白鵬だけが強いのではない。大関が弱すぎるのだ。白鵬を脅かす大関がでてこないかぎり大相撲に明日はない。これがわたしの持論だ。
それを実証したのが,今場所の稀勢の里だ。これまでの稀勢の里とはまるで別人の,見違えるような,きびしい攻めの相撲を展開した。白鵬との全勝対決はその見本のような相撲だった。負けはしたが,稀勢の里は自信をつかんだことだろう。来場所は,その白鵬を超えること。そのとき念願の横綱が向こうからやってくる。
でも,千秋楽の琴奨菊との一戦はいただけない。あの一戦だけは,先場所までの稀勢の里の悪い面が露呈してしまった。緊張の糸が切れてしまったのか,立ち合いに遅れ,棒立ちの受けにまわってしまった。そして,琴奨菊に電車道を提供してしまった。きびしい踏み込みがないと,相手の思うままに相撲をとられてしまう稀勢の里の悪い癖だ。ここは大いに反省して,きびしい立ち合いを身につけること。そして,白鵬を脅かす存在になること。それを多くのファンは待っている。
先場所までの稀勢の里と大きく違ったのは,かれの顔の表情だ。闘志を丸出しにした,怖い表情の先場所までの稀勢の里の顔が,今場所はこころなしか柔和にみえた。そして,自信に満ちあふれた風格すら感じられた。なにがあったのかは想像する以外にないが,内なるこころの壁をひとつ超えたに違いない。つまり,内面の成長がその背景にはあるに違いない。だから,土俵の上での所作にも落ち着きが見られ,ゆったりと構えることができたのだろう。あれは,意識してできることではなく,おのずから表出するものだ。
心技体の心に柱が一本立った,そんな印象である。心がしっかりしてくれば技はおのずからついてくる。体はもうすでに合格点である。横綱に到達するための,最後の階段である心,これを徹底的に鍛えこむこと。ここをクリアした暁には綱が待っている。あとは,自己との闘いだ。自己にきびしく向き合い,自己を律する力を身につけること。日馬富士が横綱に駆け上ったときのように。そして,そのなによりの見本が白鵬だ。
その日馬富士が,今場所も情けなかった。途中で少しよくなりかけたが,やはり駄目だった。なによりも立ち合いが悪い。楽に相撲をとることを覚えてしまったのだろうか。初日の相撲をみたとき,わたしの脳裏にはいちまつの不安がよぎった。その不安が的中してしまった。立ち合いが甘いのである。というか,腰高だ。全勝した場所の立ち合いは,低い姿勢から突き上げるようにして相手を攻撃し,そこから自分に有利な相撲の流れをつくりだす。しかも,スピードに乗って。その相撲をすっかり忘れてしまっている。このことに気づいて,立ち合いからの攻撃に磨きをかけること。これなしには日馬富士の絶好調のときの相撲はもどってこない。
今場所のもうひとりのヒーローは鶴竜だ。稀勢の里と並んで白星を重ねた。かれの相撲は地味だが,わたしは好きだ。じつに理にかなった手順を踏んで,相手のいやがる懐のなかに入り込む。そうなると,この人は存分に力を発揮する。あと一息で,横綱に嫌がられる存在になれる,とわたしは期待している。頭脳明晰な人だから,こつこつと稽古を積み,みずからの弱点を修正して,やがて綱に王手をかけることになるだろう。その日を楽しみにしたい。
終ってみれば白鵬の全勝優勝。みごとだ。でも,稀勢の里が肉薄し,日馬富士が調子をとりもどし,鶴竜が磨きをかけてくると,そういつまでも安泰というわけにはいかないだろう。そんな印象を残す場所だった。以前から言っているように,白鵬が抜群に強いわけではない。他の力士たちが弱すぎるのだ。強いときの日馬富士だけが,白鵬の力量を超えることができる。このときだけは,さすがの白鵬も防戦にまわる。立ち合いの鋭さ,のど輪,左からの攻撃,そして,スピードが加わると,さすがの白鵬も受けにまわってしまう。こういう横綱を脅かすほどの,自分に固有の独特の型をもった力士が出現すること。
その筆頭に,どうやら稀勢の里が躍り出てきた。立ち合いで白鵬の先手をとって攻撃を仕掛ける,そういう相撲を磨くこと。調子がととのえば絶対に負けないという自信をつけること。それだけの資質があることを今場所の稀勢の里は見せつけた。来場所は2横綱を倒して,堂々たる相撲を展開し,頂点を目指せ。
それが実現したとき,大相撲がふたたび活況を呈することになる。満員御礼の垂れ幕が連日みられ,制限時間がくると館内が割れるような歓声につつまれる日の近かからんことを。
大関が活躍する場所は面白い。稀勢の里,鶴竜につづいて名乗りを上げる大関が現れることを,大いに期待したい。来場所は,琴奨菊か,それとも琴欧州か,そこに割って入ってくる大関は。ひとりの大相撲ファンとして,いまから楽しみにしている。
それを実証したのが,今場所の稀勢の里だ。これまでの稀勢の里とはまるで別人の,見違えるような,きびしい攻めの相撲を展開した。白鵬との全勝対決はその見本のような相撲だった。負けはしたが,稀勢の里は自信をつかんだことだろう。来場所は,その白鵬を超えること。そのとき念願の横綱が向こうからやってくる。
でも,千秋楽の琴奨菊との一戦はいただけない。あの一戦だけは,先場所までの稀勢の里の悪い面が露呈してしまった。緊張の糸が切れてしまったのか,立ち合いに遅れ,棒立ちの受けにまわってしまった。そして,琴奨菊に電車道を提供してしまった。きびしい踏み込みがないと,相手の思うままに相撲をとられてしまう稀勢の里の悪い癖だ。ここは大いに反省して,きびしい立ち合いを身につけること。そして,白鵬を脅かす存在になること。それを多くのファンは待っている。
先場所までの稀勢の里と大きく違ったのは,かれの顔の表情だ。闘志を丸出しにした,怖い表情の先場所までの稀勢の里の顔が,今場所はこころなしか柔和にみえた。そして,自信に満ちあふれた風格すら感じられた。なにがあったのかは想像する以外にないが,内なるこころの壁をひとつ超えたに違いない。つまり,内面の成長がその背景にはあるに違いない。だから,土俵の上での所作にも落ち着きが見られ,ゆったりと構えることができたのだろう。あれは,意識してできることではなく,おのずから表出するものだ。
心技体の心に柱が一本立った,そんな印象である。心がしっかりしてくれば技はおのずからついてくる。体はもうすでに合格点である。横綱に到達するための,最後の階段である心,これを徹底的に鍛えこむこと。ここをクリアした暁には綱が待っている。あとは,自己との闘いだ。自己にきびしく向き合い,自己を律する力を身につけること。日馬富士が横綱に駆け上ったときのように。そして,そのなによりの見本が白鵬だ。
その日馬富士が,今場所も情けなかった。途中で少しよくなりかけたが,やはり駄目だった。なによりも立ち合いが悪い。楽に相撲をとることを覚えてしまったのだろうか。初日の相撲をみたとき,わたしの脳裏にはいちまつの不安がよぎった。その不安が的中してしまった。立ち合いが甘いのである。というか,腰高だ。全勝した場所の立ち合いは,低い姿勢から突き上げるようにして相手を攻撃し,そこから自分に有利な相撲の流れをつくりだす。しかも,スピードに乗って。その相撲をすっかり忘れてしまっている。このことに気づいて,立ち合いからの攻撃に磨きをかけること。これなしには日馬富士の絶好調のときの相撲はもどってこない。
今場所のもうひとりのヒーローは鶴竜だ。稀勢の里と並んで白星を重ねた。かれの相撲は地味だが,わたしは好きだ。じつに理にかなった手順を踏んで,相手のいやがる懐のなかに入り込む。そうなると,この人は存分に力を発揮する。あと一息で,横綱に嫌がられる存在になれる,とわたしは期待している。頭脳明晰な人だから,こつこつと稽古を積み,みずからの弱点を修正して,やがて綱に王手をかけることになるだろう。その日を楽しみにしたい。
終ってみれば白鵬の全勝優勝。みごとだ。でも,稀勢の里が肉薄し,日馬富士が調子をとりもどし,鶴竜が磨きをかけてくると,そういつまでも安泰というわけにはいかないだろう。そんな印象を残す場所だった。以前から言っているように,白鵬が抜群に強いわけではない。他の力士たちが弱すぎるのだ。強いときの日馬富士だけが,白鵬の力量を超えることができる。このときだけは,さすがの白鵬も防戦にまわる。立ち合いの鋭さ,のど輪,左からの攻撃,そして,スピードが加わると,さすがの白鵬も受けにまわってしまう。こういう横綱を脅かすほどの,自分に固有の独特の型をもった力士が出現すること。
その筆頭に,どうやら稀勢の里が躍り出てきた。立ち合いで白鵬の先手をとって攻撃を仕掛ける,そういう相撲を磨くこと。調子がととのえば絶対に負けないという自信をつけること。それだけの資質があることを今場所の稀勢の里は見せつけた。来場所は2横綱を倒して,堂々たる相撲を展開し,頂点を目指せ。
それが実現したとき,大相撲がふたたび活況を呈することになる。満員御礼の垂れ幕が連日みられ,制限時間がくると館内が割れるような歓声につつまれる日の近かからんことを。
大関が活躍する場所は面白い。稀勢の里,鶴竜につづいて名乗りを上げる大関が現れることを,大いに期待したい。来場所は,琴奨菊か,それとも琴欧州か,そこに割って入ってくる大関は。ひとりの大相撲ファンとして,いまから楽しみにしている。
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