内澤旬子といえば,岩波の雑誌『世界』に連載されていた「飼い喰い──三匹の豚とわたし」が強烈な印象となってわたしのなかに残っていました。連載が終るとすぐに単行本となり,ここで大きな話題となりました。わたしもすぐに手に入れ,一気に通読しました。やはり,迫力満点。
豚を自分で飼育して,それを屠殺し,みずから食する,それらをすべてみずから実践したリアル・タイムの記録です。人は他者の命をいただいて生きている,つまり,動植物の命をいただいてみずからの生命を維持している,そういう生きもの,それが人間なのだという強い信念をもつ人,それが内澤旬子というルポライターなのだ,と強い感銘を受けました。
まず最初にわたしの目を釘付けにしたのは,連載中にも描き込まれていた「挿絵」のうまさです。飼育した3匹の豚の絵が,なんともいえない表情をしていて,それだけでしばし呆然と眺めてしまいました。こんな絵の描ける人がルポライターとして活躍しているんだ,と思い込んでいました。しかし,実際は逆で,最初はイラストレーターとして世にでた人だったということが,こんどの文庫『身体のいいなり』でわかりました。
しかも,この『身体のいいなり』と『飼い喰い──三匹の豚とわたし』とは同時進行の雑誌連載だったということを知り,二度,びっくりでした。なぜなら,内澤さんは難病をいくつもからだに抱え込んだまま,これらの仕事をこなしていたとはとても信じられないからです。でも,いま,考えてみれば,こういう切羽詰まった生き方のなかからでないと,この二つの著作はならなかったかも知れない,ともおもいます。時間がないから仕事ができない,というのは嘘です。やりたい仕事はどんなことがあってもやらずにはいられません。それが仕事というものだと,わたしも信じています。
この『身体のいいなり』に付された帯のコピーによれば,以下のとおりです。
「腰痛,アトピー性皮膚炎,冷え症,無排卵性月経。生まれてこの方,”健康”というものを実感したことのない私に,とどめのごとくふりかかってきた乳癌。副作用から逃れたくて始めたヨガにより,なぜかどんどん元気になっていった・・・・・。」
正直に感想を書いておけば,ここに書かれていることが内澤さんのすべてである,とはとても思えないということです。当たり前のこととはいえ,ここに書く必要のないもの,書きたくないものはすべて排除されているということです。そのことを勘案してもなお,内澤さんの生きざまがリアルに伝わってくるのは,抑制のきいた筆力と,人間をみる目,社会をみる目の素直さにあるとおもいます。そこに到達することになるべき内澤さんの思考方法の,根源的で大きな転進がわたしには強く印象に残りました。
このテクストをとおしてわたしに刻まれた印象は,つぎのようなものです。
内澤さんは,みずからを「頭の人」だったと書き,いつのころからか「身体の人」に変化していた,といいます。つまり,若いころは,なにからなにまで頭で考え,自分の意志のとおりにからだに命令をし,むりやりにも酷使してきた,と。しかし,いくら意志の力で頑張ってもからだには限界がある,と知ります。ならば,「身体のいいなり」にまかせてしまおう,と考えるようになります。ここが内澤さんの大きな転機になったことは間違いありません。
腰痛,アトピー性皮膚炎,冷え症,無排卵性月経・・・・いずれも難病ばかり。これらを克服するためにありとあらゆる努力をつづけます。しかし,最新の医科学をもってしてもどうにもなりません。そこでジムに通ったり,太極拳をはじめたり,乗馬をしてみたり,バレーをはじめてみたり,といろいろのことを試していきます。そうして,ゆきついたさきが内澤さんの場合はヨガでした。太極拳もいいな,とからだは応えてくれたそうですが,手足の複雑な動作が自分にはどうにも苦手であきらめた,とか。そして,ごく簡単なストレッチや,初心者のためのポーズと呼吸を組み合わせたヨガが,自分にはぴったり合っていることを発見します。しかも,指導者によって,その効果もまったく異なることも発見していきます。そして,つねに,からだが喜ぶ方向に身をゆだねることをモットーにします。
それが『身体のいいなり』というわけです。
このテクストの後半は,乳癌の発見とそれとのつきあい方をとおして,みごとなまでに人間を写し出し,社会を写し出しています。癌と聞いただけで周囲の人びとの対応の仕方は大きく変化してしまいます。それは「生きる」ことへの過剰なまでの執着にあると看破し,いずれ死ぬのだから,それまでは楽しく生きようと考えるようになります。すると,世の中が一変してしまい,それはまさに「新しい世界への入り口だった」ということになります。
そして,いまや内澤旬子さんは絶好調です。仕事は山ほど押し寄せてくるし,若いころの難病はすべて解消し,最後の難病・乳癌もいまのところ再発はなし・・・と。そして,乳癌の完全寛解まではほど遠いにしても,からだの声に耳を傾け,上手につきあえば,まだまだ生活をエンジョイすることはできる,と確信するにいたります。
いまは,NK細胞(ナチュラル・キラー)を少しでも多くすること,そして,免疫力を高め,その心地よさを求めることを楽しんでいる,とか。
最後に「あとがき」から内澤さんの文章を引いておきましょう。
「老いに反抗したいわけではない。むしろさっさと老いたいのだが,結果的には大反逆しまくっていることになり,なんともあさましいなと思うけれども,スタイルが良くなればやっぱり楽しいし,なにより筋肉痛とリラックスの快感に勝る趣味が,いまのところ見つからない。」
ちなみに,内澤さんの『身体のいいなり』は講談社エッセイ賞を受賞しています。
いろいろの意味で,一読に値するいい本です。
ぜひ,お薦めしたいとおもいます。
豚を自分で飼育して,それを屠殺し,みずから食する,それらをすべてみずから実践したリアル・タイムの記録です。人は他者の命をいただいて生きている,つまり,動植物の命をいただいてみずからの生命を維持している,そういう生きもの,それが人間なのだという強い信念をもつ人,それが内澤旬子というルポライターなのだ,と強い感銘を受けました。
まず最初にわたしの目を釘付けにしたのは,連載中にも描き込まれていた「挿絵」のうまさです。飼育した3匹の豚の絵が,なんともいえない表情をしていて,それだけでしばし呆然と眺めてしまいました。こんな絵の描ける人がルポライターとして活躍しているんだ,と思い込んでいました。しかし,実際は逆で,最初はイラストレーターとして世にでた人だったということが,こんどの文庫『身体のいいなり』でわかりました。
しかも,この『身体のいいなり』と『飼い喰い──三匹の豚とわたし』とは同時進行の雑誌連載だったということを知り,二度,びっくりでした。なぜなら,内澤さんは難病をいくつもからだに抱え込んだまま,これらの仕事をこなしていたとはとても信じられないからです。でも,いま,考えてみれば,こういう切羽詰まった生き方のなかからでないと,この二つの著作はならなかったかも知れない,ともおもいます。時間がないから仕事ができない,というのは嘘です。やりたい仕事はどんなことがあってもやらずにはいられません。それが仕事というものだと,わたしも信じています。
この『身体のいいなり』に付された帯のコピーによれば,以下のとおりです。
「腰痛,アトピー性皮膚炎,冷え症,無排卵性月経。生まれてこの方,”健康”というものを実感したことのない私に,とどめのごとくふりかかってきた乳癌。副作用から逃れたくて始めたヨガにより,なぜかどんどん元気になっていった・・・・・。」
正直に感想を書いておけば,ここに書かれていることが内澤さんのすべてである,とはとても思えないということです。当たり前のこととはいえ,ここに書く必要のないもの,書きたくないものはすべて排除されているということです。そのことを勘案してもなお,内澤さんの生きざまがリアルに伝わってくるのは,抑制のきいた筆力と,人間をみる目,社会をみる目の素直さにあるとおもいます。そこに到達することになるべき内澤さんの思考方法の,根源的で大きな転進がわたしには強く印象に残りました。
このテクストをとおしてわたしに刻まれた印象は,つぎのようなものです。
内澤さんは,みずからを「頭の人」だったと書き,いつのころからか「身体の人」に変化していた,といいます。つまり,若いころは,なにからなにまで頭で考え,自分の意志のとおりにからだに命令をし,むりやりにも酷使してきた,と。しかし,いくら意志の力で頑張ってもからだには限界がある,と知ります。ならば,「身体のいいなり」にまかせてしまおう,と考えるようになります。ここが内澤さんの大きな転機になったことは間違いありません。
腰痛,アトピー性皮膚炎,冷え症,無排卵性月経・・・・いずれも難病ばかり。これらを克服するためにありとあらゆる努力をつづけます。しかし,最新の医科学をもってしてもどうにもなりません。そこでジムに通ったり,太極拳をはじめたり,乗馬をしてみたり,バレーをはじめてみたり,といろいろのことを試していきます。そうして,ゆきついたさきが内澤さんの場合はヨガでした。太極拳もいいな,とからだは応えてくれたそうですが,手足の複雑な動作が自分にはどうにも苦手であきらめた,とか。そして,ごく簡単なストレッチや,初心者のためのポーズと呼吸を組み合わせたヨガが,自分にはぴったり合っていることを発見します。しかも,指導者によって,その効果もまったく異なることも発見していきます。そして,つねに,からだが喜ぶ方向に身をゆだねることをモットーにします。
それが『身体のいいなり』というわけです。
このテクストの後半は,乳癌の発見とそれとのつきあい方をとおして,みごとなまでに人間を写し出し,社会を写し出しています。癌と聞いただけで周囲の人びとの対応の仕方は大きく変化してしまいます。それは「生きる」ことへの過剰なまでの執着にあると看破し,いずれ死ぬのだから,それまでは楽しく生きようと考えるようになります。すると,世の中が一変してしまい,それはまさに「新しい世界への入り口だった」ということになります。
そして,いまや内澤旬子さんは絶好調です。仕事は山ほど押し寄せてくるし,若いころの難病はすべて解消し,最後の難病・乳癌もいまのところ再発はなし・・・と。そして,乳癌の完全寛解まではほど遠いにしても,からだの声に耳を傾け,上手につきあえば,まだまだ生活をエンジョイすることはできる,と確信するにいたります。
いまは,NK細胞(ナチュラル・キラー)を少しでも多くすること,そして,免疫力を高め,その心地よさを求めることを楽しんでいる,とか。
最後に「あとがき」から内澤さんの文章を引いておきましょう。
「老いに反抗したいわけではない。むしろさっさと老いたいのだが,結果的には大反逆しまくっていることになり,なんともあさましいなと思うけれども,スタイルが良くなればやっぱり楽しいし,なにより筋肉痛とリラックスの快感に勝る趣味が,いまのところ見つからない。」
ちなみに,内澤さんの『身体のいいなり』は講談社エッセイ賞を受賞しています。
いろいろの意味で,一読に値するいい本です。
ぜひ,お薦めしたいとおもいます。
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