2012年5月30日水曜日

「むすんでひらいて手を拍ってむすんでまたひらいて手を拍ってその手を上に」の真意は?

 むかしからそうだが,近頃,とみに整理学が下手になり,困り果てている。とくに,本の整理学ができない。つい最近買って読んで感動した本が,もう見つからない。ぜひ,人に紹介してあげようと思って探しても見つからない。そんなことが多くなってきた。困ったものである。

 とうとう業を煮やして,事務所の本を書棚から全部下ろして,ある系統別に分類しようと取り組んだ。志やよしとしても,途中で,おもしろい本がでてくるといつのまにか読みはじめている。そして,われにかえると,なにをしていたのか忘れている。これはこれで本好きの醍醐味なのだから仕方がない。しかし,仕事ははかどらない。いま,事務所の仕事部屋は本の山があちこちにできて足の踏み場もないほどだ。

 こんな作業をしていたら,眼の前に『しあわせる力 禅的幸福論』(玄侑宗久著,角川SSC新書,2010年刊)がひょっこりでてきた。あっ,そういえば・・・・という記憶がよみがえってきて,開いて読みはじめる。すぐに夢中になって読み耽る。もう本の整理など忘れている。

 この本の中程に「むすんでひらいて」という小見出しの,とてもおもしろい話がでてくる。
この曲の作曲者は,あの『社会契約論』や『エミール』などの著作で知られるジャン・ジャック・ルソーだということはなにかの本で読んで知ってはいた。が,この曲につけられた作詩がだれの作品なのかは,いまも不明なのだという。これは初耳だったので,最初に読んだときも驚いた。

 しかも,この曲にこの詩が付されて,日本全国で歌われるようになったのは第二次世界大戦後のことだという。1947年に,小学校唱歌の教科書に載ったのがはじまりだという。これまた,驚くべき事実だ。

 1947年といえば,敗戦直後の,まだ闇市があちこちに点在していたころのことだ。社会党が政権をとって,片山哲が総理大臣をやっていた年だ。わたしが9歳のとき。つまり,小学校3年生のときだ。教科書もまだまともなものはなかった。戦前の教科書に,先生の指示にしたがって筆で黒く塗りつぶしたものが,しばらくの間,用いられた。そして,少しずつ,新しい教科書が配給されるようになったが,いまでいえば新聞紙に印刷された折り込みのままのもので,それをナイフで切って,開いて読めるようにして使っていた。もちろん,音楽の教科書がとどくようになるのは,ずっとあとのことだったと記憶する。

 だから,この「むすんでひらいて」を,いつ,どこで教えてもらったのか記憶がない。いつのまにか歌っていたようにおもう。しかも,ずっとむかしから歌い継がれてきたものだとばかり思っていた。しかも,子どものお遊戯のための歌だと思い込んでいた。

 しかし,である。玄侑宗久さんの手にかかると,この「むすんでひらいて」の歌がとてつもなく深い意味を宿していることが明らかになる。詳しくはこの『しあわせる力』禅的幸福論にゆずるしかないが,ごくかんたんに,わたし流の解釈を加えて紹介しておくと以下のようである。

 「むすんでひらいて」のお遊戯は,だれでも知っているとおり,手の平を結んだり,開いたり,拍手をしたりを繰り返して,その手を「上」にあげる,のが基本になっている。そして,順に,歌の最後に手をどこにもっていくのかは,即興でだれかが決める。その意外性がおもしろくて,ある年齢までは夢中になって遊ぶ。

 ところが,玄侑宗久さんは,ここには深い意味がある,と読み解く。日本人のこころの奥底に宿る仏教的な考え方,すなわち,思想・哲学が籠められている,というのだ。だから,この作詞者は,名前を意図的に伏せて,GHQの監視の眼をはぐらかしたのではないか,と類推している。では,その思想・哲学とはなにか。

 玄侑宗久さんは,この歌を,人間としての生き方の基本を示している,と説く。結んだり,開いたりする「手の平」は,人間の「こころ」の象徴だという。つまり,人間は,「こころ」を開いたり,閉じたりしながら日常を生きている,と。そして,ときには衝突したりする(手を拍つ)。その衝突は,単純な「ケンカ」であるかも知れない。しかし,「ケンカ」をとおして,人間はお互いにもっと深く理解し合う可能性も秘めている。あるいは,「手を拍つ」は,和解の象徴とも解釈することができる。あるいはまた,肝胆相照らし合うこととも理解することができる。

 つまり,人は,こころを開いたり,閉じたりを繰り返し,ときにはお互いのこころとこころが触れ合ったりしながら生きていくものなのだ,と。これが日本人のむかしからの生き方なのだ,というのである。そのことを,子どもの遊びをとおして伝承しようと考えたのが,作詞者のほんとうの意図ではないか,と。だから,名前を伏せたのでは・・・?と玄侑さんは類推する。

 当然のことながら,これだけではことば足らずなのだが,あとは,『しあわせる力』を読んで補っていただきたい。もっともっと深いところにまで案内してくれます。

 そして,その結論は,以下のとおり。

 かつて日本人は幸せを「仕合わせる」と書いた。しあわせの原点はここにある。
 固くなった心を「むすんでひらく」。そして,手の平を「合わせる」。そうすればしあわせを感じられます。

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