2013年5月6日月曜日

「世界を表象する」・聴講生レポート・その4.

 4月30日(火)。第4回目の授業は,世界について考える,世界を表象する,とはどういうことなのかを考えてみよう,というテーマでした。メディアには,大きく分けて,ことばとイメージのふたつの側面があります。そのうちのことばについては,すでに,2回の講義をとおして考えてきました。今日は,メディアのもうひとつの側面であるイメージについて考えてみようというわけです。

 つまり,世界というイメージはどのようにして表象されるようになったのか,というわけです。こんにちのわたしたちは,世界ということばからさまざまなイメージを思い描くことができます。しかし,日本人が「世界」について考えられるようになったのは明治以後のことだとN教授は仰います。なぜなら,明治以前には世界という日本語がなかったからだ,というわけです。明治になって,world という英語が日本に入ってきて,その翻訳語として仏教語のなかの「世界」を当てはめたのが,今日的な意味での「世界」という日本語のはじまりだそうです。

 では,江戸時代までの日本人は,「世界」をどのように考えていたのでしょうか。それは,「世の中」とか「世間」として考えられていたのだそうです。ですから,江戸時代までの日本人にとっての「世界」は,自分の眼や耳で見聞きして得られた情報にもとづいて,思い描かれる「世間」や「世の中」でしかありませんでした。

 もちろん,地球全体を世界としてとらえ,地図で表象しようという試みもありませんでした。なぜなら,その必要性がなかったからです。

 というようなところから講義がはじまり,世界というイメージを表象する「世界地図」は,いったい,だれが,どのようにして思い描くようになったのでしょうか,と問いかけます。そして,地図は,いつでも自分のいるところを中心にして,そのイメージをふくらませていく,という特質があります。言ってしまえば,自己を中心にした世界認識のイメージが基本にあります。ですから,人間は世界のどの場所に立つかによって,あるいは,どの地域で生活するかによって,ものの見方や考え方が大きく規制されてしまいます。つまり,政治現象の根っこにはこうした地理的条件が大きく作用するというわけです。そこに着目した学問として地政学(Geopolitik)が誕生します。余談になりますが,ナチス・ヒトラーがこの学問を悪用した話は周知のとおりです。

 こんにちでは地政学的な視点を抜きにした国際関係学(論)やグローバル化社会は考えられないほど重要な学問となっています。その基本をなすものが「世界を表象する」世界地図だというわけでしょう。

 こういう問題意識が,たぶん,N教授のなかにはあって(授業では,ややこしい理屈はほとんど語ることなく,さらりと流しながら,重要なことをわかりやすく説いてくださるので,うっかりするとごくふつうの話に聞こえてしまうことが少なからずあります),古い世界地図からこんにちの世界地図にいたる経緯を,懇切丁寧に話してくださいます。

 この経緯は,N教授のおっしゃる「電動紙芝居」を用いて(プリントアウトされたものも配布),詳細にわたって展開されました。「前3世紀の世界図」(エラトステネス 前275-194)からはじまって,「プトレマイオス図」(83-168頃),「バグダッド中心の世界図(13世紀)」(ヘカタイオス図・前5世紀がベース?),「エルサレム中心の地図」(13世紀),「ワルトゼーミュラーの世界図」(アメリカを記した最初・1507年),「ブラウ図」(1635),「両半球図」(Frederick de WIT c1670),「16世紀末日本(世界図屏風)」,「太平洋中心」(17世紀日本で作成)(※このとき,はじめて日本が世界地図の中心に描かれる),「現代の標準世界地図──西洋中心」,「日本の常用世界地図の例」(※わたしたちが学校の教室でみなれた地図・日本中心),「オーストラリアの世界地図(南半球)」(※オーストラリアが地図の中央上の部分にある。南極が上に描かれ,南北が逆転する),などを手がかりにして。これらのN教授の解説については残念ながら割愛。

 ただし,ひとつだけ,書き加えておきたいことがあります。
 N教授が力説されたことのひとつ。
 アメリカという地名は「ワルトゼーミュラーの世界図」の間違いによって,世界中にひろまってしまった産物のひとつだ,ということです。つまり,制作者のワルトゼーミュラーの勘違いによって「アメリカ」という地名が固定してしまった,というわけです。ここにも長いお話があるのですが,ここまでにしておきます。

 もうひとつ。アメリカは二重の意味で「自由」の国だった,というお話。ワルトゼーミュラーの世界図が制作されるまでは(つまり,コロンブスがこの大陸に到達するまでは),大西洋の西はすべて海で,大陸があるとは考えられていなかった。もちろん,アメリカは『聖書』にも書いてない「新世界」であった。そのため,西半球はだれの所有でもなかった(神の所産でもない),という意味で「自由」であったこと,しかも,その海の上には杭が立てられないので,だれが自分のものにしようと「自由」であったこと。だから,西半球には手を出すな,というアメリカ孤立主義が誕生した。こうして,アメリカ的「自由」と「民主主義」が成立したこと。だから,アメリカこそ地政学的産物であったこと。つまり,地図そのものがジオ・ポリテックスであったこと。などなど。

 このように考えてくると,世界地図を表象するということの意味が,幾重にも,重い内容を含み持っていることがわかってきます。「世界」について考えるということもまた,地政学的な視点が不可欠である,という次第です。

 以上が,わたしの聞きえた,あるいは,理解しえたN教授の今回のお話の要点です。

 次週は「近代の世界は?」というテーマでお話くださるそうです。

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