2013年7月9日火曜日

今日(9日)から部屋の給排水管の取り替え工事がはじまりました。N教授の授業に出席できず,残念。

  昨夜午前3時までかかって,ようやく工事がしてもらえる状態にまでこぎつけました。狭い部屋にびっしりとものを詰め込んでしまい,ものを捨てるということをしてこなかったツケがここにきて露呈。これからは気をつけなくては,と大いに反省しています。

 そのむかし,わたしの親しくしていた友人のお宅にお邪魔したおりに,部屋がとてもすっきりと片づいているので驚いて尋ねたことがあります。子どもさん3人を育てながらの奥さんのことばは以下のようなものでした。収納スペースがいっぱいになった段階で,新しいものをつぎに購入したら,かならずそれに見合うものを捨てること。そして,常時,同じ状態を維持することだ,と。収納スペースからはみ出したものを部屋の隅に置かないこと,と。必ず廃棄処分にすること。なるほど,理屈はそのとおりですが,なかなかできることではありません。

 でも,ならば,われらも・・・・とそのときは固い決意をしました。そして,そのはずであったのですが,ついつい捨てられない症候群とやらの病魔に侵されてしまい,どの部屋も不用品で満杯です。その結果,必要なものが,すぐには見つかりません。ですから,この機会に一大決心をして不要なものは「捨てる」ことに徹しました。が,勇気が足りないというか,ものがなかった時代に育った人間の性というべきか,その大半は捨てることができないまま,段ポールの箱に入れたまま残ってしまいました。ですから,工事が終ってから旧に服するときに,相当に思いきって「選別」をし,さらに「捨てる」ことに全力を投球しなくてはなりません。

 その大半は書籍です。大した分量のものではないのですが,やはり長年かかって買い込んだ本の量ははんぱではありません。とりわけ,金銭的に苦労した時代に購入した本は,変色して,表紙もボロボロになっていて,もはやなんの役にも立たないことがわかっているのに,こういうものほど愛着が強くて,捨てることができません。まあ,自分たちの居住空間を本に奪われたまま,生涯を送ることになるのかなぁ,と半分は諦めています。

 でも,最近はやりの「終活」をいまのうちにやって置かなくてはいけない,と今回の片づけ仕事をしながらしみじみ思いました。工事が終って,ベランダに出してある書籍をもとに戻すときに,最小必要限度のものだけを手元に残すことにして,あとは,娘夫婦とも仲良くしていてくださる,信頼できる人に託そうと考えています。娘夫婦もあの人なら,と言ってくれていますので,それが一番かと考えているところです。

 この調子では,この夏休みは本の片づけだけで終ってしまいそうです。でも,いつかはこれをしなくてはならないわけですので,ちょうど,そのタイミングが今回の給排水管の取り替え工事によって現実になってきたのかもしれません。だとしたら,素直に,これを神様の啓示だと信じて,とりかかろうと決心しているところです。

 でも,この夏休み中に書かなくてはいけない原稿も山ほどあって,困ったなぁと思案投首。こころを鬼にして,ここではじめをつけないことには,もう,このあとはないだろうと思います。ここまでは,考えられるのですが,それを実行するにはもうひとつパワーが必要です。それは若さです。もう一度,この若さをとりもどして,書籍の分別に取り組んでみようと思っています。

 そうか,部屋を片づけるということは,若さを取り戻すことなんだ,と知りました。が,それができるかどうかは,やってみないことにはわかりません。でもまあ,こんな予期せざることがつぎからつぎへと起こるから人生はやっていかれるのかもしれません。まあ,そんなことをエンジョイするくらいの気分で,これから取り組もうと思っています。

 というようなわけで,今日はとっておきの火曜日のN教授の授業に出席することはできませんでした。初めて,わたしの個人的な理由で欠席することになってしまいました。今日も工事の進みゆきをみとどけながら,そして,工事責任者とあれこれ相談しながら,いまから行けばN教授の授業には間に合うなぁと思いつつ,やはりこの場を離れることは無理でした。

 先週の予告では,いろいろと映像資料をみながら,学生さんを交えた議論が展開されたのではないだろうか,と想像しています。いつも,一緒に傍聴に行かせていただいている太極拳仲間のKさんからお話を聞かせてもらおうと思っているところです。

 というようなところで,今日のわたしのレポートはこれでお終い。







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