2012年4月27日金曜日

小沢一郎の「真相隠し」と原発事故の「真相隠し」と,さあ,どっちの罪が深いか。

今朝の新聞は小沢判決の情報で満載。白だ,黒だ,グレイだ,とどっちでもいいような話ばかりである。国策がらみで起訴されたのに,二度とも証拠不十分。検察の完全な敗北である。結局,小沢君の尻尾をつかむことはできなかったのだ。逃げきりセーフだ。司法がそのように判断したのだから。疑わしきは罰せず,の原則どおりに。

われわれ庶民の感覚からすれば「おかしい」ことは間違いない。しかし,検察も虚偽の記載をした調査報告書を提出した,という信じられない事実があって,強制起訴が成立してしまったことの方が,わたしにははるかに恐ろしいことだ。しかも,それを「適法」だと司法が判断したことだ。世の中,一寸先も闇だ,と知った。政治家も官僚も検察官も司法までもが信じられなくなってしまったら,もう,世も末だ。

おまけに,小沢君の党員資格をめぐってさまざまな憶測が飛び交っているという。民主党だけではなく,自民党まで一緒になって,小沢君の党員資格を裁判決定まで認めるべきではない,とざわついているという。もはや,そんなことを言っている場合ではないだろう。国民は,政治の逼塞情況をなんとか打破して,もっとまともな政治課題に取り組んでほしい,と待ち望んでいる。それをやってくれそうな唯一の政治家としての小沢君が,逆にクローズーップされ,期待さえされている。

それを白だ,黒だ,グレイだ,の情報ばかりの新聞記事にあきあきしていたら,『東京新聞』の社説は,「政争よりも政策実現を」という見出しで,この非常時に,つまらぬ政争をしているときではない,と断罪していて,ほんの少しだけほっとした。

しかし,もっとよくよく考えてみる必要がある。小沢君のやったことは政治資金規制法違反という,きわめて個人的な嫌疑だ。うまいことちょろまかそうとした根性はまるみえだが,尻尾を切って,逃げ切ってしまった。司法の手を振り切って。

そんな話題にいつまでも付き合っている場合ではないだろう。

「3・11」後を生きるわたしたちの「いま」ということを考えると,もっともっと巨大な「悪」がのさばっているではないか,と思わずにはいられない。はっきり言っておこう。国策がらみの原発事故の「真相隠し」だ。いまだに,だれも罪が問われてもいない。この不思議さ。この「真相隠し」をどこまでも引っ張っていって,うやむやにしようという魂胆も,これまた丸見えである。

国民も,いまは,犯人探しをやっているときではない,この非常時をどうやって乗り切るか,つまり,どうやって安全に生き延びるか,という立場に立ってそちらに全力投球しているだけだ。みんなわかっているけれども,いまは我慢して,みてみぬ振りをしているだけだ。やがて,一段落ついたら,原発事故の「真相隠し」は必ずやり玉にあがるだろうし,さまざまな恐るべき真実が明るみにでてくるだろう。

にもかかわらず,ここにきて「真相隠し」で逃げ切れると判断した「ムラビト」たちが蠢きはじめた。野田君はそのしり馬に乗って,猪突猛進をはじめた。このタイミングでの消費税増税案も,わたしの眼には原発事故の「真相隠し」のための「猫だまし」にみえてくる。つまり,消費税増税案は,あわてて成立させる必要はない,どこまでも審議を引き延ばしていき,継続審議に持ち込めれば,それでよしと野田君も「ムラビト」たちも考えているのではないか,と。

つまり,現在の最大の課題は原発をどうするか,ということにつきる。電力が足りない・足りるという議論も,わたしには「猫だまし」にしかみえない。とにかく,原発事故の「真相」にかかわる議論をできるだけ先送りしたいのだ。そのためには,マスコミがとびつきそうな話題づくりが必要だ。そうすれば,その間,「真相隠し」の時間が稼げるからだ。

小沢君の党員資格をめぐる騒動が大きくなればなるほど,「ムラビト」たちは欣喜雀躍。場合によっては政変も歓迎。どう転がっていっても,頭がだれにすげ替わっても,大歓迎。みんな手が打ってあって(長年にわたるバラマキ・マネー),「ムラビト」たちと一心同体,みんな意のままに動くようにできあがっている。とにもかくにも原発事故の「真相隠し」のための「時間」がほしいだけだ。

小沢君が現役復帰して,増税案がつぶされ,原発にも歯止めがかかることを,国民は密かに期待している。そうした事態の進展をもっとも恐れているのは「ムラビト」たちなのだ。それを防ぐための切り札が「強制起訴」だったのだ。そして,なにがなんでも「有罪」に持ち込むこと。それさえ果たせれば,万々歳だったはず。が,司法は「良識」を守った。

いよいよ,これからだ。マスコミが小沢問題ばかりを追いかけることを,もっとも望んでいるのは「ムビト」たちだ。そういう「猫だまし」に要注意。

原発事故の「真相隠し」にくらべたら,小沢君の「真相隠し」などは「屁」のようなものだ。われわれは,いま,なにを最優先課題として考えなければならないか,コマ化されないよう要注意。それよりなにより,いま,わたしたちは「非常時」を生きているという認識である。

雑誌『世界』,そして『東京新聞』の,ゆるぎない「脱原発」にむけた取り組みにこんごも期待したい。

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