ちょっと記憶があいまいなので,間違いがあるかもしれませんが,お許しください。
数日前のテレビでの話です。これがニュースだったのか,なにかのびっくり番組だったのか,たぶんニュースだったと記憶するのですが,たしかではありません。つぎのような話が紹介されました。
芸術の都・ウィーンの美術館で男性裸体像ばかりを集めた彫刻展を開催したところ,全裸で鑑賞したいという男性の申し入れが殺到し,それを許可したところ大勢の男性(映像をみるかぎり,中年から初老の太った男性が多かった)が押しかけた,というのです。さすがに下半身はボカシの入った映像でしたが,なかなかの壮観でした。「こんなとんでもないことが芸術の都ウィーンでは行われています。いったいどういうつもりなんでしょうか」という驚きの解説つきでした。
日本では,まずは,どう考えてもおかしな話になってしまいますが,ウィーンの人びとにとってはなにも驚くことでもないし,騒ぐほどのことでもありません。そういう人たちが希望するなら,時間を指定して鑑賞させればいい,というだけの話です。ひょっとしたら,女性裸体像ばかりを集めた彫刻展をやったら,女性からもそのような希望がでてくるかもしれません。たぶん,それもなんの抵抗もなく許可されることでしょう。
裸体に関しては,ヨーロッパの人びとは概しておおらかです。歴史的にみれば,1920年代の後半から30年代にかけて,かなり熱心に裸体主義運動(ヌーディスト・クラブ)が展開し,かなりの支持をえていたことがあります。老若男女が集団で裸体生活をともにしたりしていました。場所は山のなかだったり,あるいは,海岸だったり,あるいはまた,とこかの人里離れた湖畔だったりしています。当時の写真も多く残っています。本もたくさん出版されています。検索してみてください。日本の研究者による本も少なくありません。
もともとヨーロッパは北半球のかなり緯度の高いところに位置していますので,日照時間がとても短い上に,冬はほとんど太陽が顔をみせません。そのため,くる病,皮膚炎などのある種の風土病がとても多く発生しています。ですから,機会があれば,かれらは日光浴を楽しむことにとても熱心です。冬のスキー場も,滑って楽しむ人と日光浴をしている人とが相半ばというところです。日本では考えられません。日光浴も,その多くは「全裸」です。その場所も,都心の公園だったり(たとえば,日比谷公園のようなところ),森のなかの野原だったり,湖の砂浜だったり,などなど。そして,男性も女性も。日本人のわたしたちは眼のやり場に困るほどです。
ウィーンの旧市街のど真ん中にある由緒ある市営プール(屋内プール)では,一年中,水曜日の午後1時から5時まではヌーディスト・タイムがセットされていました(わたしが滞在した25年前の話ですが)。つまり,ヌーディストが集まってくる時間というわけです。それはそれは驚きの光景でした。といいますのは,プールに付設のカフェからプールの全景が見下ろせるようになっていましたので,一度だけ,後学のためにと思いコーヒーを飲みにでかけたことがあります。距離的にはかなり離れていますので,別にどうということもないのですが,わたしにとってはまことに珍しい光景でした。プールでは男女の区別もなく,みんな楽しそうに泳いだり,ベンチに坐って談笑したり,子どもたちは駆け回ったりしていました。
そればかりではありません。春まだ浅い,風が冷たい日でも,太陽が照ると自宅の庭先にマットを布いて,全裸で日光浴をしている光景は,都心から離れた住宅地ではよくみかける光景でした。それは夏の間も,そして,秋が深まりゆくぎりぎりまでつづく,ごく日常的な光景でした。道を散歩していると,そういう光景に出あうのは当たり前のことでした。そこに生まれ育った人びとにとっては,ごくふつうのことなのです。
「文化の妙」としかいいようがありません。
日本でも,わたしの子どものころの田舎では,夏になると庭先でみんな行水をしていました。一仕事終えて畑から帰ってきた夕刻どきの,ごくふうつの風物でもありました。おばちゃんもおねえちゃんも,みんなすっぽんぽんで行水していました。道行く近所の人とそのまま話をしたりしていました。街中から疎開して,寺で育ったわたしにはとても珍しかったので,よく覚えています。
田舎ののどかな光景でした。思い出はすべて美しいものです。懐かしささえおぼえます。古き良き時代のイメージというものはこうして創造されるものなのでしょう。伝統も同じです。
数日前のテレビでの話です。これがニュースだったのか,なにかのびっくり番組だったのか,たぶんニュースだったと記憶するのですが,たしかではありません。つぎのような話が紹介されました。
芸術の都・ウィーンの美術館で男性裸体像ばかりを集めた彫刻展を開催したところ,全裸で鑑賞したいという男性の申し入れが殺到し,それを許可したところ大勢の男性(映像をみるかぎり,中年から初老の太った男性が多かった)が押しかけた,というのです。さすがに下半身はボカシの入った映像でしたが,なかなかの壮観でした。「こんなとんでもないことが芸術の都ウィーンでは行われています。いったいどういうつもりなんでしょうか」という驚きの解説つきでした。
日本では,まずは,どう考えてもおかしな話になってしまいますが,ウィーンの人びとにとってはなにも驚くことでもないし,騒ぐほどのことでもありません。そういう人たちが希望するなら,時間を指定して鑑賞させればいい,というだけの話です。ひょっとしたら,女性裸体像ばかりを集めた彫刻展をやったら,女性からもそのような希望がでてくるかもしれません。たぶん,それもなんの抵抗もなく許可されることでしょう。
裸体に関しては,ヨーロッパの人びとは概しておおらかです。歴史的にみれば,1920年代の後半から30年代にかけて,かなり熱心に裸体主義運動(ヌーディスト・クラブ)が展開し,かなりの支持をえていたことがあります。老若男女が集団で裸体生活をともにしたりしていました。場所は山のなかだったり,あるいは,海岸だったり,あるいはまた,とこかの人里離れた湖畔だったりしています。当時の写真も多く残っています。本もたくさん出版されています。検索してみてください。日本の研究者による本も少なくありません。
もともとヨーロッパは北半球のかなり緯度の高いところに位置していますので,日照時間がとても短い上に,冬はほとんど太陽が顔をみせません。そのため,くる病,皮膚炎などのある種の風土病がとても多く発生しています。ですから,機会があれば,かれらは日光浴を楽しむことにとても熱心です。冬のスキー場も,滑って楽しむ人と日光浴をしている人とが相半ばというところです。日本では考えられません。日光浴も,その多くは「全裸」です。その場所も,都心の公園だったり(たとえば,日比谷公園のようなところ),森のなかの野原だったり,湖の砂浜だったり,などなど。そして,男性も女性も。日本人のわたしたちは眼のやり場に困るほどです。
ウィーンの旧市街のど真ん中にある由緒ある市営プール(屋内プール)では,一年中,水曜日の午後1時から5時まではヌーディスト・タイムがセットされていました(わたしが滞在した25年前の話ですが)。つまり,ヌーディストが集まってくる時間というわけです。それはそれは驚きの光景でした。といいますのは,プールに付設のカフェからプールの全景が見下ろせるようになっていましたので,一度だけ,後学のためにと思いコーヒーを飲みにでかけたことがあります。距離的にはかなり離れていますので,別にどうということもないのですが,わたしにとってはまことに珍しい光景でした。プールでは男女の区別もなく,みんな楽しそうに泳いだり,ベンチに坐って談笑したり,子どもたちは駆け回ったりしていました。
そればかりではありません。春まだ浅い,風が冷たい日でも,太陽が照ると自宅の庭先にマットを布いて,全裸で日光浴をしている光景は,都心から離れた住宅地ではよくみかける光景でした。それは夏の間も,そして,秋が深まりゆくぎりぎりまでつづく,ごく日常的な光景でした。道を散歩していると,そういう光景に出あうのは当たり前のことでした。そこに生まれ育った人びとにとっては,ごくふつうのことなのです。
「文化の妙」としかいいようがありません。
日本でも,わたしの子どものころの田舎では,夏になると庭先でみんな行水をしていました。一仕事終えて畑から帰ってきた夕刻どきの,ごくふうつの風物でもありました。おばちゃんもおねえちゃんも,みんなすっぽんぽんで行水していました。道行く近所の人とそのまま話をしたりしていました。街中から疎開して,寺で育ったわたしにはとても珍しかったので,よく覚えています。
田舎ののどかな光景でした。思い出はすべて美しいものです。懐かしささえおぼえます。古き良き時代のイメージというものはこうして創造されるものなのでしょう。伝統も同じです。
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