5月10日刊の『同一性の謎 知ることと主体の闇』(ピエール・ルジャンドル著,以文社)の訳者・橋本一径さんをお迎えして,第62回「ISC・21」6月東京例会を開催します。場所は,青山学院大学。日時は,6月16日(土)13:00~18:00。
例会の前半は,参加者による情報交換や近況報告などを行い,後半を橋本一径さんの講演という形式をいまのところ考えています。詳細は,決まりしだい,このブログで紹介いたします。なお,どなたでも参加自由ですが,一応,事前にわたしのところにご連絡ください。連絡先は,inagaki@isc21.com です。
「ISC・21」は,わたしの主宰しています「21世紀スポーツ文化研究所」の略称です。この研究所の主催する月例会は,東京・名古屋・大阪・神戸,などを巡回しながら,毎月1回を原則に開催しています。6月は東京の順番,という次第です。
で,かねてから,西谷修さんを中心とするピエール・ルジャンドルの「ドグマ人類学」研究会のメンバーとして活動してこられた橋本一径さんが,このたび最新の翻訳を刊行されたのを機に,ぜひ,お話をうかがってみたいと考えました。橋本さんは,しばらく前から「ISC・21」の名古屋での例会に参加されるようになり,いわばわたしたちとも仲良しの研究者仲間でもあります。
いまさら,橋本さんについてご紹介するまでもないかもしれませんが,一応,わたしが承知しているかぎりでのアウトラインだけでも書いておきたいと思います。
まずは,『指紋論 心霊主義から生体認証まで』(青土社,2010年)が大きな反響を呼び,一躍,注目の人となったことはよく知られているとおりです。この本は,橋本さんの博士論文をもとに加筆されたもので,第2回表象文化論学会賞奨励賞を受賞。橋本さんの研究の柱になっているものだ,とわたしは理解しています。
この研究が,じつは,ピエール・ルジャンドルの興味・関心と深いところで通底していて,もう10年も前になりますが,ルジャンドルが来日したときに開かれたワークショップで,橋本さんがこの発表をされたとき,ルジャンドルの眼がキラリと光り,きわめて饒舌にコメントをしたことを記憶しています。その場にいられたことを,いまでは懐かしく思い出しています。とても感動的なシーンでした。
ですから,その後,橋本さんがピエール・ルジャンドルの研究にも深く分け入っていくのは,ある意味では必然でもありました。思い起こせば,ルジャンドルが来日したのは2003年のこと。その機会に合わせるようにしてルジャンドルの主著『ドグマ人類学総説』(西谷修監訳,嘉戸一将,佐々木中,橋本一径,森元庸介訳,平凡社)が出版されました。こうして日本にルジャンドルの「ドグマ人類学」の全貌を紹介する下準備ができた,と考えていいでしょう。
つづいて,2006年には『真理の帝国 産業的ドグマ空間入門』(西谷修さんとの共訳,人文書院)が刊行されます。この本の巻末には,橋本さんの書かれた,「解題 普遍と限界について」が掲載されています。冒頭の,西谷修さんの手になる「『真理の帝国』への導入」と合わせて読まれると,ルジャンドルのこの本での企みが透けてみえてきます。
ついでに触れておけば,この『真理の帝国』の後半部分では,スポーツにも言及しています。そして,びっくりするような結論を導き出しています。以下に引用しておきましょう。
「スポーツについてのこうした結論は,スポーツや文化などによる社会統治のプロパガンダと,これらの活動を分類し解釈するわれわれの学者的手法とが共謀していることに気づかせる。スポーツとは宗教的・訴訟的な意味でのドグマの発露の一様態であるなどとあえて主張すれば,不真面目学者の謗りを受けるのもやむをえないだろう。だがこれは確かなことなのであり,スポーツ関連の書籍や雑誌を一目見れば,心-身主義──産業的合理主義の典型的表象──がスポーツ理論の後ろ楯や補強になっていることはすぐにわかるはずだ。「体を鍛えましょう,精神状態にも有益で,人格形成にも役立ちます。」この手のお馴染みの書き物のテーマはおおよそこんなところだ。」(P.272.)
思いがけない展開になってきましたので,このブログはそろそろ終わりにして,このさきの議論は例会の折に,と思います。
最後に一点だけ。このピエール・ルジャンドルとジョルジュ・バタイユとの関連について,西谷修さんが『スポートロジイ』創刊号(2012年6月1日刊)の「スポーツにとって『理性』とはなにか」のなかで,4ページほどにわたって述べています。これは,きわめて重要な指摘になっていますので,参加される方は必読です。
橋本さんのお話を,きちんと理解するためには,できるだけ多く「ルジャンドル」関連本を読破してきてください。最近になって,ようやく日本でもルジャンドルを受け入れる受け皿ができつつあるのか,翻訳本がつぎつぎに刊行されています。また,どの本にも懇切丁寧な「解説」が付されていますので,そちらを手がかりにしてルジャンドルに挑戦してみてください。
では,今回はここまで。
順次,このブログをとおして,ルジャンドル読解・私論を試みてみたいと考えています。
ご批判をいただければ幸いです。
例会の前半は,参加者による情報交換や近況報告などを行い,後半を橋本一径さんの講演という形式をいまのところ考えています。詳細は,決まりしだい,このブログで紹介いたします。なお,どなたでも参加自由ですが,一応,事前にわたしのところにご連絡ください。連絡先は,inagaki@isc21.com です。
「ISC・21」は,わたしの主宰しています「21世紀スポーツ文化研究所」の略称です。この研究所の主催する月例会は,東京・名古屋・大阪・神戸,などを巡回しながら,毎月1回を原則に開催しています。6月は東京の順番,という次第です。
で,かねてから,西谷修さんを中心とするピエール・ルジャンドルの「ドグマ人類学」研究会のメンバーとして活動してこられた橋本一径さんが,このたび最新の翻訳を刊行されたのを機に,ぜひ,お話をうかがってみたいと考えました。橋本さんは,しばらく前から「ISC・21」の名古屋での例会に参加されるようになり,いわばわたしたちとも仲良しの研究者仲間でもあります。
いまさら,橋本さんについてご紹介するまでもないかもしれませんが,一応,わたしが承知しているかぎりでのアウトラインだけでも書いておきたいと思います。
まずは,『指紋論 心霊主義から生体認証まで』(青土社,2010年)が大きな反響を呼び,一躍,注目の人となったことはよく知られているとおりです。この本は,橋本さんの博士論文をもとに加筆されたもので,第2回表象文化論学会賞奨励賞を受賞。橋本さんの研究の柱になっているものだ,とわたしは理解しています。
この研究が,じつは,ピエール・ルジャンドルの興味・関心と深いところで通底していて,もう10年も前になりますが,ルジャンドルが来日したときに開かれたワークショップで,橋本さんがこの発表をされたとき,ルジャンドルの眼がキラリと光り,きわめて饒舌にコメントをしたことを記憶しています。その場にいられたことを,いまでは懐かしく思い出しています。とても感動的なシーンでした。
ですから,その後,橋本さんがピエール・ルジャンドルの研究にも深く分け入っていくのは,ある意味では必然でもありました。思い起こせば,ルジャンドルが来日したのは2003年のこと。その機会に合わせるようにしてルジャンドルの主著『ドグマ人類学総説』(西谷修監訳,嘉戸一将,佐々木中,橋本一径,森元庸介訳,平凡社)が出版されました。こうして日本にルジャンドルの「ドグマ人類学」の全貌を紹介する下準備ができた,と考えていいでしょう。
つづいて,2006年には『真理の帝国 産業的ドグマ空間入門』(西谷修さんとの共訳,人文書院)が刊行されます。この本の巻末には,橋本さんの書かれた,「解題 普遍と限界について」が掲載されています。冒頭の,西谷修さんの手になる「『真理の帝国』への導入」と合わせて読まれると,ルジャンドルのこの本での企みが透けてみえてきます。
ついでに触れておけば,この『真理の帝国』の後半部分では,スポーツにも言及しています。そして,びっくりするような結論を導き出しています。以下に引用しておきましょう。
「スポーツについてのこうした結論は,スポーツや文化などによる社会統治のプロパガンダと,これらの活動を分類し解釈するわれわれの学者的手法とが共謀していることに気づかせる。スポーツとは宗教的・訴訟的な意味でのドグマの発露の一様態であるなどとあえて主張すれば,不真面目学者の謗りを受けるのもやむをえないだろう。だがこれは確かなことなのであり,スポーツ関連の書籍や雑誌を一目見れば,心-身主義──産業的合理主義の典型的表象──がスポーツ理論の後ろ楯や補強になっていることはすぐにわかるはずだ。「体を鍛えましょう,精神状態にも有益で,人格形成にも役立ちます。」この手のお馴染みの書き物のテーマはおおよそこんなところだ。」(P.272.)
思いがけない展開になってきましたので,このブログはそろそろ終わりにして,このさきの議論は例会の折に,と思います。
最後に一点だけ。このピエール・ルジャンドルとジョルジュ・バタイユとの関連について,西谷修さんが『スポートロジイ』創刊号(2012年6月1日刊)の「スポーツにとって『理性』とはなにか」のなかで,4ページほどにわたって述べています。これは,きわめて重要な指摘になっていますので,参加される方は必読です。
橋本さんのお話を,きちんと理解するためには,できるだけ多く「ルジャンドル」関連本を読破してきてください。最近になって,ようやく日本でもルジャンドルを受け入れる受け皿ができつつあるのか,翻訳本がつぎつぎに刊行されています。また,どの本にも懇切丁寧な「解説」が付されていますので,そちらを手がかりにしてルジャンドルに挑戦してみてください。
では,今回はここまで。
順次,このブログをとおして,ルジャンドル読解・私論を試みてみたいと考えています。
ご批判をいただければ幸いです。
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