2013年7月12日金曜日

遠のく稀勢の里の綱とり。必要なのは気魄の籠もった破壊力のある立ち合いだ。

 先場所の千秋楽で大関・琴奨菊に電車道で寄り切られた相撲が,ずっと気になっていた。その不安が,昨日(11日)の千代大龍の相撲で露呈してしまった。立ち合い一気に前に圧力をかけてくる力士に弱いという稀勢の里の弱点が修正されていない。つまり,立ち合いの先制攻撃と,自分の得意の型に持ち込む相撲の流れがまだできていない。となると,綱とりはまだまださきのことといわねばなるまい。

 立ち合いの厳しさを欠くと,もはや横綱でもなんでもないごく平凡な相撲になってしまう見本が,日馬富士の高安戦だった。高安に張手をくらってびっくりしてしまったのか,出足のないまことに平凡な立ち合い。そして,いともかんたんにがっぷり左四つ。その瞬間に高安の右からの上手ひねりになすすべもなく左膝をついてしまった日馬富士。負けた本人が一番不本意だったことは,テレビの画像をとおしてもはっきりと伺えた。しかし,この勝負の分かれ目は,日馬富士が,この日に限って立ち合いの厳しさを欠いたこと,ただこの一点にある。だから,高安の思いのままに相撲をとられてしまった。

 翌日から反省した日馬富士は,低い姿勢からの鋭い立ち合いと,それにつづく先制攻撃をとりもどした。これでもとの横綱の相撲をとりかえした。昨日の時天空との対戦などはその典型といってよい。低い姿勢からの下から上に向かって頭から突き上げていく立ち合いにつづいて,右手を延ばしてのどわにいく手が相手の胸に当たった。けたぐりの奇襲にきた時天空の重心が高かったので,そのまま時天空のからだは宙に浮き,その一突きで突き飛ばされる形になった。これでいいのである。これぞ横綱相撲。基本どおり。相手に付け入るスキを与えない,完璧な相撲。

 日馬富士が横綱に昇進するときにみせた二場所全勝の相撲内容は,けして褒められたものではなかった。しかし,立ち合いから一気に攻め込む,あの激しさ・闘魂が相撲内容を凌駕した。あの白鵬ですら2連敗したのだ。とりわけ,綱取りを決定づけた白鵬との死闘は歴史に残る名勝負だった。綱とり場所に求められるのは,こういう「激しさ」「気魄」「勢い」だ。あるいは「力」としかいいようのないプラスα。どんな相手であれ,自分の得意の型に持ち込んで屠る,そういう野生的な,空恐ろしい気魄がなにより必要だ。

 今場所の稀勢の里にはそれが欠けている。初日の立ち合いがまさにそれだった。負けられないという気持ちが先走ってしまっては相撲はとれない。なにがなんでもおれが勝つ。そのために全知全能を傾けて,もてる力のすべてを土俵にぶっつけていく。そのとき,生まれ変わった稀勢の里が姿を現す。そこの地平に飛び出していくための,最後の仕上げのハードル,それが綱とり場所だ。それをどう勘違いしたか,負けてはならないという守りの相撲になってしまっている。これでは元の木阿弥。無駄なとりこぼしの多い大関の汚名を返上することはできない。

 相手充分にはさせない破壊力のある立ち合いを身につけること。いかなる相手であろうと,自分の前に立ちはだかる相手はすべて「破砕」してやる,さあ,来い,というくらいの気構えがほしい。そして,迷わずわが道をいく,そういう強いこころがほしい。稀勢の里,意外に小心者か?土俵上の面構えも態度も,おれが一番という自信に満ちたオーラがいっぱいなのに・・・・。意外にもろい。

 才能のある力士として早くから期待され,そのとおりに伸びてきた。しかし,大関で足踏みをしてしまっている。なぜか。その理由をみずからとことん問い質し,そこを超克すること,ただ,この一点にかかる。大関稀勢の里よ,まだ若い。いまは亡き師匠・隆の里の,悩み苦しんだのちに綱とりに成功した例もある。

 これから後半戦に向けて,内容のあるいい相撲をとってほしい。勝ち負けを度外視したさきに,綱を手にする人たちの世界が開けてくる,そう信じて。未完の大器がいつ大輪の花を咲かせるか,いまから楽しみにしている。いつ,化けるか。それだけだ。

 頑張れ!稀勢の里!

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