如是我聞(にょぜがもん)。仏教経典の冒頭によく登場することばです。お釈迦様の話をわたしはこんな風に聞きました,という断り書きです。弟子のアーナンダがお釈迦さんの話されたことばを忘れないように書き留めるときに,誤解を避けるために,わたしの聞いたのはこんな話でした,とまずは断りを入れたわけです。というのは,同じ話を聞いても,弟子によってはその受け止め方が異なっていたからです。
わたしのこのレポートも,N教授の話されたことをまんべんなく整理し,その要点を書くというものではありません。なにせ,90分にわたって話される内容は多岐にわたります。そして,そのいずれもきわめて重要な内容をふくんでいます。ですから,それらをすべて書き記すとなると,こんなブログではとても網羅することは不可能です。ですので,あくまでもわたしの独断と偏見に身をゆだねて,いま,現在のわたしの関心事に響く内容の部分だけをとりだしてきて整理しておく,というのが正直なところです。その点をどうぞお含みの上で,読んでいただけると幸いです。
さて,如是我聞。
今回の講義のテーマは「戦争」でした。
「戦争」ということばが,いつから,どのようにして用いられるようになったのか,その意味するところはなにか,というところから講義がはじまりました。
まずは,「戦争」ということばを疑うこと,わたしたちは「戦争」ということばがアプリオリに存在したと考えがちですが,じつはとても新しいことばであることが,少し考えるだけでわかってきます。それは明治以後のことばです。いうまでもなく,英語のwarの翻訳語です。
それ以前までの日本語では,「役」「乱」「変」ということばが用いられ,これらは内容によって使い分けがなされていました。それが近代に入ってからは「戦争」ということばで統一されることになりました。そこには深いわけがありました。
たとえば,こんな具合です。西南の役,戊辰の役,などといいます。が,これを西南戦争とか,戊辰戦争と表記することが,最近になって多くなっています。が,ことばの正しいつかい方としては間違いです。「役」は朝廷や政府に駆り出された人たちが戦うことを意味します。つまり,兵役による戦いのことです。すなわち,「役」ということばの裏側には為政者に対して抵抗/反抗する勢力を征伐するという意味がふくまれています。それに対して,「戦争」は主権国家同士の戦いを意味することばです(この点については,のちほど,詳しく説明します)。
いっぽう「乱」は,「将門の乱」というように用いられます。いわゆる内戦状態の戦いです。両者の言い分が対等で,どちらにも義が成立する戦いです。将門の乱は天慶の乱ともいいます。いわゆる律令国家体制の崩壊を象徴する事件でした。それに対して「変」は,「本能寺の変」のように,こちらはクーデターを意味します。織田信長のもとで武将として仕えていた明智光秀が主君の織田信長を襲った戦いです。まさに意表をつく,ありえない戦いです。ですから「変」というわけです。
このほかにも「冊封」(奴倭国)とか「処分」(琉球),あるいは「植民地」という支配・統治の仕方もありますが,これらについては,ここでは省略。
つづいて「戦争」です。こちらは近代的な主権国家が成立してからの,主権国家同士の戦いを意味します。日清戦争は,日本が主権国家として戦った最初の戦争です。ついで,日露戦争という具合です。いずれも,日本と清国,日本とロシア,といった主権国家間での戦争です。そうではない場合には,内乱とか,動乱とか,紛争,などが用いられます。あるいは,たんに「戦い」と呼ぶわけです。「テロとの戦い」とか,「正義のための戦い」などは,主権をもたない,あるいは見えない相手に対して強国が一方的な「正当化」をして,巨大な暴力を行使する事態が存在します。しかし,この場合には攻撃される相手側にも,まったく同じ「正当化」が成立します。「聖戦」(ジハード)と呼ばれるのは,こういうケースです。(このあたりのところは,N教授が意図的にパスしたと思われますが,N教授のお話をうかがいながら,わたし自身の頭のなかで思い描いていたことを,わたしの独断で付け加えています。)
では,「戦争」することのできる国家(主権国家,国民国家,法治国家)はいかにして成立するのか,というきわめて重要なテーマについて詳細な説明がありました。この問題をここで簡潔に書くにはわたしの能力を超えていますので,割愛させていただきます。ただ一点だけ触れておけば,主権国家となるためには,周囲の資格をもった主権国家の承認を得なければならない,ということです。独立国家を宣言しても,周囲の国家がその独立を認めないかぎり,独立国家とは言えません。つまり,国際社会に認められるかどうかが,ひとつの大きなポイントとなります。もっともわかりやすい見方は,新たに独立した国家の国連加盟が承認されるかどうか,ということになります。ですから,近代の戦争は,すべて主権が認められた国家間の戦いを意味します。
そして,日本という国がどのような経緯で主権国家を形成していくことになったのか,ということが詳細に語られていきます。こうして,「戦争」ということばの成り立ちを考えることによって,近代という時代のより本質的な特色がもののみごとに浮き彫りにされる,という次第です。
授業の最後のあたりで「近代になって編み出されたことばを用いて,前近代を語ることの愚」というお話が,ちらり,とありました。このフレーズが,なぜか,わたしのなかではいたく響くものがありました。このことについては,また,機会をあらためて考えてみたいとおもいます。
また,N教授の著作のなかで「戦争は人間にとっての全体的体験を意味する」という趣旨の文章があったことも,この講義をうかがいながら,わたしの頭のなかを駆けめぐっていたことも付け加えておきたいとおもいます。
とりあえず,今日のところはここまで。
わたしのこのレポートも,N教授の話されたことをまんべんなく整理し,その要点を書くというものではありません。なにせ,90分にわたって話される内容は多岐にわたります。そして,そのいずれもきわめて重要な内容をふくんでいます。ですから,それらをすべて書き記すとなると,こんなブログではとても網羅することは不可能です。ですので,あくまでもわたしの独断と偏見に身をゆだねて,いま,現在のわたしの関心事に響く内容の部分だけをとりだしてきて整理しておく,というのが正直なところです。その点をどうぞお含みの上で,読んでいただけると幸いです。
さて,如是我聞。
今回の講義のテーマは「戦争」でした。
「戦争」ということばが,いつから,どのようにして用いられるようになったのか,その意味するところはなにか,というところから講義がはじまりました。
まずは,「戦争」ということばを疑うこと,わたしたちは「戦争」ということばがアプリオリに存在したと考えがちですが,じつはとても新しいことばであることが,少し考えるだけでわかってきます。それは明治以後のことばです。いうまでもなく,英語のwarの翻訳語です。
それ以前までの日本語では,「役」「乱」「変」ということばが用いられ,これらは内容によって使い分けがなされていました。それが近代に入ってからは「戦争」ということばで統一されることになりました。そこには深いわけがありました。
たとえば,こんな具合です。西南の役,戊辰の役,などといいます。が,これを西南戦争とか,戊辰戦争と表記することが,最近になって多くなっています。が,ことばの正しいつかい方としては間違いです。「役」は朝廷や政府に駆り出された人たちが戦うことを意味します。つまり,兵役による戦いのことです。すなわち,「役」ということばの裏側には為政者に対して抵抗/反抗する勢力を征伐するという意味がふくまれています。それに対して,「戦争」は主権国家同士の戦いを意味することばです(この点については,のちほど,詳しく説明します)。
いっぽう「乱」は,「将門の乱」というように用いられます。いわゆる内戦状態の戦いです。両者の言い分が対等で,どちらにも義が成立する戦いです。将門の乱は天慶の乱ともいいます。いわゆる律令国家体制の崩壊を象徴する事件でした。それに対して「変」は,「本能寺の変」のように,こちらはクーデターを意味します。織田信長のもとで武将として仕えていた明智光秀が主君の織田信長を襲った戦いです。まさに意表をつく,ありえない戦いです。ですから「変」というわけです。
このほかにも「冊封」(奴倭国)とか「処分」(琉球),あるいは「植民地」という支配・統治の仕方もありますが,これらについては,ここでは省略。
つづいて「戦争」です。こちらは近代的な主権国家が成立してからの,主権国家同士の戦いを意味します。日清戦争は,日本が主権国家として戦った最初の戦争です。ついで,日露戦争という具合です。いずれも,日本と清国,日本とロシア,といった主権国家間での戦争です。そうではない場合には,内乱とか,動乱とか,紛争,などが用いられます。あるいは,たんに「戦い」と呼ぶわけです。「テロとの戦い」とか,「正義のための戦い」などは,主権をもたない,あるいは見えない相手に対して強国が一方的な「正当化」をして,巨大な暴力を行使する事態が存在します。しかし,この場合には攻撃される相手側にも,まったく同じ「正当化」が成立します。「聖戦」(ジハード)と呼ばれるのは,こういうケースです。(このあたりのところは,N教授が意図的にパスしたと思われますが,N教授のお話をうかがいながら,わたし自身の頭のなかで思い描いていたことを,わたしの独断で付け加えています。)
では,「戦争」することのできる国家(主権国家,国民国家,法治国家)はいかにして成立するのか,というきわめて重要なテーマについて詳細な説明がありました。この問題をここで簡潔に書くにはわたしの能力を超えていますので,割愛させていただきます。ただ一点だけ触れておけば,主権国家となるためには,周囲の資格をもった主権国家の承認を得なければならない,ということです。独立国家を宣言しても,周囲の国家がその独立を認めないかぎり,独立国家とは言えません。つまり,国際社会に認められるかどうかが,ひとつの大きなポイントとなります。もっともわかりやすい見方は,新たに独立した国家の国連加盟が承認されるかどうか,ということになります。ですから,近代の戦争は,すべて主権が認められた国家間の戦いを意味します。
そして,日本という国がどのような経緯で主権国家を形成していくことになったのか,ということが詳細に語られていきます。こうして,「戦争」ということばの成り立ちを考えることによって,近代という時代のより本質的な特色がもののみごとに浮き彫りにされる,という次第です。
授業の最後のあたりで「近代になって編み出されたことばを用いて,前近代を語ることの愚」というお話が,ちらり,とありました。このフレーズが,なぜか,わたしのなかではいたく響くものがありました。このことについては,また,機会をあらためて考えてみたいとおもいます。
また,N教授の著作のなかで「戦争は人間にとっての全体的体験を意味する」という趣旨の文章があったことも,この講義をうかがいながら,わたしの頭のなかを駆けめぐっていたことも付け加えておきたいとおもいます。
とりあえず,今日のところはここまで。
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