ふだんあまり立ち寄ることのない書店にふらりと入ってみたら,「社員が推薦する中公新書30冊」というフェアをやっていた。中公新書創刊50周年だという。そうか,もう,50周年か,といささか驚きもした。当時,岩波新書しかなかった時代に,透明のビニール・カバーをかけた中公新書が登場し,とても新鮮な気分で手にとった記憶があるからだ。
この50周年のアニパーサリー・フェアのなかに,三木成夫著『胎児の世界──人類の生命記憶』があった。迷わず購入した。奥付をみると27版とある。やはり,名著は静かに版を重ねているものなのだ。なるほどなぁ,と納得しつつも,えもいえぬ感慨深いものがあった。
なぜなら,数年前,三木成夫という著者の話を丹生谷貴志さんから伺い,かつ,この本の初版本の残部が研究室にあるからといってプレゼントしてくださった。1983年にでた本なので,すでに,カバーのビニールは縮んでしまっていびつになり,ページを開いてみると紙が変色して,周囲の余白の部分は茶色に近い。古色蒼然とした本になっていた。「こんなになってしまっていますが・・・」と丹生谷さんは笑いながら,気前よくくださった。嬉しかった。
なぜ,こんな話になったのか。面白い逸話がある。三木成夫さんは東大医学部をでたお医者さん。この人が東京芸術大学の教授として勤めておられたころに,丹生谷さんは学生として在籍していて,いつも研究室に出入りしていた,という。当時は,三木先生と野口三千三先生(野口体操の創案者)が学生たちの間で人気があり,多くの学生さんが,いつもお二人の先生の研究室に入り浸っていたという。
この野口三千三さんの話がでたところで,わたしの目の色が変わった。それを察知した丹生谷さんは,「じつは,三木先生と野口先生は大の仲良しで,いつも,お茶を飲みながらよくお話をされていました」という。そして,野口体操の発想の原点は,じつは,三木先生の研究にある,とも。そのネタになったのがこの本です,というわけだ。
なるほど,人間のからだは水の入った革袋だと思え,という野口体操の説く根拠はここにあったのか,とわたしは納得した。そして,蛇になったり,手足を人にゆすってもらったりする,いわゆる「脱力」を基本とする野口体操の原理はここからきているのか,と。それは,わたしたちが学生時代に学んだ「体操」とはまるで別世界だった。デンマーク体操やドイツ体操などの影響を受けてラジオ体操が考案された経緯とはまるで異なる,三木成夫さんの人間学(発生学)に立脚したものだったのだ。不思議に思って,当然だったわけだ。
この三木先生は,じつは,大のトラ吉(阪神タイガース・ファン)だったそうで,よく,大学をさぼって内緒で甲子園まで足を運んでいたという(古き,よき時代だった)。そして,ある日,いつものように内緒で甲子園にでかけてスタンドで熱心に応援をしていたときのこと,選手の名前は忘れたが,9回裏に逆転のホームランを打った。このときに大喜びをして,飛び上がってバンザイをした瞬間に心臓発作を起こして倒れ,そのまま死んでしまった,という。なんだか,丹生谷さんのこしらえ話ではないかと疑ったら,これはほんとうの話です,とまじめに駄目だしをされてしまった。
わたしもトラ吉のはしくれのひとりなので,なんとまあ,幸せな人なんだろう,といまでも本気で思っている。人は,こんな風にして死にたいものだ,といまも憧れている。だから,三木成夫という人の人となりとともにその名前は忘れられない。
話はこれだけでは終わらない。三木成夫さんの研究が野口体操のヒントとなり,その影響下に竹内レッスンがある。この話はまた別にしたいと思うが,こういう関係性のなかに竹内レッスンがあるということだけは,ここで指摘しておこう。こうして人間の原初の存在様態に「じかに」触れることが竹内レッスンの根幹をなすことになる。だから,竹内レッスンをより深く理解するためには,このテクストは不可欠なものだ。と同時に,21世紀のスポーツ文化を考える上でも,このテクストの存在は大きい。みなさんにもお薦めしたい。必読の書である。
内容について触れる余裕がないので,まえがきの一節を紹介しておく。それだけで,十分イメージをふくらませることができる,と信じて。
このⅡ章に登場する胎児たちは,あたかも生命の誕生とその進化の筋書を諳(そら)んじているかのごとく,悠久のドラマを瞬時の”パントマイム”に凝縮させ,みずから激しく変身しつつこれを演じてみせる。それは劫初いらいの生命記憶の再現といえるものであろうか。──中略。
胎児の演ずる変身の象徴劇は,こうして卵発生の秘儀として,代から代へ受け継がれるのであるが,この,つねに生命誕生の原点に帰り,そこから出発しようとする周行の姿,すなわち「生物の世代交替」の波模様こそ,すべての「生のリズム」を包括する,まさに「いのちの波」とよばれるにふさわしいものではないか。それは生命起源の根原をなすものでなければならない。
以上。けだし,名文である。からだのこと,あるいは人間のことを考える人にとってはバイブルに等しい。
この50周年のアニパーサリー・フェアのなかに,三木成夫著『胎児の世界──人類の生命記憶』があった。迷わず購入した。奥付をみると27版とある。やはり,名著は静かに版を重ねているものなのだ。なるほどなぁ,と納得しつつも,えもいえぬ感慨深いものがあった。
なぜなら,数年前,三木成夫という著者の話を丹生谷貴志さんから伺い,かつ,この本の初版本の残部が研究室にあるからといってプレゼントしてくださった。1983年にでた本なので,すでに,カバーのビニールは縮んでしまっていびつになり,ページを開いてみると紙が変色して,周囲の余白の部分は茶色に近い。古色蒼然とした本になっていた。「こんなになってしまっていますが・・・」と丹生谷さんは笑いながら,気前よくくださった。嬉しかった。
なぜ,こんな話になったのか。面白い逸話がある。三木成夫さんは東大医学部をでたお医者さん。この人が東京芸術大学の教授として勤めておられたころに,丹生谷さんは学生として在籍していて,いつも研究室に出入りしていた,という。当時は,三木先生と野口三千三先生(野口体操の創案者)が学生たちの間で人気があり,多くの学生さんが,いつもお二人の先生の研究室に入り浸っていたという。
この野口三千三さんの話がでたところで,わたしの目の色が変わった。それを察知した丹生谷さんは,「じつは,三木先生と野口先生は大の仲良しで,いつも,お茶を飲みながらよくお話をされていました」という。そして,野口体操の発想の原点は,じつは,三木先生の研究にある,とも。そのネタになったのがこの本です,というわけだ。
なるほど,人間のからだは水の入った革袋だと思え,という野口体操の説く根拠はここにあったのか,とわたしは納得した。そして,蛇になったり,手足を人にゆすってもらったりする,いわゆる「脱力」を基本とする野口体操の原理はここからきているのか,と。それは,わたしたちが学生時代に学んだ「体操」とはまるで別世界だった。デンマーク体操やドイツ体操などの影響を受けてラジオ体操が考案された経緯とはまるで異なる,三木成夫さんの人間学(発生学)に立脚したものだったのだ。不思議に思って,当然だったわけだ。
この三木先生は,じつは,大のトラ吉(阪神タイガース・ファン)だったそうで,よく,大学をさぼって内緒で甲子園まで足を運んでいたという(古き,よき時代だった)。そして,ある日,いつものように内緒で甲子園にでかけてスタンドで熱心に応援をしていたときのこと,選手の名前は忘れたが,9回裏に逆転のホームランを打った。このときに大喜びをして,飛び上がってバンザイをした瞬間に心臓発作を起こして倒れ,そのまま死んでしまった,という。なんだか,丹生谷さんのこしらえ話ではないかと疑ったら,これはほんとうの話です,とまじめに駄目だしをされてしまった。
わたしもトラ吉のはしくれのひとりなので,なんとまあ,幸せな人なんだろう,といまでも本気で思っている。人は,こんな風にして死にたいものだ,といまも憧れている。だから,三木成夫という人の人となりとともにその名前は忘れられない。
話はこれだけでは終わらない。三木成夫さんの研究が野口体操のヒントとなり,その影響下に竹内レッスンがある。この話はまた別にしたいと思うが,こういう関係性のなかに竹内レッスンがあるということだけは,ここで指摘しておこう。こうして人間の原初の存在様態に「じかに」触れることが竹内レッスンの根幹をなすことになる。だから,竹内レッスンをより深く理解するためには,このテクストは不可欠なものだ。と同時に,21世紀のスポーツ文化を考える上でも,このテクストの存在は大きい。みなさんにもお薦めしたい。必読の書である。
内容について触れる余裕がないので,まえがきの一節を紹介しておく。それだけで,十分イメージをふくらませることができる,と信じて。
このⅡ章に登場する胎児たちは,あたかも生命の誕生とその進化の筋書を諳(そら)んじているかのごとく,悠久のドラマを瞬時の”パントマイム”に凝縮させ,みずから激しく変身しつつこれを演じてみせる。それは劫初いらいの生命記憶の再現といえるものであろうか。──中略。
胎児の演ずる変身の象徴劇は,こうして卵発生の秘儀として,代から代へ受け継がれるのであるが,この,つねに生命誕生の原点に帰り,そこから出発しようとする周行の姿,すなわち「生物の世代交替」の波模様こそ,すべての「生のリズム」を包括する,まさに「いのちの波」とよばれるにふさわしいものではないか。それは生命起源の根原をなすものでなければならない。
以上。けだし,名文である。からだのこと,あるいは人間のことを考える人にとってはバイブルに等しい。
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