具体的な例をあげると際限がなくなるのでやめておくが,世の中,上から下までみんな責任を回避して,だれも責任をとろうとはしない。まことにもって不思議な世の中になったものだ,と最近とみに感じている。つまり,明治以後に構築された近代のシステムや考え方が,根底から崩れてしまって,まったく通用しない時代に入ってしまった,ということだ。もっと言ってしまえば,組織そのものが上から下までもはやまともには機能していない,ということは人間も壊れてしまった,とんでもない社会になってしまったということだ。
そのむかし,教員養成大学に勤務していたころの教え子たちの会に招かれて,たのしいひとときを過ごした。そんな話のなかのヒトコマを紹介しておこう。こんなことが教育の世界でまかりとおっているのか,と開いた口が塞がらない。
今回,集まった卒業生たちはみんな現職の小中学校の教員で,40代半ばの中堅の教員ばかり。そのかれらが教員免許の更新をするために(この制度そのものが奇怪しいのだが,ここでは割愛),夏季講習が行われている真っ最中だ,という。なかには,もうすぐ管理職というところまできている優秀な教員もいる。たとえば,授業研究の講師として,教育委員会から依頼されて教育委員会が主催する特別講習会に招かれている人もいる。それも,もう,ずいぶん前から引っ張りだこのようにして,教育現場の先生たちを相手に,何回もの指導を積み重ねている,という。
こういう先生は,特例として,教員免許の更新のための講習会を受ける必要はない人として,特別に免除されている,という。だから,事前に,あなたは免除される対象のひとりだと教育委員会から言われていたとのこと。しかし,その年がきて蓋を開けてみたら,教員免許更新の講習会を受講するように,という通知がきたという。驚いて,教育委員会に問い合わせてみたら,事務の間違いでそうなってしまった,いまから取り消すわけにはいかないので,このまま講習を受けてほしい,と言われたという。
ほんとうなら,それは奇怪しい,と言って抗議すべきところです,とご本人。しかし,これまでの教育委員会との関係やこれからのことを考えると,まあ,おとなしく講習を受けて済ませておく方が無難だと判断した,という。講習料も安くはない。でも,それでも泣き寝入りしておいた方が面倒がなくていい,と。
こんな事案(このことば,大嫌いだが)は,よくよく聞いてみると,学校の教員会議でもよくあることだという。波風を立てるよりは,おとなしくしていた方が楽なのだという。つまり,多少のことは「泣き寝入り」。これが慢性化している,という。つまり,教員たちは身をけずってまでも保身に走る。その結果は,臭いものには蓋。みんな貝のように黙ってしまって,なにもなかったことにしてしまう。最近の教育現場の不祥事は,こんなところが大問題なのだ,と現場の教員たちは充分にわかっている。にもかかわらず,現状でばどうにもならない,ともいう。
これは,なにも教育界だけの話ではない。企業にいたっては,もっともっと秘守義務が徹底していると聞く。学会・学界でも同じ。官僚の世界はもっと徹底しているという。報道も同じ。もう,日常生活の隅から隅まで,保身のための責任回避体制は徹底していると言っていいだろう。いつも言うように,原子力ムラの住民はみんなそのための仲良しクラブを形成している。既得権益を守るためには保身の手立てを先手,先手と打ってくる。
と,そんなことを考えていたら,今日の午後,親しくしている友人から珍しく電話が入ってきた。なにごとかとおもって聞いてみると,つぎのような事態が起きているのだが,どうにも腹が収まらないので,お前の意見が聞きたいという。
かれの住んでいる大型マンションの理事会があって(毎月1回),マンションの敷地内にある児童公園の鉄棒(低鉄棒)を撤去することに決まった,と。その理由が,すでに30年を経過しているので,危険だから事故が起きる前に撤去することになった,と。かれは,元体操競技の選手だった人だから,散歩の途中で懸垂したり,腹筋運動をやったり,前まわりをしたり・・・と楽しんでいたが,とてもがっしりできていて,どこも悪くない。だから,撤去する必要はない,と主張したとのこと。しかし,管理防災センター(マンションが委託している管理会社)の職員が,同じようなマンションで鉄棒による事故があって裁判闘争になっているから,早めに手を打った方が無難だ,と主張。しかし,その事故が,鉄棒の老朽化が原因の事故なのか,それとも子どものミスによる事故なのかを友人が質問をしたが,その内容まではわからない,という。ただ,遊具のメーカーが「30年を経過した遊具はいつ,なにが起きても不思議ではないので,新しくした方がいい」と言っている,とのこと。そこで,かれは,今日,ここで是非を決めないで,来月までにそれぞれ理事が確認をしてみて,もう一度,議論してから決めたらどうか,と提案したが,それも無視され,結局,多数決で撤去が決まってしまったという。
わたしは,この話を聞いて唖然としてしまった。ただ,遊具のメーカーの話を鵜呑みにして(それも具体的な事故の内容をきちんと確認もしないで),管理防災センターの職員の一存で,鉄棒に「老朽化・危険」と張り紙をしてしまった,という。それだったら,もう引き返すわけにはいかないから,撤去しましょう,という人が多数だったという。でも,かなり多くの人が残すことに賛成してくれた,ともいう。
ことの根源には,面倒なことは避けたい,裁判沙汰になりそうな根は早めに摘んでおく,大人の都合が最優先,子どもたちの安全のために・・・という安易なポピュリズムに絡め捕られていくいまの世相をそのまま写し出している,とおもう。なぜ,もっと専門家の意見を大事にしようとしないのか,しかも,なぜ,一ヶ月の猶予が待てないのか,自分の眼で,からだで,鉄棒の安全性を確認しようとしないのか(徹底した責任回避,つまり,無責任),とうとう他人事ながら腹が立ってくる。こんな安易なポピュリズムは家庭のなかにも浸透しているに違いない。
しばらく前のコマーシャルを思い出す。子どもひとり(小学校3年生くらい)の家族会議。こんどボーテスがでたら,父:車を買いたい,母:ハワイへ旅行,をそれぞれ提案。はい,多数決,で子どもは母親を支持して,それで決定。周囲の人たちはこのコマーシャルをみて笑っていたが,わたしは,なぜか,笑えなかった。冗談じゃない,必死になってはたらいている人間の意見をもっと尊重しろよ,と。このころから,父親軽視の風潮が強くなり,家庭崩壊へ,そして,いまや,そのなれのはて。
日本の社会の根源が崩壊しつつある,と「3・11」以後,ますます憂鬱になっている。管理組合の財産の一部である児童公園の鉄棒を,理事がみんなで(あるいは有志で)確認をして,その上で決定するという手続すら否定する,かれのマンションの住民の意識が,日本のいまの世相をそのまま写し出しているようにおもう。世も末である。
そのむかし,教員養成大学に勤務していたころの教え子たちの会に招かれて,たのしいひとときを過ごした。そんな話のなかのヒトコマを紹介しておこう。こんなことが教育の世界でまかりとおっているのか,と開いた口が塞がらない。
今回,集まった卒業生たちはみんな現職の小中学校の教員で,40代半ばの中堅の教員ばかり。そのかれらが教員免許の更新をするために(この制度そのものが奇怪しいのだが,ここでは割愛),夏季講習が行われている真っ最中だ,という。なかには,もうすぐ管理職というところまできている優秀な教員もいる。たとえば,授業研究の講師として,教育委員会から依頼されて教育委員会が主催する特別講習会に招かれている人もいる。それも,もう,ずいぶん前から引っ張りだこのようにして,教育現場の先生たちを相手に,何回もの指導を積み重ねている,という。
こういう先生は,特例として,教員免許の更新のための講習会を受ける必要はない人として,特別に免除されている,という。だから,事前に,あなたは免除される対象のひとりだと教育委員会から言われていたとのこと。しかし,その年がきて蓋を開けてみたら,教員免許更新の講習会を受講するように,という通知がきたという。驚いて,教育委員会に問い合わせてみたら,事務の間違いでそうなってしまった,いまから取り消すわけにはいかないので,このまま講習を受けてほしい,と言われたという。
ほんとうなら,それは奇怪しい,と言って抗議すべきところです,とご本人。しかし,これまでの教育委員会との関係やこれからのことを考えると,まあ,おとなしく講習を受けて済ませておく方が無難だと判断した,という。講習料も安くはない。でも,それでも泣き寝入りしておいた方が面倒がなくていい,と。
こんな事案(このことば,大嫌いだが)は,よくよく聞いてみると,学校の教員会議でもよくあることだという。波風を立てるよりは,おとなしくしていた方が楽なのだという。つまり,多少のことは「泣き寝入り」。これが慢性化している,という。つまり,教員たちは身をけずってまでも保身に走る。その結果は,臭いものには蓋。みんな貝のように黙ってしまって,なにもなかったことにしてしまう。最近の教育現場の不祥事は,こんなところが大問題なのだ,と現場の教員たちは充分にわかっている。にもかかわらず,現状でばどうにもならない,ともいう。
これは,なにも教育界だけの話ではない。企業にいたっては,もっともっと秘守義務が徹底していると聞く。学会・学界でも同じ。官僚の世界はもっと徹底しているという。報道も同じ。もう,日常生活の隅から隅まで,保身のための責任回避体制は徹底していると言っていいだろう。いつも言うように,原子力ムラの住民はみんなそのための仲良しクラブを形成している。既得権益を守るためには保身の手立てを先手,先手と打ってくる。
と,そんなことを考えていたら,今日の午後,親しくしている友人から珍しく電話が入ってきた。なにごとかとおもって聞いてみると,つぎのような事態が起きているのだが,どうにも腹が収まらないので,お前の意見が聞きたいという。
かれの住んでいる大型マンションの理事会があって(毎月1回),マンションの敷地内にある児童公園の鉄棒(低鉄棒)を撤去することに決まった,と。その理由が,すでに30年を経過しているので,危険だから事故が起きる前に撤去することになった,と。かれは,元体操競技の選手だった人だから,散歩の途中で懸垂したり,腹筋運動をやったり,前まわりをしたり・・・と楽しんでいたが,とてもがっしりできていて,どこも悪くない。だから,撤去する必要はない,と主張したとのこと。しかし,管理防災センター(マンションが委託している管理会社)の職員が,同じようなマンションで鉄棒による事故があって裁判闘争になっているから,早めに手を打った方が無難だ,と主張。しかし,その事故が,鉄棒の老朽化が原因の事故なのか,それとも子どものミスによる事故なのかを友人が質問をしたが,その内容まではわからない,という。ただ,遊具のメーカーが「30年を経過した遊具はいつ,なにが起きても不思議ではないので,新しくした方がいい」と言っている,とのこと。そこで,かれは,今日,ここで是非を決めないで,来月までにそれぞれ理事が確認をしてみて,もう一度,議論してから決めたらどうか,と提案したが,それも無視され,結局,多数決で撤去が決まってしまったという。
わたしは,この話を聞いて唖然としてしまった。ただ,遊具のメーカーの話を鵜呑みにして(それも具体的な事故の内容をきちんと確認もしないで),管理防災センターの職員の一存で,鉄棒に「老朽化・危険」と張り紙をしてしまった,という。それだったら,もう引き返すわけにはいかないから,撤去しましょう,という人が多数だったという。でも,かなり多くの人が残すことに賛成してくれた,ともいう。
ことの根源には,面倒なことは避けたい,裁判沙汰になりそうな根は早めに摘んでおく,大人の都合が最優先,子どもたちの安全のために・・・という安易なポピュリズムに絡め捕られていくいまの世相をそのまま写し出している,とおもう。なぜ,もっと専門家の意見を大事にしようとしないのか,しかも,なぜ,一ヶ月の猶予が待てないのか,自分の眼で,からだで,鉄棒の安全性を確認しようとしないのか(徹底した責任回避,つまり,無責任),とうとう他人事ながら腹が立ってくる。こんな安易なポピュリズムは家庭のなかにも浸透しているに違いない。
しばらく前のコマーシャルを思い出す。子どもひとり(小学校3年生くらい)の家族会議。こんどボーテスがでたら,父:車を買いたい,母:ハワイへ旅行,をそれぞれ提案。はい,多数決,で子どもは母親を支持して,それで決定。周囲の人たちはこのコマーシャルをみて笑っていたが,わたしは,なぜか,笑えなかった。冗談じゃない,必死になってはたらいている人間の意見をもっと尊重しろよ,と。このころから,父親軽視の風潮が強くなり,家庭崩壊へ,そして,いまや,そのなれのはて。
日本の社会の根源が崩壊しつつある,と「3・11」以後,ますます憂鬱になっている。管理組合の財産の一部である児童公園の鉄棒を,理事がみんなで(あるいは有志で)確認をして,その上で決定するという手続すら否定する,かれのマンションの住民の意識が,日本のいまの世相をそのまま写し出しているようにおもう。世も末である。
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