2012年4月3日火曜日

日本余暇学会の学会誌『余暇学研究』第15号がとどく。

むかしから親しくさせていただいている薗田碩哉さんが会長をしていらっしゃる日本余暇学会の学会誌『余暇学研究』第15号が,今日,とどきました。3月31日発行ですので,4月2日(月)にとどくよう,ぎりぎり頑張って送ってくださったことが伝わってきます。わたしも,そのむかし,学会誌の編集委員長をやっていたことがありますので,年度末ぎりぎりまで追い込んで仕事をしていたことを思い出します。ですから,事務局の方々のご苦労もよくわかります。ありがとうございました。

送られてきたのは,わたしの書いた文章が掲載されているからです。掲載誌として記念に「一冊」送ってくださった,ということです。昨年の10月9日(日)に開催された第15回余暇学会研究大会にお招きいただいて(薗田さんに口説かれて),基調講演をさせていただきました。その講演のテープ起こしを学会誌に掲載したいということでした。

しかし,以前にもこのブログで書きましたように,講演は支離滅裂になってしまい,とても活字にできるような内容ではありませんでした。そこで,その罪滅ぼしに,書き下ろしで原稿を書くことにしました。その原稿が掲載されたという次第です。

タイトルは以下のとおりです。「3・11」以後のわたしたちのライフスタイルとスポーツ文化の行方──「公」と「私」の交わる場所で。英訳は編集委員会でやってくださったようで,つぎのようになっています。Whereabouts of our lifestyle and sports culture after "3.11"─At the place where "I" cross when "Public"─ なるほど,ネイティーブのチェックを受けた英訳になっているなぁ,と感心してしまいました。わたしが英訳したら,もっとゴチゴチの日本語英語になってしまうなぁ,と。ありがたいことです。

講演も駄目でしたが,この原稿も,いま読み直してみますと,もっとこう書くべきだった,ここはこんな表現では駄目だ,とあちこちダメだしばかりです。「3・11」の表記も,このようになっているのは一カ所だけで,あとはみんな「3.11」になっています。この表記は,わたしなりにこだわりがあって,わざわざ鍵括弧でくくって「3・11」としたのに,なぜか,「3.11」になっています。

ここからさきはいい訳になってしまいますが,著者の校正が一度もありませんでした。わたしは,学会誌なので,間違いなく,最低一回は校正の機会はあるものと信じて疑いませんでした。原稿の締め切りもかなり短い時間で切られていましたので,大急ぎで書き上げ,細かなところは初校で直せばいい,と考えていました。それが甘かったということなのでしょう。ずっと長い間,初校ゲラがこないなぁ,なにかの都合で遅れているのかなぁ(学会誌の場合には会員の利害にかかわることがありますので,やむを得ず遅くなることもありえます。これは経験的に熟知しています),と軽く考えていました。いま考えると,やはり,一度,初校ゲラの督促をすべきでした。なにも連絡もしなかったので,たぶん,タイムリミットがきてしまって,年度末ぎりぎりで追い込んだ結果,著者校正を省略せざるをえなかったのでしょう。

一般の商業雑誌でも,必ず著者校正はあります。そうしないと,どこかからクレームがついたときに,文章責任がとれなくなるからです。ましてや学会誌です。かりに基調講演だとはいえ,活字になる以上は,その文章の責任がどこにあるかはきちんとしておかなくてはなりません。わたしが畏れるのは,「稲垣は文章も雑だし,校正もいい加減だ」と思われてしまうことです。こんな裏事情は一般の読者は知るよしもありません。その点だけはまことに残念。

収穫もひとつありました。
橋爪大輝さんの書かれた原著論文「オティウムの政治的可能性──アーレントの余暇論」です。アーレントが『人間の条件』と『革命について』のなかで余暇論を展開しているということは知りませんでした。「オティウム」という概念についても,これまで知りませんでした。その意味でとても勉強になりました。この論文に触発されるところが多くありましたので,わたしも追跡的に文献にあたりながら,もう少し違う視座から「オティウム」と「スコレー」という概念について考えてみたいと思っています。

橋爪さんも仰っているように,「余暇」というのはおかしいのであって,「本暇」であるべきはず・・・という主張にわたしも賛成です。わたしは,そこにジョルジュ・バタイユという補助線を引くことによって,その疑問がすっきりと解決できるのではないか,という仮説をもっています。このような発想もまた,「3・11」以後に求められているものだ,とわたしは考えています。つまり,ヨーロッパ近代のアカデミズムの軛から解き放たれること,あるいは,西洋キリスト教的世界観から解き放たれることが必要だ,と。このように考えてきますと,バタイユの前にニーチェという補助線がわかりやすいかも知れません。

できることなら,ピエール・ルジャンドルという補助線まで持ち込めたら,もっと面白かろうとも考えています。しかし,わたしにはまだルジャンドルという補助線を持ち込むだけの力量がありません。これから頑張ります。

というようなわけで,残念なこともあれば,収穫もある,という次第でした。
薗田さん,いろいろとお世話になりました。こんごともよろしくお願いいたします。この場をお借りしてお礼を申し上げます。謝謝。

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