2013年7月4日木曜日

「メディア・リテラシー」で自衛せよ。(聴講生レポート・その11.)

 4週間のフランス出張からもどられたN教授の授業が7月2日(火)から再開されました。やや日焼けした顔をよくみると顎のラインがすっきりしています。おやっ?と思って全身を観察すると,以前より細身になっていらっしゃる。余分な肉は落したい,と以前から仰っていたので,さては,パリで密かに・・・?と勘繰ったりしながら,久し振りに楽しい授業を聞かせてもらいました。

 間が開いたせいか,最初のうちはシラバスのことを気になさって,その辻褄合わせの調整をなさっていましたが,いつのまにか教卓の前に立って,フリーハンドで熱弁を展開。こうなるとN教授の面目躍如というところ。やはり,シラバスなどに縛られないで,いま,現在の,その場の力に反応する臨機応変のお話の方がはるかに迫力があって,魅力的です。授業は「生きもの」なのですから。

 いつもにも増して刺激的なお話が多かったのですが,7月2日(火)の講義で,もっともわたしのこころに響いてきたお話は「メディア」の問題系でした。その中核になっているテーマは「メディア・コントロール」と「メディア・リテラシー」だと受け止めました。

 講義の冒頭で,カタール政府の肝入りで立ち上げられた放送局「アルジャジーラ」をとりあげ,このアラブ世界・アラブ人の目線から,つまり,攻撃される側から湾岸戦争(1990年)を報道するということの画期的な意味についてお話をされました。それは,それまでの戦争報道は,つねに圧倒的戦力を誇る攻撃側からの情報のみが垂れ流しになっていて,世界中のほとんどの人びとの,いま,行われている戦争のイメージを固定化するはたらきをもっていました。

 わたしも記憶していますが,戦闘機の頭にテレビ・カメラを設置して,そのカメラが映し出す映像をみながら,まるで実況中継をしているかのような報道が常態化していました。いま,標的のどこどこに命中しました。こんどは,どこどこの標的を狙っています。これです。この建物はテロリストの拠点になっていて,ここを爆撃することが重要です。照準が定まったようです。発射しました。みごとに的中しました・・・というような報道が日本のテレビにもそのまま流れていたわけです。

 ところが,そこには爆撃されて死んでいく人びとの姿はどこにも映ってはいません。しかし,実際には,大量の人間が無差別に(つまり,多くの市民を巻き込んだまま)殺されているわけです。その実態を,攻撃される側に入り込み,みずからの身の危険も辞さずという決意のもとに,爆撃され死んでいく人びとの実態を同じ地に立って,映像化して世界に向け発信していく,それがアルジャジーラという放送局でした。もちろん,アルジャジーラの多くのジャーナリストがアメリカ軍の攻撃を受けて,死んでいきました。いな,アメリカ軍はアルジャジーラのジャーナリストたちを標的にして,殺すことに血眼になっていました。

 わたしたちは,このアルジャジーラの報道をとおして,はじめて湾岸戦争のもう一つの側の実態をしることができたわけです。それでもなお,日本のメディアは,アルジャジーラの報道をほとんど無視していました。が,インターネット情報をとおして,少し頑張ればわたしたちでも眼にすることができました。

 ここで問題になっているのが「メディア・コントロール」ということです。第一に既得権益を守ろうとする人びと(日本のメディアのほとんどはそういう人びとに独占されています)にとっては,都合の悪い情報は一切流しません。その結果,どうなるのか。アメリカ軍は「正義」のためにテロリストを撲滅しているのだ,というグローバル・スタンダードを世界中の人びとに「刷り込む」ことに成功するわけです。いまでも,アメリカは「正義」の国であると固く信じている日本人が驚くほど多いのはその成果の賜物といっていいでしょう。ですから,わたしのように,それは違うよ,アメリカが聖書に対して「正義」を誓うのであれば,テロリストと呼ばれる人びと(アメリカが勝手に名づけているだけ)はイスラム教を守るための「聖戦」(ジハード)を戦う「正義」そのものだ,と主張すると白い眼でみられて多勢に無勢というみじめな扱いを受けてしまいます。どちらも「正義」を主張している以上,両者の言い分にとことん耳を傾けて,その上で,自分の考えを固めるしかありません。それが良識ある人間のすることだ,それこそが責任ある言動だ,とわたしは信じています。

 この「メディア・コントロール」の力はすでに日本の社会のなかには根強く浸透しています。ですから,わたしたちがいま,日々,受け止めている情報の大半は,まちがいなく既得権益を守る人たちにとって都合のいいものばかりです。そうでない情報はきれいに排除されています。つまり,メディアによる「浄化作用」が,意図的・計画的にはたらいています。

 たとえば,政権交代をはたした小沢一郎が,検察もメディアも一致団結して,よってたかってあること・ないことをでっち上げて叩きつぶしにかかりました。しかし,どこまで叩いてみても,裁判でそのことを立証することはできませんでした。まるで,イラクに大量破壊兵器が隠されているという前提で,イラクを叩きつぶしてみたものの,大量破壊兵器はみつからなかった,というアメリカと同じです。しかも,小沢一郎の検察調書のなかには「嘘」ででっちあげたものまであったにもかかわらず,その調書を作成した検事は不起訴です。イラクをつぶしてしまったアメリカも無罪です。こんなことが,いま,平然と日本をふくめた世界で起きているわけです。

 最近では,メディアによる「国賊」呼ばわりによる「制裁」です。この構図は,アメリカとテロリストの関係とそっくりです。政府自民党の考えに反することを言ったり,行動したりすると「国賊」扱いにされてしまいます。わたしなどは,このブログを書いたり,デモにも参加したり,改憲反対のシンポジウムにも聴講にでかけます。もはや疑いようのない「国賊」です。でも,あまりに小物ですので,まだ,「国賊」と名指されたことはありません。

 いま,その矢面に立たされているのが鳩山由紀夫です。最近,刊行されたばかりの(6月27日発行)『「対米従属」という宿痾』(鳩山由紀夫/孫崎亨/植草一秀共著,飛鳥新社)で,徹底的に裏付けになる資料まで明示して,みずからの考えを主張しているのに,今日発売の『週刊新潮』と『週刊文春』が鳩山由紀夫つぶしにやっきになっている大見出しが躍っています。『戦後史の正体』というベストセラーが話題になっている外交の専門家・孫崎亨もまた,鳩山由紀夫の言動の正当性を支持し,政治・経済の専門家でありアメリカの情報通でもある植草一秀もまた,鳩山由紀夫を支持する根拠をきわめて明確に提示しているにもかかわらず,それらに対する反論ではなくて,たんなる「誹謗中傷」だけで鳩山叩きを展開しています。

 ここで問題になるのか「メディア・リテラシー」ということです。どちらの言い分が正しいのか,どちらの言い分にわたし自身は「信」をおくのか,それを決定するための徹底的な情報の分析です。どちらの「言い分」にもそれなりの根拠があるはずです。ですから,両者の「言い分」に,まずは耳を傾けること,そこからはじめるべきでしょう。しかし,相手を頭ごなしに一方的に否定するだけでは議論ははじまりません。たとえば,「尖閣諸島が係争地であるということを認めるところから仕切り直しをするしか,中国との国交正常化はありえない」と,しかるべき根拠を提示して主張する鳩山由紀夫を「国賊」のひとことで切り捨ててしまいます。これでは,議論もくそもありません。ヘイト・スピーチそのままです。情けないことに。それでもなお,深く考えようとはしない(「思考停止」している)多くの国民を「メディア・コントロール」の力で誘導することが,真の「国益」になるのだろうか,と考えることが必要です。どちらが「国賊」で,どちらが「国益」になるのか,しっかりと見極める力が,いま,国民に問われています。

 今日(4日)は参院選の告示日です。もう,すでに「メディア・コントロール」がさまざまなかたちで展開しています。これから,ますます,激しくなってくることでしょう。それらの「メディア・コントロール」を突き抜けていく「メディア・リテラシー」で自衛するしか,いまのわたしたちにできることはありません。そして,ひとりでも多くの人たちと議論を闘わすことが必要です。ほんの少し冷静になって,情報を集め,話し合うだけで,だれが,いつ,どこで,どんな風にして,「嘘」をでっちあげ,それをまことしやかな情報に仕立て上げて,メディアをとおして流しているか,じつに鮮明にみえてきます。

 N教授の名講義を聞きながら,わたしが考えたことの一端を,レボートにしてみました。ご批判をいただければ幸いです。

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