2012年4月28日土曜日

「余分な力はどんどん抜いていきましょう」(李自力老師語録・その12.)

太極拳は力む必要はありません。必要最小限の力だけで十分。余分な力はどんどん抜いていきましょう。と李老師はおっしゃる。そう言って,やってみせてくださる。なるほど,からだのどこにも力みはない。ごく自然に流れるようにからだのすべての動作が連動している。

そして,つぎのようにもおっしゃる。
からだの力を抜けは抜くほど「力強さ」が現れてきます。からだの力を抜いてムチのようにしなやかに動かすことによって,いざというときに最大の力を生み出すことができるのです。力を抜くということは,必要なときに最大の力を出すための準備なのです。これが武術の極意です。

なるほど,と頭では理解できる。しかし,だからといってすぐにできるかというと,そうはいきません。それどころか最後までできないと言った方がいいでしょう。それができるようになれば,「極意」を体得したことになるのですから。

脱力。これは,一般のスポーツでも同じです。上達するということは脱力ができるようになることを意味します。力一杯でなんとかできるようになったことを,何回も繰り返し練習することによって,不要の力を抜いていく。それが上達するということです。最終的には,必要なときにだけ力を出し,あとは抜けている。これが上手な人のパフォーマンスです。

こどものころ,自転車に乗れるようになるために苦労した経験をもっている人は少なくないとおもいます。だれもが,一度は,あの難関を突破しないことには,自転車を乗りこなすことはできません。しかし,一度,突破してしまえば,いつのまにか上手に乗れるようになります。そのころには,もう,余分な力みはありません。そうして,いつのまにやら,自転車に乗っていることすら忘れています。この要領で太極拳もやりなさい,と李老師はおっしゃる。

このことは,マラソン・ランナーでも同じです。最初の10キロをトップ・ギアで走れば,そこでスタミナ切れとなり,トップ集団から脱落していくことは間違いありません。ただ,淡々と走っているだけにみえるマラソンも,じつは,いかに力を抜いて走るか,そして,いかにスタミナを温存して,35キロすぎからの勝負にかけるか,これがマラソン・ランナーの理想です。そのために日々,トレーニングを積んでいるわけです。それでも,いざ,試合となると思うようにはいきません。なにせ,相手のあることですので,そこでのスタミナ温存の勝負となります。相手より少しでも余裕をもって走れる力をつけること,そうすれば,本番は力を抜いて走ることができるようになる,というわけです。が,なかなか,そうはいきません。

太極拳は,架空の相手との闘いです。一つひとつのワザをきちんと頭のなかに想定して稽古を重ね,その上で,力を抜いていくこと。そして,いざというときには,力が出せるように備えること。この関係をしっかりと頭に入れて稽古をすることが肝腎だ,と李老師はおっしゃいます。

ひたすら稽古をして,力を抜くことができるようになること,それにはたゆまぬ努力が必要なことは言うまでもありません。

力を出すためには,まず,力を抜くこと。この大原則を忘れないように稽古したいとおもいます。
どうやら,李老師がおっしゃるからだ全身で感じられる「快感」は,この脱力がうまくできるようになったさきに起こる現象のようです。李老師の手の指先が微妙にふるえているのは,明らかに,そこから気が流れていることの証左でしょう。そういう状態を通過した,さらに,そのさきに「快感」が待っているようです。

そのための第一歩。それが「脱力」です。
そのつもりで稽古に励みたいとおもいます。



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