昨日(3月10日)は,ポカポカ陽気に誘われるようにして,早めに家をでて日比谷公園に向いました。奈良からやってきた若い友人と一緒に。時間がたっぷりあったので,地下鉄を少し手前で降りて道路にでてきたら,いきなり右翼団体の街宣車が隊列をなしてとおりすぎてゆきます。その数の多さにまずは圧倒されてしまいました。それぞれの車から大音響の音楽やアジテーションの演説が流れ,お互いに反響し合って,結局はなにも聞き取れません。というか,伝えるべきメッセージはなにも印象に残りませんでした。
そんな光景に度肝を抜かれながら,「国を愛するということはどういうことなのか」と,まずは,考えてしまいました。郊外に住んでいると,こういう光景からも縁遠くなっています。ですから,なんともいえぬ摩訶不思議な,新鮮な刺激でした。そうか,こういう人たちも相変わらず元気なんだ,こういう人たちの存在も現代日本の社会を考える上では不可欠なのだ,としみじみ考え,思いを巡らせていました。
その隊列を見送ってから,自民党本部を左手にみやりながら,国会議事堂前に。その前にある公園のなかに入り,「日本水準器」の設置してある建物を過ぎて,時計塔の下のベンチに座り,一休み。ここには灰皿もセットされていて,愛煙家の若い友人は一安心。国会議事堂と皇居方面とを交互に眺めながら,二人で「この二年」を振り返る話をしました。
お互いに確認できたことは,わたしたちの住んでいたこの国が,これほどまでにお粗末な国だったとは気づかなかった,ということでした。「3・11」以後,これまでうまく隠蔽されてきたことがらが,一挙に露呈するはめになってしまい,おまけに,ことごとく収拾がつかなくなってしまっている,というみじめな現実でした。
なかでも,メルトダウンしてしまった核燃料棒がどこに,どういう状態で存在しているのか,その在り処もわからない,という事実。そして,その存在を確認するためのロボットをこれから開発しなければならない,という事実(このために10年くらいはかかるとか),もし,かりにこのロボットを開発することができたとしても,こんどはメルトダウンした核燃料棒をとりだすための機械・道具をこれまた新たに開発しなければならない,という事実,そのために,また,さらに何十年とかを要する,という事実,そして,さらには,とりだした核燃料棒をどのように保管するのか,そのための・・・・・,という具合に気の遠くなるような現実がいまも,そして,これからも半永久的につづく,という事実。終わりのないストーリーは,いま,はじまったばかりです。
そういう現実が日ごとに明らかになってくる,これがわたしにとっての「この二年」の重く,息苦しい日々の実態でした。それに加えて,この気の遠くなるような現実に蓋をすべく,早々に「収束宣言」をして,はちゃめちゃな政治を展開した民主党政権。それを国民は見逃してはいませんでした。敵失というか,自滅の民主党をしりめに,漁夫の利をかすめ取るようにして浮上してきただけの自民党が,さも国民に支持された正義であるかのような顔をして,一気呵成に強行路線を突っ走ります。しかも,それが国民の多くの人たちに支持されているという現実(70%を越えるという)に,これまた,わたしは呆然としてしまいます。この国はいったいどこに行こうとしているのだろうか,と。フクシマのことをほったらかしたままにしたまま・・・・。
おまけに,つい先週までは,東京にオリンピックを招致しようという,まやかしの「正義」の名のもとに,またまた,国民に「めくらまし」をかまして平然としている政府自民党,そして,都知事。都合の悪いことには「蓋」をしておいて,都合のいいことのみを声高に喧伝する利害打算の政治ばかりが横行してやまないこの国の現実。「めくらまし」政治。「ねこだまし」政治。
こんな,ふだんからのたまりにたまった鬱憤を,若い友人と語り合いました。そこから,ぶらぶらと皇居のお掘りをわたって皇居前広場に向かいました。その手前の広場には,障害者のマラソン・ランナーと伴奏者,そして,家族の人たちでごった返していました。まもなく,スタートを切る,そのための準備におおわらわの様子が伝わってきました。なるほど,こういうイベントも今日は組まれているんだなぁ,と思いながら・・・。でも,ポカポカ陽気に恵まれましたので,みんなとても楽しそうな顔をしていました。
そこから,少し早いけれどもそろそろ日比谷公園野外音楽堂をめざすことにしました。日比谷公園に入ると,もう,すでに大勢の人でごった返していました。ああ,今日は,さすがに大勢の人が集まってきているなぁ,と思いながら野外音楽堂に到着。そこはもう立錐の余地もないほどの人です。なんで,みんな立ち止まったままでいるのだろうと不思議に思いながら,人をかき分けて入り口をめざします。すると,すでに満員で入場できません,という突然のアナウンスが響く。エッ!? こんなことは初めてのことでした。野外音楽堂に入れなくて,その外で待機している人たちがこんなにもあふれているとは・・・・。しかも,集会がはじまる30分前だというのに・・・・。
仕方ないので,別のイベント広場を散策しながら昼食をとることに。タコライスなるものを初めて食べました。ああ,こういうものであったか,と新しい学習でした。どこかで音楽が聞こえてきましたので,そちらに向う。ちょうど,つぎのステージに変わるところに出くわしました。すると,なんと,加藤登紀子さんが登場です。短いスピーチ(当然,「3・11」後とこれからに向けての熱の入ったご挨拶)につづいて歌がはじまりました。加藤登紀子さんの生演奏を聞くのは初めてでしたので,感動しました。選曲もすべて東日本大震災,フクシマに触発されての新曲ばかりでした。
ですが,あまりにも暑いので,日陰に入ろうとしたそのときです。北東の方角の空の色が茶色がかったねずみ色になっているではありませんか。頭の上は,真っ青な空。風もないポカポカ陽気。なんだろうと思っている間もないほどの速さで,その変色した空がこちらに押し寄せてきました。猛烈な突風が吹きはじめ,日比谷公園の木の葉や砂が渦を巻いて空に舞い上がっていきます。これはえらいことになったと覚ったわたしたちは,急いで松本楼の陰に隠れました。雨がパラパラときたように思いましたが,手を伸ばしてみるとそうでもありません。
が,この砂嵐が襲ってきたころには,デモに出発する14:00になっていました。わたしたちも出発口に向かいました。人でいっぱいです。いくつものグループに分かれて,つぎつぎに出発していきます。わたしたちは「サウンド・グループ」というところにもぐり込んで,ラッパーの囃子詞を聞きながら歩きはじめました。が,相変わらず砂嵐は止まりません。眼が開けられないほどの砂嵐です。そして,あっという間に冷え込んできました。こんどは寒いということばがふさわしいほどの冷え込みでした。国会議事堂の前の坂道にさしかかったときに隊列の長さがどのくらいあるのだろうか,と確認してみました。が,前も後ろもまったく見極めがつかないほどの長蛇の列です。
今日の新聞によれば,国会周辺に4万人がデモ,とあります。砂嵐は「煙霧」ということも新聞で知りました。
長くなってしまいましたので,このあとのことは,また,後日。
取り急ぎ,昨日のレポートまで。
そんな光景に度肝を抜かれながら,「国を愛するということはどういうことなのか」と,まずは,考えてしまいました。郊外に住んでいると,こういう光景からも縁遠くなっています。ですから,なんともいえぬ摩訶不思議な,新鮮な刺激でした。そうか,こういう人たちも相変わらず元気なんだ,こういう人たちの存在も現代日本の社会を考える上では不可欠なのだ,としみじみ考え,思いを巡らせていました。
その隊列を見送ってから,自民党本部を左手にみやりながら,国会議事堂前に。その前にある公園のなかに入り,「日本水準器」の設置してある建物を過ぎて,時計塔の下のベンチに座り,一休み。ここには灰皿もセットされていて,愛煙家の若い友人は一安心。国会議事堂と皇居方面とを交互に眺めながら,二人で「この二年」を振り返る話をしました。
お互いに確認できたことは,わたしたちの住んでいたこの国が,これほどまでにお粗末な国だったとは気づかなかった,ということでした。「3・11」以後,これまでうまく隠蔽されてきたことがらが,一挙に露呈するはめになってしまい,おまけに,ことごとく収拾がつかなくなってしまっている,というみじめな現実でした。
なかでも,メルトダウンしてしまった核燃料棒がどこに,どういう状態で存在しているのか,その在り処もわからない,という事実。そして,その存在を確認するためのロボットをこれから開発しなければならない,という事実(このために10年くらいはかかるとか),もし,かりにこのロボットを開発することができたとしても,こんどはメルトダウンした核燃料棒をとりだすための機械・道具をこれまた新たに開発しなければならない,という事実,そのために,また,さらに何十年とかを要する,という事実,そして,さらには,とりだした核燃料棒をどのように保管するのか,そのための・・・・・,という具合に気の遠くなるような現実がいまも,そして,これからも半永久的につづく,という事実。終わりのないストーリーは,いま,はじまったばかりです。
そういう現実が日ごとに明らかになってくる,これがわたしにとっての「この二年」の重く,息苦しい日々の実態でした。それに加えて,この気の遠くなるような現実に蓋をすべく,早々に「収束宣言」をして,はちゃめちゃな政治を展開した民主党政権。それを国民は見逃してはいませんでした。敵失というか,自滅の民主党をしりめに,漁夫の利をかすめ取るようにして浮上してきただけの自民党が,さも国民に支持された正義であるかのような顔をして,一気呵成に強行路線を突っ走ります。しかも,それが国民の多くの人たちに支持されているという現実(70%を越えるという)に,これまた,わたしは呆然としてしまいます。この国はいったいどこに行こうとしているのだろうか,と。フクシマのことをほったらかしたままにしたまま・・・・。
おまけに,つい先週までは,東京にオリンピックを招致しようという,まやかしの「正義」の名のもとに,またまた,国民に「めくらまし」をかまして平然としている政府自民党,そして,都知事。都合の悪いことには「蓋」をしておいて,都合のいいことのみを声高に喧伝する利害打算の政治ばかりが横行してやまないこの国の現実。「めくらまし」政治。「ねこだまし」政治。
こんな,ふだんからのたまりにたまった鬱憤を,若い友人と語り合いました。そこから,ぶらぶらと皇居のお掘りをわたって皇居前広場に向かいました。その手前の広場には,障害者のマラソン・ランナーと伴奏者,そして,家族の人たちでごった返していました。まもなく,スタートを切る,そのための準備におおわらわの様子が伝わってきました。なるほど,こういうイベントも今日は組まれているんだなぁ,と思いながら・・・。でも,ポカポカ陽気に恵まれましたので,みんなとても楽しそうな顔をしていました。
そこから,少し早いけれどもそろそろ日比谷公園野外音楽堂をめざすことにしました。日比谷公園に入ると,もう,すでに大勢の人でごった返していました。ああ,今日は,さすがに大勢の人が集まってきているなぁ,と思いながら野外音楽堂に到着。そこはもう立錐の余地もないほどの人です。なんで,みんな立ち止まったままでいるのだろうと不思議に思いながら,人をかき分けて入り口をめざします。すると,すでに満員で入場できません,という突然のアナウンスが響く。エッ!? こんなことは初めてのことでした。野外音楽堂に入れなくて,その外で待機している人たちがこんなにもあふれているとは・・・・。しかも,集会がはじまる30分前だというのに・・・・。
仕方ないので,別のイベント広場を散策しながら昼食をとることに。タコライスなるものを初めて食べました。ああ,こういうものであったか,と新しい学習でした。どこかで音楽が聞こえてきましたので,そちらに向う。ちょうど,つぎのステージに変わるところに出くわしました。すると,なんと,加藤登紀子さんが登場です。短いスピーチ(当然,「3・11」後とこれからに向けての熱の入ったご挨拶)につづいて歌がはじまりました。加藤登紀子さんの生演奏を聞くのは初めてでしたので,感動しました。選曲もすべて東日本大震災,フクシマに触発されての新曲ばかりでした。
ですが,あまりにも暑いので,日陰に入ろうとしたそのときです。北東の方角の空の色が茶色がかったねずみ色になっているではありませんか。頭の上は,真っ青な空。風もないポカポカ陽気。なんだろうと思っている間もないほどの速さで,その変色した空がこちらに押し寄せてきました。猛烈な突風が吹きはじめ,日比谷公園の木の葉や砂が渦を巻いて空に舞い上がっていきます。これはえらいことになったと覚ったわたしたちは,急いで松本楼の陰に隠れました。雨がパラパラときたように思いましたが,手を伸ばしてみるとそうでもありません。
が,この砂嵐が襲ってきたころには,デモに出発する14:00になっていました。わたしたちも出発口に向かいました。人でいっぱいです。いくつものグループに分かれて,つぎつぎに出発していきます。わたしたちは「サウンド・グループ」というところにもぐり込んで,ラッパーの囃子詞を聞きながら歩きはじめました。が,相変わらず砂嵐は止まりません。眼が開けられないほどの砂嵐です。そして,あっという間に冷え込んできました。こんどは寒いということばがふさわしいほどの冷え込みでした。国会議事堂の前の坂道にさしかかったときに隊列の長さがどのくらいあるのだろうか,と確認してみました。が,前も後ろもまったく見極めがつかないほどの長蛇の列です。
今日の新聞によれば,国会周辺に4万人がデモ,とあります。砂嵐は「煙霧」ということも新聞で知りました。
長くなってしまいましたので,このあとのことは,また,後日。
取り急ぎ,昨日のレポートまで。
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