1回(先々週)はわたしの都合でお休み,もう1回(先週)は大学のスケジュールの関係で休講。3週間ぶりの聴講生体験でした。N教授もお元気そうで,肩の力の抜けたゆったりとした態度で,とても内容のある授業をしてくださいました。今日で前期の授業は終わり。つまり,最終の授業。その締めくくりは「メディア」のお話。そのサンプルとして,ドキュメンタリー・NHKスペシャル『封印された原爆報告書』(NHK広島局制作,2010年8月6日放映,その後,何回も放映されているとのこと。ただし,視聴率はきわめて低いとも)を鑑賞しました。
そのための前ふりのお話と,鑑賞したあとのショート・コメントが,どきりとさせられる素晴らしいものでした。
結論から入ります。視聴覚メディアは,最近になってインフラに大きなコストがかかりすぎるために(たとえば,スカイ・ツリーの建設など),いつのまにか国家事業として取り組む必要が生じ,報道機関のもつ公共性との関連もあって,いまでは政府のコントロールのもとに位置づけられることになってしまったこと,ここに大きな問題がひとつ存在すること。もうひとつは,「市場の力」がメディアに強く働くようになってしまったこと,その結果,コマーシャル映像を流すスポンサーの影響をもろに受けることになってしまったこと,そのために,どうでもいいバラエティや食べ物・料理番組や紀行・旅ものがゴールデン・タイムを占有することになってしまったこと,その結果,国民としてしっかり考えなくてはならない重要な時局の報道はすっかり影をひそめてしまったこと,等々,これらの問題をとう考え,克服していかなくてはならないのか,という問題提起が最初になされました。
そうしたことを考えるためのサンプルとして,表記のようなドキュメンタリー番組をみんなで鑑賞することになりました。これは文字どおりヘビーで,深刻な問題提起をふくんでいました。その概要をかんたんに触れておけば以下のとおりです。
1945年8月6日,ヒロシマに新型爆弾が投下された直後に,陸軍省医務局のスタッフが現地に入り調査を開始します。そして,延べ1,300人もの日本の医師や科学者が,2年以上もかけて,181冊の報告書(全部で1万ページを超える)を作成します。その内容は,たとえば,200人の遺体を解剖した結果であったり,2万人以上もの人を対象にした聞き取り調査であったり,被爆者の日記であったり,と多種多様です。あるいは,旧陸軍病院・宇品分院には,約6000人もの被爆者が収容され,ムシロのようなふとんに寝かされたまま,治療の手も薬も間に合わず,ほとんど放置されていた,というような映像がつぎからつぎへと,これでもかというほど流れてきます。この段階で,みている者は圧倒されてしまいます。
こうして原爆の被災国の医師・科学者がまとめた,原爆投下の直後からのきわめて貴重な調査結果をまとめた報告書が,なんと,そっくりそのまま加害国であるアメリカに提出された,というのです。しかも,この報告書はワシントンにあるアメリカ公文書館に,65年間にわたって厳重に保存されていた,といいます。そのため,被爆者のその後の救済に役立つためならばと死を目前にした被爆者たちの献身的な協力もむなしく,その人たちの善意も無視されたまま,放置されていた,というわけです。
そのため,たとえば,原爆投下直後に広島市に肉親を探しに入って被曝したいわゆる「入市被爆者」が,国によって原爆被爆者として認められないまま放置されることになりました。が,65年後に,アメリカの公文書館に保管されていた『原爆報告書』のなかに,「入市被爆者」の日記(当時,医学生)があることがわかり,それによって初めて国は「入市被曝」を認めることになった,という話が登場します。しかも,その日記を書いた元医学生は,いまは84歳になり,闘病生活を送っています。映像は,その元医学生へのインタヴューも映し出しています。頭脳はまだ明晰なのに,からだは横たわったまま動けない状態です。なんとも,痛ましいとしかいいようがありません。
このようにして,当時の生き証人を(すでに,90歳を超える高齢者ばかり)訪ね歩き,一つひとつ証言をとりつけていきます。痛々しいばかりの映像がつづきます。みていて耐えられないほどの息苦しさを覚えます。
しかし,問題は,このさきにあります。
原爆の被爆者をはじめ,医師や科学者たちが,みんな一致協力して原爆被害の『報告書』をまとめたにもかかわらず,その『報告書』が被爆者救済のためには用いられないまま「封印」されていた,という事実です。つまり,敗戦国日本は,2年以上もかけて必死になって作成した『報告書』を,率先してアメリカの調査団に提出してしまいます。それが国益につながると考えたのですが,結果的には,そのまま「封印」されてしまい,なんの役にも立たなかったという事実です。その結果として,被爆者はなんの恩恵も受けられないどころか,被爆者の認定もごく限られた人だけに限定されてしまい,あとの被爆者は国家から無視されつづけてきた,という事実です。そうした矛盾した実態がもののみごとに描かれています。
日本という国家は,いまもなお,弱者を切り捨て,犠牲にしたまま省みることをせず,権力に近い強者のための政治しか行わない,というこの情けない実態のひとつの原点がここにも確認できる,という次第です。この姿勢は,そのまま,フクシマにも引き継がれ,国は可能なかぎり蓋をしたまま無視しつづけようとしています。フクシマの事故処理はまだまだこれからが正念場なのに,国ははやばやと終結宣言をして,なにもなかったかのように振る舞っています。しかも,だれも責任をとらないまま,傍観者を装っています。
それが,こともあろうに,選挙が終った翌日には,東電がフクシマの汚染水が海洋に垂れ流しになっている事実を公表しました。こんなことは,もう,とっくのむかしからわかっていたはずなのに,ひた隠しにしたまま,詭弁・虚言を弄してきました。が,自民党圧勝の選挙結果を見届けるようにして,汚染水の海洋垂れ流しの事実を認めるという,このタイミングしかない,といわぬばかりのやり口の汚さには呆れ果てるほかはありません。が,これが日本の権力のやり口であり,情けないことながら,現実です。
こういう体質は,むかしもいまも変わってはいない,ということをこの秀逸なドキュメンタリー『封印された原爆報告書』は,もののみごとに教えてくれています。
いま,メディアが流す情報のほとんどは,政治権力と市場の力によって,管理され,コントロールされているといっても過言ではありません。だからといって,では,すべてのメディアの存在を否定してしまっていいのかといえば,そうではない,とN教授は仰います。なぜなら,メディアと人間との関係は,水と魚の関係にあって,お互いになくてはならない関係にあるからだ,というわけです。つまり,人間が生きていくにはメディアは必要不可欠なものなのだ,と。そして,なかには,このドキュメンタリーのようにきわめて秀逸なものも産出される可能性を秘めているのだ,と。だから,わたしたちは,このような優れたドキュメンタリーを擁護することによって,よりよいメディアを育てていくことが重要なのだ,とN教授は言外にほのめかしていたようにおもいます。
以上,ことば足らずのレポートになってしまいました。が,これで,前期のN教授の授業を聴講させていただいたレポートはお終いです。次回は,後期の授業からになります。しばらく,お休みです。
前期の授業を聴講させていただいた結論的な感想を少しだけ。大学の授業は,世の中の経験を積み,いろいろと悩み,考えたのちに,もう一度,聴講すべきだ,と痛切に思いました。なぜなら,学生時代にこのようなN教授の授業を聞いたとしても,その理解度はどれほどのものなのか,たかが知れています。が,いまは,N教授のお話が,もののみごとにストンと腑に落ちてきます。そして,新たに考えるべきヒントがつぎつぎに見いだされます。聴講していて,毎回,毎回,とてもエキサイティングでした。
みなさんもリタイヤしたら,ぜひ,もう一度,大学の聴講生になることをお薦めします。ただし,いい先生を見つけ出さなければいけません。わたしにとってのN教授のように。
そのための前ふりのお話と,鑑賞したあとのショート・コメントが,どきりとさせられる素晴らしいものでした。
結論から入ります。視聴覚メディアは,最近になってインフラに大きなコストがかかりすぎるために(たとえば,スカイ・ツリーの建設など),いつのまにか国家事業として取り組む必要が生じ,報道機関のもつ公共性との関連もあって,いまでは政府のコントロールのもとに位置づけられることになってしまったこと,ここに大きな問題がひとつ存在すること。もうひとつは,「市場の力」がメディアに強く働くようになってしまったこと,その結果,コマーシャル映像を流すスポンサーの影響をもろに受けることになってしまったこと,そのために,どうでもいいバラエティや食べ物・料理番組や紀行・旅ものがゴールデン・タイムを占有することになってしまったこと,その結果,国民としてしっかり考えなくてはならない重要な時局の報道はすっかり影をひそめてしまったこと,等々,これらの問題をとう考え,克服していかなくてはならないのか,という問題提起が最初になされました。
そうしたことを考えるためのサンプルとして,表記のようなドキュメンタリー番組をみんなで鑑賞することになりました。これは文字どおりヘビーで,深刻な問題提起をふくんでいました。その概要をかんたんに触れておけば以下のとおりです。
1945年8月6日,ヒロシマに新型爆弾が投下された直後に,陸軍省医務局のスタッフが現地に入り調査を開始します。そして,延べ1,300人もの日本の医師や科学者が,2年以上もかけて,181冊の報告書(全部で1万ページを超える)を作成します。その内容は,たとえば,200人の遺体を解剖した結果であったり,2万人以上もの人を対象にした聞き取り調査であったり,被爆者の日記であったり,と多種多様です。あるいは,旧陸軍病院・宇品分院には,約6000人もの被爆者が収容され,ムシロのようなふとんに寝かされたまま,治療の手も薬も間に合わず,ほとんど放置されていた,というような映像がつぎからつぎへと,これでもかというほど流れてきます。この段階で,みている者は圧倒されてしまいます。
こうして原爆の被災国の医師・科学者がまとめた,原爆投下の直後からのきわめて貴重な調査結果をまとめた報告書が,なんと,そっくりそのまま加害国であるアメリカに提出された,というのです。しかも,この報告書はワシントンにあるアメリカ公文書館に,65年間にわたって厳重に保存されていた,といいます。そのため,被爆者のその後の救済に役立つためならばと死を目前にした被爆者たちの献身的な協力もむなしく,その人たちの善意も無視されたまま,放置されていた,というわけです。
そのため,たとえば,原爆投下直後に広島市に肉親を探しに入って被曝したいわゆる「入市被爆者」が,国によって原爆被爆者として認められないまま放置されることになりました。が,65年後に,アメリカの公文書館に保管されていた『原爆報告書』のなかに,「入市被爆者」の日記(当時,医学生)があることがわかり,それによって初めて国は「入市被曝」を認めることになった,という話が登場します。しかも,その日記を書いた元医学生は,いまは84歳になり,闘病生活を送っています。映像は,その元医学生へのインタヴューも映し出しています。頭脳はまだ明晰なのに,からだは横たわったまま動けない状態です。なんとも,痛ましいとしかいいようがありません。
このようにして,当時の生き証人を(すでに,90歳を超える高齢者ばかり)訪ね歩き,一つひとつ証言をとりつけていきます。痛々しいばかりの映像がつづきます。みていて耐えられないほどの息苦しさを覚えます。
しかし,問題は,このさきにあります。
原爆の被爆者をはじめ,医師や科学者たちが,みんな一致協力して原爆被害の『報告書』をまとめたにもかかわらず,その『報告書』が被爆者救済のためには用いられないまま「封印」されていた,という事実です。つまり,敗戦国日本は,2年以上もかけて必死になって作成した『報告書』を,率先してアメリカの調査団に提出してしまいます。それが国益につながると考えたのですが,結果的には,そのまま「封印」されてしまい,なんの役にも立たなかったという事実です。その結果として,被爆者はなんの恩恵も受けられないどころか,被爆者の認定もごく限られた人だけに限定されてしまい,あとの被爆者は国家から無視されつづけてきた,という事実です。そうした矛盾した実態がもののみごとに描かれています。
日本という国家は,いまもなお,弱者を切り捨て,犠牲にしたまま省みることをせず,権力に近い強者のための政治しか行わない,というこの情けない実態のひとつの原点がここにも確認できる,という次第です。この姿勢は,そのまま,フクシマにも引き継がれ,国は可能なかぎり蓋をしたまま無視しつづけようとしています。フクシマの事故処理はまだまだこれからが正念場なのに,国ははやばやと終結宣言をして,なにもなかったかのように振る舞っています。しかも,だれも責任をとらないまま,傍観者を装っています。
それが,こともあろうに,選挙が終った翌日には,東電がフクシマの汚染水が海洋に垂れ流しになっている事実を公表しました。こんなことは,もう,とっくのむかしからわかっていたはずなのに,ひた隠しにしたまま,詭弁・虚言を弄してきました。が,自民党圧勝の選挙結果を見届けるようにして,汚染水の海洋垂れ流しの事実を認めるという,このタイミングしかない,といわぬばかりのやり口の汚さには呆れ果てるほかはありません。が,これが日本の権力のやり口であり,情けないことながら,現実です。
こういう体質は,むかしもいまも変わってはいない,ということをこの秀逸なドキュメンタリー『封印された原爆報告書』は,もののみごとに教えてくれています。
いま,メディアが流す情報のほとんどは,政治権力と市場の力によって,管理され,コントロールされているといっても過言ではありません。だからといって,では,すべてのメディアの存在を否定してしまっていいのかといえば,そうではない,とN教授は仰います。なぜなら,メディアと人間との関係は,水と魚の関係にあって,お互いになくてはならない関係にあるからだ,というわけです。つまり,人間が生きていくにはメディアは必要不可欠なものなのだ,と。そして,なかには,このドキュメンタリーのようにきわめて秀逸なものも産出される可能性を秘めているのだ,と。だから,わたしたちは,このような優れたドキュメンタリーを擁護することによって,よりよいメディアを育てていくことが重要なのだ,とN教授は言外にほのめかしていたようにおもいます。
以上,ことば足らずのレポートになってしまいました。が,これで,前期のN教授の授業を聴講させていただいたレポートはお終いです。次回は,後期の授業からになります。しばらく,お休みです。
前期の授業を聴講させていただいた結論的な感想を少しだけ。大学の授業は,世の中の経験を積み,いろいろと悩み,考えたのちに,もう一度,聴講すべきだ,と痛切に思いました。なぜなら,学生時代にこのようなN教授の授業を聞いたとしても,その理解度はどれほどのものなのか,たかが知れています。が,いまは,N教授のお話が,もののみごとにストンと腑に落ちてきます。そして,新たに考えるべきヒントがつぎつぎに見いだされます。聴講していて,毎回,毎回,とてもエキサイティングでした。
みなさんもリタイヤしたら,ぜひ,もう一度,大学の聴講生になることをお薦めします。ただし,いい先生を見つけ出さなければいけません。わたしにとってのN教授のように。
1 件のコメント:
「弱者を切り捨て,犠牲にしたまま省みることをせず,権力に近い強者のための政治しか行わない」、こうした構造の淵源がどこにあるのか。そしてこうした構造を変えるためには、どうすればいいのか。このあたりは非常に興味あります。
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