2012年4月15日日曜日

『無常という力』(玄侑宗久著,新潮社)・・・『方丈記』読解を読む。

「ゆく河の流れは絶えずして,しかも,もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは,かつ消え,かつ結びて,久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある,人と栖(すみか)と,またかくのごとし。」

『方丈記』の有名な書き出しの部分はだれもが諳じている名文である。しかも,これが仏教でいうところの「無常」ということなのだ,ということも教えてもらって知っている・・・つもりだった。しかし,『方丈記』(鴨長明)という作品全体の内容がどのような背景から生まれ,なにを伝えているのかということについては,恥ずかしながら,すっかり忘れてしまっていた。

いつもの伝で,書店に並ぶ本をなにげなく眺めていたら,『無常という力』(玄侑宗久著,新潮社)という本が眼に飛び込んできた。著者の名前をみただけで,ただそれだけで,なにも考えることもなく,反射的にこの本をカゴに入れていた。薄い本だったので,帰宅してすぐに読みはじめた。知らぬ間に最後まで,一気に読んだ。

『方丈記』とは,こういう本だったのか,といまさらながら感動した。もちろん,玄侑宗久さんの読解の腕のよさに負うところが絶大なのだが・・・。同時に,このタイミングで,つまり「3・11」を通過したいま,『方丈記』を玄侑さんに読解してもらおうという企画を立てた編集者のひらめきにもエールを送っておこう。

この本は三部構成になっている。第一部は,『方丈記』を玄侑さんの「いま」と重ね合わせた読解。つまり「3・11」後を福島県の三春町で生きる禅寺の僧侶としての読解。原著者の鴨長明に寄り添うようにして,ごくごく身近な,日常に焦点を当てて,じつに含蓄のある読みくだしをしている。知らずしらずのうちにすっかり惹きつけられてしまっているわたしがいる。第二部は,『方丈記』の現代語訳。これがまたじつによく咀嚼された,わかりやすい文章になっている。そして第三部は『方丈記』の原文をそのまま掲載。

『方丈記』の内容を手っとり早く知りたい人は第二部から,そして『方丈記』の文章の美しさをもう一度鑑賞してみようという人は第三部から読みはじめればいい。しかし,圧巻は第一部のゲンユウさんの手になる読解である。なるほど,読むべき人が読むと,こういうことになるのか,と感動してしまう。ここでは,僧侶という顔を前面に出しながら,その手は作家の魂に支えられた美しい文章を紡ぎだす。だから,読者のこころは冒頭から惹きつけられ,休むいとまもない。しかも,ひとことひとことのことばの響きが重くずっしりとからだの芯の奥底まで「振動」となって伝わってくる。不思議な快感である。

抑制の効いた,淡々とした語り口のようにみえながら,ひとことたりともその手をゆるめるということがない。表面の静けさの奥底に,ゲンユウさんの,許しがたい「怒り」のマグマが蠢いている,その抑えがたい感情がひたひたと伝わってくる。「3・11」後を生きるひとりの人間として「いま」という時間と真っ正面から向き合って生きている玄侑さんの,その真摯な姿が『方丈記』を書き記した鴨長明の胸の内と共鳴・共振している。ここに強くこころが打たれるのだ。

ゲンユウさんは『方丈記』を繙きながら,そこからいくつもの「生きる」ということの原初形態(Urformen)を提示する。そのなかのひとつだけを,わたしの経験知に引き寄せて,紹介しておこう。それは,鴨長明が貴族の出身(鴨という名字が示しているように,下鴨神社の宮司の家柄)でありながら,華美のかぎりをつくすような生活を忌避して,庶民の地獄のような暮し(地震,雷,火事,冷害,食料難,飢餓,病気の蔓延,放置されたままの死体の山,など)のなかに身を埋め,ひとり山のなかに「方丈」の庵をむすんで暮らす決意をするくだりである。

玄侑さんは,原発に依存し贅沢三昧の暮らしになんの疑問もいだくことなく生活していた「3・11」以前のわたしたちの「生き方」そのものを,もう一度,原点に立ち返って考え直すことを提案する。そして,その一例が,鴨長明が到達した「方丈」の庵である。かれは,いろいろの事情があって,何回も引っ越しを余儀なくされる。与えられた大きな貴族の屋敷を捨て,引っ越すたびに10分の1に縮小していくわが住み処(栖)を憂えながら,最後には,とうとう折り畳み式で移動が自由な「方丈」の庵に到達する。

そのくだりを引いておこう。
「ここに,六十(むそぢ)の露消えがたに及びて,更に,末葉の宿りをむすべる事あり。いはば,旅人の一夜の宿を作り,老いたる蚕の繭を営むがごとし。これを中比(なかごろ)の栖にならぶれば,又,百分が一に及ばず。とかく云ふほどに,齢は歳々に高く,栖は折り折りにせばし。その家のありさま,よのつねにも似ず。広さはわづかに方丈,高さは七尺がうちなり。所を思ひさだめざるがゆえに,地を占めて作らず。土居を組み,うちおほひを葺ふきて,継目ごとにかけがねをかけたり。もし,心にかなはぬ事あらば,やすく外(ほか)へ移さむが為なり。その,改め作る事,いくばくのわづらひかある。積むところ,わづかに二両,車の力を報ふほかには,さらに他の用途いらず。」

「方丈」とは,文字通り「一丈四方の建物」のこと。一丈は10尺。つまり,10尺四方の部屋のある建物,ということ。わかりやすく言えば,ほぼ「四畳半」の部屋の周囲に一尺ほどの板の間がついた程度の大きさに相当する。自由自在に転居が可能な方丈の庵を(創案して)結び,世の喧騒から身を隠すようにして,自給自足の生を営む道を選ぶ。これが鴨長明のゆきついた「生きる」原点だったというわけである。

このあたりのところを玄侑宗久さんは,じつにゆきとどいた視線で読解している。そして,僧侶として「3・11」後を生きるわが身に引き寄せて,なみなみならぬ共感・共鳴を寄せている。そして,この方丈の庵で営む「生」にこそ,人間が「生きる」ということの原初形態を見定めている。

ちなみに,禅宗の寺には「方丈」と呼ばれる独立した小さな部屋があって,そこは住職さんが僧侶としての仕事に専念するための拠点となっている。だから,お寺の坊さんのことを「方丈さん」と呼ぶ習わしが,わたしの育った地方にはある。子どものころにはよく耳にしたことばであるが,いまはどうだろうか。

ついでに,僧侶にとっては「方丈」と呼ばれる部屋がひとつあればそれで充分であって,その他の伽藍は余分なものである,という自戒の念もこめられているようである。曹洞宗の開祖である道元さんは,立派な伽藍を構えると堕落するからと言ってそれを拒否したという。そして,ささやかな修行道場を建てたのが永平寺のはじまりだという。こんにちのような立派な伽藍になったのは,ずっとあとになってからの話である。また,道元さんをこよなく尊敬していた良寛さんは,修行していた寺の師匠から寺の後継者として指名された翌日,放浪の旅にでたという。そして,生涯にわたって「方丈」の庵をむすぶ生活だったことはよく知られているとおりである。

さて,話をもとにもどそう。
この「方丈」の話はほんの一例にすぎない。玄侑さんはこの『方丈記』読解をとおして,「3・11」後の人間の「生き方」の,新たな可能性を探ろうとしている。つまり,まずは自立(自律)すること,すなわち,自分の足で大地に立つということの基本型を確認しようとしている。

そして,食べ物は地産地消,電気は町営の発電所(水車でもできる,と提案),大よりは小を・・・・という具合に,「3・11」後を生きるためのさまざまなアイディアを模索し,提案している。結論は,「無常」というこころのあり方に秘められている「力」をわがものとすべし,としている。

最後にこの本の帯に書いてあるキャッチ・コピーを引用しておこう。

八百年の時を越えてよみがえる智恵と覚悟──。

無常を自らの力にして,
天災と戦乱の世を生き延びた鴨長明はこう綴る。
「気力を失い何も手に付かない時もある。それでも気に病むことはない。」

何が起ころうと悩まない,決めつけない・・・・
全てを受けいれ,揺らぎ続ける。
それが自由になること,強くなること,そして未来を楽しむことである。

フクシマに住む著者が
すべての日本人に強く深く説く,
「方丈記」的生き方。

わたしも禅坊主の端くれ。玄侑宗久さんの説く話の一つひとつにこころの底から共振・共鳴するところが多い。ぜひとも,ご一読をお薦めする。アンチ・グローバリゼーションのテクストとしてもお薦めである。

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