2013年5月17日金曜日

今場所の日馬富士は駄目。低い立ち合いからの攻撃がなく,その上,致命的な腰高。

 初日の相撲をみて,いやな予感がした。真っ向勝負がこの人の持ち味。低い姿勢の立ち合いからの強烈な攻撃があるからこそ,そのあとの流れが生まれてくる。それはアートにも等しい,とわたしは思っている。なのに,あんな楽な相撲をとった。左に変わって上手をとり,そのまま出し投げを打って,送り出し。しかも,楽勝である。こころもからだもこの勝ちに味をしめてしまう。相撲とはそういうものなのだ。無意識のうちに二匹目のどじょうを狙うことになる。しかし,そうは問屋が卸さない。

 早くも二日目にその結果が現れた。相手は真っ正面から当ってすぐに左に変わった。ために,日馬富士の得意の左がまわしをとれずに空を切る。目標を失って,棒立ちになっていたところを,下から押し込まれた。万事休す,である。慌ててはたきこんだが,残る土俵がない。呆気なく土俵の外へ。

 今日(16日)の五日目の相撲はもっと悪い。なんの策もないまま左が入ったが,右の上手がとれない。しかも,相手の左が深く入っていたために,その肩ごしに右上手をとろうとする。無謀である。その間に腰が伸びて棒立ちになっている。もたもたしているうちに巻き変えられて双差しを許すことになる。なぜ,このときに寄ってでるか,左から下手投げを打たなかったのか。腰高になっていたために,なにもできなかったのだ。こんな大きな相手に外四つで相撲がとれるわけがない。苦し紛れの首投げ。それも外されてて,あわてて体勢を整え,前に圧力をかけたところを下手出し投げを打たれ,あえなく土俵を這う。

 今場所の日馬富士をみるかぎり,からだもひとまわり大きくなり,これまでよりも逞しくみえる。稽古場でも,いつもにもまして力強い相撲をみせていたという。しかも,これまでになく絶好調だったという。なのに,なぜ?自信過剰?それとも直近の稽古で致命傷の足首を痛めたか。それにしても,これまで培ってきた日馬富士の相撲をすっかり忘れている。まるで別人だ。

 もう一度,初心に帰るべし。平幕のときから,どんなに大きな相手にも真っ向勝負の立ち合いをしてきたではないか。しかも,後の先の立ち合いで。それは低い姿勢の立ち合いから相手の喉元に向かって攻撃を仕掛ける,かれ独特のものだ。頭から行ってもいいし,右のど輪でもいい。あるいは,突っ張りでもいい。その上で左からのいなし。相手の体勢がくずれたところで左上手をとっての攻撃。あとは変幻自在だ。相撲勘のよさとスピードで相手を圧倒していく相撲。日馬富士ファンはそういう相撲を楽しみに待っている。

 なのに今場所は立ち合いに破壊的な攻撃がみられない。まずは,相手の出足を止める攻撃を仕掛けることだ。口さがない評論家がなんと言おうと,張手なり,のど輪なり,大きく変化するなり,思いきった攻撃を仕掛けることだ。それも,できればアーティスティックに。軽量力士に許された特権だ。そうやって横綱まで登り詰めたのだから。

 あるいは,からだが大きくなりはじめたことによる相撲の変化のきざしかもしれない。むかしの名横綱栃錦が横綱になってから体型が変化した。軽量力士から重量力士へと変化した。この変化していくとき,一時,相撲が乱れたことがある。評論家からぼろくそに叩かれた。わたしは熱烈な栃錦ファンであったから,勝ち負けしか評価しない評論家をにくんだ。違う,からだが変化しているのだ。だから,それまでの取り口とからだが噛み合わないだけのことだ,と。そして,立派な太鼓腹が仕上がったとき,栃錦は投げの名人から寄り切りの横綱に変化していた。そうして名横綱の名をほしいままにした。

 日馬富士のいまの相撲はそれかもしれない。変化の途上にある相撲かも。でも,それにしても,この乱れ方はいささか重症だ。早く気づいて,基本だけは取り戻すこと。もし,足首のどこにも異常がないのだとしたら,このあとの土俵は居直って上がるべし。失うものはなにもない,そういう覚悟が決まれば,また,つぎの相撲が現れる。それは相手にとっては脅威となる。とりわけ,白鵬にとっては。

 日馬富士よ。あなたの相撲はアートなのだから。自分の思い描く相撲をとことん追求してほしい。そして,余分な迷いが消え去ったとき,あなたに固有の,あのアーティスティックな相撲が表出してくるに違いない。それを見せてほしい。負けてもいい。それでもアートになるような負け方をしてほしい。もちろん,勝てばもっといい。せっかくの才能を存分に花開かせよ。

 いずれにしても,まずは,重心を下げよ。腰高では相撲はとれない。どれだけ立派なからだに恵まれようとも。低い,土俵にはいつくばるような,あの最後の仕切りのイメージのまま,相手の喉元めがけて攻撃を仕掛けろ。低く出ればでるほど相手は攻撃の手がなくなってしまう。そこが,先手をとるチャンスだ。絶好調のときの舞の海のように。猫だましだって立派な相撲の手のうちだ。

 目覚めよ。初日の相撲の悪夢から目覚めよ。
 明日からの相撲を楽しみにしている。熱烈なるファンのひとりとして。

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