2013年5月29日水曜日

水木しげる著『古代出雲』(角川書店)を読む(出雲幻視考・その3.)。

 平成25年は「遷宮年」と銘打って,JTBをはじめ旅行会社各社がアイディアを競うようにして,さまざまな旅行プランを売り出しています。もちろん,その目玉は「出雲大社」と「伊勢神宮」。

 出版界も「遷宮年」に合わせた企画がつぎつぎに誕生。いわゆる初心者向けの解説本から,相当にマニアックな専門書まで多種多様な出版物が書店を賑わせています。こちらは大型書店に行けば,「遷宮年」に関するすべての出版物をはしからはしまで全部手にとることができます。中には破天荒な企画もあって,結構,楽しむことができます。

 そのひとつが,マンガ本である水木しげる著『古代出雲』(角川書店,平成24年刊)です。しかも,この本が,なんと思想・哲学のコーナーに置いてありました。いま,話題になっているまったく別の本の検分のために書店に立ち寄ったら,この本がありました。てっきり,マンガ本ではなくて,水木しげるが本気で古代出雲の本を書いたのだと,びっくりして手にとりました。ハード・カバーのどっしりとした立派な装いです。こちらは鷺沼の書店の話。

 早速に購入。買った理由は簡単。本の帯につぎのように書いてあったからです。

 「幼いころ水木少年は島根半島の裏,すなわち日本海側によく出かけていた。そこのうす暗い道に出ると,たとえはじめて来た道であってもいつか通った気がしてならなかった。長じてからはそれだけではなく,出雲族の青年と思われる霊が,たびたび夢で彼らのことを描くよう訴えかけてきたのだ・・・!以来,長い時を経てついに描かれる水木版・古代出雲史!」

 いかにも水木しげるらしい,とひどく納得してしまいました。かつて,水木しげるは,つぎのように語っていたことを記憶していたからです。

 ヒット作『ゲゲの鬼太郎』に登場するお化け・妖怪はすべて,わたしがこの眼でみたものばかりです。わたしの眼にしっかりと見えたものしか,わたしは作品のなかに登場させません。わたしにとってはまことにリアルであり,けして非現実の想像のものではありません。だから,いくらでも描くことができるのです。

 つまり,水木しげるは「幻視」の名人なのです。いや,本人が意識する以前に,向こうからやってくる対象をそのまま素直に眺めているだけのようです。いわゆる「見えてしまう」人のようです。そのかれが,「出雲族の青年と思われる霊が,たびたび夢で彼らのことを描くよう訴えかけてきた」ので,この本を書いたというのですから,これこそが「出雲幻視」のひとつの典型的な実践の記録だといっても過言ではないでしょう。そこに,わたしは大いに共振・共鳴したというわけです。

 さて,前置きが長くなってしまいました。この作品は,いわゆる『古事記』や『出雲風土記』に記されている有名な神話を手際よく(とはいっても水木しげる独特の脚色がほどこされています)整理し,わかりやすく説いたものです。が,唯一,この本の存在価値が問われるのは,「国譲り」神話に対して大いなる疑問を投げかけ,水木しげるが「幻視」をしてみると「実際はこうだったのではないか」という問題提起をしている点にあります。しかも,この水木しげるの幻視と,わたしの幻視とが,なぜか,ほとんど一致していることに新鮮な驚きを禁じえません。

 その幻視してみえてくるものは以下のとおりです。

 「国譲り」神話は,まさに「神話」であって,現実をうまく隠蔽するためにでっち上げられた創作である,という立場を水木しげるはとります。しかも,そのことを夢に現れる「出雲族の青年の霊」が教えてくれたといいます。「国譲り」の実際のところは,つぎのようだったのではないか,と水木しげるは幻視したままを絵にしています。

 実際のところは「国譲り」などというような生易しいものではなくて,相当にひどい出雲族殲滅作戦がのちの大和朝廷側の軍によって繰り広げられ,追い詰められた大国主は出雲の海のなかに沈められる,という悲劇的な最後を遂げたのだ,と幻視します。そのために大和朝廷は出雲族の憎悪と恨みを買うことになります。そうして,大和朝廷の人びとは出雲族の怨霊に脅かされることになります。それに耐えられなくなった大和朝廷は,とうとうその出雲族の怨霊を鎮める作戦にでます。それが,こんにちのわたしたちには想像もできないような巨大な神殿の築造です。それが出雲大社だ,というわけです。つまり,出雲族の鎮魂,これが巨大な神殿を建立した最大の目的だった,という次第です。

 水木仮説のもうひとつの面白いところは以下のとおりです。

 アマテラスを筆頭とする天孫族は韓半島からの渡来人である,という指摘です。このことをはっきりと断言した人は管見ながらわたしは知りません。みんな,ぼんやりとごまかしています。水木仮説によれば,韓半島でくり返された壮絶な権力闘争に敗れた一族,それが天孫族だというわけです。ですから,戦いのテクニックも武器も戦術も磨き上げられていて,出雲族のそれとは比較にならないほどのレベルの高さをほこっていたのではないか,と幻視します。とりわけ,武器は優れた製鉄技術に支えられた鋭利な鉄製のものを多用したと考えられます。その結果,出雲族は手もなく捻られてしまいます。そうして,大国主も,長男の事代主も,出雲の海に沈んでいくことになります。最後まで抵抗した次男の建御名方は諏訪まで逃げて,命乞いをします。でも,立派な諏訪大社としてのちのちまでも祀られているところをみると,こちらもまた虐殺されたに違いありません。その鎮魂のための社,それが諏訪大社だ,というわけです。

 もうひとつ,誤解されないように断っておきたいことがあります。

 それは,韓半島から渡来した天孫族は,武力統治のほかにも,大和の豪族の娘を娶るという政略結婚を繰り返します。しかも,代々,繰り返していきます。つまり,混血です。その結果,あっという間に,韓半島からの渡来人としての血は薄められていきます。同時に,大和の豪族もまた天孫族の娘と結婚を繰り返していきます。ですから,純血の大和民族もなければ,純血のままの渡来人も存在しなくなっていきます。その混血の産物が,こんにちのわたしたちである,ということです。この認識はとても重要なことだとわたしは考えています。ただ,男系の系譜をたどると天孫族であるとか,そうではないとかの違いが生まれるだけの話になってきます。その伝にならえば,わたしは源氏系の子孫ということになります。が,その源氏も,もとをたどれば天皇家につながっていきます。となると,おやおや,このわたしのなかにも韓半島からの渡来人の血が,すなわち,天皇家の血が流れているのかもしれません。

 閑話休題。

 それでもなお,出雲族は,なにかにつけ差別・選別を受けつづけることになります。表向きは,出雲大社に祀られて,丁重にもてなされているかにみえますが,その裏では,もっと手ひどい仕打ちを受けた人も少なくないようです。その代表的な人が菅原道真だというわけです。とはいえ,桓武天皇の母となった新笠(にいがさ)のような出雲族も登場します。つまり,出雲族は,いっぽうでは天皇家とも直属しつつ,他方では,徹底的に排除される,という複雑な取り扱いをうけることになった,と考えられます。

 いつのまにか,水木仮説から脱線して,わたしの幻視の世界に入り込んでしまいました。が,まあ,幻視のベクトルは同じですので,そんなに問題はなかろうかとおもいます。

 で,わたしの最大のテーマである野見宿禰という人の存在もまた,こうした視座に立つとまことに微妙な姿となって立ち現れてきます。この人が『日本書紀』には登場するものの,『古事記』には登場しない,ということの意味もなんとなく透視することができそうです。

 というところで,今日はおしまい。

2 件のコメント:

柴田晴廣 さんのコメント...

 「アマテラスを筆頭とする天孫族は韓半島からの渡来人であることをはっきり断言し」ているのは、別に水木さんだけでなく、ごく一般的な認識ですよ。
 ちなみに私も5月14日付けの「「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,『続日本紀』に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。」(今上天皇)。 」(http://inamasa.blogspot.jp/2013/05/blog-post_14.html)のコメントで、『神皇正統記』には、「昔日本は、三韓と同種也」との記載は、桓武の女系の先祖のみならず、男系の始祖(天智)も韓半島の出身であったと書きました。
 加えておけば、男系というのも、すこぶる大陸的な発想で、『源氏物語』をみても妻問婚という母系制が日本列島での一般的な形態であったということです。
 「韓半島から渡来した天孫族は,武力統治のほかにも,大和の豪族の娘を娶るという政略結婚を繰り返し」という記紀の逸話も実は母系性が基本であり、記紀で語られる万世一系という系図は、もともと女系で伝えられていた系譜を男系に焼き直したという視点で捉えなおす必要があります。

竹村匡弥 さんのコメント...

水木しぇんしぇいが、そのような本を書かれているんだにか。。。
さっそく本屋に走るだによ。