今日になって,ますます深刻な情報がつぎつぎと入ってくる。原発の最前線で行われていることは,ひたすら爆発を遅らせることだけであって,それ以上の手立てはなにもないらしい。
わたしたちが日本のメディアをとおして得ている情報は,完全にコントロールされていて,当たり障りのない無難な情報でしかない。だから,なんとなく大丈夫らしい,という錯覚を起こしている。しかし,外国のメディアに流れている情報は,ほとんどなんのコントロールもされていない生のものだ。そのうちのいくつかを開いてみたら,それはそれは恐ろしくて眼を覆いたくなるような映像が飛び出してくるではないか。
ドイツの友人が呼びかけているのもなるほどとうなづける。一昨日の段階で,すでに,ドイツでもスイスでもいい,受け入れ態勢はできているからすぐに国外に脱出せよ,というのである。もし駄目なら,できるだけ遠く離れろ。まずは,東京から西へ西へと向かえ。そして,できることならさらに南へ。いっそのこと思い切って沖縄まで飛べ,と。この友人は,日本に長く滞在していたことがあり,日本人の女性と結婚したので,日本の地理にも明るい。
かといって国外脱出するほどの危機感がないのはなぜだろう。わたしの身辺からはそんな話題ももちあがらないからなのか。無知だからなのか。それとも老化現象なのか。いずれにしても,どこか他人事にみえるのである。差し迫った現実感がまったくない。まるで絵空事である。この浮遊感はいったいなんなのだろうか。
いま,中国に住んでいる友人(日本人)からも,大変な事態を迎えているようだが,大丈夫かと心配のメールがとどく。かれの言うには,日本列島には500基もの原発があることを中国のテレビで知った。アメリカでさえあの広い国土に1000基だから,それに比べたら日本の原発の数は多すぎる,と知った,という。日本にいるときにはなにも考えたことがなかったが,少し距離をもって眺めてみると,その異常さがよくわかる,というのである。じつは,わたしもこんな数字は初めて知った。いつのまに500基もの原発を建造したのだろうか。
それにしても,地震列島として知られる日本に,なぜ,原発を建造しなくてはならなかったのか。いまさらながら,不思議ですらある。四つものプレートがぶつかり合っていて,エネルギーが蓄積されれば,かならず大地震がやってくる。そんなことはだれでも知っていることではないか。なのに,なにを基準にして「安全」と説得したのだろうか。そして,説得されてしまったのだろうか。当時の政治家の意図するところはなんだったのか。
かつて,わたしも住んだことのあるオーストリア(ウィーン)では,原発を建造して,いざ,稼働させるという段階になって,最終的な意志決定のために住民投票を行った。その結果,稼働反対が多数を占めたために,一度も発電することなく封印されてしまった。いまになって思えば,賢明な選択であった。しかも,オーストリアは日本に比べたら,ほとんど地震などというものはないに等しい。それでも原発の危険性を重視し,排除する方向に国民の意志は働いたのである。
今回の福島の原発は,500基のうちのたった10基にすぎない。この10基は,かりに爆発することなく無事に鎮圧することができたとしても,廃棄処分となることは間違いないだろう。では,残りの490基はどうするのか。
原発は安全だ,というアピールのためのコマーシャルに出演していた俳優さんやタレントさんは,いまごろどんな気持ちでいるのだろうか。
それにつけても,どうか,福島の原発が大爆発にいたることなく,なんとか無事に収まってほしいものである。いまは,ひたすら祈るしかない,というのが歯痒い。
そして,天を仰ぎながら,西からの季節風に乗って,海側に放射能が飛んでいってくれないか,とこれまた祈るのみだ。
この「祈る」こころから,わたしたちはあまりに疎遠になってしまった。そのこころを,いま一度,取り戻せと神の意思が働いているのだろうか。
わたしたちが日本のメディアをとおして得ている情報は,完全にコントロールされていて,当たり障りのない無難な情報でしかない。だから,なんとなく大丈夫らしい,という錯覚を起こしている。しかし,外国のメディアに流れている情報は,ほとんどなんのコントロールもされていない生のものだ。そのうちのいくつかを開いてみたら,それはそれは恐ろしくて眼を覆いたくなるような映像が飛び出してくるではないか。
ドイツの友人が呼びかけているのもなるほどとうなづける。一昨日の段階で,すでに,ドイツでもスイスでもいい,受け入れ態勢はできているからすぐに国外に脱出せよ,というのである。もし駄目なら,できるだけ遠く離れろ。まずは,東京から西へ西へと向かえ。そして,できることならさらに南へ。いっそのこと思い切って沖縄まで飛べ,と。この友人は,日本に長く滞在していたことがあり,日本人の女性と結婚したので,日本の地理にも明るい。
かといって国外脱出するほどの危機感がないのはなぜだろう。わたしの身辺からはそんな話題ももちあがらないからなのか。無知だからなのか。それとも老化現象なのか。いずれにしても,どこか他人事にみえるのである。差し迫った現実感がまったくない。まるで絵空事である。この浮遊感はいったいなんなのだろうか。
いま,中国に住んでいる友人(日本人)からも,大変な事態を迎えているようだが,大丈夫かと心配のメールがとどく。かれの言うには,日本列島には500基もの原発があることを中国のテレビで知った。アメリカでさえあの広い国土に1000基だから,それに比べたら日本の原発の数は多すぎる,と知った,という。日本にいるときにはなにも考えたことがなかったが,少し距離をもって眺めてみると,その異常さがよくわかる,というのである。じつは,わたしもこんな数字は初めて知った。いつのまに500基もの原発を建造したのだろうか。
それにしても,地震列島として知られる日本に,なぜ,原発を建造しなくてはならなかったのか。いまさらながら,不思議ですらある。四つものプレートがぶつかり合っていて,エネルギーが蓄積されれば,かならず大地震がやってくる。そんなことはだれでも知っていることではないか。なのに,なにを基準にして「安全」と説得したのだろうか。そして,説得されてしまったのだろうか。当時の政治家の意図するところはなんだったのか。
かつて,わたしも住んだことのあるオーストリア(ウィーン)では,原発を建造して,いざ,稼働させるという段階になって,最終的な意志決定のために住民投票を行った。その結果,稼働反対が多数を占めたために,一度も発電することなく封印されてしまった。いまになって思えば,賢明な選択であった。しかも,オーストリアは日本に比べたら,ほとんど地震などというものはないに等しい。それでも原発の危険性を重視し,排除する方向に国民の意志は働いたのである。
今回の福島の原発は,500基のうちのたった10基にすぎない。この10基は,かりに爆発することなく無事に鎮圧することができたとしても,廃棄処分となることは間違いないだろう。では,残りの490基はどうするのか。
原発は安全だ,というアピールのためのコマーシャルに出演していた俳優さんやタレントさんは,いまごろどんな気持ちでいるのだろうか。
それにつけても,どうか,福島の原発が大爆発にいたることなく,なんとか無事に収まってほしいものである。いまは,ひたすら祈るしかない,というのが歯痒い。
そして,天を仰ぎながら,西からの季節風に乗って,海側に放射能が飛んでいってくれないか,とこれまた祈るのみだ。
この「祈る」こころから,わたしたちはあまりに疎遠になってしまった。そのこころを,いま一度,取り戻せと神の意思が働いているのだろうか。
2 件のコメント:
余談になりますが、原発のCMについて、スポーツライターの玉木正之氏が自身のHPで言及しています。
原発の広報記事に登場依頼があり、「言いたいことをいってください」といわれたうえ、「インタビュー記事一回500万円」の提示を受けたのだとか。玉木氏は結局この話を断られたそうですが、記事に登場するだけでこれほど高額の出演料ですから、TVのCMなどはおそらくもっと高額なのでしょう。
ここまでお金を出さないと、なかなかCM出演の引き受け手がいないのでしょうが、それにしても原発ってそんなに儲かるんでしょうか。
興味深く拝読しました。オーストリアの決断は素晴らしいですね。
日本とアメリカの原発数が気になり、確認したところ、一桁違うようでした。日本-50、アメリカ-100のようです。
それでも、日本の原発依存は大きいと感じます。
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