2013年5月4日土曜日

東京オリンピック招致の夢は消えた。猪瀬知事は責任をとって,さっさと辞退すべし。あるいは辞任すべし。

 口をへの字に曲げて,いつでも喧嘩を売ってやるといわんばかりの,どこぞのへぼやくざの親分みたいな顔で「謝罪」の記者会見。みっともないことこの上なし。「謝罪」の仕方がわかっていない。あれはどうみても失言取消の「謝罪」ではない。おれは「ほんとうのこと」を言っただけだ,という下心がみえみえ。そう,そのとおり。あなたの言っていることは正しい。

 ただし,条件がある。アメリカのいう意味での正義に則れば・・・と。そして,それが議会での政治的な議論であれば,それなりの説得力をもつことになるのであろうし,それ自体はなんの問題もない。たんなるアメリカの手先だと思われるだけのはなし。その頼りとすべきアメリカの『ニューヨーク・タイムス』紙に噛みつかれたのだから,もはや,万事休す。このことの重大さをわかっているのかね,猪瀬君。

 IOCが,猪瀬知事の発言について処分しない方針を決めたからといって,これで無事に解決したと思ったら大間違い。処分しなかったということの裏にある含みを重く受け止めなくてはなるまい。
それは,処分するまでもない,という結論を含んでいるということだ。もはや,東京は論外,とIOCが判断したということ。だから,処分なし。

 どういうことなのか。こともあろうに,オリンピック招致がらみの取材に応じて,ライバル都市のイスタンブール(トルコ)を偏見にみちた言説で批判したとなれば,その時点でルール違反。スポーツの競技の世界では,即,失格。つまり,エントリーから外される。もはや,オリンピック招致運動とはなんの関係もない都市として扱われるだけのはなし。

 こんなこともわかっていない都知事の,あまりの常識のなさにあきれはててしまう。それがオリンピック招致の頂点に立つ東京都知事の言うことか,と。この時点で,東京都のオリンピック招致は完全に資格なしとして,その候補都市からは消え去った。そのことすら,認識できていない東京都の招致委員会の認識の甘さ。

 のみならず,「謝罪」のあとで,またまたツィッターで余分なことをつぶやいた,という。「だれが敵か,味方か,よくわかった」と。いったいこの人はなにを考えているのだろうか。ノン・フィクション・ライターとしての立場と,政治家としての立場と,オリンピック招致のリーダーとしての立場とは,それぞれ次元が異なるということをこの人は理解できていないのではないか。

 スポーツの祭典を開催するのに,敵も味方もない,そんなこともわかっていない。オリンピック・ムーブメントの精神のひとかけらもわかっていない。もっと正々堂々と,東京都の「よさ」をアピールすることだけに専念すればいいのに。試合の前に相手選手の悪口を言っても興行として許されるのはプロ・ボクシングやプロ・レスだけだ。オリンピック選手にあってはまったくのご法度だ。ましてや,招致都市の代表者がライバル都市の足を引っ張るような発言をするとは・・・・。まさに,言語道断というほかない。

 オリンピックの開催都市を決める選挙権をもつ委員は100余名という。そのなかには「イスラム」を批判されてこころよく思わない委員も相当数いるだろう。まずは,その人たちの票数はゼロになる。そして,そのような発言をする都知事に失望して,急遽,ほかの都市に票を投ずる人も少なくないだろう。こうして引き算をしていくと,あっという間に三分の一の票数が消えていく。

 今回のオリンピック開催都市決定の最大のポイントは,ほかでもない。初めての「イスラム文化圏」でのオリンピック開催を認めるかどうか,この一点にかかっている,とわたしは最初から考えている。まだ,イスラム教文化圏でのオリンピック開催が時期尚早という判断があるとすれば,マドリッド(スペイン)と東京(日本)の一騎討ちになる,と。

 しかし,今回の猪瀬知事の失言により,まっさきに東京は消えた。あとは,キリスト教文化圏とイスラム教文化圏との一騎討ち。そして,五輪の輪の精神からすれば,すなわち,五体陸のすべての人間がお互いに手をとりあってスポーツによる平和運動を展開するという精神からすれば,今回はイスラム教文化圏であるイスタンプール(トルコ)に決定するのが順当なところではないか,とわたしは考えている。

 その意味では,猪瀬知事の失言が,イスタンプール決定に大きな貢献をすることになる,とわたしは考えている。マドリッドも2回目,東京も2回目。イスタンブールは初めて。しかも,イスラム教文化圏での初のオリンピック開催。世界でもっとも多いイスラム教信者の数。アメリカをはじめ,じつに多くの国民の間にイスラム教が浸透していることも周知のとおりである。なのに,これまで一度もイスラム教文化圏でのオリンピックは開催されたことがない。そろそろ順番としては,イスタンブール。こんなにわかりやすい図式はない。

 キリスト教文化圏による「イスラム」に対する偏見を超えて,イスラム教文化圏であるイスタンブールでの,初めてのオリンピック開催が決まるかどうか,これはきわめて重大なできごとである,とわたしは考えている。イスタンプールを選択する良識が100名余といわれる委員にあるかどうか,ひとつの大きな「踏み絵」が待っている。

 東京はこの時点で,オリンピック招致を辞退すべきであろう。でなければ,税金の無駄遣いになるだけだ。さもなくば,猪瀬知事は辞任すべきであろう。そうして,東京都はなにからなにまでかなぐり捨てて,ゼロから「出直す」べきだ。それだけの決断をする勇気がいま必要なのではないか。東京都民もまた,それを要求すべきではないか。

 とりあえず,これだけのことは,現時点で言っておきたい。

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