2013年8月15日木曜日

第149回芥川賞作品『爪と目』(藤野可織)を読む。なんとも不可解な作品。

 14日(水)午前中の太極拳の稽古が終って,5人で昼食を済ませ,鷺沼の事務所に向かいました。その電車の中の吊り広告に『文藝春秋』9月特別号・芥川賞発表・受賞作全文掲載とあるのをみて,早速,いつもの書店に立ち寄り購入しました。わたしが『文藝春秋』を購入するのは年に一回,このタイミングのときだけです。

 いつものように,芥川賞選考経過,芥川賞選評(ここがとびきり面白い),受賞者インタビューを読み,そして,受賞作「爪と目」を読みました。わたしの感想をひとことで言ってしまえば,「駄作」。二度と読む気はしません。しかしながら,島田雅彦委員は作者藤野可織の「最高傑作」だと「選評」で絶賛しています。そして,もうひとり,小川洋子委員がこの作品を高く評価しています。が,あとの委員はだれひとりとして強く推した痕跡が「選評」のなかにはみとめられません。わたしの好きなあの山田詠美委員ですら「不気味なおもしろさ」とは書いたものの,いろいろと問題のある作品だと注文をつけています。

 昨年までだと,石原慎太郎委員がいて,受賞作のどこがいいのかわたしにはさっぱり理解不能といいつつ,とんちんかんな選評を書いていて,これはひとつの楽しみでした。が,ことしは辞退してしまいましたので,ちょっとつまらない。やはり,わけのわからない人もひとりくらいいた方がおもしろい。そのくらい,芥川賞というものは評価がわかれるものだということが,素人にもよくわかって文学が身近なものになってきます。

 ところで受賞作の「爪と目」についてのわたしの感想をもう少しだけ書いておきたいとおもいます。母の突然の死によって,父が,以前からの恋人を招き入れ,3人で生活をともにすることになった3歳のわたし(女の子)が,父の恋人である「あなた」を主人公にして描いた作品。つまり,3歳の「わたし」が大人になってから,3歳のときに起きたことがらを「あなた」に託して回想する,という構造になっています。

 わたしは,この小説の冒頭の書き出しで,まずは躓いてしまいました。それは,つぎのような書き出しです。

 はじめてあなたと関係を持った日,帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った。あなたは驚いて「はあ」と返した。父は心底すまなそうに,自分には妻子がいることを明かした。あなたはまた「はあ」と言った。

 いきなり,こんな風に書かれてもなんのことかさっぱりわからず,何回も読み返してしまいました。「はじめてあなたと関係を持った日」が,だれが「あなた」と関係をもったのか,それが父なのか,この小説の話者である「わたし」(まだ,登場もしていません)なのか,が特定できないからです。ですから,何回,読み返してみても,なんのことかさっぱりわかりませんでした。なぜなら,これを語っている「わたし」が,どういう人物なのか,この段階ではまったくイメージがえられなかったからです。それが,ようやく,そういうことだったの?と納得するのは,3ページもあとの「わたしは三歳の女の子だった」という文章に出会ってからです。

 しかし,同時に,「三歳の女の子」が経験したことを大人になってから「わたし」が回想しているわけ?という根源的な疑問がわいてきました。そして,小説がどんどん佳境に入るにつれて,じつに微妙な「あなた」の心理を「三歳の女の子」の「目」をとおして回想し,それを描写していきます。ますます,わたしは,そんなバカな,と拒絶反応を繰り返します。これが最後までつづきます。

 そして,最後には,この「三歳の女の子」である「わたし」がスナック菓子の食べ過ぎで肥満児になっていたとはいえ,ベッドで眠っていた「あなた」の両腕を「わたし」の両膝で抑え込んで,「あなた」の両眼に異物を入れるという描写がでてきます。そして,「あなた」はこの「わたし」をどうすることもできなかったので,なすがままにされていた,という描写にいたっては,思わず「嘘だ」と声に出していました。文学の世界のことですので,多少の非現実的な場面が描かれていたとしても,とくに驚きはしません。しかし,この場面での描写はリアリティが要求されます。でないと,読者は,まさか,と懐疑的になってしまいます。となると,作品全体がぶち壊しになってしまいます。このわたしがいい例です。

 この点については,もっと別の表現の仕方で,それぞれの選考委員もやんわりと指摘しているところです。ですから,積極的にこの作品を推したのは島田,小川のふたりの委員しかいなかった,というわけです。繰り返しになりますが,島田雅彦が「最高傑作だ」とまで書いた,その根拠を知りたいとおもいます。

 かつて,島田雅彦が若かったころに書いた小説が大好きだったわたしが,最近の島田作品に共感しないのは,このあたりに理由があるのかもしれません。芥川賞の選考委員に島田雅彦が加わったのは去年からだったとおもいます。人は地位をえると変わることがあるといいます。つまり,地位がことばを発しはじめる,というわけです。まさか,そんなことはあるまい,とおもいたいところですが・・・。

 というところで,ことしの芥川賞作品は,わたしにとっては「失望」でした。この作家がこんごどんな風に成長していくのか,しばらくは追跡してみたいとおもいます。

 みなさんのご意見をお聞かせいだだければ幸いです。

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