昨日(4日)まで連日靄がかかった(山ことばで言えば「ガスっている」)ような,いつ,雨が降り出しても不思議ではない,それでいてときおり日が射したりして,湿度の高い蒸し暑い日がつづいていました。が,今日(5日)は午後から青空がひろがり,いまは紺碧そのものの空がひろがっています。真夏の強い日差しがもどってきました。外を歩くと皮膚に針がささるような感覚があり,チクチクと痛みを感じます。しかし,わたしにとってはある種の快感とともに,こどものころの記憶がよみがえってきます。
なにより強烈な記憶は玉音放送。これまでにも何回も書いたネタですが,1945年8月15日正午にラジオの前に正座して聞かされました。ちょうど,母の実家(寺)に疎開していたときでした。いとこたちも全員集められて,ラジオを囲みました。大人たちは涙を流していました。もちろん,なんのことかわかりません。小学校2年生。あとで,聞いたら,「戦争が終わった。もう,カンポウシャゲキもカンサイキもビー29も飛んではこなくなる」とのこと。嬉しかった。ただ,ひたすら嬉しかった。というか,恐怖感から解き放たれた,そういう安心感が強かった。その日が,今日と同じ紺碧の空でした。チク,チクと針が刺さるような快感。
以後,8月15日といえば,わたしの頭のなかにはいつも「紺碧の空」がひろがっています。その連想からでしょうか,ヒロシマ,ナガサキの日もまた,わたしの頭のなかは「紺碧の空」です。もちろん,ヒロシマ,ナガサキのことは,小学校2年生のわたしには理解不能でした。ただ,大きな爆弾が落ちたそうだ,わけのわからない新型爆弾だとか,という程度の認識しかありませんでした。
それが原子爆弾という恐ろしい爆弾であった,ということを自分で調べて知るのは中学1年生。1950年,朝鮮戦争勃発を知らせる『中学生新聞』の記事が廊下の掲示板に貼りだされたとき,恐怖に駆られて図書館に走りました。戦争が日本にまでひろがって,また,原子爆弾が落ちるようなことがあったらどうしようと考えたからです。当時の百科事典に書かれていた原子爆弾関係の項目を探し出して,全部読みました。以後,朝鮮戦争の記事をみつけると,ドキドキしながら新聞を読むようになりました。
ですから,ヒロシマ,ナガサキは,その後もいろいろの本をとおして啓発されることになりました。そして,とうとう,これが人類史上に刻印されるべき大事件であった,とからだの中心で納得するようになりました。それとともに,初めて「後近代」ということばがわたしの頭に浮かんできました。つまり,ヒロシマ,ナガサキに「近代」論理の破綻をみてとったのでした。つまり,人類が所有してはならない「核」を手にしてしまったかぎり,もはや,自由競争はありえない,と。
ということは,自由競争が美化され,優勝劣敗主義が称賛されてきた近代競技スポーツもまた同罪ではないか,と。だとすれば,近代競技スポーツを無条件に礼賛し,無邪気にその発展史を語るそれまでの「スポーツ史研究」は,いったいなんだったのかと考えるに至りました。ここから,わたしのスポーツ史研究の第一歩がはじまりしまた。その後,いろいろと試行錯誤を繰り返しながら,最近の「スポートロジイ」の提唱までは一直線です。
そして,とうとう「iPS細胞」です。わたしの頭では,「核」と同じで,人類が所有してはならない,自然界の秩序を乱す背神行為(背信行為ではない)にもひとしい「大事件」だと認識しています。未来のアスリートたちの姿がどんなものか,透けてみえてきます。人類はとうとう「破局」への道をまっしぐら,というシナリオがまたひとつ増えてしまいました。
こうなってきますと,やはり,ジャン=ピエール・デュピュイのいう「破局」について,真っ正面から向き合って考えていかなくてはなりません。『ツナミの形而上学』『経済の未来』など,熟読玩味しなければならないテクストが山ほどあります。それらと向き合いながら,今日も「スポーツ批評」のことを考え,これからのスポーツ史研究,スポーツ文化論の展開の仕方を考えてしまいます。
わたしにとっては,ヒロシマ,ナガサキがすべてのはじまりでした。ここが,わたしにとっての「批評性」の<始原>でした。ですから,原発再稼働に向う政府自民党の政治は,まさに狂気そのものとしか考えられません。こんなことをする政府自民党に,原爆慰霊祭で献花をする資格はありません。これこそ「背信行為」です。そして,いまごろになって,とってつけたように「原爆症を認めます」という安倍発言の,そらぞらしさ。「沖縄のみなさんに思いを寄せて・・・」と発言する裏でオスプレイをどんどん沖縄に送り込む,この詭弁・虚言をこれ以上許してはなりません。こんなことは狂人のやることです。まともな小市民には理解不能です。
しかし,この詭弁・虚言に乗せられてしまうわたしたちもまた悪いのですが・・・。でも,最近になって,ちょっと待て,このまま自民党に政権をゆだねておいてはまずい,それに代わるべき政党の出現を心待ちにしている人が80%を越えていると聞き,そこにわずかな救いを見出すしかないか,とほのかな期待を寄せています。
外は紺碧の空。美しい空。焼きつくような暑さ。わたしの机上の温度計は32℃。わたしのからだは火照り,背中を汗が運動会。そのせいか,頭も熱くなってしまいました。やはり,ヒロシマ,ナガサキを考えるにふさわしい「紺碧の空」。核廃絶に向けて。そして脱原発にむけて。さらには「iPS細胞の凍結」に向けて。8月5日(月)午後4時30分,記す。
なにより強烈な記憶は玉音放送。これまでにも何回も書いたネタですが,1945年8月15日正午にラジオの前に正座して聞かされました。ちょうど,母の実家(寺)に疎開していたときでした。いとこたちも全員集められて,ラジオを囲みました。大人たちは涙を流していました。もちろん,なんのことかわかりません。小学校2年生。あとで,聞いたら,「戦争が終わった。もう,カンポウシャゲキもカンサイキもビー29も飛んではこなくなる」とのこと。嬉しかった。ただ,ひたすら嬉しかった。というか,恐怖感から解き放たれた,そういう安心感が強かった。その日が,今日と同じ紺碧の空でした。チク,チクと針が刺さるような快感。
以後,8月15日といえば,わたしの頭のなかにはいつも「紺碧の空」がひろがっています。その連想からでしょうか,ヒロシマ,ナガサキの日もまた,わたしの頭のなかは「紺碧の空」です。もちろん,ヒロシマ,ナガサキのことは,小学校2年生のわたしには理解不能でした。ただ,大きな爆弾が落ちたそうだ,わけのわからない新型爆弾だとか,という程度の認識しかありませんでした。
それが原子爆弾という恐ろしい爆弾であった,ということを自分で調べて知るのは中学1年生。1950年,朝鮮戦争勃発を知らせる『中学生新聞』の記事が廊下の掲示板に貼りだされたとき,恐怖に駆られて図書館に走りました。戦争が日本にまでひろがって,また,原子爆弾が落ちるようなことがあったらどうしようと考えたからです。当時の百科事典に書かれていた原子爆弾関係の項目を探し出して,全部読みました。以後,朝鮮戦争の記事をみつけると,ドキドキしながら新聞を読むようになりました。
ですから,ヒロシマ,ナガサキは,その後もいろいろの本をとおして啓発されることになりました。そして,とうとう,これが人類史上に刻印されるべき大事件であった,とからだの中心で納得するようになりました。それとともに,初めて「後近代」ということばがわたしの頭に浮かんできました。つまり,ヒロシマ,ナガサキに「近代」論理の破綻をみてとったのでした。つまり,人類が所有してはならない「核」を手にしてしまったかぎり,もはや,自由競争はありえない,と。
ということは,自由競争が美化され,優勝劣敗主義が称賛されてきた近代競技スポーツもまた同罪ではないか,と。だとすれば,近代競技スポーツを無条件に礼賛し,無邪気にその発展史を語るそれまでの「スポーツ史研究」は,いったいなんだったのかと考えるに至りました。ここから,わたしのスポーツ史研究の第一歩がはじまりしまた。その後,いろいろと試行錯誤を繰り返しながら,最近の「スポートロジイ」の提唱までは一直線です。
そして,とうとう「iPS細胞」です。わたしの頭では,「核」と同じで,人類が所有してはならない,自然界の秩序を乱す背神行為(背信行為ではない)にもひとしい「大事件」だと認識しています。未来のアスリートたちの姿がどんなものか,透けてみえてきます。人類はとうとう「破局」への道をまっしぐら,というシナリオがまたひとつ増えてしまいました。
こうなってきますと,やはり,ジャン=ピエール・デュピュイのいう「破局」について,真っ正面から向き合って考えていかなくてはなりません。『ツナミの形而上学』『経済の未来』など,熟読玩味しなければならないテクストが山ほどあります。それらと向き合いながら,今日も「スポーツ批評」のことを考え,これからのスポーツ史研究,スポーツ文化論の展開の仕方を考えてしまいます。
わたしにとっては,ヒロシマ,ナガサキがすべてのはじまりでした。ここが,わたしにとっての「批評性」の<始原>でした。ですから,原発再稼働に向う政府自民党の政治は,まさに狂気そのものとしか考えられません。こんなことをする政府自民党に,原爆慰霊祭で献花をする資格はありません。これこそ「背信行為」です。そして,いまごろになって,とってつけたように「原爆症を認めます」という安倍発言の,そらぞらしさ。「沖縄のみなさんに思いを寄せて・・・」と発言する裏でオスプレイをどんどん沖縄に送り込む,この詭弁・虚言をこれ以上許してはなりません。こんなことは狂人のやることです。まともな小市民には理解不能です。
しかし,この詭弁・虚言に乗せられてしまうわたしたちもまた悪いのですが・・・。でも,最近になって,ちょっと待て,このまま自民党に政権をゆだねておいてはまずい,それに代わるべき政党の出現を心待ちにしている人が80%を越えていると聞き,そこにわずかな救いを見出すしかないか,とほのかな期待を寄せています。
外は紺碧の空。美しい空。焼きつくような暑さ。わたしの机上の温度計は32℃。わたしのからだは火照り,背中を汗が運動会。そのせいか,頭も熱くなってしまいました。やはり,ヒロシマ,ナガサキを考えるにふさわしい「紺碧の空」。核廃絶に向けて。そして脱原発にむけて。さらには「iPS細胞の凍結」に向けて。8月5日(月)午後4時30分,記す。
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