2014年6月3日火曜日

『美味しんぼ』の「鼻血」騒動を考える。

 こころやさしい友人のNさんが,入院生活の暇つぶしに,とにんまり笑って『美味しんぼ』の「福島の真実」23話と24話(最終回)をコピーして手渡してくださいました。世の中,大騒ぎをしているのに,わたしは読んでいなかったので,これはとても助かりました。

 作・雁屋哲,画・花咲アキラによる『美味しんぼ』は,この「福島の真実」で第604話(これだけて24回の連載)にもなる超ロングの連載であること,そして,この漫画にはしっかりとした思想・哲学の芯が一本とおっていること,さらに徹底した現場調査主義を貫いていること,こうした積み重ねの上での雁屋氏の最終的な結論=決断を導き出すという,みごとなまでの手法をとった作品であることを,まずは,念頭において考える必要があると思います。

 わたしは,ずいぶん前に(もう,何十年も前に),教え子(現在,中学校教師)から,ぜひ,これを読んで感想を聞かせてくれと段ボール箱いっぱいの『美味しんぼ』の単行本が送られてきて,そのとき,初めて大まじめに読みました。たかが漫画ではないか(当時はいまほど漫画の評価は高くなかった),くらいの軽い気持で読み始めましたら,とんでもない,きわめて重いテーマが重奏低音のように鳴り響いていることを知り,びっくり仰天した記憶がいまも鮮明に残っています。

 こうして何十年にもわたって雁屋氏が全体重をかけて取り組んできた作品を,たった一点だけ,重箱のすみをつつくようにして,「鼻血」が出た・出ないということだけを言挙げし,「風評被害」の名のもとに葬り去ろうとする,このなんともおぞましい歪んだヒューマニズムが台頭している現在の日本の風潮をこそ,恐ろしいと心底思っています。わたしは,ことばの正しい意味での「批評精神」に支えられた,しっかりとした「批評」のまなざしが欠落したまま,単なる上滑りなやすっぽい「評論」だけが一人歩きしている今回の騒動こそが,日本病という救いがたい大きな病の病根にある,と考えています。

 病室にいる間,それこそ「暇つぶし」に,何回も何回も読み返してみました。とりわけ,最終回に寄せられた識者,行政,団体などの文章をつぶさにチェックしてみました。もう,唖然とする以外にない,というのが率直なわたしの感想です。唯一,救われるとすれば,この「パンドラの箱」をひっくり返したような玉石混淆の「論調」こそが,現代日本の現実なのだ,ということを露呈させてくれた,ということでしょうか。それはそれは恐ろしいほどの「無責任」が,しかも稚拙な文章でつづられています。しかも,それが正しいと本人は信じて疑わない,この姿勢が恐ろしい。けれども,ピカリと光る識者の見解も掲載されていて,多少とも救われます。

 「鼻血」はでる人はでる,でない人はでない。線量の多寡に関係なく,低線量でも,でる人はでる,でない人はでない。たとえば,肥田舜太郎氏のいう「ペトカウ理論」や,チェルノブイリの「報告書」によれば,低線量による内部被曝の方がはるかに被害は甚大である,といいます。こういう事実を政府を筆頭に行政はひた隠しにして,年間10ミリシーベルト以下なら安全,と言い切ってはばかりません。そして,いつのまにか,わたしたちも「10ミリシーベルト」に慣らされてしまっています。しかし,この数字はとんでもない数値で,チェルノブイリでは考えられないといいます。

 一番驚いたのは,鼻血はストレスによるものであって放射能とはなんの関係もない,と言い切る識者があまりにも多いということでした。それを,わざわざ「心理的影響」とか「後づけバイアス」などということばを用いて,放射能との関係を切り離そうとしているのです。ストレスにはその原因となるストレッサーが存在します。そのストレッサーを取り除かないかぎりストレスは治癒しません。そのストレッサーこそが眼に見えない「放射能」なのですから,明らかにそこには因果関係が成立しています。ですから,それをあえて切り離そうとする識者の,意図的・計画的な「悪意」すら感じないではいられません。

 こんな事例を取り上げていくと際限がありません。一度,活字になったものは消えません。これからじっくりと時間をかけて議論していけばいいことです。

 それよりも絶対に見落としてはならないことは,雁屋氏が長年かけて,しかも全体重をかけて,「食」をとおして人間が「生きる」ということはどういうことなのかを考え,人間の「命」を守るということが,どれほど大事なことなのか,とりわけ,現代の日本において・・・,というこの視点です。そして,登場する中心人物のひとりにつぎのように言わせています。

 「福島の未来は日本の未来だ。
  これからの日本を考えるのに,まず福島が前提になる」。

 「福島を守ることは日本を守ることだ。
  であれば,俺の根っこは福島だ」。

 「風評被害」ということばは,だれかさんにとってまことに都合のいいことばなので,盛んに多用されます。なぜなら,「真実」かくしのための隠れ蓑としてまことに便利で,しかも,いともかんたんに世論を動かすことができるからです。一番大事なことは,ほんとうのことを明らかにすること,事実を確認すること,です。ここが問題解決の出発点です。ここを隠されてしまっては,どこまでいっても問題は解決しません。その最終的な被害者は国民であり,ついには,国民の「命」が犠牲になるのです。

 そこから脱出するための,一つの結論として,雁屋氏は決然として問題提起をしたのです。ですから,これだけ話題になったということは作者の思惑どおりと言っても過言ではないでしょう。問題は,それを受け止めるわたしたちの側にあります。

 どこかの雑誌が特集を組んで,さらに,議論を活性化させ,ほんとうの問題の所在を明らかにする努力をしてくれることを祈っています。そして,そこにはありとあらゆる立場の識者・経験者が登場することを。マンガ好きのアソウ君やナカザワ君も。
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