「面白ろうて,やがて哀しき鵜飼かな」
夜景にライトアップされた犬山城を眺めながら,その足下で繰り広げられる木曽川の鵜飼ショーを見物してきました。手を伸ばせば鵜にとどきそうな,しかも篝火の火の粉が舞ってくる至近距離で,じっくりと鵜飼ショーを堪能しました。初めての経験でしたので,とても感動しました。なるほど,こんな風にして鵜が魚を追い,獲物をとらえても飲み込むことができない仕掛け(首が縄で締められている)のまま魚を飲むと,こんどは船縁に引き上げられて獲物を吐き出す,というプロセスが目の前で展開され,納得しました。しかし,一方では,ここまでどのように飼育され,訓練を受けて,実用として晴れの舞台に登場するのか,とちらりと脳裏をかすめました。
8月29日(木)の夕刻。集まったのは小学校の同級生・9名。卒業時の人数は48名。男子24名,女子24名。ですから,48分の9が出席。この数字はじつは微妙です。同級生の年齢は75歳から76歳。参加できなかった人の大半は,本人のからだの都合,すなわち,体調不良。からだは元気だけれども用事があって欠席という人はほんのわずか。つまり,自分の足で歩いて参加できた人が,48分の9,という数字です。その内訳は,男子5,女子4。ここに参加できた人は,なにはともあれ元気で,みんなと会って大きな声で笑いあえる幸せな人。
幹事さんは,犬山在住の同級生H君。かつての野球少年。名投手。わたしは捕手。名投手が,もうひとりいて,こちらはS君。のちに高校野球の投手としても大活躍。この二人の投手を要して,豊橋市の野球大会に参加。つまり,24人の同級生のなかから9名のレギュラーを,にわか仕込みで選んで結成したチーム。H君はとてもコントロールのいい投手。何種類もの変化球をもっていて,わたしが求めたところに,きちんとボールを投げてくれる。一方,S君は剛球を投げる。スピードも速いのですが,球質が重いのが特徴。なぜか,打たれても遠くに飛ばない。つまり,打者が押し込まれてしまうのです。
この二人の投手がサードと投手を兼務してくれる。だから,調子が悪くなるとすぐに交代。たった24名しかいない男子生徒のなかから9人を選んで即席に結成したチームが,なんと,試合をするたびにどんどん上手になり,驚くほどの快進撃。どんどん勝ち進むので,やっているわたしたちが驚いたほどでした。最後は,準決勝で1-0で負け。その相手チームは決勝戦で大差をつけて優勝。ですから,実質的な優勝戦はわれわれとの対戦だった,と知る。
その主戦投手であったH君が幹事をつとめて,今回の同級会をセットしてくださった。やはり,コントロールのいい投手の片鱗が,こういう幹事をつとめてもみごとに発揮されていて,じつにきめ細やかな気配りがあって,これまた,なるほどなぁ,と感心してしまいました。S君のお蔭で,みんな大満足。
犬山・木曽川の鵜飼ショーには,女性の鵜匠が誕生して,つい最近も新聞で話題になっていました。が,29日は彼女の出番はなくて,残念。運がよければ,この女性鵜匠のショーが見られるところでした。これは本当かどうかはわかりませんが,リクエストすることができる,とか。もし,それが本当なら,もう一度,彼女の鵜飼ショーを見物してみたいなぁ,とみんなで話し合った次第です。
鵜飼ショーで夕食の弁当を食べて,ホテルにもどってから,男性軍の和室に全員集まって,ここからが本番のおしゃべり会。わたしは,長い間,この会には一度も参加したことがなかったので,どうしてもお客さん。話題についていかれないのです。でも,ことしで3回目。少し慣れてきて,みんなもむかしのように声をかけてくれるようになりました。
みんなそれぞれに長い人生を生きてきた重みをもっていて,いつも,その重みに圧倒されてしまいます。わたしの生き方なぞというものは,地に足のついてない,空中戦ばかりでしたから。つまりは知的なゲームのようなもの。ああ,軽いなぁ,と今回もまた大いなる反省。でも,いまさらどうすることもできないので,このまま居直って,みんなの話に耳を傾けることに専念。いい勉強になりました。でも,今回は,わたしも少しだけ前にでて,長い間の空白の時間を埋めるための質問などをさせてもらいました。すると,思いがけない応答があったりして,まったく予期せぬ新しい発見が多々ありました。たとえば,わたしの知っている「日本」という国のイメージは,この同級生たちの共有しているものに比べたら,ほんとうに,ある特定のポジションからのものでしかない,ということ。もっともっと視野を広げて,その上にみずからのイメージを構築していかないといけないなぁ,と。でも,その一方では,やはりどこまで頑張って努力しても,最終的には「ドグマ」でしかないなぁ,とルジャンドルのことを考えていました。
でも,こんなことまで話ができるようになって,ようやく,仲間に入れてもらえたかなぁ,とおもってトイレに立ったら,その間に,来年の幹事はお前やれ,ということが決まっていました。いずれは・・・とは覚悟していましたが,来年やってほんとうにいいのかなぁ,と半信半疑。もう,あと何回できるかわからないので,いまのうちにやっておけ,と強く押されて引き受けることに。となると,東京になるがいいか,と了解も得る。全部,お前に任せる,とのこと。まあ,足腰の弱ってきた人もこの参加者のなかにもいらっしゃる。わたしも含めて,ことしの9名が,来年の〇名になるか,そこは神のみぞ知る世界。
翌日(30日)は,犬山・成田山にお参りし,犬山城に移動。むかしの城下町である本町通りの犬山市文化資料館に立ち寄り,本町通りを散策。昼食をとって解散。H君は車で何回もピストン輸送をしながらの大奮闘。すっかりお世話になりました。最後の昼食をとったお寿司屋さんの味が抜群でした。突き出しの「もずく」の味が忘れられない。突然の豪雨が降り出したので,奥さんが車を出して犬山駅まで送ってくれました。
感謝の気持ちも籠めて,ご紹介させていただきます。
「立喰 光寿司」犬山市三笠町 0568-62-4184
どうぞ,ご贔屓に。
夜景にライトアップされた犬山城を眺めながら,その足下で繰り広げられる木曽川の鵜飼ショーを見物してきました。手を伸ばせば鵜にとどきそうな,しかも篝火の火の粉が舞ってくる至近距離で,じっくりと鵜飼ショーを堪能しました。初めての経験でしたので,とても感動しました。なるほど,こんな風にして鵜が魚を追い,獲物をとらえても飲み込むことができない仕掛け(首が縄で締められている)のまま魚を飲むと,こんどは船縁に引き上げられて獲物を吐き出す,というプロセスが目の前で展開され,納得しました。しかし,一方では,ここまでどのように飼育され,訓練を受けて,実用として晴れの舞台に登場するのか,とちらりと脳裏をかすめました。
8月29日(木)の夕刻。集まったのは小学校の同級生・9名。卒業時の人数は48名。男子24名,女子24名。ですから,48分の9が出席。この数字はじつは微妙です。同級生の年齢は75歳から76歳。参加できなかった人の大半は,本人のからだの都合,すなわち,体調不良。からだは元気だけれども用事があって欠席という人はほんのわずか。つまり,自分の足で歩いて参加できた人が,48分の9,という数字です。その内訳は,男子5,女子4。ここに参加できた人は,なにはともあれ元気で,みんなと会って大きな声で笑いあえる幸せな人。
幹事さんは,犬山在住の同級生H君。かつての野球少年。名投手。わたしは捕手。名投手が,もうひとりいて,こちらはS君。のちに高校野球の投手としても大活躍。この二人の投手を要して,豊橋市の野球大会に参加。つまり,24人の同級生のなかから9名のレギュラーを,にわか仕込みで選んで結成したチーム。H君はとてもコントロールのいい投手。何種類もの変化球をもっていて,わたしが求めたところに,きちんとボールを投げてくれる。一方,S君は剛球を投げる。スピードも速いのですが,球質が重いのが特徴。なぜか,打たれても遠くに飛ばない。つまり,打者が押し込まれてしまうのです。
この二人の投手がサードと投手を兼務してくれる。だから,調子が悪くなるとすぐに交代。たった24名しかいない男子生徒のなかから9人を選んで即席に結成したチームが,なんと,試合をするたびにどんどん上手になり,驚くほどの快進撃。どんどん勝ち進むので,やっているわたしたちが驚いたほどでした。最後は,準決勝で1-0で負け。その相手チームは決勝戦で大差をつけて優勝。ですから,実質的な優勝戦はわれわれとの対戦だった,と知る。
その主戦投手であったH君が幹事をつとめて,今回の同級会をセットしてくださった。やはり,コントロールのいい投手の片鱗が,こういう幹事をつとめてもみごとに発揮されていて,じつにきめ細やかな気配りがあって,これまた,なるほどなぁ,と感心してしまいました。S君のお蔭で,みんな大満足。
犬山・木曽川の鵜飼ショーには,女性の鵜匠が誕生して,つい最近も新聞で話題になっていました。が,29日は彼女の出番はなくて,残念。運がよければ,この女性鵜匠のショーが見られるところでした。これは本当かどうかはわかりませんが,リクエストすることができる,とか。もし,それが本当なら,もう一度,彼女の鵜飼ショーを見物してみたいなぁ,とみんなで話し合った次第です。
鵜飼ショーで夕食の弁当を食べて,ホテルにもどってから,男性軍の和室に全員集まって,ここからが本番のおしゃべり会。わたしは,長い間,この会には一度も参加したことがなかったので,どうしてもお客さん。話題についていかれないのです。でも,ことしで3回目。少し慣れてきて,みんなもむかしのように声をかけてくれるようになりました。
みんなそれぞれに長い人生を生きてきた重みをもっていて,いつも,その重みに圧倒されてしまいます。わたしの生き方なぞというものは,地に足のついてない,空中戦ばかりでしたから。つまりは知的なゲームのようなもの。ああ,軽いなぁ,と今回もまた大いなる反省。でも,いまさらどうすることもできないので,このまま居直って,みんなの話に耳を傾けることに専念。いい勉強になりました。でも,今回は,わたしも少しだけ前にでて,長い間の空白の時間を埋めるための質問などをさせてもらいました。すると,思いがけない応答があったりして,まったく予期せぬ新しい発見が多々ありました。たとえば,わたしの知っている「日本」という国のイメージは,この同級生たちの共有しているものに比べたら,ほんとうに,ある特定のポジションからのものでしかない,ということ。もっともっと視野を広げて,その上にみずからのイメージを構築していかないといけないなぁ,と。でも,その一方では,やはりどこまで頑張って努力しても,最終的には「ドグマ」でしかないなぁ,とルジャンドルのことを考えていました。
でも,こんなことまで話ができるようになって,ようやく,仲間に入れてもらえたかなぁ,とおもってトイレに立ったら,その間に,来年の幹事はお前やれ,ということが決まっていました。いずれは・・・とは覚悟していましたが,来年やってほんとうにいいのかなぁ,と半信半疑。もう,あと何回できるかわからないので,いまのうちにやっておけ,と強く押されて引き受けることに。となると,東京になるがいいか,と了解も得る。全部,お前に任せる,とのこと。まあ,足腰の弱ってきた人もこの参加者のなかにもいらっしゃる。わたしも含めて,ことしの9名が,来年の〇名になるか,そこは神のみぞ知る世界。
翌日(30日)は,犬山・成田山にお参りし,犬山城に移動。むかしの城下町である本町通りの犬山市文化資料館に立ち寄り,本町通りを散策。昼食をとって解散。H君は車で何回もピストン輸送をしながらの大奮闘。すっかりお世話になりました。最後の昼食をとったお寿司屋さんの味が抜群でした。突き出しの「もずく」の味が忘れられない。突然の豪雨が降り出したので,奥さんが車を出して犬山駅まで送ってくれました。
感謝の気持ちも籠めて,ご紹介させていただきます。
「立喰 光寿司」犬山市三笠町 0568-62-4184
どうぞ,ご贔屓に。
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