ことしもインフルエンザの流行シーズンが到来した。街中を歩く人や電車の中で出会う人たちの多くがマスクをかけている。そして,インフルの予防接種を多くの人たちが,みずからすすんで受けているという。
過日,珍しく長兄から電話。親戚の法事の日程についての知らせだった。久しぶりだったせいか,長兄が長話をはじめた。「お前はインフルの予防接種は受けたか」と聞く。「ううーん」とわたし。「早めに受けておいた方がいいぞ」と長兄。「この何年間もの間,風邪というものを引いた覚えがないから,必要ないとおもっている」とわたし。「そういう奴が一番危ないのだ」と長兄。という調子でどこまでもつづく。
折角の親切心で言ってくれているのだから,別に逆らうつもりはなかった。が,だんだんと風邪に関する世間一般の通説を一方的に押しつけてくるので,とうとう,こちらも我慢していたことを言ってしまう。「風邪は引いたら,自然治癒にまかせることにしている」とわたし。「そういう素人判断が一番いけないことだ」と長兄。「いやいや,この方法は,いまや名医の誉れ高い帯津良一さんや鎌田実さんが提案している方法だ」とわたし。「だれだ,そんな奴は知らん」と長兄。「じゃあ,この話は,これ以上は無駄だから止めよう」と言って,電話を切った。
なんとも後味が悪い。
予防接種をして,マスクをかけて,早めに風邪薬を飲んで・・・・というこの方法が,いかに一人ひとりの免疫力を低下させることに貢献していることか,ということを考えようともしないで,「自然治癒力」を頭から否定する人が多い。そして,薬,薬,薬の一辺倒である。「風邪を引くことは免疫力を高める絶好のチャンスなのだ」などといおうものなら・・・・。ましてや,「マスクなどはなんの役にも立たないから,俺はしないよ」,外出したあと「嗽もしないよ」「手も洗わないよ」などと言おうものなら,「お前は野蛮人だ」と一喝。
もちろん,個人差があるから,あまり強制するつもりはないが,わたしは徹底的に帯津良一さんの考え方を支持する。そして,一人ひとりに見合った方法で免疫力を高める努力をすべきだとも考える。だから,わたしはわたしのやり方で,すでに,長年,その努力をつづけている。なんにもしないで放ってあるわけではない。日々,細心の注意を払って,自分の「からだの声」に耳を傾けている。長年やってくると,「からだの声」はとてもよく聞こえるようになってくるから不思議だ。この方法を医者も保健所も積極的に教えようとはしない。
そして,いまでは行政が予防接種の補助金までも出して,インフル対策を推進している。ことしはワクチンが間に合っているそうだから,あまり,慌てることはないそうだ。でも,去年のようにワクチンが足りなくなってしまうと大変なことになる,とわたしに忠告してくれる人は少なくない。しかし,よくよく考えてみればわかるように,昨年も,行政とメディアがひとりで踊っていただけのことであって,例年の流行現象となんら変化はなかった。わたしに言わせれば,過剰防衛である。そして,その結果は,免疫力の低下である。
その人たちが,すでに,率先して風邪を引いているらしい。そして,ご丁寧にもマスクをしている。そのマスクもずいぶん改良されていて,これをしていればインフル対策は完璧と錯覚を起こしかねないほどのできばえである。電車の中は風邪薬の匂いでいっぱい,ほてった体温が輻射熱のようにしてこちらのからだに伝わってくる。そして,ゲホ,ゴホと激しい咳き込みをはじめる。君子危うきに近づかず・・・だ。つぎの駅で飛び下りて,別の車両に乗り換える。
最近では,意図的に,一番前の車両か一番後ろの車両に乗るようにしている。ここは昼中など,ガラガラに空いている。そして,わたしのようにからだの声が聞こえる人が多い。マスクをした人などほとんど見かけない。みんな賢い人たちばかりだ。ここに乗る人たちの多くは予防接種など受けてはいないだろう,とわたしは推測する。
しかし,圧倒的多数は予防接種派である。そして,それが「正しい」予防対策だそうな。そして,その多数派が「正義」派を形成している。
わたしは,こういう現象をとらえて,あえて「衛生帝国主義」と名づけている。予防接種を受けない人間は「悪」であって,こういう連中が風邪を蔓延させているのだ,という。行政から補助金をもらって予防接種をする人が「正義」で,わたしのような人間は「テロリスト」だ,とでも言わぬばかりの勢いである。困った,困った,である。
しかし,ひとことだけ最後に言っておこう。この多数派を形成している正義派こそ,文字どおりの「ドーピング」派でもある,ということを。そして,スポーツの世界では,それが逆転する。なぜだろう?近代合理主義の論理矛盾の典型。
この問題については,また,いずれ。
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