2013年7月10日水曜日

大相撲が波瀾万丈。今場所は面白い。新しい主役が登場するチャンス。

 白鵬が二日つづけてドタバタ相撲。いつもの白鵬とはどこか違う。稽古不足を指摘する相撲解説者もいるが,それだけだろうか。仕切り直しをしている間に汗びっしょりになるあのからだは,これまでにもその傾向はあったが,今場所はとくにひどい。しかも,制限時間いっぱいになったあとも,その胸・腕のあたりの汗を拭おうともしない。そのまま,最後の仕切りに向かっていく。これも作戦というか,戦略というか,でも,ちょっと奇怪しいと思う。相撲内容は間の詰めが甘い。あれでは上位には通用しない。さて,これからどこまで修正していくか。

 日馬富士が不思議な負け方をした。それも,これまでに見たこともない負け方だった。高安が力をつけてきたことは間違いない。昨日の白鵬をあそこまで苦しませた力量は高く評価していい。2,3年前から,高安は強くなると目星をつけていたので,わたしとしては驚くに値しない。しかし,やや,時間がかかりすぎた。でも,これからでも遅くはない。今場所の台風の目となりそうな一人だ。しかも,将来を見据えても大いに期待できる。その高安に日馬富士が,がっぷり四つに組み合った瞬間のひねり技にからだが浮いてしまい,もろくも膝から崩れ落ちた。負けた日馬富士が一番不本意そうな顔をした。

 でも,これは,すべて日馬富士の責任だ。第一に,昨日の白鵬との一戦を意識しすぎたのか,立ち合いから守りの姿勢がみえた。消極的にすぎる。そして,がっぷり四つに組み合ったので安心したのではないか。もちろん,張手をくらって,一瞬,呆然としていたのかもしれない。しかし,その前に勝負は決していた。なぜなら,立ち合いのあの気魄に満ちた日馬富士の先手の攻撃がひとつもみられなかったからだ。昨日の相撲のように,立ち合い一気に押し込んでいく,そういう気魄の籠もった出足が,今日はまったくなかった。あれでは相撲はとれない。先場所と同じ轍を踏むことになるのだろうか。

 昨日の相撲の良さに自信を深めたのか,それとも横綱相撲を意識しすぎたのか。でも,それはちょっと違う。日馬富士の相撲は立ち合いから先手をとって,とことん攻め込んでいく相撲だ。その立ち合いからの激しい攻めを欠いてしまったら,ただの平幕の相撲になってしまう。明日からは,勝ち負けを度外視した,ほんとうにみごたえのある激しい相撲をみせてほしい。そして,終盤を全勝で飾ってほしい。それが起きると,今場所はまことに面白くなるだろう。

 高安についでの殊勲者は,栃煌山。綱取りに挑む稀勢の里に完勝。その取り口には余裕さえ感じ取られた。ここ3場所は栃煌山が勝ち越している。その自信なのか,あるいは,稀勢の里の苦手意識なのか,終始,土俵を支配していたのは栃煌山だった。稀勢の里は必死に攻めようとするが,なにひとつ通用しない。最後は,栃煌山の余裕の突き落としを食らってしまった。この決まり手は先場所と同じである。こういう苦手をつくってしまっては,稀勢の里の将来に暗雲が漂うことになる。しかも,下位の力士に。

 稀勢の里は初日の立ち合いに課題を残したように,心技体のバランスがどこか狂っている,と見受けた。とりわけ,「心」をどのようにコントロールするか,ここを克服しないかぎり横綱はみえてこない。相撲の型が未完成,というのがわたしが以前から気になっている点だ。立ち合いの攻撃から,いかにして自分得意の型に持ち込むか,という戦略や型がまったくみえてこない。たぶん,稽古場では噂のとおり他を寄せつけない強さをもっているのだろうと思う。しかし,本場所の一番はまったく違う。このハードルをいかにしてクリアするか,そこが問われている。とりわけ,後半戦に入ったときにどのような相撲を展開するか,いまから楽しみにしたい。

 もうひとりの楽しみは,蒼国来。今日,ようやく初日がでた。嬉しいだろうなぁ,と共感して涙してしまった。詳しくは言うまい。よくぞ,ここまで耐えて,本場所の土俵に立ち,初白星。感慨無量のものがあるだろう。インタビューを聞いていて涙してしまった。性格がとてもいい,という印象。かれの裁判を支えた女性ファンたちの気持ちもわかる。ソフトで,爽やかで,男前。三拍子そろっている。それでいて相撲はしぶとい。陰ながら応援したいと思う。

 十両でいえば,大砂嵐と青狼が,今日はいい相撲をとった。この二人,異色の力士ではあるが,そして,まだ粗削りではあるが,みていて面白い。つまり,味がある。これからどのように伸びてくるのか,楽しみ。

 部屋の給排水管の取り替え工事に立ち合いながら,久し振りにたっぷりと相撲を楽しむことができた。明日は,しばらく行っていない事務所で仕事の予定。こちらにも仕事がたまっている。でもまあ,元気がなにより。

2013年7月9日火曜日

今日(9日)から部屋の給排水管の取り替え工事がはじまりました。N教授の授業に出席できず,残念。

  昨夜午前3時までかかって,ようやく工事がしてもらえる状態にまでこぎつけました。狭い部屋にびっしりとものを詰め込んでしまい,ものを捨てるということをしてこなかったツケがここにきて露呈。これからは気をつけなくては,と大いに反省しています。

 そのむかし,わたしの親しくしていた友人のお宅にお邪魔したおりに,部屋がとてもすっきりと片づいているので驚いて尋ねたことがあります。子どもさん3人を育てながらの奥さんのことばは以下のようなものでした。収納スペースがいっぱいになった段階で,新しいものをつぎに購入したら,かならずそれに見合うものを捨てること。そして,常時,同じ状態を維持することだ,と。収納スペースからはみ出したものを部屋の隅に置かないこと,と。必ず廃棄処分にすること。なるほど,理屈はそのとおりですが,なかなかできることではありません。

 でも,ならば,われらも・・・・とそのときは固い決意をしました。そして,そのはずであったのですが,ついつい捨てられない症候群とやらの病魔に侵されてしまい,どの部屋も不用品で満杯です。その結果,必要なものが,すぐには見つかりません。ですから,この機会に一大決心をして不要なものは「捨てる」ことに徹しました。が,勇気が足りないというか,ものがなかった時代に育った人間の性というべきか,その大半は捨てることができないまま,段ポールの箱に入れたまま残ってしまいました。ですから,工事が終ってから旧に服するときに,相当に思いきって「選別」をし,さらに「捨てる」ことに全力を投球しなくてはなりません。

 その大半は書籍です。大した分量のものではないのですが,やはり長年かかって買い込んだ本の量ははんぱではありません。とりわけ,金銭的に苦労した時代に購入した本は,変色して,表紙もボロボロになっていて,もはやなんの役にも立たないことがわかっているのに,こういうものほど愛着が強くて,捨てることができません。まあ,自分たちの居住空間を本に奪われたまま,生涯を送ることになるのかなぁ,と半分は諦めています。

 でも,最近はやりの「終活」をいまのうちにやって置かなくてはいけない,と今回の片づけ仕事をしながらしみじみ思いました。工事が終って,ベランダに出してある書籍をもとに戻すときに,最小必要限度のものだけを手元に残すことにして,あとは,娘夫婦とも仲良くしていてくださる,信頼できる人に託そうと考えています。娘夫婦もあの人なら,と言ってくれていますので,それが一番かと考えているところです。

 この調子では,この夏休みは本の片づけだけで終ってしまいそうです。でも,いつかはこれをしなくてはならないわけですので,ちょうど,そのタイミングが今回の給排水管の取り替え工事によって現実になってきたのかもしれません。だとしたら,素直に,これを神様の啓示だと信じて,とりかかろうと決心しているところです。

 でも,この夏休み中に書かなくてはいけない原稿も山ほどあって,困ったなぁと思案投首。こころを鬼にして,ここではじめをつけないことには,もう,このあとはないだろうと思います。ここまでは,考えられるのですが,それを実行するにはもうひとつパワーが必要です。それは若さです。もう一度,この若さをとりもどして,書籍の分別に取り組んでみようと思っています。

 そうか,部屋を片づけるということは,若さを取り戻すことなんだ,と知りました。が,それができるかどうかは,やってみないことにはわかりません。でもまあ,こんな予期せざることがつぎからつぎへと起こるから人生はやっていかれるのかもしれません。まあ,そんなことをエンジョイするくらいの気分で,これから取り組もうと思っています。

 というようなわけで,今日はとっておきの火曜日のN教授の授業に出席することはできませんでした。初めて,わたしの個人的な理由で欠席することになってしまいました。今日も工事の進みゆきをみとどけながら,そして,工事責任者とあれこれ相談しながら,いまから行けばN教授の授業には間に合うなぁと思いつつ,やはりこの場を離れることは無理でした。

 先週の予告では,いろいろと映像資料をみながら,学生さんを交えた議論が展開されたのではないだろうか,と想像しています。いつも,一緒に傍聴に行かせていただいている太極拳仲間のKさんからお話を聞かせてもらおうと思っているところです。

 というようなところで,今日のわたしのレポートはこれでお終い。







原発再稼働はありえない。なのに5原発10基再稼働申請(プラス2原発も近々)。

 東電社長と新潟県知事の交渉の一部がテレビで流れ,みていてものの哀れを感じてしまった。いわゆる他流試合となると,東電社長という人間の器の小ささばかりが目立ち,新潟県知事の怒りをにこやかな笑顔で抑え込んだ人間の大きさが,強烈な印象となって残った。いわゆる既得権益者集団のなかで立身出世してきた人間は,なるほど右を見,左を見,上を,下を見ながらみずからの才覚で身の振り方を考え抜いてきた「優等生」には違いないだろう。しかし,既得権益集団の一歩外にでて,他流試合となると,相手の度量の大きさに飲まれてしまって,とたんに顔は凍りついてしまう。とても,とても相手を説得するなどという気魄もなにもない。ただ,伝えるだけ。説得とはほど遠い。

 ということは,同情したくなる点もないわけではない。なぜなら,自分たちの主張を相手側が飲んでくれるということは,最初から不可能だと承知しているからだろう。なぜなら,みずからの言い分が,既得権益集団(=原子力ムラ)の中では「常識」であるが,一歩外にでたら「常識はずれ」であるということがわかっているからだ。

 ということは,世間の「常識」は既得権益集団にとっては「非常識」,既得権益集団の「常識」は世間の「非常識」,ということだ。このギャップを埋める努力もしないで,原発再稼働ありきで突き進もうとする。なぜなら,政府自民党が後押しをしてくれるから。いまの自民党人気に乗っかれば押し切れる,という甘い判断がみえみえだ。だが,あれほど元気のいいふりをみせている安倍首相は,この「再稼働」の問題については「沈黙」を守っている。なぜ?票の増加につながらないからだ。だから,原発に関してはなんとか蓋をして「経済一本」で押し切ろうという作戦にでる。

 しかし,原発再稼働に踏み切ると最終的に日本の経済は破綻をきたすことはだれの目にも明らかだ。使用済み核燃料をとのようにして最終処理を行うのか,その方法すらまだみつかってはいない。一説によれば「不可能」だ,と専門家たちはいう。だとしたら,半永久的にこの使用済み核燃料の子守を子々孫々にいたるまで引き受けなくてはならない。この費用はだれが負担するのか。そこまで計算して「採算」を考えているのか。だとしたら,原発は「安上がり」だという根拠をもっと明確に提示してほしい。わたしたちが知らされている「採算」の積算の基礎は「単位時間」当たりのコストの比較でしかない。それは違うだろう。

 原発再稼働しか考えない政府自民党と,いちはやく原発廃止を決めたドイツ政府とでは,その思考回路が真反対だ。日本国政府は一度,手にした既得権を手放そうとはしない。権力の中枢にいる人びとが寄ってたかって既得権益を守ろうとする。多くの国民を犠牲にしてでも,わが身の保身のために盲目的に突き進む。ドイツ政府は「国民」にとって原発エネルギーと再生可能エネルギーのどちらが「幸せ」につながるかを熟慮した上で,再生可能エネルギーを選択した。国民の圧倒的多数がこれを支持し,政府と国民とが一丸となって再生可能エネルギーを確保するために,ありとあらゆる智慧を出し合って,その実現に向けて邁進している。しかも,それが驚くべき早さで進んでいて,近く「電力輸出国」になるという。

 やればできる。ドイツにできることが,なぜ,日本ではできないのか。その最大のネックになっているものが既得権益集団である。政・官・財・学・報の「五位一体」となったこの既得権益集団(またの名を「原子力ムラ」という。そういえば,近頃,この「原子力ムラ」ということばが消えつつある。なぜか。どこかから圧力がかかったことは間違いない)が,いまや,日本の中枢を占め,一致団結して国を動かそうとしているからにほかならない。この集団に対して日本国民は甘い。上意下達,寄らば大樹の陰,という江戸時代からの悪しき慣習行動が,いまも生きている。情けないことこの上ないが,その甘えの構造は間違いなく存在している。

 ドイツ国民には,自分たちが国を動かしているという自覚と自負がある。賢明なるドイツ国民は「フクシマ」を教訓にして,脱原発を「即決」した。そのときの決断の最大の根拠は「人の命」を最優先するという考え方である。そして,そのことのためなら国民は一致団結して行動を起こす。それには立派な実績ももっている。

 たとえば,西ドイツ時代(1960年代)の「ゴールデン・プラン」がある。国民の多くが過食・運動不足のために肥満体となり,成人病が多発した。そのため労働力の低下,医療費の増大,など連鎖的に国力の低下をもたらすという結果にいたる。その対策として考えられたのが「運動の促進」「健康の保持増進」運動であり,そのための「施設づくり」であった。国民一人あたりの運動施設面積を割り出し,それを実現しようという遠大な計画であった。そして,そのための金を国が半分,あとの半分は国民が負担する,ということを決めて,国民は募金運動を展開した。

 ところがである。目標としていた募金が,期限前に倍以上も集まってしまった。そこで,急遽,「ゴールデン・プラン」をさらに大きな規模に練り直すことになった。そうして,さらに「10年計画」を立て,「第二次ゴールデン・プラン」を実行に移していった,という実績をもっている。それが,こんにち,ドイツのどこに行っても見られる立派なスポーツ施設だ。

 日本でも,ひところ,各地方自治体が中心になって「ゴールデン・プラン」の日本版をめざしたが,さしたる成果はあがらなかった。なぜなら,市民が「募金」に応じなかったからだ。笛吹けども踊らず。こういう箱ものは国や自治体がやるものであって,国民・市民はそれをありがたく頂戴する,という受け身の姿勢から抜け出ていない。残念ながら,江戸時代からの慣習行動から,いまも抜けきれていないのだ。

 しかし,いつまでもそんなことではいけない。スポーツ施設ができなくてもいい,橋が架からなくてもいい。しかし,国民の「命」にかかわる原発だけはなんとしても回避しなくてはならない。このことに関しては,若いお母さんたちはみんなわかっている。そして,若い世代の人びとも関心は高い。なぜなら,まだまだ,未来に向けて「生きて」いかなくてはならないからだ。

 一番,鈍感なのは,既得権益に身をすり寄せることによって甘い汁を吸うことを覚えてしまった世代から上の世代だ。困ったことに,こういう世代が国の中枢を占めている。この人たちに目覚めてもらうしかない。

 こんどの参院選は,この原発問題だけは自分の選挙行動の起点においてほしい。つまり,選挙の「争点」から外してはならない。その意味で,日本の未来を決する重大な選挙だ。慎重に,慎重に。そして,一大決心を。

2013年7月8日月曜日

稀勢の里の綱取りはなるか。日本人横綱誕生の期待に応えられる「こころ」ができているか。

 稀勢の里が一回で立てなかった。豪風が2回もつっかけることになり,ひたすら豪風が土俵下の審判委員に頭をさげるシーンがテレビに映った。しかし,わたしの眼には,立ち合いのタイミングをはずしたのは稀勢の里にある,とみえた。タイミングをはずしたというよりは,むしろ,稀勢の里は「立てなかった」のではないか,とみた。

 綱取りのかかった場所の初日。緊張するのはとてもよくわかる。とにかく初日に勝って流れをつくりたい・・・これは綱取りの力士にかぎらず,だれも同じ。いずれにしても,この場所を占うことになる初日の勝ち負けは重要である。だから,どの力士も真剣そのものの顔をしている。だから,初日の相撲は面白いのだ。よほどのことがないかぎり,初日に八百長を仕掛ける力士はまずいない。だから,この場所の活躍を占うことができるのは初日,とわたしは考えてきた。

 その意味で,今日の稀勢の里の相撲は注目した。相手の豪風は小兵ながら,脇を締めて相手の腕を挟み付けるようにして前にでる,そして,相手の力を真っ正面から受けた瞬間に,その力をかわして逆襲にでる,それがかれの相撲だ。そんなことは稀勢の里は百も承知。だから,どのような相撲をとるか,は事前に充分に考えてきたはずだ。にもかかわらず,一回で立てない。いかにも慎重に仕切っているようにみえたが,どう考えても豪風の仕切りについていかれない精神状態にあったのではないか,とわたしはみた。だから,とても不安だった。

 わたしの眼には,なぜ,稀勢の里はあのタイミングで立たないのか/立てないのか,と不思議だった。やはり緊張しているんだ,とみた。その理由は,3回目も前2回とほとんど同じような流れの仕切りで,稀勢の里が立つという意志を露にして,ようやく立ち合いが成立。つまり,2回の仕切り直しの間に,稀勢の里は自分の気持ちの整理をしていた,とわたしはみた。

 あとは,小兵の豪風を徐々に,徐々に圧力を加えて自分有利の体勢をつくり,寄り切った。これで,稀勢の里はプレッシャーから解き放たれて,明日から,もっといい相撲をとることになるであろう。しかし,あえてここで苦言を呈しておくと,以下のとおり。

 今日の立ち合いをみるかぎりでは,右で張っておいて左差しに行った。しかし,右の張手は空振りだった。こんなことを稀勢の里がやるとは,わたしは思ってもいなかった。だから,やや意外だった。その結果,腰高の立ち合いになってしまった。でも,これは小兵の豪風にはよかった。いつもの稀勢の里のように一気に相手に圧力をかけて前にでる相撲ではなかったので,豪風はなすすべもなく徐々に,徐々に圧力を加えられて,最後は左四つの稀勢の里の得意の型に入って,勝負あったとなる。

 今日の相撲に味をしめてしまうと,前半戦はこれでいいかも知れない。しかし,後半戦はそうはいかない。たとえば,先場所の琴奨菊戦のように,腰高のまま立ち合い,相手の圧力を真っ正面から受けることになり,あっという間に押しこまれてしまうことになりかねない。ましてや,横綱戦ともなれば,相撲の中味がまったく違う。だから,できるだけ低い姿勢の立ち合いで,まずは,相手のでてくる圧力を受け止め,そこから自分得意の型に持ち込む,そこがポイントだ。

 さて,今場所の稀勢の里のゆくえはどうか。とにかく,初日に勝てたので,あとは気分よく連勝を重ねてほしい。しかし,上位との対戦を考えて,立ち合いの姿勢と,得意の「左」をどのように使っていくか,しっかりと試していくことが不可欠だ。そして,この得意の「左」で上位を制することができたとき,綱取りが実現するだろうと,期待している。

 この「左」を活かすも殺すも,あとは稀勢の里の「「こころ」の問題。ここが横綱になるための最後のハードル。ここをどのようにして越えていくか,横綱になれる力士となれない力士の違いだ。でも,過去の横綱たちはみんなここを通過していったのだ。さて,稀勢の里はどのようにしてこの「こころ」の問題をクリアしていくのか,楽しみはむしろこちらにある,とわたしはみている。勝ち負けを度外視して,自分の相撲を取りきる,そこに徹することができるようになったとき,「綱」がみえてくる。

 稀勢の里の相撲に関しては,わたしは,これまでとても辛口の批評をしてきた。それは,いまも変わらない。なぜなら,これまでの稀勢の里に日馬富士や白鵬を圧倒するだけのパワーがあるか,と問われれは「ノー」としか答えようがないからだ。稀勢の里よ,あわてることなかれ,日馬富士と白鵬を圧倒するだけのパワーを身につけてからでいい。その方が日本相撲協会の隆盛のためにいい。正統派大相撲ファンを納得させる横綱になってほしい。

 さて,あと14日間,楽しみである。

2013年7月7日日曜日

「熱中症にならないように惜しみなくエアコンを使いましょう」だって?NHKのニュースで。

 熱中症のニュースが飛び交っています。そして,水分の補給に充分注意するように,とさも非常事態であるかのようにメディアが騒ぎ立てています。ご丁寧にも,エアコンを惜しまずに使いましょう,となんとNHKのニュースで流れました。

 ああそうですか,一般家庭でもエアコンを惜しまずにどんどん使え,と公共メディアが指示するんですか,ととたんにへそ曲がりの虫が騒ぎだしました。いらぬお世話です。暑ければどうするかは,個人で考えること。その対策もそれぞれの場所や条件に合わせて考えること。それをわざわざ「エアコンを惜しまず使え」と?いったいNHKさまは何様なの?

 わたしに言わせれば,エアコン依存症になっているから,すぐに熱中症にやられてしまう,ただ,それだけ。だから,日頃からできるだけエアコンに依存しない生活の仕方を工夫すべきだ,ということになります。

 たしかに今日はこれまでにもまして暑かったことは間違いありません。しかし,風もいつもよりはよく吹いていて,かなり涼しくもありました。わたしは今日は朝から必死で部屋の片づけをしていました。なにせ,9日(火)の朝から一週間かけてマンションの部屋の給排水管の総入れ換えの工事がはじまります。そのために,給排水管のとおっている部屋の荷物はすべてどかさなくてはなりません。結論的に言えば,約半分の部屋を空にして,その荷物を残りの部屋に入れなくてはなりません。そんなことはとてもできません。したがって,この際,不要と思われるものをどんどん捨てなくてはなりません。その選別と荷造り,そしてゴミ置き場までの運搬,となかなか大変なのです。ですから,朝から丸一日,肉体労働がつづきました。たしかに暑くて汗をいっぱいかきました。

 でも,窓という窓をすべて開放すると,風が強すぎて涼しすぎるくらいでした。ですから,窓を開ける度合をコントロールしながら,肉体労働をしていました。それでも,汗はかきますし,喉も乾きます。当然のことながら,作業は水分を補給しながら。でも,わたしは夏の水分は冷たい水ではなく,熱いお茶を飲むことにしています。その方がわたしのからだには具合がいいということを,長年の経験で知っています。

 今日の作業の途中で,段ボールが足りなくなり買い出しにでかけました。ついでに,食材なども買い出しにとスーパーとコンビニにも立ち寄りました。が,段ボールを売っている「ハウス・センター」のエアコンは弱冷房になっていて,とても快適でした。が,スーパーとコンビニは,あまりに冷やしすぎていて,寒くて長くはいられませんでした。汗ばんだ皮膚には冷たい空気は過剰に効いてきます。あっという間に皮膚の温度が下がってしまって,寒くて仕方がありません。

 そういえば,しばらく前からわたしの住んでいる近くのデパートもスーパーもコンビニも,がんがんにエアコンを効かせています。女性の店員さんたちの多くはカーディガンを羽織っています。足元をみると,みんな長いソックスをかなり上まであげて履いています。これでなくては耐えられないのでしょう。そこへ,わたしのような人間が,Tシャツに短パンで,サンダル履きで(外ではこれでも暑い),入っていきます。一度に冷やされてしまって,とても長くはいられません。駆け足で(ほんとうに走って),必要最小限のものを買って,外に飛び出しました。いったいお客さんの都合というものを考えているのだろうか,と首をかしげてしまいます。

 そのむかし,生理学の授業で,人間の体温調節の適応範囲は「7℃」までだ,と教えてもらったことがあります。つまり,部屋の外と中の温度差が「7℃」であれは,人間のからだは自動的に調節できる,というのです。その温度差を超えたら,一枚着るなり,脱ぐなりしなければならない,と。ですから,エアコンの温度調節は,外気の温度よりも「7℃」の範囲で下げればいいわけで,それ以上下げると着衣によるコントロールが必要になる,というわけです。

 NHKが流すべき情報はこのようなことであって,「惜しみなくエアコンを使え」ということではないはず。「7℃」の範囲内で,上手にコントロールしましょう,というべきなのに・・・・。

 「えっ?」「惜しみなくエアコンを使え」だって?
 ああ,NHKも東電と同じ既得権益を保持するために一致団結しているグループなんですね,そして,政府自民党にみえみえのエールを送っているんですね。この選挙運動の最中に。これって「選挙違反」にならないの?のみならず,自民党が過半数を獲得する「勢い」とかいって,それに関するニュースをご丁寧に流すのも,おやおや?です。こういう情報の流し方も,わたしには立派な「メディア・コントロール」にみえてきます。まさに,メディアこそが自分たちに都合のいい偏向情報だけを流して,民意を操作しようとしているではないか,と。

 やはり,わたしたち一人ひとりが相当にしっかりと「メディア・リテラシー」をしっかり身につけ,自衛していないと,メディアの思うままに操られてしまうことになりかねません。

 何気ないNHKのニュースのなかにも,悪質な「毒」が潜んでいますので,要注意です。クワバラ,クワバラ。

 熱中症にかからないように惜しみなくエアコンを使いましょう・・・・なんとおみごとなことか。
 これとまったく同じ情報に「お中元はいつもより2~3割高めの商品が人気」「景気が回復しているらしい」というものもあります。思わず「バカヤローッ」とテレビ画面に向かって吼えてしまいました。気をつけなくては・・・・。クワバラ,クワバラ。

2013年7月6日土曜日

政党党首の書いた文字をみてびっくり。う~ん。

 いまどきの政治家は,色紙を書いたり,掛け軸になるような揮毫をしたりすることはないのだろうか。昨夜のNHKのニュースをみていて驚いた。4日の参院選の公示を受けて,一斉に選挙運動に入った各政党党首に問う,というかたちで特番が組まれていた。たぶん,ご覧になった方も多いことと思う。

 NHKのアナウンサーと政治部の記者が交互に,各政党党首に質問をするという形式で進められた。その質問の仕方も,わたしには不満だらけであったが,それはもういつものことなので,この際は問わないことにする。それ以外の、まことに些細なことにみえるかもしれないが,わたしにとっては一大事だと感じたことを書いてみたい。

 各政党党首は,NHKが用意した三つの質問に対してその考えをボードに書かされて,それを自分の映像の前に立ててみせながら,再度,質問に答えるということを「演じさせられた」。みなさん大まじめにお答えになっていたのだが,その構図がなんとも漫画チックで可笑しかった。その効果を上げたのが,ボードに書かれた各政党党首の「文字」だった。

 まともな「文字」が書けていたのは,海江田氏と小沢氏ともうひとり女性の代表だけで,あとの党首たちは,みるも無惨。これが政党の党首と呼ばれる人たちの書く「文字」なのかと大いに失望した。平均点は「中学生」なみ。およそ「文字」というものが本来どういうもので,それを読む/見る人にどのような印象を与えるか,なにも考えていないかのようだ。もちろん,それがその人の性格を期せずして露呈するものでもある,などということには一切無頓着の様子。まあ,読めりゃあいいんだろ,というような「投げやり」の姿勢がわたしにはもろに伝わってきた。

 海江田氏は,これまであまりいい印象はなかったが,この人の書いた「文字」をみて,ああ誠実な人なんだなぁ,と思った。まじめに,きちんと楷書で,整った「文字」になっていた。上手・下手は問わない。一生懸命に書いたな,つまり,気持ちの籠もった「文字」だな,と伝わってきた。ただ,欲を言えば,もう少し「力」のある「文字」を書いて欲しかった。党首なのだから。

 それと同じことが,小沢氏にも言える。辣腕・小沢というイメージがゆきとどいている割には,「文字」は小心者。余白をいっぱい残したまま,小さな文字で,律儀にきちんと書かれていた。まあ,褒めるとすれば「隙のない文字」。さあ,どこからでも掛かってこい,と言わぬばかりの「守り」の文字。なるほど,囲碁好きの小沢氏らしく,まずは「守り」から入るというわけか。

 もうひとりの女性(名前を間違えるといけないのでこのままにする)は,しっかりと視聴者に読まれることを意識して,デザインまでされていた。漢字を大きく,ひらがなを小さく,そして,全体のバランスまできちんと配慮されていた。この人は,あらゆることに神経を行き届かせて,他人に不快感を与えることのないように,という心配りのできる人かなぁ,と想像した。

 あとの人は,なにを考えているのか,いや,なにも考えないで,ただ書いた,という「投げやり文字」。安倍氏は,その意味では天真爛漫。これがときの総理大臣の文字とはとても思えない。かえって,あまりに無邪気・無神経・無防備な文字に,この人,大丈夫?という不安をいだいてしまう。もっとひどかったのが橋下氏の文字。中学生以下,小学生上級生の悪筆のレベル。まさに,傍若無人。読む人,それを見る人のことなど眼中になし。書きゃーいいんだろっ,という腕白坊主そのままの性格が文字にみごとに露呈している。その意味でとてもわかりやすかった。

 あとの人のことは割愛。論評するに値しないということ。

 わたしの記憶では,むかしの偉大なる政治家と呼ばれた人たちは,その多くが立派な書を残している。勢いのある「力」の籠もった書をあちこちでみかけ,その個性的な書が,わたしの印象に残っている。明治の人たちは「書」を嗜むことが教養のひとつだったとも聞く。それが,時代とともに書の文化が廃れていく。いまでは,手紙の代わりに,すべてパソコンで書いて,そのまま送信して終わり。文字を手で書くことはどんどん減っていく。だから,文字に対する感覚もほとんどなくなってきている。文字は試験の答案を書くためのツールくらいにしか考えてはいないらしい。そこでは文字の上手下手は問題にされない。

 むかしの武将はこぞって「力」のある文字を書いた。あの教養がないといわれた豊臣秀吉ですら,文章の中味はともかくとして,書く文字は桁外れに「威力」をもっていた。誰はばかることもない天真爛漫さに加えて,気魄が相手の武将を圧倒するような「力」をもっていた。だから,かれの書はわたしのこころを釘付けにしてきたし,味があってわたしは大好きである。

 文字は体を表す。そして,性格を表す。その人の身振りを表す。つまりは,その人のすべての要素が凝縮しているパフォーマンスのひとつなのだ。もっと言ってしまえば,文字はもともとは「呪文」を表すもので,書く人の魂が籠もっているものだ。だから,なにも考えないで文字を書く人の気持ちは,そのままに伝わる。つまり,気持ちが籠もっていない,と。

 テレビ・カメラの前で,自分で書いたボードを持たされて,それをもとにして質問がなされる。視聴者はじっとそのボードに書かれた文字に注意をそそぐことになる。場合によっては,ボードだけがクローズアップされて,人物の顔さえ画面からは消えている。こうなると,ボードに書かれた文字が,その人の顔の代役となる。

 だから,がさつな人はそのまま文字に表れていて,とてもわかりやすい。武者小路実篤のように,ヘタウマという文字もある。それが度を超えているので,ある「呪力」をもちはじめる。となると,何回見ても飽きない味がでてくる。だから,色紙として大切にされた。武者小路実篤の書の根底にながれていたものは「誠心誠意」である。

 いまの政治がハチャメチャにみえるのも,この政治家たちの書いた文字を眺めながら,なんとなく納得してしまった。もちろん,立派な文字を書かれる政治家も少なくないと思う。たとえば,江田五月さんなどは立派な書家の域に達している。だから,この人の揮毫された文字はあちこちでみかける。切れ味のいい鋭い文字である。が,欲をいえば,政治家らしい太い線がとぼしい。

 いまの学校現場が乱れてしまうのも,きちんとした気持ちの籠もった文字の書ける先生が激減してしまったことと,どこかで符号しているように思えてならない。

 以上,政党党首の書いた文字雑感まで。
 ひとこと断っておけば,「筆跡学」はわたしの趣味のひとつ。

2013年7月5日金曜日

『読売新聞』社説 「尖閣問題を紛争のタネにするな」(1979年5月31日)を読む。エッ? まさか?

 びっくり仰天するような「社説」に出会いましたので,紹介したいと思います。ブログの見出しにも書きましたように「尖閣問題を紛争のタネにするな」と,こともあろうに『読売新聞』の社説が主張していたという事実です。1979年5月31日。この時代には,『読売新聞』ですら,こんなに「健全な」主張を社説をとおして展開していた,ということを知り驚いた次第です。それに引き比べ,いまの大手新聞の堕落ぶりには呆れ果ててしまいますが・・・・。

 ネタ元は,『「対米従属」という宿痾』(鳩山由紀夫,孫崎亨,植草一秀共著,飛鳥新社,2013年6月27日刊,P.136~138)。この話がでてくる節の見出しは「尖閣問題の出発点は田中角栄・周恩来間の棚上げ合意」というものです。

 問題の社説には,つぎのようなことが書かれている,と孫崎亨氏が丁寧に紹介し,問題の本質がどこにあるのかを鮮明にさせています。その要旨は以下のとおりです。
 「日中双方とも領土主権を主張し,現実に論争が”存在”することを認めながら,この問題を留保し将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた。それは共同声明や条約上の文書にはなっていないが,政府対政府のれっきとした”約束ごと”であることは間違いない。約束した以上は,これを順守するのが筋道である」,と。

 この社説については,該当ページ(P.137.)に写真も乗せ,巻末には全文が資料として掲載されています。この事実を確認した上で,さらに3人の意見交換がそのあとにつづきます。とてもスリリングで,重要な内容がふくまれています。ぜひ,ご一読いただければ・・・と思います。


 そこでの議論の入り口のところを紹介しておきますと,以下のとおりです。

 日本政府の主張は,「尖閣列島は”先占の法理”によって日本の領土になっており,中国も1970年代までは文句を言ってこなかった」の一点張り。

 この点について,孫崎亨氏がきわめて重要な指摘をしていますので,少し長いですが,紹介しておきたいと思います。

 「日本政府は1895年に,尖閣列島にはどの国の主権も及んでいないという10年間の調査の結果をふまえて,これを日本の領土だと宣言します。これが”先占の法理”と言われるものですが,この”先占の法理”とは,ある時期の植民地支配の理論でもあるわけです。例えば,中東遊牧民のベドウィンが歩いているような地域は,誰の支配も確立していな無主の地であるから,先に宣言した欧州列強の領土であるという理論だったわけですが,この理論は,いまでは国際司法上はあまり大きなウェイトを占めていないと思います。中国は,明,清の時代,周辺地域に対して非常に大きな影響力を持っていました。例えば,日本の海賊である倭寇(わこう)を討伐する人間が任命されたりしている。ということは,この地域が無主の地ではなく,中国が公権力を及ぼしていた事実があるとも考えられるわけです。
 いずれにしても田中角栄,周恩来による日中国交正常化交渉の中で,『日中双方とも領有を主張し,現実に論争が存在することを認めながら,この問題を留保しようということで棚上げになった』わけです。さらに,この”棚上げ”の確認は,周恩来の時代とトショウヘイの時代,二度にわたって行われています。」

 こうした事実確認をした上で,鳩山由紀夫,孫崎亨,植草一秀の三氏による鼎談は佳境に入っていきます。われわれには隠されていた,さまざまな事実関係が,この三氏によってつぎつぎに明らかにされていきます。とりわけ,鳩山由紀夫という血統書つきの政治家が徹底的に標的にされて,メディア・バッシングがくり返されてきたことの背景が浮き彫りになるという点で,きわめて刺激的です。なぜ,これほどまでに鳩山由紀夫という政治家が「宇宙人」だの,「言った,言わない」だの,「嘘つき」だのとメディアに叩かれるのか,わたしには不思議でした。やはり,鳩山由紀夫という政治家はよほど奇怪しいに違いない,と思い込まされていました。

 しかし,この本を読むと,眼からウロコが落ちるようにして,その背景がみえてきます。ひとことで言ってしまえば,圧倒的多数の政治家や財界のリーダーたちが「対米従属」によって獲得してきた既得権益を死守しようとするのに対して,鳩山由紀夫は,「対米自立」をめざし,既得権益を打破して,友愛の精神にもとづく政治の理想をかかげ,国民主権の政治の実現をめざすことにあるからだ,ということになるでしょうか。わけても「東アジア共同体」の理想をかかげたことがアメリカおよび「対米従属」派にとっては許しがたいことだったようです。ですから,既得権益派は徹底して鳩山由紀夫排除のためにあらゆる手段を用いたということなのでしょう。

 そうしたメディア報道に,圧倒的多数の日本人は間違いなく「洗脳」されてしまいました。わたしもそのうちのひとりであったことを正直に告白しておきましょう。ですから,だれもが鳩山由紀夫=宇宙人と思い込んでいます。しかし,そうではない,ということがこの本をとおして明らかになってきます。つまり,鳩山由紀夫=宇宙人は,メディアがでっちあげた「嘘」と「詭弁」であり,そうすることによって政治の世界から葬り去ることが目的であった,と思い至ります。

 断っておきますが,私自身は,この本に書かれていることがすべて正しい,と言うつもりはありません。そうではなくて,これまでの支配的なメディアが流してきた鳩山由紀夫バッシング情報と,この本のなかでしっかりとした事実関係を確認しながら論を展開していく三氏の議論の両方を,読み比べることが大事だ,と言いたいのです。つまり,両方の意見のあまりの隔たりが,どこからくるものなのか,素直に耳を傾けながら,みずからの思想・信条(心情も)にもとづく結論を導き出すこと,そのための,きわめて重要なテクストとしてこの本を紹介したい,ということです。

 わたしたちは,いまや,あらゆるメディアをとおして,ほぼ完璧に「メディア・コントロール」されてしまっています。そして,無意識のうちに思想・信条までもがコントロールされつつあります。そこを突き抜けるための「メディア・リテラシー」を身につけることが,いま,もっとも求められており,ひとりの人間としての基本的な能力として不可欠である,と考えています。このことは,昨日のブログにも書いたとおりです。

 しばらくの間は,この本を手放すことはできそうにありません。それほどの説得力を,いまのわたしにはもっています。

2013年7月4日木曜日

「メディア・リテラシー」で自衛せよ。(聴講生レポート・その11.)

 4週間のフランス出張からもどられたN教授の授業が7月2日(火)から再開されました。やや日焼けした顔をよくみると顎のラインがすっきりしています。おやっ?と思って全身を観察すると,以前より細身になっていらっしゃる。余分な肉は落したい,と以前から仰っていたので,さては,パリで密かに・・・?と勘繰ったりしながら,久し振りに楽しい授業を聞かせてもらいました。

 間が開いたせいか,最初のうちはシラバスのことを気になさって,その辻褄合わせの調整をなさっていましたが,いつのまにか教卓の前に立って,フリーハンドで熱弁を展開。こうなるとN教授の面目躍如というところ。やはり,シラバスなどに縛られないで,いま,現在の,その場の力に反応する臨機応変のお話の方がはるかに迫力があって,魅力的です。授業は「生きもの」なのですから。

 いつもにも増して刺激的なお話が多かったのですが,7月2日(火)の講義で,もっともわたしのこころに響いてきたお話は「メディア」の問題系でした。その中核になっているテーマは「メディア・コントロール」と「メディア・リテラシー」だと受け止めました。

 講義の冒頭で,カタール政府の肝入りで立ち上げられた放送局「アルジャジーラ」をとりあげ,このアラブ世界・アラブ人の目線から,つまり,攻撃される側から湾岸戦争(1990年)を報道するということの画期的な意味についてお話をされました。それは,それまでの戦争報道は,つねに圧倒的戦力を誇る攻撃側からの情報のみが垂れ流しになっていて,世界中のほとんどの人びとの,いま,行われている戦争のイメージを固定化するはたらきをもっていました。

 わたしも記憶していますが,戦闘機の頭にテレビ・カメラを設置して,そのカメラが映し出す映像をみながら,まるで実況中継をしているかのような報道が常態化していました。いま,標的のどこどこに命中しました。こんどは,どこどこの標的を狙っています。これです。この建物はテロリストの拠点になっていて,ここを爆撃することが重要です。照準が定まったようです。発射しました。みごとに的中しました・・・というような報道が日本のテレビにもそのまま流れていたわけです。

 ところが,そこには爆撃されて死んでいく人びとの姿はどこにも映ってはいません。しかし,実際には,大量の人間が無差別に(つまり,多くの市民を巻き込んだまま)殺されているわけです。その実態を,攻撃される側に入り込み,みずからの身の危険も辞さずという決意のもとに,爆撃され死んでいく人びとの実態を同じ地に立って,映像化して世界に向け発信していく,それがアルジャジーラという放送局でした。もちろん,アルジャジーラの多くのジャーナリストがアメリカ軍の攻撃を受けて,死んでいきました。いな,アメリカ軍はアルジャジーラのジャーナリストたちを標的にして,殺すことに血眼になっていました。

 わたしたちは,このアルジャジーラの報道をとおして,はじめて湾岸戦争のもう一つの側の実態をしることができたわけです。それでもなお,日本のメディアは,アルジャジーラの報道をほとんど無視していました。が,インターネット情報をとおして,少し頑張ればわたしたちでも眼にすることができました。

 ここで問題になっているのが「メディア・コントロール」ということです。第一に既得権益を守ろうとする人びと(日本のメディアのほとんどはそういう人びとに独占されています)にとっては,都合の悪い情報は一切流しません。その結果,どうなるのか。アメリカ軍は「正義」のためにテロリストを撲滅しているのだ,というグローバル・スタンダードを世界中の人びとに「刷り込む」ことに成功するわけです。いまでも,アメリカは「正義」の国であると固く信じている日本人が驚くほど多いのはその成果の賜物といっていいでしょう。ですから,わたしのように,それは違うよ,アメリカが聖書に対して「正義」を誓うのであれば,テロリストと呼ばれる人びと(アメリカが勝手に名づけているだけ)はイスラム教を守るための「聖戦」(ジハード)を戦う「正義」そのものだ,と主張すると白い眼でみられて多勢に無勢というみじめな扱いを受けてしまいます。どちらも「正義」を主張している以上,両者の言い分にとことん耳を傾けて,その上で,自分の考えを固めるしかありません。それが良識ある人間のすることだ,それこそが責任ある言動だ,とわたしは信じています。

 この「メディア・コントロール」の力はすでに日本の社会のなかには根強く浸透しています。ですから,わたしたちがいま,日々,受け止めている情報の大半は,まちがいなく既得権益を守る人たちにとって都合のいいものばかりです。そうでない情報はきれいに排除されています。つまり,メディアによる「浄化作用」が,意図的・計画的にはたらいています。

 たとえば,政権交代をはたした小沢一郎が,検察もメディアも一致団結して,よってたかってあること・ないことをでっち上げて叩きつぶしにかかりました。しかし,どこまで叩いてみても,裁判でそのことを立証することはできませんでした。まるで,イラクに大量破壊兵器が隠されているという前提で,イラクを叩きつぶしてみたものの,大量破壊兵器はみつからなかった,というアメリカと同じです。しかも,小沢一郎の検察調書のなかには「嘘」ででっちあげたものまであったにもかかわらず,その調書を作成した検事は不起訴です。イラクをつぶしてしまったアメリカも無罪です。こんなことが,いま,平然と日本をふくめた世界で起きているわけです。

 最近では,メディアによる「国賊」呼ばわりによる「制裁」です。この構図は,アメリカとテロリストの関係とそっくりです。政府自民党の考えに反することを言ったり,行動したりすると「国賊」扱いにされてしまいます。わたしなどは,このブログを書いたり,デモにも参加したり,改憲反対のシンポジウムにも聴講にでかけます。もはや疑いようのない「国賊」です。でも,あまりに小物ですので,まだ,「国賊」と名指されたことはありません。

 いま,その矢面に立たされているのが鳩山由紀夫です。最近,刊行されたばかりの(6月27日発行)『「対米従属」という宿痾』(鳩山由紀夫/孫崎亨/植草一秀共著,飛鳥新社)で,徹底的に裏付けになる資料まで明示して,みずからの考えを主張しているのに,今日発売の『週刊新潮』と『週刊文春』が鳩山由紀夫つぶしにやっきになっている大見出しが躍っています。『戦後史の正体』というベストセラーが話題になっている外交の専門家・孫崎亨もまた,鳩山由紀夫の言動の正当性を支持し,政治・経済の専門家でありアメリカの情報通でもある植草一秀もまた,鳩山由紀夫を支持する根拠をきわめて明確に提示しているにもかかわらず,それらに対する反論ではなくて,たんなる「誹謗中傷」だけで鳩山叩きを展開しています。

 ここで問題になるのか「メディア・リテラシー」ということです。どちらの言い分が正しいのか,どちらの言い分にわたし自身は「信」をおくのか,それを決定するための徹底的な情報の分析です。どちらの「言い分」にもそれなりの根拠があるはずです。ですから,両者の「言い分」に,まずは耳を傾けること,そこからはじめるべきでしょう。しかし,相手を頭ごなしに一方的に否定するだけでは議論ははじまりません。たとえば,「尖閣諸島が係争地であるということを認めるところから仕切り直しをするしか,中国との国交正常化はありえない」と,しかるべき根拠を提示して主張する鳩山由紀夫を「国賊」のひとことで切り捨ててしまいます。これでは,議論もくそもありません。ヘイト・スピーチそのままです。情けないことに。それでもなお,深く考えようとはしない(「思考停止」している)多くの国民を「メディア・コントロール」の力で誘導することが,真の「国益」になるのだろうか,と考えることが必要です。どちらが「国賊」で,どちらが「国益」になるのか,しっかりと見極める力が,いま,国民に問われています。

 今日(4日)は参院選の告示日です。もう,すでに「メディア・コントロール」がさまざまなかたちで展開しています。これから,ますます,激しくなってくることでしょう。それらの「メディア・コントロール」を突き抜けていく「メディア・リテラシー」で自衛するしか,いまのわたしたちにできることはありません。そして,ひとりでも多くの人たちと議論を闘わすことが必要です。ほんの少し冷静になって,情報を集め,話し合うだけで,だれが,いつ,どこで,どんな風にして,「嘘」をでっちあげ,それをまことしやかな情報に仕立て上げて,メディアをとおして流しているか,じつに鮮明にみえてきます。

 N教授の名講義を聞きながら,わたしが考えたことの一端を,レボートにしてみました。ご批判をいただければ幸いです。

2013年7月2日火曜日

『スポートロジイ』第2号,表紙の色校正がでる。


 『スポートロジイ』(「ISC・21」=21世紀スポーツ文化研究所紀要)第2号の表紙の色校正がとどきました。写真ではうまく撮れませんでしたが,シルバーの,つやのあるなかなかおしゃれな表紙になりました。キャデックの井上登志子さんにお願いしました。創刊号の「水色」を,こんどは「シルバー」にしてみました。

 コンセプトは「水のなかに水がある」と「舞い躍る」と「無頭人」。頭の部分にはうっすらと八つの水玉。こんなやっかいなわたしの注文に井上登志子さんが応答してくださったのが,創刊号の作品。それの色違いということで第2号のシルバー版です。

 夜の写真撮影でしたので,シルバーが反射してしまって,ずいぶんと苦労しました。電灯の光をそらすような角度に被写体であるこの表紙をセットすると,反射が少なくなるということも初めて知りました。いろいろとやってみるものです。

 さて,それはともかくとして,特集 I グローバリゼーションと伝統スポーツ,特集 II ドーピング問題を考える,の二つの特集が眼に飛び込んできます。以前にも書きましたように,特集 I には、今福龍太,竹村匡弥,松浪稔,井上邦子,西谷修氏の玉稿がならびます。そして,特集 II には,伊藤偵之,橋本一径の両氏による,ドーピング問題を考えるためのとっておきの情報が上梓されています。おそらく大きな話題になること必定と確信しています。

 このほかにも,西谷修さんの手になる「書き下ろし」原稿が掲載されます。ナオミ・クラインの『ショックドクトリン』を俎上に乗せて,「自由主義」の由来について徹底的に論じています。眼がくらむような論の展開のなかに,わたしたちのスポーツ史・スポーツ文化論を考える上での重要なヒントも無数に埋め込まれています。

 そして,最後に,拙稿の「バタイユ読解」が研究ノートとして掲載されます。創刊号に書いたものと連動するものですので,ぜひ,読んでみてください。

 このままの進行でいきますと,7月16日(火)に見本が,そして,7月23日(火)には書店に並ぶとのこと。ぜひ,書店で手にとってみてください。発行・みやび出版,発売・星雲社。定価・本体2,400円+税。

 いよいよ現実味を帯びてきました。どうぞ,よろしくお願いいたします。
 とりあえずのご紹介まで。

戦争の足音のする「改憲論」に女性と20代の若者たちが反対という(『東京新聞』)。納得。

 戦争はもはや過去のものとなってしまって,いまどきの若者たちはほとんど関心もなければ意識もしていない,と聞いていた。しかし,そうではない,ということが今日(7月2日)の『東京新聞』朝刊を読んで知った。ひとまずは安心である。わけても女性たちは全般的に戦争への危機意識が高いということも知って,とても安心した。命の大切さを知っているのは,残念ながら,男性よりも女性の方が上だ。

 7月4日(木)には公示される参院選に向けて,『東京新聞』が全国3000人を対象に電話世論調査を実施し,その結果が公表された。大きな見出しを紹介しておくと,「安倍政権 評価分かれる」とした上で,争点となりそうな項目別の世論の動向について,つぎのような結果がでたという。

 憲法:「96条改憲 反対多数」
 原発:「再稼働ノー 5割超」
 TPP:「賛成51% 反対32%」

 安倍政権がめざす「憲法改定」と「原発再稼働」には反対多数,「TPP」については賛成多数という結果である。「憲法」と「原発」については「争点」がわかりやすいので,多くの国民が自分の意思を決めやすいが,「TPP」については相当に勉強しないとその問題点は理解できない難点がある。それでも,これまで自民党を支持してきた農協が「TPP」に猛烈に反対していることを考えれば,日本の農業がつぶされてしまうという,きわめて危険な選択であることはわかるはず。

 この世論調査がでたからといって安心できるわけではない。
 4日からはじまる選挙戦で,流れがどのように変化するかはわからない。自民党がやや凋落気味になってきているとはいうものの,選挙は生きもの,やってみないとわからないことが多い。投票するその瞬間まで迷う人も少なくない。それ以上に「支持政党なし」の票の行方が問題だ。

 その鍵を握るのは「投票率」。これが低いと組織票が有利,高いと浮動票が生きてくる。
 しかし,現時点での致命的なことは,自民党政権の選挙スローガンに対抗する「受け皿」となる政党が存在しない,このひとことに尽きる。「96条改憲 反対多数」「再稼働ノー 5割超」「TPP反対32%」の人びとの意思を反映してくれる政党が,ほとんどないに等しい。

 そんな中での選挙である。困ったものである。おそらく前代未聞の選挙戦になりそうだ。でも,このまま政府自民党に独走を許すわけにはいかないと考える有権者はどうすればいいのか。情けないことこの上ないが,「次善の策」を講ずる以外にはなさそうだ。そして,しっかりと民意を反映してくれる政党の出現を待つしかない。

 つまり,自民党政権の暴走を阻止するための「暫定的」な政党を選んで,そこに一票を投ずること。好きとか嫌いとか言っている段階ではない。とりあえず,原発再稼働に反対し,脱原発をスローガンにかかげる政党を選ぶこと。あるいは,改憲反対の政党を軸に選ぶこと。しかし,あれもこれもと考えていると,ほんとうに支持できる政党はなくなってしまう。だから,「暫定的」にと覚悟するしか方法がない。

 そうして,支持政党なしの浮動票が,どこまで選挙に参加してくれるか,ここが最大の鍵を握っているとわたしは考える。

 こんなに重要な選挙だというのに,支持できる政党がない。既成政党の廃頽ぶりは眼を覆うばかり。いったい,民意も読めない政治家とはどういう人たちなのか。それは,明らかに「既得権益」にしがみついている政治家たちだ。つまり,自分たちの利害しか考えていない,ということ。だから,民意よりも既得権益を守ることに必死になる。そのことが原因で民意から見放されてしまった,ということに気づいてもいない。もはや,こころある選挙民は既成政党になんの期待もしていない。いでよ,手垢にまみれていない,クリーンな政党よ,と多くの選挙民が待っている。

 今回の選挙は,このことを「知らしめる」ための選挙,というようにわたしはとりあえず位置づけて,多くの人たちと語り合っていきたいと考えている。ご意見をお寄せいただければ幸いである。ただし,できることなら実名でお願いします。もし,匿名であったとしても,建設的な議論につながるようなご意見であれば歓迎します。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。

2013年7月1日月曜日

神武天皇像(奈良市登美が丘)と登弥(とみ)神社(奈良市石本町)をフィールド・ワーク。(出雲幻視考・その5.)

  村井康彦氏の『出雲と大和──古代国家の原像をたずねて』(岩波新書,2013年)をテクストにして,出雲幻視を楽しもうとかねてから企んでいましたが,久しぶりに奈良にでかける用事がありましたので,そのついでに二カ所ほどフィールド・ワークを楽しんできました。案内役は奈良市内に在住のT君。車で案内してくれるので,とても助かります。

 さて,テクストの『出雲と大和』の記述のなかに,長髄彦(ナガスネヒコ)のことが「国譲り」神話との関連で,かなり詳しく論じられています。それによれば,邪馬台国の「王」ではなかったかと村井氏が推理するニギハヤヒノミコトの右腕として大活躍したのがナガスネヒコ。かれは,神武東征の折に,その楯となって,一度は神武軍を圧倒して,追い返してしまいます。武力的には対等以上の力をもっていたと考えられています。

 そのナガスネヒコが拠点としていたのが,生駒の東山麓から矢田丘陵,さらに磐船街道および富雄川流域と奈良市内の登美が丘一帯でした。この区域内に,なんと巨大な神武天皇像(台座もふくめると高さ16m)があり,そこから富雄川にでて南にくだった辺りに神武がこの地に到来したことが神社の由来であるとする「登弥(とみ)神社」が祀られています(奈良市石本町)。その二カ所を回ってきました。

 まずは,神武天皇像から。なぜか,御嶽さんの奈良本宮(里宮)の境内の一角,それもこんもりと繁った小高い森の上に巨大な神武天皇像が建てられています。もちろん,御嶽さんの所有です。その入り口の案内によれば,「橿原神宮からの御分霊を入魂。国家安泰と国運隆昌を祈り,さらには地神であった登美能那賀須泥毘古(とみのながすねひこ:長髄彦)をはじめ戦いに散った御霊を慰霊申し上げています」とあります。


 
 
ここで注目したいことは以下のとおり。「地神」であったナガスネヒコという記述と,戦いに散った御霊,という記述です。テクストの著者村井康彦氏の説によれば,邪馬台国は奈良盆地のほぼ中央に位置する唐古・鍵遺跡のあたりに宮殿があり,その周囲を北西部・南西部・東部の三つ,すなわち「イコマ」「ミマス」「ミマキ」の三官が「ナカト」と呼ばれる宮殿を守っていたのではないか,といいます。このうちの「イコマ」がナガスネヒコの拠点であった,というわけです。つまり,神武が大和に侵攻して大和朝廷をつくる以前の「イコマ」はナガスネヒコが支配していた,という次第です。ですから,最終的には神武の勢力に敗れたナガスネヒコとその一族の「御霊」を慰霊する必要があるわけです。しかし,それを前面に出すことができないので,まずは,巨大な神武天皇像を建立し,天皇制を肯定した上で,その背後にあったナガスネヒコの霊を慰めようというわけです。

 しかし,奇怪しなことに,その神武天皇像からやや南に下った丘陵の中腹に,かなり広い玉砂利を敷いた聖域(石柱と石梁で囲まれている)があります。そこには,なんと,これまた巨大な「大黒さん」と「恵比寿さん」が大きな台座の上に鎮座ましましていらっしゃるではありませんか。大黒さんも恵比寿さんも,いろいろ神仏混淆があって,姿・形を変えてはいますが,もとの姿は大黒さんはオオクニヌシ,恵比寿さんはコトシロヌシ(事代主:オオクニヌシの長男)だと考えられています。ですから,ここには,堂々たる出雲族の代表者であるオオクニヌシとコトシロヌシの像が安置されているということになります。


 

 
しかも,神武天皇は西の方(すなわち,生駒山の方角=九州方面)を向いて立ち,大黒さんと恵比寿さんは南の方(すなわち,「ナカト」:邪馬台国の宮殿方向)を向いて立っています。このことは,いったい,なにを意味しているのでしょうか。しかも,大黒さんと恵比寿さんの聖域の端っこに,木曽の御嶽山に祀られている神々のミニチュアが飾ってあります。明らかに,こちらの神々は大黒さんと恵比寿さんに遠慮しているように見受けられます。この配置もまた,とても暗示的です。御嶽信仰と出雲族とは切っても切れないなにか秘められた関係がある,とその場でわたしは直観しました。詳しいことはこれからの課題ですが・・・・・。

 つぎに,登弥神社。こちらは富雄川を南に下っていって,まもなく丘陵がなくなり奈良盆地に吸収される先端,富雄川の左岸の丘の森の中にありました。最初の鳥居から社殿までは長いアプローチがあって,ゆるやかな坂道を登っていきます。こんもりと生い茂った森がとてもいい雰囲気を醸しだしています。参道の右側には古墳かなと思われるような丸い小山がみえます。


 
この神社で気になったのは,まずは,「登弥(とみ)」という表記。なぜ,「登美」,あるいは「冨」と表記していないのか。なにゆえに,わざわざ,一字,別の当て字を用いているのか。この神社の由来にも,やはり,神武がこの地にやってきたことを祈念してこの神社ができたと書いてある。しかし,神武が祀られているわけではない。どうみても,天皇制を,まずは肯定しているようにみせかけておいて,その実態はトミノナガスネヒコを祀るのが本音ではないか,と思われてならない。

 社殿は数えてみると大小とりまぜて全部で七つある。社殿ごとに祀られている神々は以下のとおりである。

 本殿御祭神
 東本殿:高皇産霊神,誉田別命
 西本殿:神皇産霊神,登美〇速日命,天児屋根命

 摂社御祭神
 祓殿社:瀬織津比売神,速秋津比売神,気吹戸主神,速佐須良比売神,表筒男神,中筒男神,底筒男神
 山室神社:大物主神,菅原道真公
 豊穂神社:大日零命,豊受比売神,天宇受女神
 荒神神社:大山祇神,庭高津日神
 比良田神社:猿田彦神,大巳貴神,八重事代主神


 
以上です。これらの神々の名前をじっとみつめていますと,なんともはや不思議な気分になってきます。まあ,なんと多くの神々が祀られていることか,と。しかも,系譜の異なる神々が渾然一体となっていることに驚きを禁じえません。さて,これらの神々の組み合わせをどのように読み解くかはこれからの課題としておきましょう。

 でも,一点だけ確認しておきたいことは,やはりその中心には「トミノニギハヤヒノミコト」が祀られていること,そして,摂社の主役は「オオモノヌシ」と「スガワラミチザネ」であり,「オオナムチ」と「ヤエノコトシロヌシ」であることです。すなわち,出雲族がその中心に鎮座しているということです。これはわたしの単なる推理でしかありませんが,たぶん,いろいろの神々を混淆させることによって,出雲族の存在を薄めることを,意図的・計画的に仕込んだのではないか,ということです。そうしないと,この「登弥神社」を維持していくことが困難になる,なんらかの事情があったのだろう,と。もう少し踏み込んでおけば,出雲族に対する圧力が終始働いていたのではないか,ということです。それは,「ノミ」や「スガワラ」という姓が,蔑称として陰口でささやかれていたという伝承からも,容易に想像できることです。

 こうした「トミノナガスネヒコ」にまつわる秘められた神社が,やはり,この富雄川の流域や登美が丘周辺には相当数,存在しているように思われます。あるいは,最近になって祭神の名を公表するようになってきているのかもしれません。だとすると,これからもっともっと多くの神社が,出雲族との関係を公表する時代がやってくるのではないか,とわたしは密かに期待しています。そうなることによって,天皇制の陰に虐げられてきた「国譲り」神話以後の出雲族の,真の姿が浮き彫りになるのではないか,それがまた日本史の真の姿を明らかにすることになるのではないか,と考えるからです。その鍵を握るのが「河童」伝承ではないか,と考えています。そして,そのさきに,わたしは密かに「相撲」のもうひとつの顔を透視しようと企んでいます。

 歴史の実像に少しでも近づくために。スポーツ史研究はそこまで踏み込む時代がやってきた,とわたしは自負しています。奈良在住のT君のこれからの仕事に大いに期待しつつ,わたしも密かにあれこれ推理を楽しむことにしています。まさに,「幻視」を楽しんでいるふりをしつつ,じつは真実に接近することを願って・・・・。

 とりあえず,今日のところはここまで。


『スポーツする文学』(疋田・日高・日比編著,青弓社)をどう読んだか。

 このテクストの編者2名と著者1名を囲んで,このテクストをどのように読んだか,という研究会が奈良教育大学で開催された(6月29日午後1時30分~6時)。主催は「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)。世話人は井上邦子さん。

 ブログラム的に紹介をしておけば,以下のとおり。
 日高佳紀:テニス文芸のレトリック─田中純と「月刊テニスファン」×林郁子
 西川貴子:「わたし」と「わたしたち」の狭間─「走ることを語ること」の意味×松浪稔
 疋田雅昭:スポーツしない文学者─祭典の熱狂から抜け落ちる『オリンポスの果実』×稲垣正浩

 最初に各著者によるかんたんなプレゼンテーションがあって,それを受けて各コメンテーターが意見を述べるという形式をとった。それぞれのディスカッションに各1時間30分ほどが配分された。が,いずれも時間が足りないほどの意見の交換があった。その意味では,とても盛り上がった研究会になったと思う。

 しかし,わたしの個人的な感想としては,いささか物足りなかった。それは最初から予想されたことではあったが・・・・。なぜなら,日本文学を専門とする人びとが「スポーツ」を語ることと,わたしたちスポーツ史・スポーツ文化論的な立場に立つ人びとが「スポーツ」を語ることとの間には,最初から相当の乖離があると予想されたからである。実際にも,このテクストを最初に読んだときのわたしの印象は,この人たちは「スポーツ」というものをどのように考えているのだろうか,という大いなる疑問があった。その意味では,巻末に紹介されていた著者たちの「スポーツ歴」が役に立った。なるほど,こういう人たちが「スポーツ」を語るとこういうことになるのか,と。わたしたちの側は,一応は,なんらかの形でSpitzensport(世界の頂点をめざす近代競技スポーツ)に全身全霊を傾けた経験をもっている。だから,「スポーツ」というものを研究対象にするときの姿勢が基本的に違っている。かんたんに言ってしまえば,文学の側から「スポーツ」に光りをあてるのと,スポーツの側から「文学作品」を取り上げるのとでは,そのヴェクトルが真逆になっているからだ。

 このことは最初からわかっていたことであるし,それどころか,そうであるからこそこの研究会は面白くなる,と大いに期待していた。結果は,予想どおり。もののみごとに議論はスレ違っていく。その理由を考えることにこそ,この研究会の意味はある,とわたしは最初から覚悟していたので,じつに楽しくみなさんの議論を傍聴し,かつ,参加させていただいた。しかし,ついに議論をかろうじて成立させるための共通の土俵はみえないままに終った。これは初対面の若い男女の会話のようなもので,と半分は楽しみつつ,半分は苛立っていた。

 その最大のネックは「スポーツ」ということばについての理解の仕方にある,とわたしは考えていた。それはなによりもわたしたちの責任でもあるのだが,「スポーツ」ということばの概念規定がきちんとできていない,ということからくるものであるからだ。だから,あえて言ってしまえば,「スポーツ」ということばは学術用語としては,いまだ,認知されていないのだ。議論が噛み合わなくてスレ違うのも,すべてはここに端を発している。

 こういうことは以前からわかっていたことであるし,考えつづけてきたことでもある。つまり,「スポーツとはなにか」という,ある意味では永遠のテーマがそこには横たわっている。だから,わたし自身としては,「スポーツとはなにか」というこの根源的な問いに対する応答の仕方として,スポーツ史という方法を選んだ。しかし,それだけではとても応答できないと知り,その枠組みを少しだけ広げてスポーツ文化論という立場を取り込んだ。この過程で,わたしは「文学作品」や「絵画」が,「スポーツとはなにか」を考える上できわめて有効な手段になるということに気づいた。そして,いっときは相当にのめり込んで,この分野をさまよい歩いた。その余波はいまも残っていて,文学にはそれなりのアンテナを張り,絵画を中心とする美術作品の動向にも強い関心をもちつづけている。

 が,それでもまだなにかが足りないと気づく。「スポーツとはなにか」という根源的な問いを深めていけばいくほど必要なものは思想であり,哲学である,と気づく。こちらも,いまから考えれば,その情熱のそそぎ方のレベルはともかくとして,相当以前に遡ることができる。とりわけ,西谷修さんをとおして触れることになったフランス現代思想からの影響は,長くて,強い。そのお蔭で,日本の禅仏教の思想,とりわけ,道元に触れ,西田幾多郎に触れ,とうとう仏教経典にまでのめり込むことにもなった。そして,それはとても役に立っている。というよりも,みずからが寄って立つべき思想・哲学というものが次第に明らかになるにしたがって,あらゆるもののみえ方が変わってきた。つまり,登山のようなもので,高い山の頂上に立つことを繰り返しているうちに,少しずつ「見晴らし」がよくなってきたのである。

 こうした遍歴を経て,ようやく「批評」ということの意味が少しずつわかりはじめてきた。今福龍太さんの『ブラジルのホモ・ルーデンス─サッカー批評原論』や蓮実重彦さんの『スポーツ批評宣言 あるいは運動の擁護』などの主張していることの意味がようやくみえてくる。となると,わたし自身の「スポーツ批評」のスタンスを明確にしなくてはならなくなってくる。いま,ちょうど,このことを考えつづけているときだったので,久し振りに読み返すことになった『スポーツする文学』は,「文学批評」に新たな「補助線」を引く,まったく新たな試みではないのか,と考えることになった。

 もし,このテクストの編者や著者たちが,このことを強く意識して『スポーツする文学』というタイトルをつけ,各論でそれぞれのスポーツ競技種目をとりあげて「スポーツ批評」を展開し,最終的にまったく新たな「文学批評」の磁場を構築しようとしているとしたら,このテクストは画期的な意味をもつものではないか,と考えた。だから,わたしはこの点にかなりこだわりをもってコメントをさせていただいた。が,残念ながら,議論はスレ違ってしまった。だれが悪いということではなくて,こういう本質的な議論をするためには,もっともっと時間をかけてしっかりとした共通の「土俵」(アリーナ)を構築しなくてはならないのだ。

 この研究会は異種格闘技のようなもので,初めての手合わせ。だから,お互いにとまどうのは当たり前。議論はこれからはじまる,とわたしは受け止めた。こんどは,わたしたちの側から「スポーツする文学」のワークショップなどとの接点をさぐっていくべきだ,とも。

 それにしても,やはり,異種格闘技はむつかしい。でも,とてもスリリング。こういう営みをとおして,わたしたちの思考回路の硬直化を防止しなくては・・・・としみじみ考えた次第。

 最後になりましたが,わたしたちの研究会にお出でくださった日高さん,疋田さん,西川さんにこころからの謝意を表します。ありがとうございました。これに懲りずに,こんごともお付き合いくださることを,このブログをとおして(失礼ながら)お願いします。

 わたしの考えた『スポーツする文学』の「批評性」について,はいずれ機会をあらためて書いてみたいと思います。取り急ぎ,今日のところはここまで。

2013年6月29日土曜日

「原発再稼働ありき」で動きはじめた既得権益集団。「脱原発」を参院選の最大の争点のひとつにして対抗しよう。

 既得権益集団(原子力ムラの住民たち)が露骨に動きはじめた。もう,なにも怖いものはないとでもいうように。完全に国民は舐められている。ひとかたまりの,圧倒的少数の特権階級が,自分たちの権益をどこまでも死守するために,圧倒的多数の国民の「命」を犠牲にしてでも,原発を再稼働させようとしている。

 6月19日(水)には「6原発再稼働申請へ」「新規制基準来月8日施行」「免震拠点未完成のまま」という大見出しが『東京新聞』の夕刊トップの紙面に躍っている。翌6月20日(木)の『東京新聞』朝刊一面には,「規制委 大飯運転継続容認へ」「9月まで,新基準,一部満たさず」と報ぜられ,6月27日(木)の『東京新聞』朝刊には「『再稼働ありき』総会」「電力9社,株主の『脱原発』すべて否決」と報じられている。

 もはやとどまるところを知らぬ暴走列車はますます加速されていく。国民であるわれわれは,黙って傍観しているときではない。きっちりとタッグを組んで,なにがなんでも「原発再稼働」を阻止しなくてはならない。われわれ一人ひとりの「命」を守るために。

 7月21日には,いよいよ参院選の投票が行われる。主権者であるわれわれ国民の意思を,直接,表明することのできるチャンスはこのときしかないのだ。ここではっきりと決着をつけないことには,なにもはじまらない。これから各党がかかげる「選挙公約」を徹底的にチェックして,「原発再稼働」を高らかに宣言する政党はどこなのか,そして,表現を和らげつつもそれを匂わせる政党がどこなのか,しっかりと見極める必要がある。

 参院選は都議選とはまったく別物である,とわたしは考えている。都議選は,ほとんどの都民は候補者の人柄も政策も思想もなにも精確には知らない。だから,なんとなくこの人,なんとなくこの政党,くらいのところで投票する人が多い。わたしが,かつて都民だったときがそうだった。恥ずかしながら・・・。だから,あとは組織票。今回は,その浮動票が棄権してしまった。浮動票の受け皿となる政党がなかったからである。争点もはっきりしなかった。

 しかし,参院選は違う。地方には,それぞれ長年の政治活動をとおしてしっかりとその土地に根をおろした立派な候補者がいる。住民もみんなよく知っている。その人たちの中から,今回はどの政党,どの人に投票するかを決める。だから,たとえ弱体化してしまった政党であろうとも,人間としての信頼関係がしっかり保たれているかぎり,その候補者は票を獲得することがある。政党よりも人物という人が,地方の選挙にはしばしばみられる現象である。

 その点では,「原発再稼働」派か,それとも「脱原発」派か,という争点はとてもわかりやすくていい。ここを見分けるだけで,あとの問題もみごとに仕分けていくことができる。だから,あまりたくさんのことを考える必要はない。まずは,「原発」をどうするのか,そこだけを見極めていけばいい。そうしないと,あれもこれもと考えると目先をごまかされてしまう。

 「原発」を廃止しても「経済」はやっていける。その実験国家がドイツだ。いちはやく,国を挙げて「脱原発」宣言をし,着々と代替エネルギーの確保に全力を上げ,すでに大きな成果を挙げている。このことを日本のメディアはほとんど報道しない(あるいは,ごく少ない)だけのことだ。ドイツに較べたら,日本の代替エネルギー資源ははるかに恵まれている。にもかかわらず,既得権益集団は「原発」にしがみつき(この方がはるかに「おいしい汁」を吸うことができるからだ),代替エネルギーの開発政策に圧力をかけてくる。

 なにゆえに,ひとかたまりの特権階級の人びとの利益のために,われわれ圧倒的多数の国民の「命」が犠牲にされなければならないのか。

 もう,これ以上は言うまい。あとは,われわれ一人ひとりの投票によって,われわれの「命」を守るべく,その意思をしっかりと表明することだけだ。

 ここで選択を間違えたら,既得権益集団にわれわれの「命」を預けるしかないのだ。そうならないように,これから気持ちを引き締めてかからねばならない。時間はもうない。待ったなしだ。

 いまこそ,嘘と詭弁に騙されない,確かな眼力で武装しよう。

2013年6月28日金曜日

柴田晴廣さんからのコメント,とても魅力的。夢が広がります。

 今日(28日),柴田晴廣さんからたて続けに2本のコメントが入りました。いずれも,とても魅力的で,夢が広がっていきます。こういうコメントは大歓迎です。わたしのちょっとした思い出や感想をもとに,史実にもとづく新しい知見を提示してくださり,ありがたいかぎりです。

 こういうコメントには,きちんとわたしからの応答をすべきところですが,いま,ちょっとタイミング的に時間がありませんので,いずれ,チャンスをみつけて応答してみたいとおもっています。今回は,とりあえず,ご紹介だけにとどめたいと思います。みなさんにも読んでいただいて,感想なり,ご意見なりを寄せていただければと思い,このブログを書くことにしました。

 ひとつは,6月26日のブログ:「サツマイモ畑に花が咲く,という話」。このブログに対して柴田さんは,東三河に甘藷をひろめたのは「牛窪村の喜八」(河合喜八)だと菅江真澄が書き残している,と指摘してくれました。菅江真澄が東三河の人であることはわかっているのですが,じつは,その出身地を特定することはできないままになっています。柴田さんも必死で追求していらっしゃるようですが,どうも牛窪(現・牛久保)のあたりだったのではないか,と推定。わたしは,牛久保の近くの大村町の「白井家」のどこかではないか,と推定。問題は,菅江真澄が最後までみずからの出自を明らかにしなかったという事実にあります。なぜか,隠す必要があったようです。

 そこからはじまって,芋切干の起源は御前崎という説を紹介してくれています。さらに,御前崎がらみの話を展開させて,「かんかんのう」や「かんかん踊」のもうひとつのルーツも御前崎だったという話を三田村鳶魚の記述から引いて紹介してくださっています。この博識ぶりに感服です。じつは,「かんかんのう」や「かんかん踊」にもいささかわたしは興味をもっていましたので,ありがたい情報提供をいただきました。詳しくは,柴田さんのコメントで確認してみてください。いやはや,その博識ぶりは驚くべきです。

 もうひとつのコメントは,同じく6月26日のブログ:「日本は尖閣諸島を国有化したときから戦時体制に入ったのか?河野洋平親子,鳩山由紀夫,野中広務は国賊?恐るべき言論統制」。できるだけ中味がわかる方がいいと考え,長ったらしいタイトルになってしまいました。が,このブログに対して柴田さんは,「支那」という呼称について取り上げ,つぎのように論じています。昭和21年6月21日に外務省が「『支那』は中国の蔑称なので,使用は極力避けるように」という通達を出しているにもかかわらず,どこぞの御仁はこの「禁句」を好んで用い,あまつさえ,寝た子であった「尖閣諸島」をわざわざ過激に挑発して,とうとう大変な事態を引き起こしているにもかかわらず,維新の会の共同代表をつとめて平然としている,と。しかも,「維新」の語源まで引いて,その精神に反する,というなかなかサビの効いた論を展開してくれています。

 どちらも長いコメントになっていますが,なかなか味のある論考を展開されていますので,ぜひ,柴田さんの原文にあたって,存分に堪能してみてください。

 というわけで,とりあえず,柴田晴廣さんのコメントのご紹介まで。
 できれば,柴田さんのコメントに,さらに応答するようなコメントを寄せていただけるとありがたいのですが・・・・。これは,読者のみなさんへのわたしからのお願いです。よろしくお願いいたします。

『「対米従属」という宿痾』鳩山由紀夫×孫崎亨×植草一秀対談(飛鳥新社,2013年6月27日,第一刷)を読む。

 6月27日(木),いつものように鷺沼の事務所に向う。駅を降りたところで,なんとなく本屋さんに寄りたくなる。そこで,いきなりわたしの眼に飛び込んできた本がこれ。なんというタイミング。孫崎亨氏が鳩山由紀夫氏と接近していることは知っていたが,そこに植草一秀氏が加わっていたとは知らなかった。これは面白い,タイミングも絶妙。即買。

 鳩山由紀夫氏の,一見したところ突飛もなくみえる言動をメディアは「宇宙人」的言動として囲い込み,奇人変人扱いすることで事なきを得る戦略にでて,それが成功しているようにみえる。そして,鳩山由紀夫氏の思い描く理想(祖父・鳩山一郎の描いた「友愛」社会の実現,など)を,さも夢物語であるかのごとく握り潰し,経済(それも「新自由主義」経済一辺倒)を支える既得権益集団(すなわち,原子力ムラを筆頭に,さまざまな分野に深く根を張っている既得権益をなにがなんでも守りとおそうという集団)の思うままに政治を動かそうという露骨な姿が,ここにきてますます強くなってきている。このことは,最近,とみに冴えてきた『東京新聞』の報道をみているとよくわかる。鳩山由紀夫の理想や言動は,そういう既得権益集団の圧力のもとで,「尾ひれ」までつけられて罵倒され,抹消されているのが現実の姿である。

 はたして,鳩山由紀夫とはいかなる人物なのか。そして,その実像はどうなのか。なにを考え,なにを根拠に,なにを主張しようとしているのか,このあたりで一度,しっかりと自分の眼で検証しておく必要があるだろう。この本は,そのための一助になるだろう。もっと知りたい人は,2011年12月,『NATURE』(科学誌)に掲載された論文(鳩山由紀夫・平智之共著)を読むといい。国賊どころか,きわめて高い理想をかかげ,日本という国家の行く末をみすえた立派な国家戦略を明らかにしている。なのに,既得権益集団は一致団結して鳩山由紀夫の主張を徹底的に排除・隠蔽することに全力を挙げている。

 その結果,鳩山由紀夫という人物は,まことに奇怪しな人だと,多くの人たちは信じて疑おうとはしない。つまり,既得権益集団の流す粉飾情報によって,わたしたちは,ほぼ間違いなく騙されてしまっているのだ。嘘と詭弁で塗り固められた大手メディアによる「情報」を一度,ひっぱがして,その裏にうごめいている恐るべき「力学」を,自分の眼で見届けることが不可欠だ,とわたしは考えている。その手始めにこの本をお薦めしたい。

 孫崎亨氏は『戦後史の正体』で電撃的デビューをはたし,いっとき,メディアも注目していろいろと話題になったとおりである。その後も立て続けに本を出版して,わたしたちが「目隠し」にされていた,まったく新しい「戦後史」を剥き出しにしてくれた。そのために,鳩山由紀夫氏と同じように,またまた既得権益集団から睨まれることになった。が,この人もまた,みずからの信念にもとづき,糺すべきことは糺す,という姿勢を貫いている。

 植草一秀氏についても,しばらく前に,いささか信じがたいような醜聞が流れ,だから,人格失格であるかのようにして既得権益集団から「制裁」を受けることになってしまった。しかし,この人の書くものは秀逸で,わたしなどはどれほど啓蒙されたかわからない。最近は,エコノミストとして金融市場の動向や政治の動向に鋭い分析を繰り広げている。そして,いまも時代の最先端に立つ言説を提示する論客として多くの読者をもっている。

 この三者による対談は,まことに刺激的である。ここでも「棚上げ」以外に日中友好の回復はありえない,という点でこの三者は一致している。しかも,その根拠までしっかりと提示されている。ここにはいろいろの論点がふくまれているが,少なくとも,日本はポツダム宣言により,無条件降伏をした「敗戦国」であるという認識に立ち返って,尖閣諸島の問題を捉え直さないといけない,という主張にわたしは賛成である。

 最後に,三者の言い分をコピーから引いておこう。
 鳩山由紀夫:既得権益の外にいる多くの国民には事実が隠蔽されている。
 孫崎亨:ほとんどすべての問題で問題を正視することなく,嘘と詭弁で事態が進行している。
 植草一秀:主権者のための政治がいま,既得権益の政治に完全に引き戻されつつある。そして,米国が支配する日本,米国に支配される日本の様相がより鮮明になりつつある。

 ぜひ,ご一読をお薦めします。

2013年6月27日木曜日

「身体──ある乱丁の歴史」(今福龍太講演録)に圧倒される。

 今日(26日),『スポートロジイ』第2号の再校ゲラがとどきました。これの編集をお願いしているみやび出版の伊藤さんから,まずは今福さんの講演録から読んでみてください,とコメントがありました。初校のときには,わたしは時間がなくて,別の人の原稿を一生懸命に読んでいました。今福さんのものは伊藤さんがしっかりみてくださるものと信じていましたので,あとまわしにしていました。ただ,今福さんからは,直接お会いしたときに,しっかり手を入れたいと思っている,とお聞きしていましたので,どんな風になったかなという密かな期待はありました。

 が,今日,真っ先に読ませていただいて,ビックリ仰天でした。これは書き下ろしではないか,と。しかも,その密度の濃さに圧倒されてしまいました。最初の第一行からわたしのこころを鷲掴みにしてしまい,夢中になって読んでいるうちに,なんどもなんども無呼吸状態になって苦しくなり,びっくりして深呼吸をする,ということの繰り返しでした。最後まで一気に読まされてしまう,恐るべき内容になっています。

 さて,この今福さんの講演録のすごさをどのように表現したらいいものか,これまた大変なことです。まあ,思いきって,わたしの受け止めたままを,ひとことで言ってしまえば,これは現代という時代・社会を生きる人間としての,こころの底からの「スポーツ批評」そのものではないか,ということです。つまり,いま,わたしたちの目の前で起きている「近代競技スポーツ」(今福さんの独特の用語)の諸矛盾について考えていくと,そのさきには身体に埋め込まれた始原の記憶が待ち受けている,だから,その身体の始原の記憶や身体の生成の記憶をいま一度探り出すことによって,これまで潜在化していた「スポーツの本質」を浮き彫りにすることができるのではないか,とわたしは受け止めました。

 「スポーツ批評」といえば,この講演録のなかで今福さんも触れているのですが,ご自身の書かれた『ブラジルのホモ・ルーデンス』が想起されます。なぜなら,この本のサブタイトルは「サッカー批評原論」となっているように,徹底した「サッカー批評」を展開されています。それを,こんどは「スポーツ批評」全体に拡大し,具体的な例を挙げて,説得力のある,明晰な分析の妙味を堪能させてくれます。そのあまりの迫力に圧倒されてしまい,ついには,なんども無呼吸に陥る,という次第です。でも,それがまた快感であり,快楽でもありました。

 とまあ,どんな風に表現してみても,表現不足。自分でまどろっこしくなるばかりですので,その触りの部分を引いておきたいとおもいます。たとえば,以下のようです。

 「・・・・いずれにしても,我々の身体と歴史の間の呼応関係,相互の干渉,紛争,そういう問題がここに出てきます。我々の身体に刻み込まれている歴史とは何か。それは,近代のスポーツを取り上げてみれば明らかになるわけですけども,そごで明らかになるのは支配的な歴史,制度的な歴史,権力によって構築されてきた歴史です。それは,われわれの近代の歴史そのものが戦争という,ひとつの強力な社会の変革力,それを軸にして語られてきたということを示しています。歴史は常に戦争という変動力をひとつの軸にして語られてきたわけですね。それとちょうど並行するように,戦争を擬似的な対抗原理として受け止めた時に「競争」という原理が出てきます。この戦争や競争あるいは勝敗原理といったものによって貫かれている歴史が,まさに近代スポーツという身体の中に深く刻み込まれている。この戦争,競争,勝敗原理という連続体が歴史として,われわれのスポーツする身体の中に深く刻み込まれているのです。」

 と述べた上で,多木浩二の「写真論」を援用して,歴史というものにも乱丁や落丁がある,写真とはその歴史の乱丁や落丁の証しであり,表現である,と述べた上でつぎのように今福さんは持論を展開されています。

 「この示唆を受けて,ここで私は身体というものも一つの歴史の乱丁の証と考えることができないであろうか,という問いかけをしたいと思うのです。これは,先ほど言ったような戦争,競争,勝敗原理といった連続体によって刻み込まれた歴史ではなくて,むしろそういう歴史の中で忘れ去られているある乱丁や落丁の痕跡です。それが身体の奥深いところに刻み込まれているのではないかということです。そこには,歴史の亀裂が封じ込まれているのではないか。支配的な歴史によっては捉えることができないような断片的な歴史が,乱丁のように,迷路のようにして身体の中に沈んでいるのではないか。正当な歴史的視点によっては見いだされないある種のリアリティが身体の中に眠っているのではないか,そういう問いかけです。」

 こうした伏線を布いた上で,さまざまな具体的な事例を引き合いに出して,詳細な考察を加えていきます。たとえば,ロンドン・オリンピックでの柔道の「ポイント制」「ジャッジ」「指導」「審判」「これは柔道ではない」「ビデオ判定」などについて。そして,最後につぎのように述べています。

 「写真が歴史の乱丁であり落丁であると多木さんは言われたわけですが,写真はその成立の初期から人間の身体を最も大きな対象としてずっと撮り続けてきたことも事実です。ですから,写真と身体は非常に深く関わっている。その写真映像が逆にデジタルな事実をつくり出してスポーツを搾取しようとしているのは,身体と写真映像の深い関係の反作用として生まれた問題かもしれない。ともかく,スポーツの探求は,歴史哲学的な探求としての歴史の乱丁や落丁を探り出すという作業につながってくるだろうと思います。身体という亀裂,空白,揺らぎ,その中に競争原理から離れた固有の美しさや快楽を探すことは,そうした思想的な探求につながっていくに違いないと私は確信しています。」

 ここで述べられている「スポーツの探求は,歴史哲学的な探求としての歴史の乱丁や落丁を探り出すという作業」という言説が,わたしには強烈な印象となって残りました。

 この今福さんの講演録が掲載される『スポートロジイ』第2号は,いまのところ7月15日発行の予定で進行しています。明日には,再校ゲラをもどすことになっています。今夜は眠れそうにありません。

2013年6月26日水曜日

日本は尖閣諸島を国有化したときから戦時体制に入ったのか。河野洋平親子,鳩山由紀夫,野中広務は国賊?恐るべき言論統制。

  日本はとうとう戦時体制に入ってしまったかのようにみえる。それもひとり芝居の結果として。つまり,尖閣諸島は日本国の固有の領土であると一方的に「国有化」宣言をしたことによって。当然のことながら,中国は黙ってはいない。毎日のように,「領海侵犯」(これもまた日本国の一方的な言い分)をくり返すことによって,中国はわれわれにも領有権を主張する根拠があるとして,みずからの意思を表明する。こうした一触即発の緊張状態を招来したのは,ほかならぬ日本国だ。

 1972年の「日中友好平和条約」締結時のいきさつを想起すべし。ここに書き記すまでもなく,田中角栄とトショウヘイの間で話し合った結果,尖閣諸島の領有権については「棚上げ」,ただし,日本による「実行支配」は認める,というところで妥結した。そして,領有権については,いつか平和的に話し合い,解決できるときがくるだろう。それまで「棚上げ」にしておこう,と。中国側のこの「おとな的」態度表明によって,念願の「日中友好平和条約」を締結するところまでこぎつけることができたのである。

 しかも,40年もの長きにわたって,両国はこの了解事項(「棚上げ論」)のもとで「友好親善」を保ってきた。そして,日中両国による「40周年記念式典」まで準備されていた。その矢先に,突如として豹変したのは日本国である。しかも,なんの「予告」も「話し合い」もなしに,突然だしぬけに,「棚上げ論」を破棄して,一方的に「固有の領土」宣言をしたのだ。これでは中国は黙って見過ごすわけにはいかないだろう。

 このことを鳩山由紀夫は「だまし取ったも同然」と発言したまでのことだ。すると,政府はもとより,メディアもこぞって,もちろんネトウヨも,声を揃えて鳩山由紀夫を「国賊」扱いにする。鳩山由紀夫はまことに素直に,みずから信ずる考えを述べたにすぎない。しかも,この発言は正鵠を射ている。あまりにもほんとうのことを正直に言ってしまうと,とたんに「国賊」扱いにされてしまう。鳩山由紀夫が「国賊」なら,このわたしも「国賊」だ,というブログを以前にも書いている。

 「国賊」扱いには参る。このことに怯えている人はたくさん居るはず。まずは,政治家たちだ。河野洋平・太郎,野中広務のような勇気ある立派な政治家を除けば,あとは,みんな「だんまり」を決め込み,野田,安倍の主張する超党派の「固有の領土」論に追随するのみだ。

 しかし,長老と呼ばれる政治家たちは1972年の条約締結当時のいきさつを,よもや忘れてはいまい。そして,いま,現役の政治家の多くは,その当時,だれかの秘書として政治家を目指していたはずだ。だから,その当時のいきさつを知らないはずはない。なのに,みんな「だんまり」を決め込んでいる。無責任。良心のかけらもない。長いものには巻かれろ族。「国賊」とはこういう人たちのことを指すことばのはず。

 なのに,財界・官僚はいうまでもない。メディアも同じ。頼みの学界もトーン・ダウンして,みんな「右へならえ」だ。こうなると,すべての情報は,政府見解の思いのままとなる。その結果,圧倒的多数の国民は,尖閣諸島は日本固有の領土だと信じて疑わなくなる。ここから大きな悲劇がはじまる。

 「物言えば唇寒し,秋の風」。これでは,まさに,言論統制そのものではないか。

 実行支配を維持していれば,いずれは固有の領土となる。これは国際法のルールでもある。なのに,わざわざ,「日中友好平和条約40周年」(昨年)のこの時期に,「棚上げ論」などはなかった嘯き,固有の領土論をぶち上げなくてはならなかったのか。そのために,どれほどの「国益」を失ったことか。そして,これからも「棚上げ論」に戻らないかぎり,半永久的に尖閣諸島をめぐって日中は「戦時体制」を維持しなければならない。こんな無駄な,国益に反することを,なぜ,いま,しなければならなかったのか,わかりやすく説明してほしい。

 できることなら,『世界』のような雑誌に実名で投稿してほしい。そして,そこを舞台にして,お互いに実名で,みずからの信ずるところを開陳し,大論争を繰り広げてほしい。そういうこともしないで,ただ,メディアを使って「国賊」呼ばわりして,切って捨てるようなやり方は,じつにアンフェアだ。正々堂々と,公明正大に,議論しようではないか。

 少なくとも河野洋平は,いちはやく,『世界』にみずからの信ずるところを,すなわち「棚上げ論」があったことを述べ,ここに立ち戻るべきだ,と主張している。が,これに対して,異を唱える論考を『世界』に投じた政治家は,わたしの知るかぎりひとりもいない。こちらもまた「無視」である。これがアベノミクスのやり口だ。自分の都合の悪いところは高圧的に蓋をして,都合のいいことだけを言挙げする。そして,世論を動かそうと企んでいる。

 しかし,そうは問屋は卸さない,とわたしは信じている。アベノミクスが破綻するのは,もう目の前にきている・・・・これはわたしの直観である。そのあとにくるのは,ふたたびの「腹痛」。政権「投げ出し」。それが非現実的な話ではないところが怖い。自民党のなかでは,すでに,次期首相候補がとりざたされている,という。

 このブログのまとめ。戦時体制からの脱却=言論統制の撤廃,すなわち,「棚上げ論」に立ち返ること。これあるのみ。これなしに日中に友好・平和は訪れない。間違っても,河野洋平・太郎,野中広務,鳩山由紀夫を「国賊」呼ばわりをしてはいけない。「国賊」呼ばわりする人間こそが「国賊」だ,と知るべし。

サツマイモ畑に花が咲く,というお話。

 子どものころ,つまり,敗戦後のまもないころ,食料確保のために,わずかばかりの畑にいろいろの作物を植えて,母親が必死になっていた。父親もまた,昼の勤務を終えてから,腰に懐中電灯をつけて畑にでかけていた。当然のことながら,子どもたちもみんなで畑を手伝っていた。生き延びるために家族が一致団結していた。兄弟喧嘩も絶えなかったが,それでも協力すべきときは仲良く力を合わせていた。その意味では深い情愛に結ばれていたように思う。

 そんな敗戦直後の食料難の時代の主食はサツマイモであった。くる日もくる日もサツマイモで飢えをしのいだ。しかし,この時代のサツマイモは当たりはずれが多く,うまいイモもあれば,まずくて食べられないイモもあった。その当時のもっとも新しくて美味しサツマイモと農林一号と呼ばれた新しく品種改良されたイモだった。その農林一号の苗(つる)を近所の農家から分けてもらって,わが家でも植えることになった。すでに,前の年に「農林一号」という名のサツマイモを一二度食べたことがあって,その味のよさは知っていた。ので,みんな必死で植えた。

 ことしの夏にはおいしいさつまいもが食べられる,と楽しみにしていた。ところがである。奇怪しなことが起きた。つるが伸びてきて,そろそろ地下には芋ができるころだ,イモ堀りも近いぞ,と思っていたら,畑のところどころに花が咲きはじめたではないか。サツマイモに花が咲くとは知らなかった。だから,なにごとか,と初めてみてびっくりした。それも,朝顔に似た清楚な花である。わたしたち家族はだれもこの異変がなにを意味しているのかを知らなかったので,ただ,ただ,傍観するのみだった。

 ところが,ある日,苗を分けてくれた農家の人がやってきて,「いもに花を咲かせちゃあダメだぞん。いもがつかんぞん。」という。なんのことかわからない母親が「どういうこと?」と聞いている。農家の人は「いもはのん,根元の方を活けて,芽の方は土の上に出して植えんと,みんな花が咲いてしまう。そうなると,いもがつかんくなるだぞん」という。そばで聞いていたわたしは「ヘェーッ」とびっくり仰天。

 そういえば,ほとんどの苗は根元と芽がはっきり確認できるものだったので,植え方を間違えることはなかった。が,ときおり,芽の方も切ってあって,どちらが根元なのか芽なのか判断できない苗があったことを思い出す。どちらが芽の方かわからないので,適当に判断して,こっちが根と考えて植えた。それが間違いのもとだったのだ。どうやら母親も知らなかったようで,だから,見分けがつかないまま植えた苗が,あちこちで花を咲かせることになったらしい。でも,それを知ってからは恥ずかしいので,家族交代で朝早く畑に行っては,花を摘むことにした。が,やはり,いもはつかなかった。

 あの花さえ咲かさなかったら,秋の収穫はもっともっと多かっただろうに,とみんなで悔しがった。が,後の祭り。それでも,みんなで苦労して世話をした農林一号の味は格別だった。収穫した当座は,蒸かし芋にして食べた。腹一杯になるほど食べた。米が配給でしか買えない時代なので,圧倒的に少なかった。だから,米のごはんにもサツマイモを角切りにして混ぜて増量した。このご飯も美味しかった。

 秋も深まり冷たい風が吹きはじめると,蒸かしたイモを薄く切って,ゴザの上に並べて干した。うっすらと白い粉が吹き出てくると完成である。これは保存食として大事に保管された。冬の間のおやつはこのイモ切り干しだった。わたしの育った地方ではイモ切り干しと呼んだが,東京にでてきたら「干しイモ」と呼ばれていて驚いた。

 いまごろになって,突然,こんな話を思い出したのは,ある人から「ジャガイモの苗木にトマトを接ぎ木すると,ジャガイモとトマトの両方ともとれる」という,とんでもない話を聞いたからだ。この話はまたいつか書くことにしよう。

 今日は,サツマイモ畑に花が咲く,という子ども時代(小学校3年生)の,なんとも笑えない懐かしい思い出話まで。 

2013年6月25日火曜日

全柔連上村会長のけじめのつけ方にひとこと。

 昨日(24日)に開催された全柔連理事会のあとの上村会長の記者会見で,つぎの理事会(10月予定)の結果をみとどけて辞任したいと発表。自分の手で「改革」をなしとげることが使命,それがうまくいけば辞める,という。ということは,うまくいかなければ「辞めない」ということだ。

 なんともはや,心根が腐っている。いま,現在の,全柔連会長としての「けじめ」のつけ方がまったくわかっていない。そのことをきちんと教えてくれる人もいない。はだかの王様と同じだ。こうなるとみじめとしか言いようがない。全柔連のほかの理事の人たちはなにを考えているのだろうか。こちらの方も硬直化してしまった組織のなかで,沈黙を守るしかないようだ。こんな組織体に「改革」ができるはずもない。自明のことではないか。

 新しく女性理事4名を加えることが「改革」だと思っているとしたら大間違いだ。これは世を憚るための単なるめくらまし(猫騙し)にすぎない。4名の女性理事を加えたからといって,先輩・後輩のしがらみで硬直化してしまった組織体にはなんの関係もない。世間がうるさいから,添え物として入れておこう,くらいの感覚ではないのか。

 もし,この4名の女性理事のなかで,比較的自由に発言できるとしたら橋本聖子外部理事だけだろう。それでも,橋本聖子氏のこれまでの言動の印象では,こころもとない。自分の役割をきちんとこなすだけの度量があるとは考えにくい。彼女はどこまでも自民党参議院議員としての立場にこだわり,その上での計算・打算で動く人でしかない。全柔連のあり方そのものを大所高所から「批判」するだけの見識も度量もあるとは思えない。それ以前に多勢に無勢だ。

 ましてや,他の3名の元柔道選手の抜擢も,現体制維持に都合のいい人材を選んだことは目に見えている。おそらく,この3名の指名された理事は,なんの疑問をいだくこともなく,すんなりと引き受けるだろう。その程度の認識しかないのだから。だが,そここそが大問題なのだ。

 もし,今回の不祥事の本質がわかっているとしたら,執行部が現体制のままでは引き受けられない,と拒否すべきだろう。それが「15名」の勇気ある女子選手たちの「直訴」への,良識ある応答の仕方というものだ。その点,山口香さんの眼力は鋭い。今日(25日)の『東京新聞』には,このことを力説する山口香さんの発言がきちんと報道されていた。この人はものごとの本質をきちんと理解している。みごとだ。

 一度,腐らせてしまった組織は,もう元には戻れない。ましてや,みずからの手で元に戻すことなどは,余程の奇跡でもないかぎり,不可能だ。新しいワインは新しい革袋に入れろ,という(『新約聖書』マタイ伝第9章)。もともとの意味は,新しいワインを古い革袋に入れると,新しいワインが発酵して(当時のワイン)古い革袋を破ってしまい,こぼれてしまうからだ,という。このことを援用して,イエス・キリストが「ユダヤ教のなかにキリスト教を入れることはできない」という比喩として「新しいワインは新しい革袋に入れろ」と言った,と辞典には書いてある。

 せっかくの4名の新しい女性理事を受け入れるのであれは,その組織体は執行部総入れ換えをしたあとの,まったく新しい全柔連でなくてはならない。そうしないと,いまの全柔連という古い組織体は恐ろしいほどに硬直化しているので,そっくりそのまま飲み込まれてしまう。つまり,朱に交われば赤くなる,を地でいくようなものだ。しかし,ことばの正しい意味で「新しいワインを古い革袋に入れる」と,この4名の女性理事が,本来の理事としての役割をはたせば果たすほどに,古い全柔連という組織体が壊れてしまう,ということになる。そんなことはこれまでの全柔連理事会をみているかぎりでは,まったく期待すべくもない。

 結論は,全柔連は一度,組織解体をして,基礎から立ち上げるしかない,ということだ。そのための蛮勇を奮うことこそ,いまの上村会長のとるべき「けじめ」ではないか。

 それを「10月を目処に辞任」だって? そうではないでしょう。「今でしょ!」

百獣の王ライオンのつもりが,ふと気づいたら山羊になっていたロック歌手の話。

  40半ばのロック歌手の知人と,久し振りに会って話をする機会があった。そのときに,そのロック歌手がとても面白い経験を話してくれた。かれの言うには,自分でもよくわからないが,どことなく快感で,どことなく空恐ろしい,そんな感覚がミックスしているようなところに,いま,おれは飛び出してきて,毎晩,ワクワクしながら真暗な森の闇のなかで練習している,という。

 中学生のときに衝撃的なロックとの出会いがあって,高校生でロックで生きていくことを決意。以後,勉強もそっちのけでロックに全身全霊で没入。それまでは優等生で両親の期待を裏切ることになった,という(この話はご両親からも伺っている)。デビューしてまもなくはそれなりに人気もあって,よし,東京で勝負と決意して上京。必死で頑張ったが,夢敗れて帰郷。その後も,郷里でアルバイトをしながら地味にロックのライブをつづけてきた。

 売れても売れなくてもいい。おれは一匹狼でかまわない。みじから信ずるロックを追求し,それを人に聞いてもらう,それだけでもいい。おれは百獣の王ライオンだ。この高みから吼えるロックはなかなか理解してもらえなくても仕方がないだろう。それでもなお,汚れきった世の中に向かって,あるいは,だらけきった人間に向かって,「それは違うだろうっ!」と鬱積する自分のこころを聴衆にぶっつけることに集中する。そういう自己と真剣に向き合うことをみずからに課してきた。それこそが理想のロッカーの生き方だと信じた。このコンセプトが自分のロックを支えてきた。それだけで,大満足だった。日々のつらいことも乗り越えることができた。

 その練習場として借りていた山羊小屋が解体されることになり,突然,その小屋から追い出されることになった。仕方がないので,近くに墓場のある森のなかの闇夜で練習をしているという。それもたった一人で。山羊小屋の解体とともに,バンド仲間もいつしか解体していた。長年の同志だったが,やはり,家庭の事情や考え方にも少しずつ差異が生まれていた。それも仕方のないことだ,と自分でも納得できた。しかし,おれは百獣の王ライオンだ。どんなことがあってもくじけはしない。最後まで自分の意思を貫くつもりだ。それで野垂れ死にしても構わない。自分の生をまっとうしたい。それが「生きる」ということだ。最後まで一本の道を貫いて生きとおしたい。

 だから,いまは,たった一人で,毎晩,その森のなかに分け入っていって練習をしている,という。そうしたある夜,闇のなかに光る眼が近くでじっと動かないでいることに気づく。どうやら猫らしい。こちらは無視して練習に集中している。猫はじっと聞いているのか,と気づく。えっ,どうして?と変な気持ちになる。この猫が現れる夜も現れない夜もある。が,現れたときにはじっと聞いているとしか思えない,そういう気配が伝わってくる,という。それが最初のきざしだった。

 そのうちに,夜の闇全体が,おれの音楽に耳を傾けているのではないか,ということに気づく。近くの木も遠くの木も,そして,その枝や葉っぱも,みんな聞いている。足元の草むらも,石ころも,みんな一体になっているような気がする。こちらが音を出すと,それにみんなが耳を傾けてくれる。その雰囲気がおれに跳ね返ってくる。それに刺激されて,いつのまにかおれも夢中になって音を出している。森全体と,闇全体と,おれとが一体化していると感ずる。

 そんな夜がつづいたある夜、突然,気づく。おれは百獣の王ライオンではなくなっている,と。これまでのように,こちらから一方的に吼えているだけではない,と。得体のしれない存在全体からの応答に自分が反応し,そこからおれの音楽がはじまっている,と。おれは,おれが音を出して,おれを取り囲む森の闇夜に音楽を聞かせてやっていると思っていたが,気づいたら,音を出せと促され,音楽をやらされている,と気づく。おれはロックをやっていると思ってきたが,そうではない,いつのまにかロックをやらされている。この感覚はなんだ?と気づいたときから,おれの音楽が変わりはじめた。いまは,どんな音が飛び出してくるか,そのときになってみないと自分でもわからない。それが,たまらなく快感であり,同時に,空恐ろしくもある。でも,明らかにこれまでとはまったく違う次元に突入したと思っている。もう,前に進むしかない,と覚悟している。

 さらに,極めつけのことばを吐いた。

 山羊小屋で練習しているときはなにも思っていなかったが,どうやら,その山羊小屋で飼育され,人間に食べられていった山羊たちの霊魂がおれに乗り移ってきたのではないか,と思う。山羊は食べられる時を知っているという。明日はいよいよ食べられてしまうという日は,一日中,「めえー,めえー,めえっ,めえー,めえっ,めえっ」と鳴きつづけると聞いている。そうして「食べられて」しまった山羊たちの霊魂があの小屋にはいっぱい宿っていたのではないのか,そして,おれたちの練習を聞いていたのではないか,と思う。

 その霊魂たちも小屋の解体とともに居場所を失った。どこに行けばいい,と路頭に迷ったはずだ。そうしたら,そんなに遠くない森のなかから,どこかで聞いたような音が聞こえるではないか。よし,あそこだ,というわけで押し寄せてきて,そこにたったひとりで音を出しているおれのからだに乗り移ったのではないか。そう思ったときには鳥肌が立った。どうしようかと思った。でも,ロックは止められない。おれひとりでもやっていく。だったら,この山羊たちの霊魂と運命共同体となればいい,と覚悟する。

 それと同時に,ある強烈なメッセージが山羊たちの霊魂から届いた。「明日は食べられてしまうと思って音を出せ」と。もう,今夜限りだと覚悟を決めて音を出せ,と。そうか,おれは甘かった,と気づく。これまでは,おれが作詩・作曲して,おれが演奏し,おれが歌うことによって百獣の王ライオンであると信じてきた。しかし,それは違うのではないか,と。明日なき「生」を生きる,ぎりぎりのエッジに立って,いま,この瞬間,瞬間に飛び出してくる音だけがすべてだ,と。このことを山羊の霊魂たちに教えられた。

 おれは百獣の王ライオンだと信じてこれまでロックをやってきたが,気づいてみたら,いまや立派な山羊になっていた。明日は食べられてしまう山羊のこころになってロックをやる。このことがなにを意味しているのか,おれにはよくはわからない。でも,この方がはるかに自然な気がする。そして,この方がワクワク・ドキドキ感があって,どこか空恐ろしいが同時に楽しい。

 最後には,もっと踏み込んだ話をしてくれた。おれはどうも自分がなくなっていくような気もする。まるで「無」の境地に近づいていくような気がする。これってなんだろうと思いながら,しばらくは仲良く付き合おうと思っている,とも。わたしは,ただ,ひたすら,感心しながら聞き入っていた。この男,いいところにやってきたなぁ,と。これからが,いよいよかれの持ち味全開のロックの表出となることだろう,と思いながら。そうして,最後は,自分の吐いたことばに,じっと耳を澄ますようにして黙り込んでしまった。これ以上はことばにすることはできない,というサインだとわたしは受け止めた。

 とてもいい話をしてくれてありがとう,とこころからお礼を述べてこの場を終わりにした。
 ほんとうは,かれの話を,わたしのことばで解説したいという欲望が強烈に湧いてきたが,ここは禁欲することにした。黙っていても,かれはかれのやり方で,もっともっといい地平に躍りだすことは間違いないのだから。

 どの世界にあっても,しっかりと対象をみつめ,地道に血のにじむような努力を積み重ねると,人間はみんな同じ「場所」に到達するんだなぁ,としみじみ思う。このロック歌手にこころからのエールを送りたい。

田中英光の短編小説『桜』を読む。

 今週末に予定されている『スポーツする文学 1920-30年代の文化詩学』(疋田雅昭/日高佳紀/日比嘉高編著,青弓社,2009年)をテクストにした研究会(「ISC・21」6月奈良例会)が近づいてきて,なんとなくわくわくしはじめています。なぜなら,このテクストの編著者たちのお話が伺えるということなので,こんなありがたい話はないと思うからです。

 以前から,この本の存在は気がかりになってはいましたが,なかなか踏み込んで読む,というところまではいかないままでじた。が,今回の奈良例会では,世話人の井上邦子さんが,このテクストの編著者のひとり日高佳紀さんと連絡をとってくださり,うまくことが運びました。ほかの編著者の方たちも2名ほど参加してくださるとのことですので,われわれとしても失礼のないように・・・・と考えている次第です。

 詳しい情報は,「21世紀スポーツ文化研究所」(ISC・21)のホーム・ページの「掲示板」にアップされていますので,そちらをご覧ください。

 で,わたしに与えられた役割は,このテクストの最後の章「スポーツしない文学者──祭典の熱狂から抜け落ちる『オリンポスの果実』」(疋田雅昭)のコメンテーター。とはいっても内輪の小さな研究会ですので,学会やシンポジウムなどとは違って,ごくアットホームな雰囲気のなかでの話題の提供。でも,一応は他流試合のような「場」になることは間違いないので,それなりのマナーは必要かと考え,できるだけの準備はしていこうと考えているわけです。

 といいますのは,このテクストの著者のみなさんは日本文学の専門家ばかり。それに引き換え,わたしたちはスポーツ史・スポーツ人類学・スポーツ文化論をフィールドにして研究をしてきたグループです。ですから,言ってしまえば,視点が間逆になっている,と言ってもいいかもしれません。たとえば,わたしたちは「スポーツ」という窓口から「文学」に踏み込んでいくのに対して,このテクストの著者の方たちは「文学」を拠点にしながら「スポーツ」を読み解く,というように。

 ですから,わたしたちに不足するものは「文学」についての基礎的な教養です。そのギャップを埋める努力はしておかなくては・・・とわたしなりに考えているところです。そんなわけで,まずは,書店で手に入った『桜・愛と青春と生活』(田中英光著,講談社学芸文庫,1992年)を読みはじめました。その冒頭に「桜」が載っています。田中英光という作家の出自を知る上では,なかなかいいテクストではないかと思いました。その冒頭の書き出しは以下のようです。

 「ぼくの家の祖先は伊予の国の住人,河野通有だということである。もちろん,系図などある家柄ではないから,確な保証はできないけれども,幼年時に,父からなんども直接聞いた話だから,間違いないことだと自分では信じている。歴史家であった父は,ぼくの十二のとしに,悲しくも,この世を去り,母は頭が古すぎ,兄はまた新しすぎて,それぞれ家系などに興味はないようであるから,いま,東京に手紙を出しても,簡単に確める方法はない。けれども,ぼくの記憶に残る父の話をいくらか思い出してみると,とあれ,伊予の国から土佐の国に移り,岩川氏を名乗ったのは,そう古いことではないようだ。
 むろん新しいと言っても戦国時代以後のことではあるまい。長曽我部氏が覇(は)を称(とな)える以前に,土佐に移り,長曽我部氏に亡ぼされた,確か豪族の遺臣であったように思う。だから,長曽我部浪人には関係なく,まして,関ヶ原以後移住してきた山内家の上士にもなれなければ,下士でもなかった訳げある。」

 少し長くなってしまいましたが,こういう家柄の出身であるということを,田中英光ははっきりと意識していたということは注目していいのではないか,とおもいます。かれの父親は長男であるにもかかわらず,家出をして上京し,苦労の末に,高級官僚としての出世街道を走ります。もう少しだけ,さきの引用のあとを書いておきたいとおもいます。

 「高知から四里ばかり離れた,土佐山村という,まったくの山の中に引っ込んで,近世は代々農(のう)をももって生活を営(いと)なんでいたらしい。しかし,まったくの農夫になり切らなかったということは,ぼくの曾祖父さんが村の神主をしていたという事実だけでもわかる気がする。曾祖父の岩川秀彬は関山と号する漢詩人で,村の寺子屋の先生もしていて,儒書(じゅしょ)をもっぱら講じていたらしいが,それより,亡父がいつも自慢にしていたのは,熱心な国学者で,したがって,その時代としては立派な尊王家であったということだ。」

 こんなことを知ると,やはり田中英光という作家も,相当の家柄の出身であることがわかってきます。土佐の山奥の出でありながらも,そのむかしは相当の名のある豪族であったこと,だからこそ,こんな山奥まで逃げのびる必要があったこと,もみえてきます。むかしから,山奥から偉大な人物が輩出することはよく知られているとおりです。

 この短編小説は,このあと,作家の記憶を頼りに「岩川家」にかかわる人脈や出来事が,かなり露骨に描かれていきます。そして,最後には,父が出奔した土佐山村の実家まで,尋ねていきます。そして,そこでの感慨がみごとな描写になっていて,読む者のこころを打ちます。

 その一端を引いて,このブログを閉じたいとおもいます。

 「山高く水清いこの土地で,父が燃やした世俗的な野心は,かえってお初さんの忍従さに負けた気さえした。いや,父ばかりではなく,当時の地方の新青年たちは,なにを追って東京市に出ていき,東京であくせく闘ってきたのであろう。政治,学問,芸術,それら純粋なるべきものの,かえって不純な姿を,お初さんの無言実践十年の婦道(ふどう)に較べてみた。ぼくは,お初さんの行き方ほど,清潔で緩みのないものをぼくは知らなかった。金のためでも名のためでも欲情のためでもなく,お初さんは日本の血と土地,そのままに生きてきた。」

 ※お初さんとは,田中英光のいとこの嫁。つまり,父が出奔してしまったために,父の弟が跡を継ぎ,その息子が跡を継いでいる。が,ここには大きな悲劇があった。父の弟が病に倒れ,その跡取り息子が発狂してしまう,という事件が起きる。田中英光の父親は驚いて駆けつけ,その場で,なにをやっていたのだと弟を叱責します。そのために弟は首をつってしまいます。病に倒れた父もまもなく死んでしまいます。残されたのは,発狂したままのいとことその嫁のお初さんと息子(12歳)だけ。お初さんは発狂したままの夫の世話をしながら,農業に勤しみ,息子と二人でこの家を守っています。このお初さんの「自然そのままに生きて」いる姿に,田中英光は感動してしまいます。その描写が,最後のクライマックスとなります。

 ※わたしにはとてもいい小説だと思いましたが,解説を書いた川村湊は,なぜか上から目線で田中英光を見下ろすような論評をしています。なにかないものねだりをしているように見受けられたのですが,これは,わたしとは立場が違うから,という単純な問題ではないと考えています。シモーヌ・ヴェイユが『根をもつこと』のなかで主張していることと,どこかで響き合うものが,わたしには感じられ,川村湊の論評には賛同しかねます。もちろん,素晴らしい指摘がたくさんあって,とても勉強になることは間違いありませんが・・・・。それでも,最終的に田中英光という作家をどう評価するのか,という点ではまったく違う結果になってしまいます。

 ※こういうところまで降りていって,『オリンポスの果実』をどう読むかという議論ができると面白いと考えています。

2013年6月24日月曜日

都議選は参院選の前哨戦,と言いくるめるメディアはいったいなにを考えているのか。

 都議選で自民党が圧勝,全立候補者が当選した,という。この勢いで参院選も自民党が圧勝するだろう,とメディアは口をそろえる。その根拠に小泉内閣のときの「連勝」神話を,もっともらしくメディアはもちだしてきて,その裏付けにしようとしている。これをくり返されると,テレビの報道に信をおいている視聴者の多くは「ああ,そうなんだ」と無意識のうちに刷り込まれてしまう。もう,すでに,メディアは選挙運動を展開しているようなものだ。

 NHKもふくめて,テレビ・新聞などのメディアのほとんどは原子力ムラの一員だといわれているので,足並みを揃えるかのようにして「都議選は参院選の前哨戦」「連勝」と言い募るのもよくわかる。そして,このままの勢いで参院選も自民党の圧勝へとつなぎたい,その気持ちもよくわかる。

 しかし,そうは問屋が卸さない。

 第一に,都議選と参院選では選挙の論争点がまったく違う。参院選では憲法改定が大論争となるはず。しかも,憲法改定に関しては,無党派層からの鋭い批判がある。とりわけ,子どもをもつ母親は再軍備などはさせない,わたしの子どもを戦争に行かせるわけにはいかない,と強く思っている。都議選には憲法改定の議論はほとんど無視された。もっと言ってしまえば,都議選で政党間の論点になったのはなにか,これにきちんと答えられる人はどのくらいいるだろうか。メディアもほとんど取り上げなかった。だから,なんとなく元気が良さ実にみえる自民党・公明党に票が流れただけの話ではないか。というか,民主党を筆頭にほかの党が自滅してしまっただけの話。その間隙を縫うようにして,漁夫の利をえたのは共産党だ。

 こうした憲法改定を筆頭に,参院選では論争となる点が目白押しである。東日本大震災後の復興に向けて法律はつくったものの,この一年間,なにも手をつけないまま無策であった,という衝撃的なニュースが流れている。被災地の人びとの参院選に向けての選挙行動はそんなに甘くはない。同じように,原発再稼働に向けて自民党が動きはじめていること,のみならず世界に向けて原発を売りに歩く「死の商人」を首相みずからが演じ,世界を飛び回っていること,などにも鋭い批判があること。これらも都議選と参院選とを同列には考えられない大きな理由である。

 TPPが日本の農業を破壊することを危惧する農協の存在もまた,参院選では大きな影響を及ぼすだろう。しかし,都議選では,農協の組織票はほとんど影響はなかったはずだ。同じように,中小企業の関係者も,都議選にはあまり大きな影響力はなかったようだ。しかし,参院選では無視できない存在となるはず。

 沖縄自民党は政府自民党と真っ向から対立している,この矛盾。

 などなど,都議選と参院選では,選挙の「土俵」が違う。なのに,都議選を参院選の前哨戦と公言してはばからない。いったい,メディアはなにを考えているのか,といいたくなる。そして,とどのつまりは,ああ,あの原子力ムラの代弁者なのか,というところに落ち着いてしまう。

 もう少し視点を変えてみると,都議選では投票率(43・5%)が史上第二位の低さだったこと,がある。その理由について考えられることは,多くの都民が自分の一票を投じたくなるような候補者がいなかったということ。その結果として,政党支持基盤の強い自民党,公明党,共産党の3党が躍進し,あとは沈没してしまった。自民党候補が全員当選したというが,その総得票数はそんなには伸びていないはず。その代わりにほかの政党の得票数が伸び悩んだだけのこと。

 参院選では,以上のようにどうしても避けては通ることのできない論点が目白押しである。したがって,その論点をめぐって激しい選挙戦が展開するはずであるし,国民の関心も高くなるはず。だとすれば,投票率は都議選よりはかなり高くなると考えられる。つまり,政党支持基盤のはっきりした組織票とは別に,無党派層の票が伸びてくるということだ。となると,都議選とはまったく違った展開が参院選ではみられることになるだろう。

 このほかにも,都議選と参院選とは決定的に違うという根拠はいろいろある。が,これだけ挙げておけばもう充分だろう。あとは,みなさんで数え上げてみてください。

 このブログでいいたいことは,以下のとおりです。
 メディアというものは,幸か不幸か,意識的にか無意識的にか,結果的には明らかに「世論を操作する」力を持ち合わせている。つまり,わたしたちは知らぬ間にメディアの情報に左右されている,ということだ。だから,都議選は参院選の前哨戦だ,などと繰り返して言ってくれては困る。そして,「連勝」は確実,などとも言ってほしくはない。視聴者の無意識を操作してしまうからだ。

 だから,わたしたちは,このことを前提にしてメディアとの対応の仕方を,戦略的に考えておかなくてはならない。これはとてもむつかしいことではあるが,選挙をするのはわたし自身なのだから。

4日間,部屋の片づけと格闘していました。久し振りの体力勝負。疲労困憊。全身,筋肉痛。でも,いたって元気。

 今週の木曜日(20日)から4日間,ぶっ通しで部屋の片づけをしていました。片づけといっても,ただの片づけではありません。築30年を経過した古いマンションですので部屋の下をとおっている給排水管を全部,新しいものと取り替える工事が7月中旬に予定されていて,その工事のためのスペースをつくらなくてはなりません。

 簡単に言ってしまえば,四つある部屋のうち二つの部屋を空っぽにしなくてはなりません。ですから,四つの部屋にびっしり詰まっていた荷物(そのほとんどは書籍と古くなった書類,雑誌類,など)を二つの部屋に移動させなくてはりません。が,そのスペースはまったくありません。では,どうするか。すべての部屋に分散しているすべての荷物を総点検して,必要最小限のものを残し,あとはすべて廃棄処分にする,そうして,絶対量を半分に減らす,というところからとりかからなくてはなりません。そこで,まずは,そのための区分けがたいへんだ,というわけです。

 しかも,この区分けは他人さまにお願いできる仕事ではありません。ただ,ひたすら,わたしの決断ひとつで「えいやっ!」と決めるしか方法はありません。この決断がたいへんでした。残すか残さないかの判断の基準などというものは,そんなにかんたんには決まりません。少しずつ作業をしながら,このあたりが選別のラインかな,というところが少しずつみえてきます。それでもなお,その日の気分によって,午前と午後では変わってきてしまいます。まあまあ,そんな具合でもっぱら自分自身と葛藤していました。「捨てる」ということはとてつもなく勇気の要る仕事だ,とあらためて知らしめられることになりました。

 その上で,区分けして残すものを段ボール箱に詰めて,ビニール袋をかぶせて,ベランダに積み上げる仕事と,廃棄処分にする書類や書籍・雑誌などを縛ってリサイクル資源にまわすものと,一般のゴミ処分にするものとを区分けしなくてはなりません。

 ですので,後者の仕事は,沖縄から二人の助っ人を依頼して,強引に呼び寄せ,手伝ってもらうことにしました。が,終ってみれば,この二人の助っ人が大活躍。一人はわたしの区分けしたもののうち,廃棄処分にしたものを再チェックしながらロープで縛る仕事をしてくれ,もう一人は保存する書籍を段ボールに詰めて,ヴェランダに積み上げる仕事(その前に,すでにヴェランダに出してあった大量のゴミを処理して,大掃除をする仕事がありました)に取り組んでくれました。この二人がみごとに獅子奮迅の大活躍をしてくれ,大助かりでした。

 沖縄からやってきた助っ人は身内の若い二人で,気力も体力も集中力もすっかり衰えてしまったわたしなどとは比べ物にならないほど,長時間にわたり,じつに内容のある仕事をしてくれました。若さはすごいなぁ,とあらためて感心してしまいました。

 それでも,最終ゴールまでは到達できませんでした。が,全体計画のほぼ7割は終わりましたので,あとの3割の仕事はわたしがひとりでこつこつとやることになります。でも,あと少しと,そのゴールはみえていますので,なんとかやり切れるのではないか,とほっと一息です。

 今日(23日)の午後5時で仕事を打ち切り,助っ人は羽田に向かいました。最寄りの駅まで見送って,戻ってきたら,どっと疲れがでてきたので,とりあえず,シャワーを浴びて,ひと眠りしました。それから夕食の支度をして,泡盛を少々。またまた,眠くなり,またひと眠り。ふたたび起きてきたら,こんどは早くも全身筋肉痛。おやおや,ず。久し振りの体力勝負で精根つきはて,筋肉まで音をあげているようです。

 少しからだを休ませて,また,残りの作業に取り組みたいとおもいます。
 病気をしていたわけではありませんので,どうぞ,ご安心ください。
 取り急ぎ,ブログを休んでしまったいいわけまで。

2013年6月20日木曜日

脱原発の報道が激減し,原子力ムラが復活する,この不気味さ。

 原発再稼働の申請が出されたとか・・・・・。原子力規制委員会が大飯原発再稼働を容認する方向だとか・・・・。死んだふりをしていた原子力ムラがふたたび機能しはじめたとか・・・・。安倍首相は「死の商人」と化して原発のセールス・ゲームに夢中だとか・・・・。

 その一方で,脱原発の声はかき消されてしまっている(『東京新聞』「社会時評」吉見俊哉・「かき消される脱原発の声」「事故の教訓手放さない」18日夕刊)。

 喉元すぎれば熱さ忘れる,という。だから人間は大きな悲劇をやり過ごして,生きていくことができる,ともいう。しかし,忘れてはいけない記憶・教訓まで忘れてはいけない。自分の首を締めたり,子どもたちの命を縮めてしまうようなカタストローフは,どんなことがあっても回避しなければいけないし,忘れてはいけない。なのに,いまの政府自民党は,すでに綻びをみせはじめた「アベノミクス」を旗印にして,そのカタストローフに向かって一直線。脇目もふらず猛進(盲進?)している,かにみえる。

 その頃合いやよしと判断したのか,しばらく死んだふりをしていた原子力ムラがふたたび息を吹き返し,表立って動きはじめている・・・・という。その顕著な例が原発再稼働への一連の流れだ。これから夏場に向かって,まざに出番だとばかりに・・・。

 そういえば,最近のデパートは以前にも増して「明るい」。どうみても過剰照明だ。その上,エアコンが過剰に効いている。老人は5分いるとからだが冷えてしまって,どうにもならない。スーパー・マーケットも同じだ。汗ばんだからだは一気に冷えてしまって,寒い。寒いから外に飛び出す。ほっとする。電車も同じ。駅舎もぐんと明るくなった。エアコンもがんがん効かせていて寒い。だから,常時,上着をもっていないと,都心にでることもできない。

 なんという矛盾。電気をもっと使え,とどこかから指令がでているのではないか。そして,電力不足を「記事」にして,やはり,原発再稼働は必要なのだ,と。みえみえの仕掛け。

 折も折,官房機密費が年間約12億円が支出されているという報道。どこに,どう使おうと一切公表する必要のないカネだという。闇から闇へ。一部の報道では選挙資金にも流れている,とか。一ヶ月約1億円。メディア対策に用いられてもなんの不思議もない。いまや政治はメディア頼みの時代だ。わざわざメディアの眼を引くような「事件」まででっち上げる時代だ。

 選挙運動で候補者に限りインターネットを利用することができる,とわざわざ法律までつくった。ついに「メディア・政治共同体」を構築し,政治が世論を積極的に操作する時代に突入してしまった。それでいて,監視の眼を張りめぐらせる,という。このときの「監視の眼」とは,だれにとっての「監視」なのか。こちらも原子力規制委員会と似たようなものになりかねない。ならば,いっそのこと選挙民にもインターネットを解放して,選挙運動を展開できるようにすればいいのに。そして,とことん「メディア合戦」をやればいい。選挙が面白くなる。若者も参入(乱入)すること間違いなし。

 それにしても,脱原発運動の報道がほとんど眼につかなくなってしまった。吉見俊哉氏が憂えるのもうなづける。わたしは吉見氏とは違ってもっと下品な「勘繰り屋」だから,原子力ムラと官房機密費が手を組んで「脱原発運動」つぶしにかかってきたか,とまことに「素直に」そう思う。こうして,いつのまにやら脱原発運動も終ったらしい,と世間に思わせれば,すべて「めでたし,めでたし」,ということらしい。

 しかし,そうは問屋が卸さない。毎週金曜日には首相官邸前での集会は絶えることなくつづいている。そして,それ以外の場所でも脱原発運動は,さまざまなやり方で展開している。ただ,メディアが無視するだけである。なぜ,メディアは無視するのか。メディアも立派な原子力ムラの一員であるからだ。

 これまでも何回も書いてきたが,原子力ムラとは,政界・財界・学界・報道界・官界の「五位一体」となった運命共同体なのだ。言ってしまえば,わたしたち「世俗界」は八方塞がりになっているということだ。つまり,完全に包囲されてしまっているのだ。それでも,原発は危ない装置なのだということが眼の前で証明されてしまうと,さすがの原子力ムラの「住民」も,一時的に「避難」して,死んだフリをしていた。ところが,頃合いやよし,ということになるとまたぞろ動きはじめる。

 これから一ヶ月。フクシマ,東北復興,沖縄基地,尖閣,TPP,ロシア,憲法,選挙の格差,原発,医療,介護,貧富の格差,正社員とそれ以外,学校教育,体罰,不祥事の連鎖,等々の多岐にわたる政治課題に,とりあえずの結論を出さなくてはならない。幸いなるかな,このところの地方選挙では自民党が大敗している。

 メディアが無視しているだけで,意外に「民意」はしっかりしているのかもしれない。

 わたしの選択の基準は簡単明瞭。いのちとカネとどちらを大事と考えるか。ドイツは「いのち」を選んだ。アメリカは「カネ」に執着している。アベノミクスは「カネ」のみ。「いのち」はいらないらしい。原子力ムラは自分の「ふところ」が温まればそれでいい,お互いの傷を舐め会う「仲良しクラブ」,人非人の集団。

 生きていてこそ「なんぼのもの」。カネが浴びるほどあっても放射能で汚染されたら「おしまい」。生身の人間として「生きる」こと,そこに「根」をはり,互助精神と情愛を軸に社会を再構築する,そのことを最優先する政治家がでてこないか。首を長くして待っているのに・・・・。新人よ,いでよ。インターネットだけで選挙運動もできる。若者の出番だ。ネットの威力を見せつける絶好のチャンスだ。

 それにしても,不気味な雰囲気が,いま,日本の社会を覆っている。この不気味さを取っ払うこと,その第一歩は「脱原発」。すべては,そこから,とわたしは考えている。断じて原子力ムラを復活させてはならない。

何回も言っておこう。「脱原発」からの世直し。出直し。原子力ムラという「妖怪」をつぶすこと。


2013年6月19日水曜日

スポーツのグローバル化とドーピング問題にどう向き合うか。

 「スポートロジイ」(Sportology=スポーツ学)と銘打つ新たな「学」を立ち上げ,その実績を世に問うために,われわれはどこから手をつければいいのか,と考えつづけてきた。当然のことながら,しかるべき手順を踏んで,一歩一歩前に進むべきではないか,と悩み考えた。しかし,そういう近代的なアカデミックな方法論の呪縛にとらわれているかぎり,モダニティに取り囲まれたフィールドの内側でのリング・ワンデルングから抜け出すことはできない,と気づく。ならば,モダニティの呪縛の外に飛び出し,まずは,隗より始めよ,である。

 われわれ「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)の研究員が,ここ数年にわたって取り組んできた研究テーマのひとつは「グローバリゼーションと伝統スポーツ」であり,もうひとつは「ドーピング問題」であった。前者のテーマについては,2012年8月に開催された第二回日本・バスク国際セミナー(神戸市外国語大学主催)で議論され,一応の成果をあげえたと考えている。そして,後者のテーマは「ISC・21」が主催する月例研究会でたびたび議論を積み重ねてきたものである。そこで,この二つのテーマを第二号の特集テーマとして設定することにした。

 第一特集・グローバリゼーションと伝統スポーツには,国際セミナー開催時に特別ゲストとして参加していただいた今福龍太,西谷修の両氏による基調講演が収められている。お二人とも,「ISC・21」の月例研究会にも何回も足を運んでくださり,わたしたちの意とするところを充分にくみ取ってくださった上での基調講演である。「スポートロジイ」の新たなる可能性に道を切り開く貴重な示唆に富んでいて,わたしたちを大いに勇気づけてくれる内容になっている。また,それに呼応するようにして若手研究者による原著論文三本がつづく。これまでの閉塞的な研究方法論の枠組みを悠々と乗り越え,伸びやかな感性のもとで魅力的な論考を展開している。


 第二特集・ドーピング問題を考える,の二本の論考もまた鮮烈をきわめる。一本は,これまで門外不出とされてきたドーピング・チェックの世界にメスを入れた元ドーピング・ドクター伊藤偵之さんによる研究報告である。眼からウロコが落ちる,そういう情報に圧倒されること間違いなし,の論考である。もう一本は,フランスの哲学者パスカル・ヌーヴェルによるドーピング問題の核心に触れる論考である。アンチ・ドーピング運動の正当性が根底から揺さぶられる問題提起になっている。橋本一径さんの手になる気合の入った翻訳紹介。いずれも本邦初公開であり,ドーピング問題に関心をもつ人にとっては必見・必読の論考である。

 これらの特集に加えて,もう一本の貴重な論考を上梓した。わたしたちの月例研究会では,ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン──惨事便乗型資本主義の正体を暴く』上・下(幾島幸子・村上由見子訳,岩波書店,2011年)の読書会を積み上げ,議論を重ねてきた。そして,最後にその仕上げの意味で西谷修さんを囲む「合評会」を開催した。そのときのメモリアルとして西谷修さんが書き下ろしの論考を寄せてくださった。わたしたちの熱意に応答する西谷さんの渾身の力作といっていい。グローバリゼーションとはどういうことなのか,を考えるための重要な礎を得た思いである。いまも加速しながら進展をつづけるスポーツのグローバリゼーションの問題系を考える上で,これからますます重要視される論考になることは間違いないだろう。

 最後に,「スポーツとはなにか」という根源的な問いをつねに内に秘めつつ,その問いに応答しうる思想・哲学的な根拠を求める「研究ノート」(スポーツの<始原>をさぐる──ジョルジュ・バタイユの思想を手がかりにして)を掲載した。なぜ,ジョルジュ・バタイユの思想に注目するのか,なぜ,「スポートロジイ」の根拠をそこに求めようとするのか,を明らかにしようという意欲作である。

 以上が第2号の概要である。

 21世紀のスポーツ文化を模索する「ISC・21」の研究紀要『スポートロジイ』の第2号が,西谷修,今福龍太,橋本一径,伊藤偵之の四氏の力強い後押しによって,無事に世に送り出されることをこころから感謝したい。そして,これを励みに,毎月開催している月例研究会により一層の情熱をそそぎたいと思う。さらには,今日から,第3号の発行に向けて準備に取りかかりたい。

 併せて,読者のみなさんの忌憚のないご批判をいただければ幸いである。

 2013年6月15日 ようやく梅雨らしくなってきた空を見上げながら
             21世紀スポーツ文化研究所(「ISC・21」)主幹研究員 稲垣正浩

 これは『スポートロジイ』第2号の「巻頭のことば」の全文です。今日(19日),初校ゲラがでてきて,再度,読み直してみたら,第2号の概要を簡潔に紹介していることがわかり,これは早速に,このブログでも紹介しておこうと考えた次第です。編集を担当してくださっているみやび出版の伊藤雅昭さんも「とてもいい内容になりましたね」と応援してくれました。わたしも,そう思っています。ちょっとした話題になるのではないか・・・と楽しみです。

 ということで,『スポートロジイ』第2号の前宣伝まで。
 

2013年6月18日火曜日

『スポートロジイ』第2号,いよいよ刊行へ。巻頭言,編集後記を送信。書店に並ぶのが楽しみ。

 今日の午後から頭痛が激しくなってきて,母親を思い出していました。わたしの母親は天気予報ができる「頭痛」をもっていました。明日の天気を聞くと,しばらく頭の様子を伺ってから,いまの頭痛の具合からすると・・・・と前置きをしてから,たぶん,雨が降るとか,午前中は雨かもしれないが午後には晴れてくる,という予報をしてくれました。これが,また,不思議によく当たるので,わたしは頼りにしていました。

 その体質を遺伝的に受け継いだのか,加齢とともに母親の「頭痛」がわたしのものとなりつつあり,いつしか天気予報ができるようになってきました。しかし,残念なことに,母親の当たる確率の足元にも及びません。が,このところよく当たるようになり,傘をどうするかの判断のひとつにはなってきました。他人さまに迷惑をかけない範囲で,今日は晴れるとか,明日は雨だとか,自分で占って楽しんでいます。

 今日の午後は,突然の頭痛でしたので,前線が動いたな,そして,まもなく頭上を通過するな,ということは場合によっては,この蒸し暑さからすれば雷をともなうにわか雨がくるな,と判断しました。それで,あわてて事務所を引き揚げ,帰宅しまた。溝の口の駅を降りたら,パラパラと雨が落ちてきました。あわてて丸井に飛び込んで,少しだけ雨宿り。一雨きて,小降りになったところで,自宅に駆け込みました。自分の部屋に入り,真っ黒になっている東の空を眺めながら,さあ,来い,と雷雨を待っていましたが,それは来ませんでした。ですから,今日のところは半分当って,半分はずれ,というところ。気がついたら,頭痛もすっかり消えていました。

 昨日のうちに『スポートロジイ』第2号(「ISC・21」研究紀要)の編集業務を完了しようと必死に取り組み,予定していた「巻頭言」と「編集後記」を書き終え,みやび出版の伊藤さんのところに送信。これで,ひとまず,書くべき原稿はすべて完了。あとは,わたしの「研究ノート」のゲラ校正を終えれば,すべて完了です。そう思って,昨夜からゲラの校正にとりかかっていました。

 しかし,もともとの原稿が,このブログで書いたものですので,精粗にばらつきがあり,それを調整しようととりかかりました。が,それをやりはじめたらエンドレスだ,ということに途中で気づき,そのための時間がないので,しばし腕組みをして熟考。この「研究ノート」(スポーツの<始原>について考える──ジョルジュ・バタイユの思想を手がかりにして),よくよく読み返してみると,いいところは抜群にいい,われながら感心してしまうほどいい,しかし,駄目なところはまことにお粗末,いっそのこと全部カットしてしまおうか,と考えたり・・・・。こころが大きく右へ左へと揺れ動きます。でも,最後は,せっかくゲラにまでなったのだから,全部,掲載することにしよう,と決意。そして,時間の許す範囲で,精一杯,直しのできるところは直して,間に合わないところは眼を瞑ってそのままとすることにしました。

 これで明日,みやび出版の伊藤さんにゲラ校正を渡せば,とりあえず,わたしの仕事は完了。ほっと一息,というところで,いま,このブログを書いています。いつも思うことですが,最初の構想の段階と,最後の校正ゲラを読むときとでは,まったく違う世界がそこには広がっているということです。たとえば,最初に,どの原稿を第2号に掲載するかの目星をつけます。その段階で,ほぼ,すべては決まりなのですが,なんとなく全体がよく見えないまま,まあ,こんなものかという程度のところで見切り発車をしていきます。そうして,巻頭言を書く前に,他の人たちのゲラにひととおり眼をとおします。すると,そこには驚くべき光景が待ち受けています。ゲラになったとたんにワン・ランク,いや,それ以上にレベルアップしているのです。

 このゲラに,人によっては,さらに徹底的に推敲を重ね,見違えるような読物に仕立て直すことになります。このゲラの校正の段階で,素人の書き手とプロの書き手の,圧倒的な「差」を見せつけられることになります。これは,毎回,痛感するところです。やはり,活字になるということはたいへんなことですので,それなりにきちんとしておかなくてはなりません。話し言葉は,そんな記憶はありません,で逃げ切ることはできますが,文字は一度刻印されたら消えません。不動の証拠となります。ですから,ほんとうはしっかり校正しなくてはいけません。が,だいたいは,時間を切られていますので,充分なことはできません。その時間を無視してでも校正にエネルギーをそそぎこめるようになれば,一流というところでしょうか。なかなか,その境地に達するには,相当の修行が必要なようです。

 しかし,みやび出版の伊藤さんからの連絡では,みなさん,約束の時間内に,しっかりとゲラに朱を加えて,素晴らしい読物に変身しているとのこと。そして,どの論考も素晴らしい,とのほめ言葉。この厳しい眼力のも持ち主の伊藤さんが褒めることは滅多にありません。それを知っているだけに,えっ,ほんまですかっ?と思わずツッコミを入れてしまいました。

 ゲラを通読しただけでも,今回の『スポートロジイ』第2号は素晴らしい,とわたしは受け止めていました。それが,もっと推敲されてよくなっているとしたら・・・・,わたしは,いまから刊行が待ち遠しくて仕方がありません。

 いま,パリに滞在中の西谷さんも,超多忙の今福さんも,真っ赤になるほどの朱を入れてくださったとのこと,その気合の入れ方になみなみならぬ気魄を感じます。それに比べたら,わたしなどはまだまだ駆け出しだなぁ,と反省することしきりです。

 それでも,わたしなりの「思い入れ」は巻頭言に書いておきました。書店で,ぜひ,手にとって確認してみてください。7月20日刊行を目標に,いま,仕事をすすめています。刊行されましたら,入手の仕方など詳しい情報をこのブログでもお知らせしたいとおもいます。

 グローバリゼーションと伝統スポーツ,ドーピング問題を考える,が特集の二つの柱です。ちょっと類書をみない内容になっています。その意味では自信作です。乞う,ご期待!

「96条の会」発足記念シンポジウムを取り上げたNHKのテレビ・ニュースに,わたしが映っていたとパリから情報が入る。

 世の中は不思議なことがありすぎて,わたしなどは,もはやついてはいけないことが日々,多くなってきて困っています。たとえば,こんなことがありました。

 今日(17日),フランスのパリに滞在しているNさんからメールが入り,NHKのテレビ・ニュース(6月15日朝放映)に「ばっちり映っていましたよ」と教えてくれました。まさか,あのNHKが「96条の会」のシンポジウムを取り上げるなどとは夢にもおもっていませんでしたので,びっくり仰天です。それにしても,なぜ,パリから?

 こういう時代なのでしょうか。国内にいようが,いまいが,情報の流れはどこにいようとほとんど変わらない,ということ。つまり,こちらのレシーパーの感度の問題だ,ということ。レシーバーの感度が鈍ってしまったら,どこにいようが同じこと。情報を選びとる時代を生きるということは,こういうことなのだ,とまずは覚悟する必要がありそうです。

 ちなみに,Nさんは「96条の会」の発起人のひとり。ですから,いま,パリに滞在していても6月14日に行われた上智大学での「96条の会」発足記念シンポジウムが,どのようななりゆきであったのか,ずっと気になっていたのだとおもいます。ですから,そこにアンテナを張っていたら,必要な情報が飛び込んできた,ということのようです。いまや,世界のどこにいようとも,必要な情報を得ようと思えば,いかようにもなる,そういう時代なのだ,ということをいまさらのように知らしめられたできごとでした。いまや,情報は「受け身」ではなく,積極的に自分の意思で「探索する」時代に入ったということの典型的な事例に出くわしたという次第です。

 ちなみに,ニュースの映像を確認したい方は以下のアドレスでどうぞ。
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/2013615/k10015318441000..html

 ほんの一瞬ですが,なるほど,わたしが映っています。それを目敏く見つけたNさんの眼力に敬服です。たぶん,わたしが家のテレビでみていたとしても,気づかなかったのではないかとおもいます。なにせ,わたしの親しくしている友人たちからも,なんの連絡も入りませんでした。だれも気がつかなかった,ということなのでしょう。

 わたし自身は,最近は,NHKのニュースをほとんど見なくなってしまいました。なぜなら,腹が立って腹が立って仕方がないからです。いま,なぜ,このニュースなのか,と。もっと重要なニュースがあるだろうに。ディレクターはなにを考えているんだ,とまたまた吼えてしまうからです。ならば,見ない方が精神衛生上いい,と判断しました。その代わりに,インターネットで,こちらの知りたい情報だけを,選んで読むことの方が健全ですし,ネット検索をとおして,みずからの思考を練り上げることも可能だからです。この方法の方がはるかに世界の動向を見極めるには有効だということもわかってきました。

 こんな個人的なことを書いたのはほかでもありません。わたしたちが日常的に受け止めている情報には限りがあるということを再確認しておきたかったからです。つまり,その限られ情報にもとづいて自分の見解を構築し,行動しているという事実を,そして,それ以外には方法はないという事実を,あえて再確認しておきたかったからです。すなわち,人間が生きるということは,どこまでいっても「ドグマ的」である,ということです。

 いま,パリにいるNさんが,早くから,ピエール・ルジャンドルの「ドグマ人類学」に注目し,多くの翻訳本を世に送り出していることもよく知られているとおりです。しかも,あえて,みずから「日本ドグマ人類学会事務局」を任じていることも,こういうことをとおして納得させられてしまいます。もっとも,Nさんは,ルジャンドルのいう「ドグマ」ということばの正しい意味での解釈をした上での,独特の運動を展開なさっていることを断っておきたいとおもいます。

 ルジャンドルで検索すれば,ここで言う「Nさん」がだれであるかも自明のことです。ついでに,るじりんどるの本もぜひお薦めですので,読んでみてください。たくさんの翻訳本が,いま,書店に並んでいます。

 Nさん,いまごろは,ひょっとしたらルジャンドルとワインでも傾けながら楽しい会話がはずんでいるかもしれません。ワインもほんのちょっぴり舐める程度にしか飲めないNさんではありますが・・・。でも,一献傾けながらの雰囲気を存分に満喫する「わざ」も心得ていらっしゃるNさんです。短期の外国出張ですが,どうぞ,お元気で,パリの生活をエンジョイしてきてください。

 また,7月からの名講義をお待ちしています。

 なにか,気がつけば,Nさんへのメールの応答をしているようなブログになってしまいました。お許しのほどを。

2013年6月17日月曜日

パワー・ポイントによるプレゼンテーションについて,ひとこと。

 まだ,大学に勤務していたときから,折にふれ異議申し立てをしていたのですが,一向に相手にもされず一笑に付されたまま,納得できないでいたことのひとつにパワー・ポイントによるプレゼンテーションがありました。たとえば,大学院の修士論文や博士論文の審査会などでパワー・ポイントによる発表がなされることが多くありました。これはこれでいいとおもっていました。この方がわかりやすいという点では文句はありません。しかし,発表が終って,質疑に入ったときに手元になにも資料がありません。すると,どういうことが起きるか。ちょっと記憶を確認しようとおもってもどうしようもありません。あとは,あいまいな記憶を頼りに質問をするしかありません。これではしっかりとした「審査」はできません。ですから,このパワー・ポイントによる発表形式は嫌いでした。終ったあとには,ほとんどなんの痕跡も残らないのです。すべてが忘却のかなたに消え去るのみです。せめて,審査会なのだから,ハードのペーパーを提出すべきではないか,と提案したことがあります。が,そのときの指導教員の応答を聞いて呆気にとられてしまいました。ペーパーを残すと盗用される恐れがあるので,あとに痕跡を残さないパワー・ポイントで発表させているのです,と。国際的な権威のある学会ならともかくも,大学院の修士論文レベルの研究発表です。しかも,その場の多数の意見だったことに,またまた驚きでした。

 同じようなことが,その後,たとえば,わたしの所属しているスポーツ史学会大会でも多くなってきました。パワー・ポイントで発表しつつ,ペーパーも配布する発表者がほとんどですが,時折,パワー・ポイントで発表するだけで,なんの痕跡も残さない発表者がいます。しかも,その傾向が徐々に増えつつあります。これは困った問題だとおもっています。やはり,学会からもどって,あの発表が面白かったなぁと振り返り,そのときの資料を頼りにもう一度,記憶をたどり直すことが,わたしの場合にはよくあります。そのときに資料がなにもないのは困ってしまいます。

 企業などでなされる極秘の戦略会議などでパワー・ポイントを用いて,出席者の合意をえるためだけの目的ならば,それでいいでしょう。間違ってもペーパーの資料は残さない方がいい,という特別の場合もあります。それはそれでいいとおもいます。しかし,極秘にする必要もない,むしろ,みんなに広く周知させたい情報をパワー・ポイントで説明して,あとに手元になにも残らないやり方というのはいかがなものか,と考えてしまいす。しかも,そこでの決定に責任をもたされるということになると,話は別です。

 そういうことが,今日,起こりました。わたしの住んでいるマンションの管理組合のある部会の引き継ぎ会議でのことでした。以前にもこのブログで書きましたように,ことし抽選でみごとに理事に当選してしまいました。75歳以上は辞退することができるという規定がありますが,これまで,なにもしないでお世話になるだけでしたので,お邪魔にならない程度にできることをやってこれまでの恩義を果たすべきだとおもって引き受けました。その結果,管理組合理事会のある部会にわたしも所属して,それなりの役割を分担することになり,その引き継ぎのための会議が今日ありました。そのときの会議が,なんとわたしの嫌いなパワー・ポイントによる説明でした。手元にはなんの資料もありません。それはそれは立派な,要領を得た,とてもわかりやすい手慣れたプレゼンテーションが展開されました。

 途中で,あれっ?と思うことも何回もありました。が,そのすべてをメモすることもできないまま,終って「なにか質問はありませんか」と仰る。なんとなくわかったような気にはなるのですが,もう一度,確認しようと思ったときには手元になにもありません。ですから,及び腰のまま,どうしても気がかりだったふたつの点について,教えてください,とお願いをしました。ほんとうは,もっともっと細部にわたって教えてほしいことがたくさんありました。だって,これからたった4人のまったく経験のない新しい理事で,この部会を支えていかなくてはなりません。その上で,リーダーと書記を決めなさい,ときた。初めて顔合わせをしたばかりのどこのどなたかもよくはわからない人同士で,リーダーと書記を決めることのあまりの不自然さに愕然としてしまいました。そうか,管理組合というのはこんな風にして維持されてきたのか,と。

 で,引き継ぎ事項については,あとでメールで送信します,ということで会議を解散。しかし,いまだにそのメールは届いていません。

 で,どうやら理事会の全体会議のことを合同会議と呼び,そこが理事会の最高の意思決定機関となっているのですが,そこでの会議も,今日,確認したかぎりでは,パワー・ポイントを使って説明をし,採決をするという手続を踏むとのこと。だとしたら,リーダーはパワー・ポイントを駆使してプレゼンテーションができる人しか不適切だ,ということになってしまいます。いろいろ聞いてみますと,必ずしもその必要はないとの説明もありました。

 しかし,主流はすでにパワー・ポイントを用いてすべて処理をし,ペーパー資料のような痕跡を残さない方向に向かっているようです。でも,それは違うのではないか。パワー・ポイントを用いて説明してもいい,同時に,手元に残るペーパーの資料(パワー・ポイントの画面をプリント・アウトしたもの)も配布すべきではないか。そうしないと,あとで,確認する方法がなくなってしまう。情報が上滑りをしていく可能性が大である。

 とまあ,管理組合の理事初体験の,引き継ぎ会議で出会ったパワー・ポイントだけによる説明に,以前から感じていた不安,それも,もっともっと進化したかたちでの,そこはかとない不安を感じた次第です。まあ,どうでもいいや,と思えばこれでいいのです。しかし,いま,すでに,あの話はどうだったのかなぁ,とおもっても確認する方法がありません。この疑問をいだいたときに,すぐに確認できることが重要なのだとわたしは考えています。それがなくなってしまうと,「考える」ということができなくなってしまう,のみならず,考えるということをしなくなってしまいます。そここそが大問題だとわたしは考えています。要するに「思考停止」の始原。

 さあ,これから管理組合にどのようにコミットしていくのか,考えなくてはならない正念場に立たされることになりました。まともなことを言えば言うほど嫌われるだろうし,かといっていい加減にしておくわけにもいかないし・・・・,さて,久し振りの思案のしどころ。

 パワー・ポイント使い方の功罪については,これからも慎重に考えていく必要があることは間違いありません。わたしはそう固く信じています。まずは,隗より始めよ。そのことわざどおりに,これからも慎重に対処していくことにしたいとおもっています。

 パワー・ポイント,とんだ騒動のお粗末。今日はここまで。

2013年6月15日土曜日

日本野球機構(NPB)よ,これでは全日本柔道連盟と同じではないか。

 またまた開いた口が塞がらない話。もう,すでに大きな話題になっているので,詳しいことは省略するが,統一球変更隠蔽疑惑の取り扱いについて,日本野球機構(NPB)の代表者会議で「コミッショナーの責任を不問」に付した,というのだ。

 これでは全日本柔道連盟と同じで,「自浄能力なし」とみずから認めたようなものだ。ということはNPBも全柔連も一つの組織体として「自律/自立」していない,ということだ。人間でいえば「未成年者」。

 だから,第三者委員会に丸投げするという。一見したところ「公明正大」であるかのような錯覚を起こすが,そうではない。自分たちの犯した不祥事を自分たちの手で決着をつける自浄能力を欠いている,ということだ。だとしたら,そういう組織・団体の幹部・執行部はすでに存在する意味を失っている。自力で管理・運営する能力がない,と認めたのだから。となれば,さっさとみずから身を引く以外にないではないか。

 それも許されないなにかが,その背景にはありそうだ。とてつもない「巨悪」が。だから,第三者委員会を立ち上げて,最終的には「とかげの尻尾切り」の落としどころを探そうとする。だって,第三者委員会もまた同じ穴の狢なのだから。

 加藤良三コミッショナーは「知らなかった」と嘯いたが,それはないだろう。統一球の検査結果は,検査のつど「すぐにコミッショナーに報告する」ことになっている,のだから。こんな簡単な検査結果の「報告」義務をサボタージュするとは,とても考えられない。にもかかわらず検査結果も統一球の変更も「公表」されなかったということは,どこかに「密約」がありそうだ。

 その手がかりとなりそうな記事が,今日の『東京新聞』に,ほんの少しだけ,ちらり,と載っていたので引用しておく。

 2011年に導入した統一球は,製造したミズノ社との二年契約が終わった昨年末に契約を延長した。12球団は昨年11月の実行委員会で,延長するかどうかの判断をNPBの下田邦夫事務局長に一任していた。この日の会議では,各球団にも責任があることを確認。日本ハムの島田利正球団代表は「(下田事務局長に)一任したところで,すでに12球団にも責任が生じていると思う」と話した。

 統一球をミズノが契約を延長できるかどうか,あるいは,他のメーカーに変えられてしまうのか,という問題はミズノにとっては死活問題にもつながる大問題だ。だから,あの手この手で「契約延長」のために最大限の「努力」をしたことは,ほぼ,間違いないだろう。このときに,公にはできない,なにか特別の密約があったのではないか,とこれはわたしの推測。この問題はそのうち,優秀な新聞記者がいれば,いずれ明らかになることだろう。それを楽しみにしたい。

 さきの新聞記事で気になることは,事務局長に一任した段階で,各球団にも責任がある,という認識をみんなが共有していることだ。だとしたら,みんなで,どこが間違っていたのかを検証すべきなのに,それはやってはいない。しかし,これは契約延長手続きの一任であって,このこと自体は今回の「統一球変更隠蔽」とはなんの関係もない。にもかかわらず,「責任が生じている」と問題をすり替えているところが,納得できない。

 もう一点は,記事のほかのところで「コミッショナーはオーナー会議で任命されるため,各球団は自らの任命責任を問われることを恐れているようにも見える」という点である。これは逆ではないか。任命責任があるからこそ,コミッショナーの今回の対応についてきびしく糾弾すべきではないのか。なにかに「怯えて」腰が引けているようにみえて仕方がない。

 加藤良三といえば,外務官僚としてエリート・コースを歩み,とんとん拍子で出世し,若くしてアメリカ大使をつとめ(最長の6年間),アメリカのシンクタンクからなにやらの「賞」を受けた人と記憶している。東大法学部出身の俊才である。その実績からして,統一球変更隠蔽疑惑を起こすような人物にはみえない。しかし,それとこれとはまったく関係がない。今回は,ひとりの人間としての判断能力が問われているにすぎないのだ。

 もっと厳密に言ってしまえば,コミッショナーの「知らなかった」という第一発言が大問題なのだ。組織のトップが組織内の,それも統一球を変更するかしないかという大問題について「知らなかった」では済まされまい。もし,ほんとうに「知らなかった」としたら,そのことの方がもっと問題だ(賢明なダルビッシュ投手はみごとに問題のツボを指摘している)。

 ことの真相はいつも「薮の中」。これから,どこまで事実関係が明らかにされるのか,そこが最大の課題。たぶん,大相撲のときと同じように,なんだかわかったようなわからない,つまらない「尻尾切り」で終わりとなりそうだ。いつも責任はうやむや。

 検察がにせ調書を裁判所に提出しても,責任は問われない,そういう国にいったいいつからなってしまったのか,そのことの方がもっともっと大きな問題だ。

 でも,こういうNPBの対応の仕方のなかに,いまの,日本社会が抱え込んでしまった抜きがたい病根の典型的な例をみる思いがする。なさけないことではあるが・・・・。

「96条の会」発足記念シンポジウムに1200人余が集まる。第一会場から第九会場までびっしり。

 「熟議なき憲法改定に抗して」と題する「96条の会」発足記念シンポジウムが,今日(6月14日・金),上智大学を会場にして開催されました。5月23日の発足と同時に賛同者名簿に登録をして,微力ながら支援していこうと考えていましたので,行って参りました。

 わたしは少し早めに行って席を確保しておきましたが,これは賢明でした。申込み不要,参加自由,とありましたのでこれは相当の人数が集まるのではと予想していました。行ってみたら会場があまりに小さいので「おやっ?」とおもいました。大学の教室としてはやや大きめの,ざっと数えてみて250人が坐れるかどうかという広さでした。今日のシンポジストの顔ぶれからして,これでは無理だろう,とわたしは直観しました。案の定,あれよあれよという間に人でいっぱい。

 主催者はあわてて,教室をもう一つ確保して「第二会場」を設定し,ビデオで撮影した映像をとどける,という応急の手当てをすることになりました。が,どうやらつぎつぎに人が集まってきて,主催者はその対応に追われているらしく,開始時間がきてもなかなかはじまる様子はありません。主催者側のお手伝いには岩波書店のNさんも駆り出されていて,おおわらわ。尋ねてみると,いま,第三会場がいっぱいになってしまったので,第四会場の設定に入っている,とのこと。

 わたしがいる第一会場は立ち席までいっぱいで,人が通り抜けることもできないほどの盛況で,立錐の余地もありませんでした。会の終わりのアナウンスでは第九会場まで設定して,推定で1,200人以上の人が集まったようです,とのこと。会場からいっせいに拍手がわき起こりました。

 主催者は250席で間に合うと踏んだのでしょうが,その5倍以上もの人が集まり,嬉しい誤算だったようです。それだけ「96条」改定についての関心が高いということなのでしょう。大手のメディアは「96条」の会ができたことも,ほとんど無視。しかし,発起人の人たちが頑張って,それこそ「草の根」運動的にそのネットワークを広げ,それに呼応してこれだけの人が集まったのですから,これはもう立派な「事件」だ,とおもいました。

 それでも,マスメディアのテレビ・クルーは一社もきてはいません。腕章をつけた新聞社もひとつも見かけませんでした。おそらく,どこのメディアも無視でしょう。となれば,一般市民の人びとはほとんどだれも知ることはありません。しかし,1200人を超える人が集まったという話が,あちこちにじわじわと伝わっていけば,政府自民党も心おだやかではなくなるでしょう。すでに,安倍首相の憲法改定の主張も,ここにきて急にトーンダウンしているように見受けます。

 これから東京都議会議員の選挙がはじまりますし(今日,告示),7月には参議院議員選挙が待っています。「96条」,そして「9条」の改定を阻止しなくてはならないと考えるわたしたちにとっては命懸けの選挙となります。どうあっても,改定阻止をはかるためには,トータルで三分の一以上の議席を確保する必要があります。

 今日のシンポジストのひとり,小森陽一さんは,「メディアが無視するかぎり,われわれは草の根運動を展開する以外に方法はありません。ですから,わたしは毎週末,どこかにでかけて行っては「9条」を語り,「96条」を語っています。「9条」の会も,いつのまにやら6000以上もの各地方の市民団体が組織して,活発な活動をつづけています。こんな小さな運動でも,じわじわと政府自民党のボティーブローとなって,いつかは大きなダメージを与えることになる,と信じて今日もここにきました。そうしたらこんなに大勢の人が集まってくださり,大いに勇気づけられました」と結んで大きな拍手をもらっていました。

 山口二郎さんも,短い時間のなかで,とても興味深い話をしてくださいました。首相は民意を問うというが,いま,民意を問わなくてはいけない問題は「原発」問題だ。こちらは民意を無視しておいて,憲法改定にだけに民意を問おうとしている。まことに自分勝手なご都合主義の理屈だ,とバッサリ。さらに,二分の一と三分の二の議決の意味がわかっていない,とも。二分の一は日常的な政治課題を解決するための法律をつくるときのような,短期の意思決定の方法だ。三分の二は,憲法のような子どもや孫の世代までも視野に入れた長期にわたる国民の安寧を視野に入れた意思決定の方法だ。こんなことも政治家たちはわかっていない,と。

「96条の会」について詳しく知りたい方は,以下のHPでご確認ください。
http://www.96jo.com/
「呼びかけ文・2013年5月23日」
「96条の会がめざすこと」
「2013年5月23日『96条の会』発起人」一覧
「賛同者一覧」
などをみることができます。
なお,カンパも行っていますので,ぜひ,ご協力のほどを。

2013年6月14日金曜日

近藤誠著『がん放置療法のすすめ──患者150人の証言』(文春新書,2012年刊)を読む。「本物がん」と「がんもどき」を見分けよ,とのこと。

 がんは「早期発見,早期治療」が大原則だ,とわたしは固く信じて疑うことはありませんでした。しかし,この本を読んで,この信念がぐらつきはじめました。なんということか。この著者の近藤誠医師は「がんは放置しておけ」というのです。もちろん,すべてのがんがそうだということではなくて,早期に治療が必要ながんもある,と近藤医師はいいます。しかし,がんの大半は,放置しておくのが一番だ,という結論を導きだしています。

 これには驚きました。がんの大半は「がんもどき」。つまり,がんのようであってじつはがんではない,だから「がんもどき」だ,と。こちらのがんは放置せよ,と。近藤医師の言うには,がんには「本物がん」と「がんもどき」の2種類がある,と。「本物がん」は見つかったときにはすでにがんの転移がはっきりしているものであって,しかも,その転移は本物がんが発症するとほとんど同時に起きているので,間違いなく何年も前に転移しているのだ,といいます。しかし,「がんもどき」は転移していません。ある局部ががんのような症状を呈したとしても,そのほとんどは「がんもどき」である,と近藤医師は断言します。その場合には,まずは,しばらく観察して様子をみることを薦めています。つまり,時間稼ぎをせよ,と。そして,その間にがんと向き合う心構えを整えよ,と。

 治療法には,摘出手術,放射線療法,ホルモン療法,抗ガン剤療法,などがあるので,そのうちのどれを選ぶかは患者が決めることが大事だ,とも言います。そのための心構えのための時間稼ぎが重要なのだ,というわけです。つまり,がんの治療法についてひととおり学習をして,その上で,自分で決めなさい,と。あとは,担当医と相談の上で,お互いが納得のいく治療法を選べばいい,と。つまり,近藤医師のスタンスは,医師のいいなりになるのではなくて,患者が自分なりに納得のいく治療を受けるべきだ,というのです。

 近藤医師は,すでに多くの著書を書いていて,そのつど書店には平積みにされ注目されていました。たとえば,文春新書だけでも『抗ガン剤は効かない』『がん治療総決算』『成人病の真実』『患者よ,がんと闘うな』などがあります。わたしも気になっていましたので,ときおり手にとって拾い読みはしていました。しかし,「ほんまかいな」という疑念の方が大きかったので,購入して熟読するということまではしませんでした。しかし,今回は『がん放置療法のすすめ』とあり,これまでの著作の集大成のように感じられましたので,じっくり読んでみることにしました。

 その結果は,大いに納得,というものでした。わたしの読後の結論は,がんとわかったらおとなしくお付き合いをすること,ああ,そうですか,では,仲良くしましょうね,くらいの気構えでいるのが得策だということです。「本物がん」であれば,すでに転移しているわけですので,その進行に素直にお付き合いすること,そして,生活に支障をきたさないかぎり,無駄な抵抗はしないこと,もし,苦痛などの症状がひどくなってきたらそのための対象療法にとどめること,あとはがんにお任せ,というくらいの覚悟を決めておこう,といまはおもっています。そして,近藤医師のいう転移のない「がんもどき」であれば,あわてることなく悠然と,これまでどおりの生活をつづけること,と考えることにしたいとおもいます。でも,そのときになったらどうなるかはわかりませんが・・・。でも,とりあえずは,こんなことを考えています。

 わたしの身内にも,友人にも,いま,まさにがんの治療を受けている人もあって,どのように対応したらいいか困っていたのは事実です。顔を合わせたときに,どのようなことばをかけるのがいいのか,ほんとうに困ってしまいます。ですから,あまり踏み込んだ話にはならないところで切り上げるのが本音でもあります。とても神経を使うことは間違いありません。かといって,では,どうすればいいのか,と困っていました。が,この本をよくよく読んでみますと,あまり深刻に考えない方がいいということもわかってきました。

 といいますのは,がんだけが特別の病気ではなくて,風邪や結核などのような呼吸をとおして起こる感染症や,赤痢やコレラのような特定の病原菌によって感染する病気と同じだ,と考えればずいぶん気持ちも楽になるというわけです。実際にも,がんが直接の死因になることはごくまれであって,その他の臓器の機能低下によるものがほとんどだということです。ですから,ゆったりと構えることが一番,といまは思えるようになってきました。

 わたしの若いころには「がんノイローゼ」という病気が大きな話題になったことがあります。いわゆる「がんノロ」です。それほどに,がんにかかったら治らない,あとは黙って死を待つだけだ,というあきらめの気持ちが強くはたらいた時代がありました。その影響から,おそらく「早期発見 早期治療」というキャッチ・フレーズがまたたくまに浸透したのだとおもいます。そして,それだけが強烈にインプットされてしまったというわけでしょう。

 しかし,よくよく観察してみますと,がんから生還した人もわたしのまわりにも少なくありません。そのなかには,どうせ死ぬのであれば治療はいらない,と言って自分から治療を放棄した人もいます。これなどは,この本の著者・近藤医師によれば「がんもどき」であった可能性がきわめて高いと思われます。

 まあ,自分のことは書くまいとおもっていましたが,白状しておきましょう。じつは,50歳のとき,確率二分の一でがんだと診断されたことがあります。膵臓がんの疑いです。その後,いろいろの経緯がありましたが,結果的にはなんとか生還できた,という次第です。いま考えてみると「がんもどき」であったようです。なぜなら,わたしの信頼しているお医者さんに相談したところ(遠距離だったので電話で相談),わたしの性格などもよくわかっている人でしたので,そのことばを信じることにしました。その結論は「忘れなさい」。そして,「自分の好きなことに熱中しなさい」,というものでした。そのお蔭でこんにちがあるというわけです。この人は「名医」です。

 その後も定期健康診断で,がんを疑われたことが二度ほどあります。そして,精密検査を受けるよう指示されました。しかし,結核のような感染症ではありませんので,他人に迷惑をかけることもあるまいと判断し,無視して,忘れることにしました。さきの名医のことばを信じて。それは結果的には正解だったようです。

 この本を読んでいますと,著者は「がんを宣告して,積極的に治療をすすめる医者のなかには,金儲けを念頭におく人が少なくない」とかなりはっきりと,しかも,繰り返し書いていることに気づきます。どうやら医療従事者の金儲けのために「医療」の本質がゆがめられている背景も,現実にはあるのだということが透けてみえてきます。がんは,その意味では,医療の目玉商品のひとつとして利用されているようにもみえてきます。

 放置療法は儲かりません,と近藤医師は断言しています。ですから,医者の方にも相当の決意が必要だとも述べています。こんなことばを医師から聞かされますと,医療にも「経済原則」が立派に侵入しているんだなぁ,ということを垣間見る思いがしました。「医は仁なり」ということばが,はるか遠くにかすんでしまう時代になってしまったんだ,という思いも新たにした次第です。

以上,読後の感想まで。

2013年6月13日木曜日

全柔連上村会長続投表明と聞いて,開いた口が塞がらない。柔道,破局への道。

 嘉納治五郎が体系化した柔道が,国際化とともにJUDOとなり,ついには「これは柔道ではない」とまで言わなければならないみじめな情況がすでに世界を支配してしまっている。もう,いまから世界のJUDOを日本の柔道にもどすことは不可能だろう。日本の柔道は間違いなく破局への道をまっしぐら,と言わざるを得ない。まずは,このことについて全柔連はどのように認識しているのか,わたしはそこを知りたい。

 なぜなら,柔道発祥の国・日本から世界柔道連盟に理事一人を送り出す力さえ,いまは持ち合わせてはいないからだ。このあまりにみじめな現実をどのように考えているのか。この点についての認識も,あまりにもお粗末なのではないか,と大いなる疑念をいだいている。世界柔道連盟に日本の理事不在のまま,柔道のルール改正がひっきりなしに行われている。その実態は,嘉納治五郎の描いた理想の柔道からはどんどん隔たっていくばかりだ。その動向に歯止めをかける理事がひとりもいないのだから。

 JUDOの試合の不思議な競技の光景はこうして生まれたものだ。その光景はオリンピックや世界選手権での柔道の試合をみれば一目瞭然である。判定のレベルもきわめて低い。というより,なにをJUDOの技と考えればいいのか,その基準すらも明らかではないからだ。みているわたしにも,なにを技と考えているのか,なにが優勢なのか,なにがなんだかわからない。

 こういう世界的な趨勢に対して,全柔連は,すでに長い間,なんの対応もできないまま放置してきたのだ。そして,本来の柔道の息の根を止められてしまい,いまや,JUDOを後追いしながら,それを選手たちがマスターするために汲々としている。全柔連の執行部をあげて,国際試合に勝つために全力投球である。いいではないか。負けたって。堂々と,これが柔道だという試合を展開して負けるのであれば。いな,勝負を度外視して,柔道のなんたるものかを世界中の人が見守るなかで,堂々と試合でみせつけるくらいの矜恃をもちたい。それだけが,いま,日本の柔道を,世界に向けて理解してもらうための唯一の方法ではないか。

 それをただメダル欲しさに勝ちにいく。そのために,選手たちだけが犠牲になっている。いじめやしごきを受けたり,不要な暴力まで受けたり,挙げ句の果てにはセクハラまで受けなくてはならない,まことにみじめな醜態をさらけだしている。いったい全柔連はなにをやっているのか,と全国民の失笑をかっている。のみならず,世界中のJUDO愛好家から顰蹙をかっている。これでは文部科学省が柔道の必須化を導入しても,逆効果を招きかねない。

 のみならず,助成金不正受給まで発覚し,その組織が腐り切っていることまで明るみになったいま,それに的確に対応する能力すら持ち合わせてはいない。内閣府の公益認定委員会から報告書の提出を求められた際にも,執行部の一部の人間が作成した報告書は,A4用紙2枚に箇条書きされていた,という。もはや,開いた口が塞がらないどころの話ではない。

 しかも,その報告書に盛り込まれた内容たるや,もっとお粗末だったという。助成金問題を調べる第三者委員会の中間報告に対して「内容に違和感がある」と主張したり,実際に暴力を受けた選手は「告発した15人のうち0~2人」としていた,という。これをみた第三者委員会は「組織としてのガバナンスのあり方に疑念を抱く」と痛烈に批判したことも,わたしたちの知るところだ。こんごの対応の仕方によっては「公益認定の取り消しもあり得る」とまで警告されている。

 この警告を受けた直後は,さすがの上村会長も「近く進退を明らかにする」と述べ,辞任を示唆していたことも,わたしたちの記憶に新しい。にもかかわらず,ここにきて一転して「きちんと改革することが私に課せられた使命」などと述べたという。まさか,マリアス・ビゼール国際柔道連盟会長の「上村会長の続投を100%支持する」という社交辞令を真に受けたわけでもあるまいに・・・・。世界中の笑い物になっていることを百も承知でビゼール会長は,こんなジョークとも受け取れる談話を残して日本を去っていった。これで当分の間は,全柔連を無視しておいてもいい,とビゼール会長は臍を噛んでいることだろう。

 今日の『東京新聞』はこのことを大きく取り上げ,みごとな紙面を構成している。とりわけ,井上仁記者による記名記事が秀逸。見出しタイトルは「理解に苦しむ続投」。それと,「理事会解散一日も早く」という見出しの了徳寺学園理事長(全柔連評議員・了徳寺健二氏)の談話もみごと。たとえば,上村会長の続投表明に対して「それでは済まされないことを分かっていない悲しさ。国民,真の柔道家は決して同調することはありません」と,わたしの涙を誘う。25日に予定されている評議員会ではみずからの考えを述べるという。ようやくひと波瀾起きそうな雰囲気が漂いはじめた。

 いまこそ,全柔連の憲法ともいうべき「寄付行為」に謳われている「評議員会」が機能すべきときだ。ここが決起すれば,理事会は身動きできないように規定されている。さて,どこまで一致団結ができるか。「真の柔道家」の立ち上がるべきときだ。評議員の多くは各都道府県連盟の会長が兼務している。いまこそ,柔道家の良識が問われるときだ。

 柔道が,破局への道をまっしぐら・・・・ということにならないためにも。

2013年6月12日水曜日

『東京新聞』掲載の三浦雄一郎さんの「手記」を読む。死と向き合う体験に注目。

 昨日のブログで書いたように,三浦雄一郎さんの「手記」が,さっそくに今日(6月11日)の『東京新聞』に掲載されました。テレビというメディアの報道内容のいい加減さにくらべたら,本人直筆の「手記」はそれなりに内容があって,伝わってくるものが重い。

 三浦さんの「手記」は,そんなに長いものではないので,情報を共有する意味でここに転記しておきたいとおもいます。

 史上最高齢でエベレスト登頂に成功した冒険家三浦雄一郎さん(80)が今回の挑戦を振り返った手記が届いた。という枕があって,「80歳エベレスト登頂」「三浦さん挑戦振り返り手記」「生還 新たな夢の始まり」という見出しが付いています。手記の本文は以下のとおり。

 2013年5月23日午前9時(ネパール現地時間),私は80歳にして三度目の世界最高峰エベレストの山頂へ立つことができた。5月16日に標高5,300メートルのベースキャンプを出発。若手あったら4~5日で到達する山頂へキャンプ数を二つ分増やして8日目の頂だった。
 5年前,75歳での登頂後,常に見据えてきた夢の頂。この5年間というのはどのような肉体的な意味を持つのであろうか。
 日本人男性平均寿命を超え,不整脈や76歳での骨盤骨折,特に心臓はヒマラヤ出発の直前に手術をしたばかりだった。加齢による衰えをさまざまな工夫や意志の力によってどれぐらい乗り越えることができたのか。
 今までの経験を踏まえた新たな発想や装備,斬新なトレーニング方法を活用した。
 高みに上がるにつれて身体の調子は良くなり,標高約8,000メートルのサウスコル(通常アタック前にテントを張る場所)のキャンプ4(C4)に到達したときは,37歳で初めてそこまで登った時より体調は良い。70代も体調は良かったが,あのエベレスト大滑降を行った時よりも良かった。
 無駄に体力を使わず,補助酸素を使って体力の温存と高所への順化がバランス良くできていた。ここからは死の世界「デスゾーン」と呼ばれる8,000メートル以上での登山。山頂までの標高差はまだ千メートル近くもある。
 最終キャンプのC5への登攀(とうはん)は猛吹雪に見舞われた。積もった雪がまるであり地獄ように足元で崩れ,30センチ登ると20センチずり落ちる。苦しいなんてものじゃない。娘からの電話「無理しないで」。しかし無理をしなければ世界最高峰の山頂へは登れない。
 数時間の休憩後,午前2時に出発。風はなく絶好のコンディション。薄い大気にあえぎ,急な勾配や研ぎ澄まされた稜線(りょうせん)を登る。
 頑張って,頑張って,頑張って・・・そして登頂。眼下に広がる美しい地球を眺め,はるかなる宇宙を見上げた時にこれ以上なく幸せでうれしく,これ以上なく疲れていた。
 下山は死闘となった。C5直前で身体が全く動かなくなった。長時間にわたる超高所での行動と充分な栄養補給ができなかったことによる極度の疲労と脱水症状。C5で休息と食糧と水分をとることができた。
 「生きて還(かえ)りたい」という唯一の強い思いで再び立ち上がり,C4へたどり着く。翌日,長い時間をかけて慎重に標高6,500メートルのC2へと下った。デスゾーンでの滞在は足かけ4日,登攀行動は計36時間以上となった。
 山頂へ向かう一歩ずつが「希望の軌跡」となった。しかし希望への足跡を刻むこと以上に素晴らしいことは生きて還ってくること,それが新たな夢の始まりへと続くということを感じた80歳のエベレストだった。
 素晴らしい仲間に恵まれ,素晴らしい天気を授かり,そして多くの方々に応援していただいた。この場をお借りして心から感謝申し上げます。(三浦雄一郎)

 抑制のきいた,簡潔にして要をえた,いかにも三浦さんらしい文章だとおもいます。冒険家には,こうした字数制限のあるなかで,説得力のある文章を書く能力もまた求められています。こういう能力が,綿密な登山計画を組み立て,チーム三浦を支えるサポーターたちを組織し,全員に計画を周知徹底させていく上で不可欠なのです。当然のことながら,チーム三浦のなかには現地のシェルパたちもふくまれます。細部にわたって一分の隙もない,正確な情報を発信し,徹底させていくことが命綱となります。その歯車がひとつ狂っただけで,大きな遭難事故につながっていきます。ですから,ただ,若々しい体力や情熱だけでエベレストに登れる,と思わせるような昨日のNHKクローズアップ現代の報道姿勢に,わたしは我慢がならないのです。

 わけても,足首に重い錘をつけて足首を曲げないで歩くトレーニングを日常的に行い,大腿四頭筋を鍛えていた,などというナレーションつきの映像を見せつけられると,なにを言ってるんだ,とテレビに向かって怒鳴ってしまいます。三浦さんの足首は立派に曲がっているではないか,と。つまり,この番組制作にかかわった人のなかに,ひとりとして,登山がいかなるものかということがわかる人がいなかった,ということがここにみごとに露呈してしまっています。足首の固い人は基本的に登山に向いていません。足首が固かったら急坂を登ることはできません。もう,その時点で,初心者としても失格です。そのむかし山を歩いていた人間として,みずからの足首の固さにどれほど悩まされたことか。もともとスキーの選手として活躍していたことのある三浦さんの足首はふつうの人よりはるかに柔らかいことは間違いありません。

 昨日の話はやめにしましょう。はじめるときりがありません。この手記にもどりたいとおもいます。

 この手記で,わたしの眼が釘付けになったのは,「下山は死闘となった」からはじまる文章です。「デスゾーンでの滞在は足かけ4日,登攀行動は計36時間」にいたってクライマックスに達します。そして,「身体が全く動かなくなった」時点で,三浦雄一郎さんはいったいなにを考え,なにを思ったか。その答えが「生きて還りたい」の一念でした。このあたりに三浦さんの本音を聞き取ることができます。「死と向き合う体験」が,登山では,ある意味でつきものです。そこをいかにクリアするか,それが登山家としての資産となっていきます。

 もう,これ以上,繰り返しませんが,メディアの人びとにお願いしたいのは,登山というものがどういうものであるのか,そのことをしっかりと踏まえた上で,三浦雄一郎さんの「偉業」を分析して報道してほしいということです。登山のなんたるかということを抜きにして,脳のCTスキャンの写真や「握力40kg」などという数字をあげつらうのはまったくナンセンスです。

 もはや,「スポーツ・メディア共同体」を抜きにしてこれからのスポーツを語ることはできません。それだけに,メディアの人たちには「スポーツとはなにか」ということをつねに問い直しながら報道にたずさわってほしい,ということです。と同時に,メディアが流すスポーツ情報を,わたしたちは厳しい「批評」の眼で見届けていくことが不可欠だ,ということでもあります。

 双方がしっかりしていないと,スポーツに未来はありません。もう,すでに「破局」を迎えてしまっている,という見方もありますが・・・・。

 今日のところは,ここまで。

2013年6月11日火曜日

NHKクローズアップ現代・三浦雄一郎さん「快挙」報道に大いなる疑問。

 三浦雄一郎さんの「快挙」が,さまざまなメディアをとおして氾濫しています。しかも,一貫しているのは「80歳にして・・・」という世界的な英雄扱いです。たしかに,これまでだれも達成できなかっか記録をつくったというその一点だけに焦点を当てれば,そのとおりでしょう。プロの冒険家としての三浦雄一郎さんからすれば,我が意を得たりというところでしょう。が,それを繰り返しテレビなどをとおして見せつけられると,いささか食傷ぎみになってきます。もう,いい加減にしていただきたい,というのが正直なところです。

 せっかくの「快挙」にクレームをつける気はありませんが,メディアのこのワン・パターン化した報道の仕方には,もうこれ以上は我慢がなりません。あまりに子ども染みた,しかも偏った「科学」神話に依拠した,無責任な報道の仕方はもう止めていただきたいとおもいます。とりわけ,NHKさんに関しては。

 わたしの夕食時とNHKのクローズアップ現代の時間がちょうど重なりますので,この番組はほとんどみています。「3・11」以前までは,なんの疑問もいだくことなく,なるほど,そんなものですか,という感覚で無批判に受け止めていました。しかし,「3・11」以後,メディアの報道の仕方の異常さに気づき,複眼的に情報を受け止める努力をしているうちに,いつしかとてつもなく批判的に受け止め,考えるようになりました。その結果,たとえば,テレビ・メディアの報道の仕方があまりに無責任であるということに,どんどん気づくようになりました。いまでは,テレビのニュース番組もふくめて,画面に向かって「それは違うだろうッ!」と吼えつづけています。

 今夜(6月10日)の午後7時30分からのNHKクローズアップ現代,驚異の80歳三浦雄一郎初公開若さの秘密,をみていてとうとう我慢の限界に達してしまいました。今日のこの番組をみていて,NHKの番組制作者たちは,いったい,なにを考えているのだろう,とあきれ返ってしまいました。そこに現れた三浦雄一郎さんは,単なるデブの老人でしかありませんでした。しかも,その映像はすべて「快挙」の前に撮影された事前の映像でした。あんなからだでは,まともな方法ではエベレスト登山は不可能です。それは,少しでも登山ということに真剣に取り組んだことのある人ならすぐにわかることです。しかも,直前には持病の不整脈で入院までしています。いかに不自然なエベレスト登山がなされたかは,今日の映像をみて,わたしは直観しました。

 それを,わざわざCTスキャンで撮影した三浦雄一郎さんの脳の映像をみせて,若い人の脳よりも若若しいと説明を加え,しかも,ある目的をもって日々精進して励んでいる老人の脳は若々しく衰えない,とどこかの偉い先生のコメントまで付しています。こうやって「科学」神話を,またまた再生産しているわけです。

 大きな目標を立てて一生懸命努力している人は,元気で,若々しいのは,むかしからよく知られている事実です。そんなことは当たり前の話です。ですから,こんな脳だからエベレスト登山をなし遂げたのだ,と言わなければならなかったことの裏側に隠された事実が,わたしには気がかりになりました。なぜなら,鹿屋体育大学の先生まで動員して,あれこれ体力がチェックされたにもかかわらず,示されたのは握力40kgだけでした。この数字はそれほど褒められたものではありません。ですから,そのほかの筋力測定の結果は,公にできないほどの数値でしかなかった,ということが逆に浮き彫りになってしまっています。

 80歳にしてエベレスト登山を可能にしたのは,なにも,三浦雄一郎さんの若々しい「脳」や「握力」ではありません。この程度の老人はどこにでもいます。しかし,それ以上のものがしっかりと確保されていたからこそエベレスト登頂が可能だった,とわたしは考えています。

 三浦雄一郎さんの偉大さは,巨額のカネを集める能力にある,と。そして,チーム三浦雄一郎を組織する能力にある,と。しかも,そのチームを一つに束ねて力を発揮させる能力にある,と。そうした総合力が,今回の「80歳エベレスト登頂」を成功させたのだ,とわたしは考えています。これは,たしかに三浦雄一郎さんにしかできない「芸」です。その点では偉大なる人だ,とこころから敬意を表します。しかし,こころの底から喜べるか,と問われると口ごもってしまいます。

 三浦雄一郎さんの培ってきた政界・財界のネットワークをフルに活用して集金し,メディアには「映像」や「手記」を条件に前倒しして出資してもらい,ありとあらゆる手段を用いて,わたしたちでは想像もつかない巨額のカネを集めたはずです。それは,過去の2回のエベレスト登頂成功の折の記録からも推定できます。

 恐るべき数のシェルパを雇い,テレビ・クルーの荷物から,チーム三浦雄一郎の総勢の荷物を運び上げなければなりません。それも並の距離,高さではありません。しかも,医療サポートも確保し,いざとなればヘリコプターも動員できる体制を整えています。そうした総合力の結集が,今回の偉業を可能にしたのです。

 そのことにはフタをして,若々しい「脳」,「握力」,「家族愛」,などにだけ焦点を当てて,それもとってつけたような映像しか提示していません。この番組にはほとほとあきれはててしまいました。わたしが知りたかったのは,最低でも三浦雄一郎さんの「心肺機能」のレベルです。不整脈という持病をかかえた状態での「心肺機能」がどの程度のものであったのか,それが超人的であったというのなら,まだいくらかは納得できます。が,その種のデータはなにも示されないまま番組は終ってしまいました。

 わたしの懸念は,登頂成功後の下山に要した驚くほどの時間の長さとわずかしか移動できていないという事実,その後,クレバスの状態がよくないという理由でヘリコプターを動員したこと,このときなにか不測の事態が起きていたのではないか,という点です。いずれ,三浦雄一郎さんが手記を書かれるでしょうから,このあたりのことをどのように記述されるのか,楽しみにしたいとおもいます。

 「メディア・スポーツ共同体」(今福龍太)ということばがあります。今回の三浦雄一郎さんの「偉業」を支えたのは,ひとことで言ってしまえば,この「メディア・スポーツ共同体」のなさる技だった,と言っても過言ではありません。この問題については,また,いつか,このブログでも触れてみたいとおもっています。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。

2013年6月10日月曜日

山口昌男追悼シンポジウム「人類学的思考の沃野」傍聴記・その2.真島一郎さんのプレゼンに感動。

 主催者のご挨拶,後援団体である日本文化人類学会会長のご挨拶があって,青木保先生の基調講演,そしてシンポジストの発言とつづき,プログラムの前半の最後に真島一郎さんが登壇。たぶん,今日,予定されている6名のシンポジストのなかではもっとも若い研究者(アフリカニスト)のはず。わたしはきわめて個人的な関心から,真島さんがどのようなお話をなさるのか,じつはこころから楽しみにしていました。

 真島さんが登壇され,お話をはじめると,それまでどことなくざわついていた会場が静まり返りました。そして,ピーンと張りつめた空気が流れはじめました。それほどに気持ちの籠もった,まさに「追悼」の名に値するプレゼンテーションが展開しました。わたしは感動しながら耳を傾けていました。わずか15分という短い時間でしたが(プログラム上,仕方がない),じつによく練り上げられ,整理され,凝縮したきわめて濃密な内容のお話をされました。途中からノートをとるのも忘れて,聞きほれていました。それほどの完成度の高いプレゼンでした。

 まじめな性格の真島さんらしく,きちんとレジュメを用意・配布された上で,お話がはじまりました。この日のシンポジストのなかでは,お二人の方がレジュメを用意されました。そのお一人というわけです。ですが,レジュメは会場ではほとんど眼をとおすこともできないまま,ただ聞き入るばかりでした。でも,帰宅してから,そして,いまも,そのレジュメを開いてあちこち熟読玩味させてもらいながら,このブログに挑戦しています。

 そのなかから,ひとつふたつ話題をご紹介させていただきます。とはいっても,わたしの独断と偏見にもとづく自己流解釈になることを,あらかじめお断りしておきます。

 真島さんのレジュメに書かれている大きな見出しは全部で7本です。順番に,説話,伝統王権,史資料,天皇制/フィールドの外延,近代に対峙するメタヒストリー:発生≠生成,起源≠始原,社会の/「フィールド」の夜へ,読む/生きる,と並んでいます。そして,それらの見出しに対応する山口昌男さんの文章が引用されていて,しかも,それらの典拠文献が25本,きちんと提示されています。これはとても助かります。これらを手がかりにして,さらに山口昌男さんの原著に入っていくことができるからです。

 さて,ここでは,わたしの専門分野であるスポーツ史研究との関連が深いと思われるトピックスをとりあげてみたいとおもいます。まず最初は,「近代に対峙するメタヒストリー:発生≠生成,起源≠始原」です。真島さんは,山口昌男が早くからモダニティ批判を展開した事跡に注目し,これを高く評価しています。それは単なるとおりいっぺんのモダニティ批判ではなく,ポスト・コロニアルな視点からのモダニティ批判であった点が当時にあっては際立っていた,といいます。つまり,アカデミックな近代史学が取り上げるような「ヒストリー」としての問題提起ではなくて,文化記号論や「メタヒストリー」の視座からの問題提起だというわけです。そのもっとも際立つ差異は,「発生≠生成,起源≠始原」に集約されている,といいます。ヒストリーとしてはものごとの「発生」が関心事になるけれども,人類学では「生成」が重要であり,同じように「起源」ではなく「始原」が重要だ,と山口昌男は強調している,といいます。

 たとえば,「神話」研究にとって重要なことは,その「発生」や「起源」をつきとめることではなくて,神話が「生成」され,新たな生を導き出したり,神話が発する力がどのようなものなのか,そして,それが人びとの暮しにどのような影響を及ぼしているのかが重要なのである,というわけです。神話の「始原」についても同様です。

 このことに関して,山口昌男の言説として,つぎのようなフレーズを切り取ってきてレジュメのなかに取り上げていますので,それらを紹介しておきましょう。

 「発生」という歴史主義的次元での問いに私は昔から馴染むことが出来ず,それがもとで,私は初めに学んだ古代史学から民族学へ逃げだしてしまった後ろめたい過去をもつ〔・・・・〕私はむしろ,「発生」とか「起源」といった言葉は「物事の起こり」よりも,常に回帰的に,何事かの存立を可能にする基本条件として捉えたいという潜かな願望を持っている。(1969年,「幻想・構造・始原──吉本隆明『共同幻想論』をめぐって」,『人類学的思考』せりか書房)。

 これがあの有名な吉本・山口論争の核心部分に相当するというわけです。この問題は追い込んでいくと,スポーツ史的にもとても面白い知の地平が広がっているのですが,ここでは禁欲しておくことにしましょう。

 もうひとつ,引用文を紹介しておきましょう。

 始原的なものが自然的時間を遡った果てにあるものでなく,内的時間の存在様式を「垂直に」たどることによって,開示される,すなわち各々の瞬間のなかに生成として姿を現すものであるということ〔・・・〕。(1969年,「失われた世界の復権」,山口昌男編『現代人の思想15 未開と文明』平凡社所収。)

 どこかジョルジュ・バタイユを想起させるような文章です。となると,この「失われた世界の復権」をしっかり読んでみようということになります。こうして,わたしの問題意識もつぎからつぎへと拡大していきます。山口昌男という人は,まさに,好奇心の赴くままに,貪欲にそのテーマを追い込んで行った人のようです。そして,一見したところ破天荒な研究者にみえるけれども,じつは,綿密な事前調査と文献研究を経たのちに,自由奔放に思考の限界まで飛翔させる,そういう人だったと真島さんは受け止めているとのことでした。

 最後に,「読む/生きる」の見出しのもとに引用された文章を引いてこのブログを閉じたいとおもいます。これぞ山口昌男のモダニティ批判の真骨頂ともいうべき,毒の入った,核心に触れる文章だといっていいでしょう。

 精神が平俗な日常生活を相対化するために踏みだす第一歩は<旅>に出かけることである〔・・・〕旅,何処へ? 自分が属する日常生活的現実のルールが通用しない世界へ,自ら一つ一つ道標を打ち樹たて地図を作成しつつ進まなければ迷いのうちに果ててしまう知の未踏の地へ,書の世界へ,自らを隠すことに知の技術の大半を投じている秘境の世界へ,己れが継承した知的技術を破産させるような知識で満ちているような知の領域へである。(1971年,『本の神話学』,中央公論社)。


2013年6月9日日曜日

玄侑宗求著『光の山』(新潮社,2013年4月刊)を読む。「3・11」を風化させないために。

 玄侑宗求さんが「3・11」以後を生きる福島(と思われる)の人びとの苦悩を描いた短編小説集。これまでにいろいろな雑誌に発表してきた6本の短編を一冊の本にまとめたもの。わたしにとってはいささか衝撃的な作品ばかりでした。

 気がつけば,「3・11」という記号(文字)がいつのまにかすっかり後退してしまっています。つまり,別の新しい話題の陰に隠れてしまい,あまり見かけなくなっています。ということは,当然のことながら,わたしたちの意識のなかからも,いつのまにか風化しはじめています。そして,遠い過去のことのような錯覚に陥りつつあります。

 なにを隠そう,このわたし自身がそうなってしまっている,ということにこの短編小説を読んで気づいた次第です。人間はいやなことを忘れたがる,そういう性質をもっています。そして,上手に忘れることができるからこそ生きていかれる,ともいいます。しかし,さっさと忘れてしまった方がいい記憶と,それとは逆に忘れてはならない記憶とは,当然ながら区別しなくてはなりません。「3・11」の記憶は,貴重な教訓としていつまでも忘れてはならない記憶だとわたしは考えています。ですから,その記憶の風化防止のためにも,この玄侑さんの書かれた短編小説集は,とても重要だとおもいます。

 わたしは,この小説集を読み終えてすぐに,「3・11」以後の被災者たちが,いま,どんな情況のもとで,どんな気持ちで生きているのか,その現実をどの程度まで理解しているのか,とみずからに問うてみました。情けないことに,新聞やテレビでちらりと見かける程度のことしか知りません。そして,あとは想像力をはたらかせて,たぶん,こんな情況で,こんな気持ちで生きているんだろうなぁ,とほんの少しだけ思い描く程度で済ませてきました。ですから,被災者の人たちの「痛み」を感じ取り,分かち合うという,経験を情動レベルの感覚で共有するということもほとんどしないまま,日々の雑用に明け暮れている,というのが情けないことにありのままの姿です。

 いわずとしれた玄侑宗求さんは,福島県三春町の福聚寺(臨済宗妙心寺派)の住職として,町の人びととともに「3・11」以後を生きる苦悩と向き合い,ともに考え,ともに試行錯誤しながら助け合って生きているお坊さんです。僧侶として,また,作家として,いま,なにをすべきかを厳しくみずからに問いかけながら,必死で生きている人です。つまり,土地に根をおろして,そこからすべての思考も行動も立ち上げるのだ,と覚悟して。当然のことながら,セシュウムに汚染されることも覚悟の上で。

 そんな中で,刻々と情況が変化しつづける人びとの暮らしぶりを,玄侑さんは私情を極力抑え,短編小説という形式に託してわたしたちにある重要なメッセージを送りつづけています。しかし,所詮は小説ではないかという人がいます。それは違うとおもいます。小説だからこそ伝わるものがあります。あるいは,小説でなければ伝えられないものもあります。とりわけ,一人ひとりが内面に抱え込んでいる苦悩を,マス・メディアのジャーナリスティックな文章でとらえるには限界があります。つまり,作家とはそこを超えていく才能をもった人びとなのだ,とわたしは考えています。わけても玄侑さんの描く被災者の人たちの苦悩は,同時に,玄侑さんみずからの苦悩でもあります。ですから,つねに体験を共有し,分かち合う人としての心情がつたわってきます。

 たとえば,「アメンボ」という短編があります。その作品のなかでは,セシュウムに対する認識の仕方や感性,そしてそれにともなう対応の仕方の違いが夫婦の間に亀裂を生み,やがて別居し,離婚していくという,そのプロセスを丹念に追っています。夫はインターネットを使って丹念にセシュウムの量とその影響についての情報を収集し,分析しながら,現状と真っ正面から向き合いながら,ぎりぎりまで汚染地域で生きる道を選択しています。しかし,妻は頭からセシュウムを有害と決めつけ,拒絶反応を示します。とりわけ,小さな子どものためによくないと考え,子どもをつれて北海道に移住します。時折,帰ってくるけれども長居はしない。そうして,何回もの話し合いが積み上げられていきますが,どうしても共有できるものが見つけられないまま,つまり,折り合いがつかないまま,最後には離婚という選択肢に追い込まれていきます。そんな夫婦を,もう一組の夫婦が見守ります。妻同士が子どものときから仲良しなので,この二組の夫婦も最初から親しいお付き合いをしてきました。が,そのお付き合いも「3・11」以後,ぎくしゃくしはじめます。もう一方の夫婦は,夫ががんこで無神経で,一見したところ独断的でいい加減なようにみえるけれども,それが逆に救いとなっていて,セシュウムに対しても楽観的に向き合っていきます。妻もまた,夫のいうとおりに,ほどほどに距離を保ちながらも,上手に妥協しながら波長を合わせていく。それだけの許容量の広さに助けられて,こちらの夫婦は安泰。

 二年目の夏のある日に北海道から一時帰宅(といっても仮説住宅)したときに,この二組の夫婦は家が無事だった夫婦の家で夕食を囲んだり,子どもたちを連れて水遊びに連れていったりする。表向きはどこもぶつかる問題はなく,さも楽しそうな会話がはずむ。なのに,つねにどこかでお互いに話を踏み込まないように配慮したり,そのために話にスレ違いが起きたり,淀んだ空気が流れ,いつしか重くなる。たまたま,話題が水たまりに棲むアメンボのことばの由来の話になります。いろいろの説が飛び交いますが,舐めると甘いからだ,というところに落ち着きます。それを聞いたセシュウムに対しておおらかな夫婦の方の子どもが,翌日,手水鉢のなかを泳いでいるアメンボをつかまえて口にふくみます。それをみていた北海道に移住している妻の友人が,飛び掛かるようにしてその子どもを押さえ込み,口に指をつっこんでアメンボを吐き出させようとします。それをみた夫が妻をうしろからはがい締めにして,その家の子どもを解放します。この場面が,この短編小説のひとつのクライマックスになっています。つまり,友人の子どもであっても/友人の子どもだからこそ,セシュウムに汚染されたアメンボを口にふくむ行為は許せない,そういう濃密な人間関係の背後にある,ぬきさしならない価値観の違いが引き起こす衝突/葛藤が日常化していることを,玄侑さんはわたしたちに問題提起します。その背景には,「絆」などという甘っちょろいキー・ワードなどでは,なんの問題解決にもならないという,ふつふつとわき上がる,こころの奥深くに潜む憤りのようなものさえ,わたしには伝わってきました。

 その事件の起きた翌日,離婚届に夫はしぶしぶ印鑑を押します。そのまま,妻は友人との別れの挨拶もせず,黙って北海道に帰っていきます。なんともやりきれない気分だけが,わたしのこころに残りました。

 こうした,セシュウムをめぐる,ほんのちょっとした感性の違いが,人と人との関係に亀裂を生じさせ,分断させることが日常的に展開している,という事実の前でわたしは無力のまま呆然としてしまいます。事態はそれだけではありません。こうした亀裂や分断は,さらに日常的に細分化され,分節化され,その密度がますます高まっていく社会を生きなければならない,この現実をどう考えればいいのか,と玄侑さんは問題をわたしたちに投げ返してきます。そこは答えのない長いトンネルのなかのようなものです。好むと好まざるとに関係なく,じわじわとそういう情況のなかにみんな飲み込まれていく,そんな重い空気が淀んでいることを,玄侑さんは淡々と,小説という形式を借りてわたしたちの前に提示してきます。

 人が生きるとはどういうことなのか,というもっとも根源的な問いを玄侑さんはわたしたちに突きつけてきます。そんな風に,わたしはこの短編小説集を読みました。

 短編集のタイトルともなっている最後の作品「光の山」は,汚染された土や瓦礫を掻き集めてできあがった山が,40年後に,忽然と光り輝きはじめる,というSFもどきの物語になっています。なんだか空恐ろしくなる,みごとな短編です。

 わたしたちは「3・11」の記憶を風化させないためにも,こうした玄侑さんのような作家が描く作品と,たえず接点をもち,考えつづけることが重要なのだ,といまさらながら考えさせられました。短編集なので,どこから読んでもいいし,いつでも,思い出したら,その日の気分でそのうちのひとつを選んで読むこともできます。ぜひ,座右の書のひとつに加えておきたい,とわたしは思いました。