2013年8月19日月曜日

『はだしのゲン』が消される日。ヘイト・スピーチに屈することがあっていいのか。

 何世代にもわたって愛読された名作『はだしのゲン』が小中学校の図書室から消えようとしている。それもまことにつまらないヘイト・スピーチを繰り出す市民団体からの圧力があったのが引き金になったらしい。もし,これが事実だとしたら,ほんのひとにぎりの狂気の市民団体に,圧倒的多数の良識ある市民の意志が踏みにじられたことになる。しかも,その仲立ちをしたのが教育委員会であったとなると,ことは重大である。

 最近になって,急に話題になっているが,ことの顛末は昨年の12月にはじまっていたという(共同通信)。松江市教育委員会が市内の小中学校に対して,「首をはねたり」「女性を乱暴したり」する描写があるので,これを開架図書から閉架図書に移すよう口頭で要請した,という。それを受けて各学校は,閲覧には教員の許可を必要とし,貸し出しは禁止する措置をとった,という。

 教育委員会から各学校に対して「口頭で要請」するという形式は,行政ではどういう取り扱いになるのだろうか。まずは,この点が気がかりである。というのも,「責任」の所在がどうなっているか,ということだ。「口頭で要請」されると校長は絶対に服従しなくてはならないことになるのだろうか。あるいは,校長にはその要請を拒否する権限はないのだろうか。なぜ,「文書」による「通知」なり,「通達」なりにしなかったのか。要するに,最初から責任を回避するための「抜け道」が用意されていた節がある,と感じられるからだ。

 松江市教育委員会は,ヘイト・スピーチを得意とする市民団体からの要請に対して,いったいどのような審議・検討をへて『はだしのゲン』を閉架図書に移すことを決定したのだろうか。メディアはこのあたりのことをもっと明確にしてほしいものだ。県教委や文部科学省との連携はあったのだろうか。まったく独自に判断したのだろうか。だとしたら,どのような考え方にもとづくものなのか,こちらも明らかにしてほしい。

 『はだしのゲン』といえば,世界の20カ国で翻訳され,映画化もされた,だれもが認める名作である。戦争と原爆による悲惨さがどのようなものであったかを,被爆者でもあった作者が,みずからの体験をとおして赤裸々に描きだしたものである。しかも,いっときの感情に走ることなく,被害者でもあると同時に加害者でもあった,当時の日本の立ち位置をバランスよく描いた,著者渾身の力作である。小学校時代に,この作品を夏休みの課題図書に指定され,感想文を書いた経験のある人も少なくないだろう。そうして,深い感銘を受けた人も少なくないだろう。

 教育委員会といえば,最近の話題では,神奈川県教育委員会のとった措置がある。県内の各高等学校が使用する「日本史」の教科書の選定にあたって,26校が選定した教科書を不適切として,別の教科書にするよう指示した問題がある。こちらも「不適切な表現が多多みられるから」というのが理由だった。しかし,これは明らかに法律違反である。文部科学省が認可した教科書であれば,どれを採用するかは各学校の判断にゆだねられている。それを県教委が割って入って「調整」をすることは越権行為としかいいようがない。ならば,いっそのこと,むかしのように「国定教科書」一本にしぼるか,あるいは,教科書の認可制をはずして,教科書の作成から販売までまったくの自由にするか,いずれかにした方がわかりやすい。し,責任の所在も明確になる。

 こんな風にして,憲法に保証されている思想・信条の自由も,言論の自由も,教育現場ではあっという間に狭められ,ほとんど意味をなさなくなっている。

 困ったものだとおもっていたら,こんどは,18日の『東京新聞』が「橋下氏を批判 出版中止」という見出しの記事を一面で報じている。つかみの文章を引いておくと以下のようである。

 「政治学者の中島岳志(たけし)・北海道大准教授の社会評論が,今月2月の発売予定日を目前に出版中止になった。日本維新の会共同代表の橋下徹・大阪市長への批判を含むことを出版元のNTT出版が問題視し,削除を求めたのが発端だった。中島氏は削除を拒否し,その後,本は6月末に新潮社から刊行された。異例の出版中止の裏に何があったのか。」

 このできごとの背景には「週刊朝日」での連載記事問題(昨年10月,橋下氏の出自をめぐる不適切な記述があった,とされたこと)との関連がとりざたされているが,出版元のNTTはそのような配慮はしていないと否定。しかし,著者の中島氏は「権力への過剰忖度(そんたく)」だとして不満を表明している。

 いずれにしても,出版社の一部もまた,言論の自由という最大の使命を投げ棄ててまでもみずからの身の安全を優先し,いわゆる言論統制に加担しようとしている。そして,権力への「自発的隷従」の姿勢を貫く。こんな風潮が,原発ムラの復活と同時に,着々と進んでいる。その姿は目を覆いたくなるほどだ。

 最後の仕上げをしているのは安倍首相だ。詭弁・虚言を弄して平然と国民をあざむき,なおかつ,政府方針に反する言動をすると「国賊」と切り捨てる。その結果,良識ある人びとまでみんな口を閉ざしてしまい,もし,発言するにしても遠慮がちにやんわりと書くだけのことだ。この人たちもまた「自発的隷従」に甘んじている。

 こうした連鎖の果てに『はだしのゲン』が消える日が待っている。そして,それはもうはじまっている。まるで,大津波が押し寄せてきているかのように,わたしにはみえる。わたしも怯えている。だから,せめてブログのなかだけでもしっかり書いておこうと,みずからを励ましつつ。
コメントを投稿