2012年5月16日水曜日

21世紀スポーツ文化研究所編『スポートロジイ』の広告が「5月15日」の東京新聞にでました。

5月15日(火)の東京新聞朝刊一面下に,『スポートロジイ』(21世紀スポーツ文化研究所編)の広告がでました。みやび出版のほかの刊行物と一緒に,掲載されました。この『スポートロジイ』の刊行をとおして,新しい「スポーツ学」への道を切り開こうという強い思い入れを籠めたものであるだけに,感慨無量です。すでに,このブログでも何回かにわたって紹介してきていますので,詳しいことはそちらをご覧ください。

5月15日といえば,沖縄「復帰」40年の記念すべき日。この日,沖縄ではさまざまなイベントが各地で開催されました。が,雨でした。沖縄が本土に「復帰」して40年が経過したにもかかわらず,米軍基地をめぐる事態の本質はなにも変わりませんでした。ですから,この雨は沖縄県民にとっては哀しみの涙以外のなにものでもない,と受け止めた人が多かったに違いないと思います。

40年前,「復帰」を前にして,沖縄では賛否両論が激しく対立していたことは,みなさんもよくご存知のとおりです。そのドキュメンタリーもたくさん記録されています。1951年9月8日に締結されたサンフランシスコ条約(1952年4月28日発効)によって,日本の主権・平等は承認されましたが,外国軍隊の日本駐留継続を認めなければならなくなりました。その結果として,在日米軍基地の約75%が,日本の国土のわずか0.6%しかない沖縄に集中して置かれることになりました。それから20年,沖縄は在沖縄米軍司令官が兼務する高等弁務官と米民政府による統治がはじまりました。

その間,さまざまなできごとがありました。が,最終的には,米軍司令官による統治下から逃れ,本土に「復帰」する運動(沖縄県祖国復帰協議会)が効を奏して,1972年5月15日に「復帰」することになりました。この日も雨でした。それから40年。やはり,雨でした。この40年間は「喜び」の雨にはじまり,「哀しみ」の雨でおわりました。そして,その雨は止むことなく降り続けるしかありません。結局,米軍基地はそのまま居座り,事態はなにひとつ解決されてはいません。言ってしまえば,日本政府は基地移転について,ほとんどなんの救いの手もさしのべることなく,こんにちを迎えています。

これと同じことが,いま,また,フクシマで繰り返されそうとしています。

このような時代情況の真っ只中で,わたしの乾坤一擲,『スポートロジイ』を世に送り出そうというわけです。すなわち,「3・11」以前までのスポーツ文化全体をふり返り,「3・11」以後の新しい「スポーツ文化」の創造に向けて,わたしたちはなにをしなければならないのか,を模索していこうという次第です。その意味で,この『スポートロジイ』の新聞広告が5月15日に打たれたという奇縁を,喜びとしたいと思います。

特集・「スポーツ学」事始め,と題した『スポートロジイ』がどのように世に迎え入れられるか,楽しみに待ちたいと思います。今月末には書店に並ぶ予定です。ぜひとも,手にとってご覧いただければ・・・と祈っています。

広告の一部を添付しておきますので,ご確認ください。


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