2010年12月27日月曜日

山茶花の花が真っ盛り。懐かしさの源泉。暮れだなぁとおもう。

 しばらく前から山茶花の花が真っ盛り。わたしの事務所のある鷺沼は「植木の里」と呼ばれるほど,植木屋さんが多いところだ。そのせいか,屋敷の垣根を山茶花で囲っている家が多い。高級住宅地なので,一軒家はとても立地条件のいいところにある。だから,山茶花は一日中日当りのいいところで満開の花を咲かせている。いまにもこぼれ落ちそうだ。一方,マンションの日陰の,一日中,太陽があたることもないような,猫の額のような狭い路地にも山茶花が植えてある。ここでも満開の花を咲かせている。山茶花という木の生命力の強さを感じないではいられない。それももっともな話ではある。なぜなら,この冬の寒い時期に花を咲かせるというのだから。
 このあたりの山茶花は,どこもかしこもみんな赤い花を咲かせている。赤といっても真っ赤ではなく,ややピンクがかったやわらかい赤である。寒さにふるえながら歩くわたしのこころには,とてもやさしいメッセージを送りとどけてくれる。なぜか,山茶花の花が満開に咲いていると,ほっとする。懐かしいのである。
 わたしの育った田舎の小さな禅寺の境内には,あちこちに山茶花の木があった。たぶん,何代か前の住職に山茶花の好きな人がいたのだろう。その山茶花は,赤だけではなく,白,赤白のまだら(これにもいろいろのパターンがあって,それぞれが屹立して自己主張をしていた)の,大きくは3種類。それもむかしの品種だから,一本の木につく花の数はそんなには多くない。どちらかといえば,葉陰にひっそりと咲いていた。白い山茶花は,静かに,しかし,存在感豊かに自己をアピールしていた。わたしは山茶花の中では白い花が好きだった。
 少年のころのラジオ歌謡に山茶花をテーマにした曲があった。題は忘れてしまった。が,わたしはその歌が大好きで,音楽の時間に先生にリクエストして,歌ってもらったことがある。以後,わたしはその歌を密かに愛唱していた。だから,いまでも,山茶花の花に出会うとこの歌のメロディーが頭の中を流れていく。そして,小さな声で口ずさむ。
 山茶花は,密かにも,咲いていた/霜白く,庭の垣根に降りた朝/母のおもかげ,しのばせて。
 たしか,これが一番の歌詞だったと記憶している。この山茶花の花は,わたしのイメージでは「白」なのである。それが「母のおもかげ」であったから。
 食糧難で食べるものもままならないわたしの子ども時代の母は,朝から晩まで働いた。ほんとうによく働く人だった。父も勤めから帰ると懐中電灯をもって畑にでた。子どもの多い貧乏寺は食っていくだけで大変だったのである。お金はすべて食べ物で消費された。着るものまではまわらなかった。われわれ子どもたちもボロを着て耐えていた。母のモンペもすり切れてお尻が透けてみえていた。もちろん,膝はとっくのむかしにすり切れて膝当てがしてあった。が,お尻の方は気づいていなかったようだ。ある日,わたしはいたずらをして,母のモンペのすり切れたところから指を入れてお尻に触れた。母はびっくりして,わたしの手を払いのけた。その触れたお尻の色が「白」だった。だから,わたしの母のイメージは,なにをおいても「白」なのである。
 だから,このラジオ歌謡を口ずさむと,間違いなく子どものころの母の思い出がつぎからつぎへとよみがえってくる。嬉しいことも悲しいことも怖かったことも・・・・そして,褒められたことも。だから,山茶花の花をみると,ほっとすると同時に,懐かしい母の思い出がよみがえるのである。
 今日の鷺沼は快晴無風。雲ひとつなく青空がひろがっている。少しだけ寒いが,快適そのものである。鷺沼駅のブリッジの上からはとても眺望がよく,東京の都心の高層ビルが視野の中に入ってくる。東京タワーはもちろんのこと,六本木ヒルズののっぽビル,そして,だんとつに高くなったスカイ・タワー。しばらく立ち止まって,久しぶりの東京の都心を眺めていた。
 気分がよかったので,少し遠回りをして事務所に向った。その途中で,なんと,白い山茶花の花と出会ったのである。赤い山茶花よりは花の数は少なめではあったが,子どものころ見慣れた白い山茶花よりははるかに多くの花をつけていた。ちょっと違うなぁ,とは思ったが嬉しかった。こんなところで母に出会うとは・・・・。しばらく立ち止まって,懐旧の情にひたった。懐かしい・・・という感情がこころの奥底からわき上がってくる。久しぶりの感情だ。至福のひととき。
 明日も天気がよかったら,違う道を歩いて,白い山茶花を探してみよう。いまは亡き母との出会いを期待して・・・・。
 

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