2010年12月19日日曜日

キッズ・チャンバラを見学,殺陣剣術体験の記。

 昨日のキッズたちのチア・リーディングをみて,その感想をブログに書いていたら,そういえば,しばらく前にキッズ・チャンパラなるものを見学したなぁ,と思い出した。
 12月9日(水)午後6時から9時までの3時間。その前半でキッズ・チャンバラを見学し,その後半は殺陣剣術を体験させてもらった。NPO法人たかつのスポーツ・クラブが組織するプログラムのなかの一つを,友人の戸沼資貴さんが担当している。この戸沼さんは税理士の高橋さんに紹介してもらった。なんと,戸沼さんは義足の殺陣師である。ふつうに歩いているときはほとんど気づかない。それほどにリハビリに励み,調整をされた人だ。そして,いまは,人の前に立って,殺陣剣術の指導に取り組んでいる。いささか人間のできが違う。
 さて,キッズ・チャンバラというものを以前から話には聞いていたが,実際に,どんな具合にしてレッスンを展開しているのか知りたかった。そして,殺陣剣術なるものがどういうものなのか,それも知りたかった。その夢がようやくにして実現したという次第。
 まずは,キッズ・チャンパラから。午後6時,すでに,かなりの子どもたちが集まっている。下はどうだろう,小学校3年生くらいか,上は6年生だろうと思う。女の子も相当数いる。半数近いか。こんなことも確認しないまま,ただただ,見とれていた,というのがほんとうのところ。久しぶりに子どもたちが集まって元気にはしゃいでいる姿を目の前にしたからだ。みんな仲良しなのか,底抜けに元気がいい。というか,落ち着きがない。まずは,きちんと正座して瞑想とご挨拶から入る。瞑想と言ったところで,ひとりふたりはお茶目な子がいて,人を笑わせている。何人かがつられて笑ってしまう。でも,先生もその他の子どもたちも知らん顔をして瞑想している。そのテーマは,自分が一番なりたいものをイメージしなさい,というもの。つぎに,ご挨拶。正面に礼。お互いに礼。チャンバラに使う剣に礼(剣といってもウレタンでできた柔らかい棒)。これも子どもたちの大半は,きわめて形式的。しかし,何人かの子どもたちは先生のやるとおりの礼をしている。
 こうしてレッスンがはじまった。先生は,戸沼さんのお弟子さんたち。戸沼さんは,それとなく遠巻きにサポートしながら,みてまわっている。先生は「これをしてはいけない」という注意はほとんどしない。しかし,「〇〇をするときに守らなくてはいけないことは,なにかな?」という問いを投げかけ,子どもたちに答えさせている。それ以外のことは自由自在に対応している。だから,一見したところ,子どもたちも勝手気ままにみえる。先生の話はほとんど聞いていないようにみえる。それほどに子どもたちは勝手なことをしている。それでも不思議なことに,レッスンはそれなりに流れていく。大きな流れとしては,先生の計画どおりに流れている。話を聞いていなくてわからなくなった子どもは,あわてて,近くにいる子に聞いている。そして,すぐに,仲間の中に入っていく。
 剣は軽くて柔らかなので,どんな風にからだを叩こうと,痛くもなんともない。説明をしている先生のうしろからいきなり背中を叩きにいく子もいる。先生は,そんな子を無視して,必要な説明をしている。ほとんどの子は動きまわりながらも,それとなく話を聞いているのがわかる。それで,どんどん,レッスンは進んでいく。一見したところ,とても大雑把にみえるが,じつは,基本的なことはすべて押さえてある。だから,わずかに数人の子どもたちはきちんとレッスンの流れにそって動いている。それで,十分にレッスンは浸透していく。勝手なことをしている子どもたちも,それとなく,レッスンの流れにアンテナを張っているのがよくわかる。これでいいのだ,とわたしは膝を打ちながら,じっと見守る。
 終盤にさしかかったところで,赤白の二手に分かれて,全員で一斉にチャンバラごっこに入った。もう,大変な騒ぎである。全員が所狭しと駆けずり回りながら,チャンバラごっこに余念がない。面白いことに女の子が一歩も負けてはいない。堂々と対等に討ち合っている。小学生くらいだと男女の性差はほとんどない。わたしの記憶では,小学生のころ,相撲をやると女の子の方が強かった。だから,この子どもたちもチャンバラごっこを男女対等に闘っている。だから,みんな必死で,全力を投球している。これはやろうとしてやっているのではない。気がついてみれば,そうなっている,という理想的なパターンになっている。
 そして,最後に,どういう約束事になっていたのか,二人の男の子が呼びだれて,コートの中央に登場して,一本先取の真剣勝負を行った。のっぽの子とちびさん。なぜ,この二人なのかな?と思ったほどだ。これでは最初から勝負がついているではないか,と。先生は,もう一度,確認のために勝負判定のルールを説明。二人は真剣に聞いている。その他の子どもたちは,そのまわりを囲んで坐っている。なぜか,このときはみんなおとなしく坐っている。その前のチャンパラごっこで疲れていたのかもしれない。しかし,じっと,ことの成り行きを見つめている。
 「相討ち」は勝負なし,で試合ははじまる。審判は,先生二人と,一人の主審。驚いたことに,双方ともに最初から積極的に討ってでる。しかも,同時の相討ちになる。休むことなく討ってでる。そして,何回も,何回も相討ちがつづく。二人とも必死である。こんなにも真剣に討ち合いをするとは,わたしは予想していなかった。徐々に疲労がでてくる。その瞬間である。のっぽが討ってでて空振りとなる。その瞬間をちびが討ってでた。それが,みごとに一本となり,勝負あり。のっぽ君は天を仰いでしばし動けない。先生の指示で,握手,うしろに下がって礼。のっぽ君は,正座したまま上を向いて涙をこらえている。まわりの子どもたちもみんなのっぽ君を注視している。やがて,涙があふれてきて頬をつたって流れ落ちる。静かに,全員がじっとしたまま見守っている。さっきまで,先生の話もそこそこにしか聞いていなかった同じ子どもたちなのだろうか,と不思議なくらいだ。この時間は貴重だなぁ,とわたしまで感動してしまった。
 しばらくして,二人を立たせて,もう一度,握手をするようにと指示。戸沼さんは,しっかりとお互いに手を握らせて,お互いの眼をみつめるように,と指示してカメラを向ける。そして,そのままの姿勢をとらせておいて,さまざまな角度からシャッターを切る。その間,二人は握手をしたままお互いの眼を見つめ合っている。戸沼さんはそれを計算に入れたかのように,しっかり,時間をかけてシャッターを押している。これを全員の子どもたちがみつめている。
 レッスンの前半にみられたような,勝手気ままな,多動性症候群ともおぼしき子どもたちとは打って変わって,みんな神妙な顔をしている。
 そうして,最後に,全員,正座。そして,瞑想。ご挨拶とつづく。
 後片付けをして,解散。子どもたちは,着替えを済ませると,大きな声で「ありがとうございました」といって帰っていく。みんな生き生きとしたいい顔をしている。
 わたしがもっとも救われたのは,いわゆる「体育座り」を強制していなかった,という点だ。みんな,それぞれに思いおもいの坐り方をしている。中には寝ころがって先生の話を聞いている子もいる。その間,ふざけ合っている子もいる。でも,先生は必要最小限のことだけ話すとすぐにチャンバラに入る。なにをしたらいいかわからなくなった子どもは,しばらく立ってみている。そして,様子がわかると中に入っていく。先生は黙ってみているだけ。この「待つ」という時間が重要なのだ。子どもに判断させること。そして,いま,どうすればいいか,を考えさせること。ここを大人たちは「待つ」だけのこころの大きさがないので,すぐに,指示を出してしまう。ひょっとしたら,お説教をはじめてしまう。子どもはすでに「しまった」と思っているのだから,それにかぶせるようにしてお説教をする必要はない。その「しまった」で自己を取り戻しているのだから,あとは,自己の判断にゆだねてやればいい。こうして,子どもは成長していくものなのだから。
 まあ,久しぶりの子どもたちの活動ぶりに接して,そして,人間というものをきちんと見極めている指導者のもとでのレッスンを拝見させていただいて,世の中,捨てたものではないなぁ,としみじみ思った。NPO法人の活動については,いろいろの意見があることもよく承知しているつもりである。しかし,実際にその現場をみてみると,どこの世界も同じで,そこを仕切る人による,としみじみ思った。どの世界も少数のすぐれた人材によって基本的なところは支えられている。だから,世の中はなんとか成り立っているのだ。この人たちの努力と活躍がなかったら,世も末である。こういう人たちが一人でも多く日の目をみる社会になってほしいものだと思う。
 いいものを見せていただいた。
 長くなってしまったので,殺陣剣術体験記は,またいつか。
 今日はここまで。

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