2013年5月30日木曜日

5月25日のブログ「遠州浜名湖・奥山の方廣寺(臨済宗)を訪ね・・・・・」に写真を7葉,アップしました。ご笑覧ください。

 もうかれこれ10年ほどになるわたしのパソコンが,いよいよ音をあげはじめ,とうとう「エラー」を連発しています。そして,とうとう「C領域のメモリーを減らしてください」と具体的な忠告までしてくれるようになりました。なんとかしなくてはとおもっているのですが,でもまだ動くので,まあ,いいか,という怠け心のまま放置して使っています。

 が,このブログに写真を入れようとしたときに,とうとう「エラー」がでて,どうにも反応してくれません。わずかしかないパソコンに関する知識を頼りに,あちこちいじりまわして,ようやく写真を操作することができるところまで修復しました。

 というわけで,5月25日のブログ「遠州浜名湖・奥山の方廣寺(臨済宗)を訪ね,羅漢さんを拝む。感動。」に写真を入れることができなくて困っていましたが,ようやく修復でき,写真を入れることができました。遅まきながら,ぜひ,もう一度,ご覧いただければ幸いです。遅れたついでに,たくさんの写真を挿入しました。文字だけの情報とは違って,ちょっと面白いブログになったとおもっています。

 たとえば,羅漢さんの表情などはいくら文字で説明しても,写真の表情には勝てません。じつに飄々とした,なんともいえない顔の表情は一見の価値があるとおもいます。思わず吹き出してしまうような写真も入れておきました。


 幕末の三舟と呼ばれた山岡鉄舟の書いた扁額「深奥山」も必見の書です。三舟とは,勝海舟,高橋泥舟,山岡鉄舟の三人のことです。高橋泥舟は槍術の名人で,講武所師範役。徳川慶喜が大政奉還したあと,身辺護衛の任にあたったといいます。もともと高橋泥舟は山岡姓で,槍術の山岡静山の出であったが,高橋家を継ぐ。いっぽう,山岡鉄舟の父は旗本小野朝右衛門。儒学,書,剣術に秀でたが,山岡静山の家名を継ぐ。しかも,山岡鉄舟は,勝海舟と西郷隆盛の江戸城明け渡しのための直談判の橋渡し役をつとめた。まあ,考えてみれば,幕末の三舟の因縁もまた不思議なつながりになっていることがわかります。

 というようなことをふくめて,7葉の写真を追加したブログをもう一度ご覧いただければ幸いです。
取り急ぎ,追加のお知らせまで。


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