として,早速,いただき,です。すなわち,スポーツ文化もまたヨーロッパ近代と西洋キリスト教世界を,一度,徹底的に相対化する作業を行わなくてはならない,ということ。そして,スポーツ文化のグローバル化が引き起こしている「危機」が何であるか,そし,その出口が那辺にあるか,固有の論理を探ること。となると,ルジャンドルの存在が,つまり「ドグマ人類学」が提示している諸問題が,わたしにとっての大きな課題となってきます。
最後に西谷さんのブログはつぎのような文章で終っています。
「EUの全般的経済危機や,大統領選挙を来月に控えたフランス政治の溶解状況,激震災害後の日本の状況などを背景に,ピエール・ルジャンドル,アラン・シュビオ,デュフール,アラン・カイエ,ヘェティ・ベンスラマらと議論しながら,そんな思いを強くした。」
そんな思いとは,断るまでもなく「グローバルな『世俗哲学』の胎動」のこと。
ということは,西谷さんの「チョー哲学」は,もっともっと先を行っているんだ,とこれはわたしの解釈。いよいよ「チョー哲学」の聴講生になろう。その手続をしなくては・・・・。
というわけで,今回の西谷さんのブログは,当分の間,わたしのバイブルになりそうです。
みなさんも,ぜひ一度,ご確認ください。
「西谷修」で検索すれば,すぐに,ブログに到達できます。
こんどの水曜日が楽しみ。「カキフライ・オムライス」を食べながら・・・・。なんと贅沢な時間であることか。至福のとき。
なにより嬉しかったのは,そのブログの冒頭にわたしの名前まで書いてくださっていたからです。あまりに嬉しいので,引用しておきましょう。
「少しブログの更新を留守にしたが,この間,3月19日(月)にISC・21(稲垣正浩主催)の研究会でナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』をどう読むか,について講演,21日・22日には立命館大学で開かれた国際会議「カタストロフと正義」に参加,主に招待講演者のジャン=ピエール・デュピュイと,彼の持論「啓発的破局予言論」について議論した。そして23日から一週間は主として研究打ち合わせのためにフランスに行っていた。」
わたしの研究会にきていただく前も,東奔西走,じつに精力的に「アメニモマケズ」の精神を発揮して移動をつづけてこられたことを知っています。ですので,ここは辞退した方がいいのかな,と一瞬は考えました。でも,もう3~4カ月前からのお願いですので,ここは強行突破と覚悟を決めました。そうしたら,なんと,レジュメまで用意してきてくださいました。いつもは,わたしからお願いをして「フリー・ハンドできてください」と念を押すことにしているのですが,今回はもう,そんな必要もないだろうと思っていました。ですので,申し訳ない気持でいっぱいでした。お蔭で,研究会はとても盛り上がり,わたしたちは至福のときを過ごすことができました。
その一部の報告は,わたしのこのブログでも書いていますので,ご確認ください。しかし,残念なことに,あのあと時間がなくて,ブログは「未完」のままで終っています。それは,西谷さんがどんなお話をされたのか,レジュメに沿って要約しようとしたのですが,どうしても途中で詰まってしまって書けませんでした。それをたぶん知っていてのことだと思いますが,ご自分で,こんな話をした,とこんどのブログで書いてくださっています。それも,引用しておきましょう。
「ISC・21の研究会では,まず,アメリカの行動主義心理学と新自由主義的経済体制の適用に見られる人間観・社会観の共通性を説明し,ついで,市場の自己調節機能に信を置く自由主義経済の考え方と,西洋近代の「自由」の観念を準備したキリスト教的世界観(アウグスティヌスの「悪の弁神論」からカルヴァンの救霊予定説,アダム・スミスの「見えざる手」まで)との関係の概略を示し,さらに現在の新自由主義経済のグローバル化と,3・11以降の日本の復興についてのコメントをした。」
この文章を初めて読む人はおったまげてしまうかも知れませんが,西谷さんは,こういう難しいテーマをじつにわかりやすくわたしたち素人にも理解可能なまでに,咀嚼してお話をしてくださいました。わたしも,この文章を読みながら,ああ,あのときのお話の骨子はこういうことだったのか,とあらためて認識し直しています。
じつは,西谷さんのブログは,このあとが本番です。全部,引用するわけにもいきませんので,あとは西谷さんのブログでご確認ください。で,ブログのタイトルになっています「グローバルな『世俗哲学』の胎動」の,さわりの部分(まとめ)が最後にでてきますので,そこを引いておきます。なにが「世俗哲学」なのか,ということもわかりやすく書いてありますので。
「いずれにしても,いま新しい『世俗哲学』が生まれつつある。宗教,技術,経済も含めて,近代と西洋キリスト教世界を抜本的に相対化する哲学だ。それにはアクチュアルな思想が(帰依するのではなく)合流することができる。それがグローバル化が生み出した状況の所産だろう。もちろんグローバル化はあちこちで「危機」を引き起こしている。だがその「危機」が何であるか,その出口が那辺にあるかを明らかにするのは,いま熟しつつあるこれらの思想的営為だろう。」
この部分は,4月21日(土)にある「ISC・21」4月大阪例会でのわたしのプレゼンテーション「グローバリゼーションをどのように考えればいいのか」の最新情報として,早速,いただき,です。すなわち,スポーツ文化もまたヨーロッパ近代と西洋キリスト教世界を,一度,徹底的に相対化する作業を行わなくてはならない,ということ。そして,スポーツ文化のグローバル化が引き起こしている「危機」が何であるか,そし,その出口が那辺にあるか,固有の論理を探ること。となると,ルジャンドルの存在が,つまり「ドグマ人類学」が提示している諸問題が,わたしにとっての大きな課題となってきます。
最後に西谷さんのブログはつぎのような文章で終っています。
「EUの全般的経済危機や,大統領選挙を来月に控えたフランス政治の溶解状況,激震災害後の日本の状況などを背景に,ピエール・ルジャンドル,アラン・シュビオ,デュフール,アラン・カイエ,ヘェティ・ベンスラマらと議論しながら,そんな思いを強くした。」
そんな思いとは,断るまでもなく「グローバルな『世俗哲学』の胎動」のこと。
ということは,西谷さんの「チョー哲学」は,もっともっと先を行っているんだ,とこれはわたしの解釈。いよいよ「チョー哲学」の聴講生になろう。その手続をしなくては・・・・。
というわけで,今回の西谷さんのブログは,当分の間,わたしのバイブルになりそうです。
みなさんも,ぜひ一度,ご確認ください。
「西谷修」で検索すれば,すぐに,ブログに到達できます。
こんどの水曜日が楽しみ。「カキフライ・オムライス」を食べながら・・・・。なんと贅沢な時間であることか。至福のとき。
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