「脱原発をめざす首長会議」の設立総会が開催されたという記事を,『東京新聞』は3面で大きくとりあげた。他の新聞はどんな扱いだったのだろうか,と気がかり。ひょっとして無視されたりして・・・・。これまでの例からすれば,ありえない話ではない。
さて,この記事を読んで,初めて知ったことがひとつ。
この設立総会の会場である。それは,金融機関としてはいち早く「脱原発」宣言をした城南信用金庫の本店(品川区)の会議室だった。城南信用金庫といえば,吉原毅理事長が先頭に立って「地域と原発は共存できない」という基本方針をかかげ,東電株の売却,東電との契約解除,などつぎつぎに手を打って,一躍,注目を浴びている。
わたしも,理事長の方針を知ってすぐに,口座をつくり,わずかな金額だがそこに預金を移した。とくに,東電に対して「原発推進を条件に特別融資をする」と宣言した銀行からは,徐々に撤退することにした。わたしにできるささやかな抵抗であり,意思表明である。まずは,個人でできることはどんなことでもいい,まずは始めることだ,と考えて。
参加した首長たちの談話もとてもすっきりしている。
田島公子・埼玉県越生町長は「経済が大事か,命や子どもたちの未来が大事か。それを考えればおのずと答えは出る」。
保坂展人・東京都世田谷区長は「電力消費地の東京が原発にブレーキをかけ,安全な自然エネルギーのアクセルを踏んでいきたい」。
石井俊雄・千葉県長生村長は「原発が必要だという政治家を代えないといけない。一緒に運動を続けていきたい」。
佐藤栄佐久・前福島県知事は「原発は必要だから安全だというのが日本の論理。一年以上たっても反省していない」。
以下,省略。
いずれも,きわめて単純明解。こんな簡単なことが,どうしてエリート集団である「ムラビト」たちにはわからないのか,それが不思議。「ゆで蛙」「思考停止」「自発的隷従」「利権」「保身」「自己チュー」・・・掃いて捨てるほどのことばが際限なくでてくる。こうして書いている方が情けなくなってくる。わたしの身辺にも「偉い人」がいるので,「目覚めよ」と声をかける。すると,「起きてるよ」と言って「寝たふり」をする。まるで受け付けようとはしない。困ったちゃんたちである。こういう人たちが,この国を動かしているかと思うと,ほんとうに情けなくなってくる。悲しい。
自分たちの企業を守るためには,人の命など犠牲にしても構わない,と本気で考えているのだろうか。まさか?とはおもうが,いまの生活を維持するためには,人の命のことは「みてみぬふりをする」,つまり,「寝たふり」をする。
こうした「困った」ちゃんたちを,一人ずつ取り崩していくことがきわめて大事なことだ。
「脱原発をめざす首長会議」の輪がもっともっと広がっていくことを願いたい。もし,この輪に加わっていない首長がいたら,住民の立場から圧力をかけていこう。
「命とお金とどちらが大事?」と問いかけて。
そして,こんなことがわからない首長は代えましょう。
会議の設立に奔走したという静岡県湖西市の三上市長さんに拍手。湖西市は,わたしの故郷豊橋市のとなり,山ひとつ越えたところにある静かな浜名湖の湖畔にある都市だ。だから,なんだか身内に拍手をするような気分。嬉しい。
みんなで,できることから始めよう。
なんとしても原発稼働には歯止めをかけなくてはならない。
そして,早く,代替エネルギーの確保に全力を傾けるときだ。
これもまた,政府は「寝たふり」をしている。「困った」ちゃんだらけ。そこから,なんとか脱出しよう。そうしないことには,なにもはじまらない。
さて,この記事を読んで,初めて知ったことがひとつ。
この設立総会の会場である。それは,金融機関としてはいち早く「脱原発」宣言をした城南信用金庫の本店(品川区)の会議室だった。城南信用金庫といえば,吉原毅理事長が先頭に立って「地域と原発は共存できない」という基本方針をかかげ,東電株の売却,東電との契約解除,などつぎつぎに手を打って,一躍,注目を浴びている。
わたしも,理事長の方針を知ってすぐに,口座をつくり,わずかな金額だがそこに預金を移した。とくに,東電に対して「原発推進を条件に特別融資をする」と宣言した銀行からは,徐々に撤退することにした。わたしにできるささやかな抵抗であり,意思表明である。まずは,個人でできることはどんなことでもいい,まずは始めることだ,と考えて。
参加した首長たちの談話もとてもすっきりしている。
田島公子・埼玉県越生町長は「経済が大事か,命や子どもたちの未来が大事か。それを考えればおのずと答えは出る」。
保坂展人・東京都世田谷区長は「電力消費地の東京が原発にブレーキをかけ,安全な自然エネルギーのアクセルを踏んでいきたい」。
石井俊雄・千葉県長生村長は「原発が必要だという政治家を代えないといけない。一緒に運動を続けていきたい」。
佐藤栄佐久・前福島県知事は「原発は必要だから安全だというのが日本の論理。一年以上たっても反省していない」。
以下,省略。
いずれも,きわめて単純明解。こんな簡単なことが,どうしてエリート集団である「ムラビト」たちにはわからないのか,それが不思議。「ゆで蛙」「思考停止」「自発的隷従」「利権」「保身」「自己チュー」・・・掃いて捨てるほどのことばが際限なくでてくる。こうして書いている方が情けなくなってくる。わたしの身辺にも「偉い人」がいるので,「目覚めよ」と声をかける。すると,「起きてるよ」と言って「寝たふり」をする。まるで受け付けようとはしない。困ったちゃんたちである。こういう人たちが,この国を動かしているかと思うと,ほんとうに情けなくなってくる。悲しい。
自分たちの企業を守るためには,人の命など犠牲にしても構わない,と本気で考えているのだろうか。まさか?とはおもうが,いまの生活を維持するためには,人の命のことは「みてみぬふりをする」,つまり,「寝たふり」をする。
こうした「困った」ちゃんたちを,一人ずつ取り崩していくことがきわめて大事なことだ。
「脱原発をめざす首長会議」の輪がもっともっと広がっていくことを願いたい。もし,この輪に加わっていない首長がいたら,住民の立場から圧力をかけていこう。
「命とお金とどちらが大事?」と問いかけて。
そして,こんなことがわからない首長は代えましょう。
会議の設立に奔走したという静岡県湖西市の三上市長さんに拍手。湖西市は,わたしの故郷豊橋市のとなり,山ひとつ越えたところにある静かな浜名湖の湖畔にある都市だ。だから,なんだか身内に拍手をするような気分。嬉しい。
みんなで,できることから始めよう。
なんとしても原発稼働には歯止めをかけなくてはならない。
そして,早く,代替エネルギーの確保に全力を傾けるときだ。
これもまた,政府は「寝たふり」をしている。「困った」ちゃんだらけ。そこから,なんとか脱出しよう。そうしないことには,なにもはじまらない。
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