2013年8月16日金曜日

戦争はしません,軍隊ももちません,で,敵が攻めてきたらどうするんだ,と主張する主戦論者にひとこと。

 1945年8月15日。この日を,わたしは愛知県渥美半島の僻村の寺で迎えました。小学校2年生でした。いや,精確にいえば国民小学校の2年生でした。いまも,この日のことは忘れもしません。もう,明日からはアメリカのB29や艦載機や艦砲射撃がなくなる,と聞いたときの安堵感はまだ幼いこどものこころの奥深くにしっかりと刻まれました。いってしまえば,戦争という恐怖からの解放でした。

 戦争はいかなる理由があってもしてはなりません。この考えは,あの日から70年を生きてきていまも変わりません。不動のものです。戦争は,勝とうと負けようと,無駄な命を犠牲にするだけのことです。ですから,戦争をしない国にすることが,敗戦直後の日本人の多くが望んだことでした。そして,偶然にも,戦争をしない国をめざす憲法を占領軍であるアメリカが用意してくれました。ですから,歴代政府も,憲法9条を大事に守りつづけてきました。なのに,ここにきて突如として憲法を改定して,戦争ができる国にしようという動きが顕著になってきました。それに影響されてか,日本国民の多くも「国を守るための軍隊は必要だ」と考える人が増えつつあるようです。わたしの近辺にもいます。

 今日(8月15日)のNHKスペシャル(午後7時30分~8時45分)を,たまたまわたしの夕食の時間と重なったのでみていました。途中から腹が立って仕方なくなり,いつものようにテレビに向かって「吼えて」いました。議論をする前提がぱらばらで勝手な意見(そのほとんどは自分の考えを合理化するためのものでしかない,うすっぺらなものでしかない)を声高に言った方が勝ちのような,こんな番組は二度と流さないでほしい,と強烈におもいました。いよいよ,受信料契約を破棄することも考えなくては・・・と。

 新聞の番組のキャッチをみますと,以下のようです。
 激論!ニッポンの平和▽終戦の日を知らない人が〇%!?戦争の風化▽どうする日中・日米▽今,右傾化している?▽戦中世代VS若手論客 本音で語り合う日本・・・。

 ご覧になられた方も多いとおもいますので,だれがどう言ったとか,だれがバカなことを言ったとかはここではやめにしておきます。わたしが,不毛の議論だと思ったのは,議論をするための前提がひとつも確認されないまま,勝手に個々人の意見を披瀝するだけの場に終始していたということです。

 たとえば,日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏をした敗戦国である,ということすら確認されませんでした。ですから,このポツダム宣言の五カ国の戦勝国のなかには中国(毛沢東)がふくまれていたということすら確認されませんでした。こんな,きわめて基本的な事実確認もしないまま,中国批判の議論が展開していきます。そんな資格は日本にはありません。無条件降伏したのですから。しかも,40年前の日中国交正常化の条件のひとつに「尖閣諸島は棚上げ」にしておきましょう,という約束があったにもかかわらず,それを一方的に破棄して領土化宣言をしてしまったのは日本だという事実についても伏せたままでした。このことを確認しないまま,中国の船が領海侵犯を繰り返しているのは許せないとか,中国人の90%が日本人に対して悪い感情をもっているとか,日本人も90%近くの人が中国に対して悪い感情をもっているとか(NHKの調査によるデータらしい),そんな議論をしていました。あきれ返ってものも申せませんでした。

 日本という国家は,「棚上げ」論を主張すると「国賊」扱いにされてしまいます。ですから,みんな黙ってしまっています。中国で,このようなことが起きたとしたら,それこそ「暴動」が起きるでしょう。なのに,中国にはきびしい言論統制がしかれているので,もっと民主化すべきだ,そのために日本は手を貸すべきだ,などというまことにノー天気な,馬鹿げた意見を平然と述べる人もいて,おやおやでした。明らかなる上から目線。

 つまり,尖閣諸島は日本の固有の領土であるという前提に立つからこそ,敵が攻めてきたらどうするのか,国を守るべき軍隊が必要なのだ,アメリカ軍を支えるための集団的自衛権が必要なのだ,という議論にすすんでしまいます。そうして国を守るための戦争のどこがいけないのか,という議論になってしまいます。これが安倍首相がもっとも得意とする詭弁というものです。それに近い詭弁を弄するみごとな論者もひとりいました。

 中国との問題は,尖閣諸島を「棚上げ」にもどすだけで,軍隊は必要なくなります。韓国の主張する「竹島」も同じです。こんな小さなことで喧嘩してそっぽを向き合って,もっと重要な国益を損なっていることの方がはるかに重大です。こちらも「棚上げ」にして,平和的に解決できる時期を待つことの方がはるかに賢明です。にもかかわらず,双方ともに目先の利益に目を奪われてしまっています。日本と韓国などは,古代史を少し繙くだけで,ほとんど同族であることは明白です。天皇ですら,それを認めています。にもかかわらず,そうではないという神話をでっちあげて,そういう人たちがいまも大通りを歩いています。おまけにヘイト・スピーチにうつつを抜かす信者までいます。わたしは,個人的には,わたしのからだのなかには韓半島から渡来した人びとの血が色濃く流れていると考えています。そして,事実,そうだと信じています。そうでなければ,説明のてきないことが多すぎますし,その方がはるかに友好的になれます。

 この地平に立つことができるようになれば,隣国はみんな「友達」です。中国も同じです。日中の交流がどのようなものであったかは,長い長い歴史をふまえて巨視的に考えれば明らかです。そこから出発しないことには,なにもはじまらないとわたしは考えています。

 こうした友好を前提にした国交を回復し,深めていけば,なにも敵をつくることもありません。
 敵をつくらなければ,攻められることもありません。
 ましてや,戦争はしません,軍隊ももちません,という「憲法」をしっかりと保持しているかぎり,そして,それを長年にわたって維持しているかきり,だれも日本を敵対視することはありません。

 北朝鮮からの驚異を語る人がいますが,その理由のひとつは横須賀に強力なアメリカ艦隊が常駐しているからです。ボタンをひとつ押すだけで,北朝鮮の国家が全滅するだろう,といわれるほどの戦力がアメリカには備わっています。ですから,その驚異を取り除くことが日本の役割でもあります。アメリカはこれまでもことあるごとに,強力な軍事力で解決しようとしてきましたが,なにひとつとして成功した例はありません。西部開拓時代の西部劇と同じ誤りをいまも繰り返しています。そして,すべて,禍根を残しています。

 もうひとつ,今日の議論のなかで欠落していたのは,沖縄の問題です。とりわけ,「日米地位協定」なる不平等条約がいまも厳然として存在し,絶対的な支配を余儀なくしている,という事実です。この条約が存在するために,日本がアメリカの属州になるよりも,もっとひどい扱い方をされている,という事実を確認しないで議論をスタートさせています。ほかにもありましたが,そろそろ終わりにします。

 こういう議論の前提となる事実確認なしに,あれこれ語り合ったところで,声の大きい人が有利になるだけの話で,なにも新しい共通認識は生まれてはきません。時間の無駄です。もっといえば,公共放送の無駄遣いです。いな,NHKには隠されたしたたかな計算・打算があって,この番組を仕掛けた節もないわけではない,とも感じました。メディアは世論を動かす恐るべき武器です。

 「国を守ることは重要である」ということだけが全面にでてきますと,みんな,「それはそうだよなぁ」ということになってしまいます。その結果は,いともかんたんに集団的自衛権を擁護することになりますし,固有の軍隊をもつことにもなんの疑問をいだくこともなく,議論が一人歩きをしながら進んでいってしまいます。しかし,それは大いなる間違いです。

 アメリカの西部劇ですら,どんな悪党であろうと丸腰の相手を撃つことはご法度であり,許されてはいませんでした。それを無視して撃った人間は完全にその社会から孤立してしまいます。日本は,「戦争はしません,軍隊ももちません」といいつづけているかぎり,どこからも攻めてはきません。国際社会がそれを許しはしません。もし,それでも,どこかから攻めてくるようなことがあったら,国民全員が海岸線に並んで「白旗」を振りましょう。そして,黙って無抵抗・不服従を貫くことです。そんな国を支配したところでなんの得にもなりません。

 馬鹿げた絵空ごととお笑いになる人も多いかとおもいますが,無駄な戦争をして多くの人が命を落とす(敵も味方も,そして,その周囲も)よりも,はるかにいい方法だと確信しています。たとえば,第二次世界大戦のときには,日本だけで300万人,アジア全体では2000万人以上の人びとが犠牲になったといいます。この数を一度でもいいですから,リアルに想像してみてください。ですから,わたしは戦争するよりも,無抵抗・不服従を貫くつもりです。

 若手論客と紹介されたひとりが,番組の最後に「憲法改定に反対するだけの議論しかしない左翼の人たちは,もっとポジティブな提案をすべきだ。それが圧倒的に不足している」と言い切ったことを受けて,わたしは「不戦・無抵抗・不服従」を提起します。そして,これ以上にポジティブな提案があったらご教授願いたいと考えています。ことばの正しい意味での「自己否定」ほどポジティブな生き方はないと,75歳のいま,確信しています。

 最後に,「戦争とはなにか」「人間が生きるとはどういうことか」,どうか若手論客とされる人たちにはもう一度,「原点に立ち返って」よくよく勉強していただきたい,と注文を出しておきたいとおもいます。あなたも,違う使い方で「原点に立ち返って」(たしか,現実としっかり向き合って,という文脈のなかでの言い方だったと記憶します)しっかり考え直すべきだ,と仰いました。しかし,それは,大いなる勘違いです。それではアメリカの「テロとの戦い」と同じになってしまいます。アメリカは「9・11」という現実から出発して,それ以前の過去をすべて蓋をしてしまいました。それがアメリカのいう「正義」です。とんでもないことです。

 戦争がいかなるものか,人間が生きるということの原点はなにか,そして,戦争と人間はどのようにクロスするのか,もっともっと深く考えてほしいのです。そうしないと,議論するための前提に大いなる「誤認」が生じてしまいます。その結果は,不毛な議論のみが積み上げられていく,そこから政治家たちは自分たちに都合のいい議論だけを拾いだして,国を動かそうとします。そして,その犠牲になるのは若者たちです。

 このように考えてきますと,なんだか,こういう番組を制作するNHKのホンネの意図を垣間見たおもいがしました。やはり,不愉快です。こうして世論が操作されている,と感じるからです。NHKはほんとうの意味での「国益」とはなにか,と問題提起をすべきです。若者たちを戦場に送り込むだけが国益ではありません。それはかえってほんとうの意味での「国益」をそこねるものです。

 目隠しをしてゾウをさわった人が,「太い丸太のようでした」といい,またある人は「ざらざらした土壁のようでした」といい,「意外に細い紐のようでした」と言っているのと同じです。ゾウの全体をみんなで確認した上で,「ゾウとはなにか」を議論したいものだとおもいました。

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