2012年5月12日土曜日

連続講演「スポーツとは何か」(神戸市外国語大学主催),第一回目,無事に終了。

神戸市外国語大学から客員教授を拝命し,ことしで4年目になります。去年までは集中講義を行っていたが,ことしは一般市民にも公開の講演を4回ほどやってほしい,とのこと。そこで考えました。どうせお引き受けするなら,のちに残しておきたくなるようなお話をさせてもらおう,と。つまり,4回の講演を「連続講演」と位置づけ,一つの「通しテーマ」でつないでいき,最終的には一冊の本になるように構成してみよう,というわけです。

で,「通しタイトル」は「スポーツとは何か」。それに各回ごとにサブ・タイトルを付すことにしました。
第一回目のサブ・タイトルは「スポーツのルーツ(始原)について考える」(5月10日・木)
第二回目は「伝統スポーツの存在理由について考える」(7月6日・金)
第三回目は「グローバル・スタンダードとしての近代スポーツについて考える」(11月30日・金)
第四回目は「21世紀を生きるわたしたちのスポーツについて考える」(1月25日・金)

そして,その第一回目のスタートをなんとか無事に切ることができました,というご報告です。
その骨子は以下のようなメモを用意して,配布しました。

 1.はじめに・・・・「スポーツとは何か」という設問について
  〇いま,わたしたちが「スポーツ」だと思っている文化の特異性に注目
  〇わたしが子どものころの「スポーツ」(野球,体操競技,など)
  〇「テクノサイエンス経済」複合体・・・理性の狂気化
 2.図像・映像の紹介
  〇すもう,レスリング,舞踊(ダンス),など
  〇ラスコー(フランス南西部),アルタミラ(スペイン北部)の洞窟画,など
 3.祝祭空間,供犠,儀礼,仮面・・・・興奮,熱狂,憑依,恍惚(エクスターズ)
 4.「自己を超えでる」経験,理性を超えでる経験,自己が自己ではなくなる経験
  〇H.レンク(ドイツの金メダリストで哲学者)のフロー体験(ローマ大会)
 5.動物性への回帰(願望の表出)
 6.ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』(湯浅博雄訳,ちくま学芸文庫)
 7.動物性からの離脱と人間性への移動・・・<横滑り>
  「水の中に水が存在する」
  原初の人間の不安(存在)・・・自己感情から自己意識へ(へーゲル)
  生と死を意識
  ことば,道具の獲得
 8.自己意識・・・他者=物・客体(オブジェ)と事物(ショーズ)
 9.植物の栽培と動物の飼育
10.人間の労働・・・本来の「生」を歪曲化する・・・文化の「否定性」(川田順三)
11.人間の事物化
12.本来の「生」にもどすための供犠
13.祭祀儀礼としての伝統スポーツ(古代オリンピアの祭典競技,など)の誕生
  〇すもう・闘羊=優劣の判定=決闘=供犠=神判=儀礼=スポーツへ
14.おわりに・・・「生きもの」としての人間にとって「スポーツとは何か」

だいたい,このメモに沿ってお話をさせていただきました。が,いつもの悪いクセで,あちこちに脱線してしまって,なんとなく「しまり」のない話になってしまいました。大いに反省。第二回目からは,そうならないように心がけたいと思います。

お世話くださったのは,神戸市外国語大学の竹谷和之さん。とくに,図像・映像資料を用意してくださり,放映まで,全部サポートしていただきました。ありがとうございました。この映像のお蔭で,ことばでは説明不能の部分を補うことができましたので,とても助かりました。第二回目以後も,可能なかぎり映像資料の助けを借りながら,お話ができればと考えています。

さきほども書きましたように,反省点のひとつは,もっと理路整然とお話ができるようにすることです。そのためには,事前に,話の内容を原稿にして,文字化しておくこと。場合によっては,それを読み上げながら,随時,補足の説明をしていく,という方法がとれる,そのくらいの準備をすべきだとということです。理想ではありますが,なかなか,できません。でも,第二回目には,なんとかそんな風にできないか,挑戦してみたいと思います。

以上が,5月10日(木)に行った連続講演の第一回目の骨子のメモです。
取り急ぎ,ご報告まで。

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