2014年5月13日火曜日

日馬富士・乱舞,白鵬・目一杯,鶴竜・飄々。三者三様で面白い。

 日馬富士が乱舞している。なりふり構わずひとり相撲をとっている。このあと日馬富士がどんな相撲をとっていくのか,興味津々である。金を払って,この眼でとくと検分してみたいものだ。乱舞しながら徐々に自分の相撲にもどしていくであろう,そのプロセスをじっくりと味わってみたい。

 初日,嘉風の気魄を真っ正面から受けてしまい,吹っ飛ばされてなすすべもなく土俵下に落ちた。この傷は深い。ここから立ち直るのは大変だ。その結果が二日目の碧山戦にでた。「乱暴な相撲」と解説者が切って捨て,横綱らしくない相撲をきびしく批判した。しかし,この相撲はみている方は面白かった。あの張手の乱発がなにを意味しているのか。しかも,何回も負けてもおかしくない体勢を建て直す運動神経の良さ,そして,前に落ちない反応のよさ,最後は相手のふところに飛び込んで押し出し。

 よほど足首が悪いのか。それともこころの乱れからくるものなのか。もともとなりふり構わず,サーカス相撲も計算のうち。とにかく勝ち星を拾うためならなんでもやる,そういう横綱なのだ。二場所連続で全勝優勝をはたしたときも,何番も,負相撲を勝ちにつなげた取り組みがあった。それがこの日馬富士という力士の持ち味でもある。さて,今場所,このあとの取り組みをどのように建て直してくるか,興味はそこにつきる。うまく調整が進めば,場所終盤の5日間が盛り上がる。そのキーマンは日馬富士になるだろう。

 白鵬は一見したところ安泰,磐石にみえる。しかし,かれもまたどこかおかしい。今場所こそ優勝するぞとばかりに気合が入っている。わたしの眼からすると気合が入りすぎているように見える。そうしないと,ひょっとしたら負けてしまうかもしれない,という不安の裏返しのように見える。つまり,実力差が小さくなってきている,と自覚しているのではないか,と。その証拠に,ここ何場所か残り5日間の取り組みに負けが集中している。つまり,上位陣が力をつけてきて,その差がほとんどないところまできている・・・・とわたしは見る。

 白鵬の最大の焦りは,調子のいいときの日馬富士には勝てない,という過去の実績にみることができる。もうひとつの焦りは,鶴竜が力をつけてきたことだ。こちらもがっぷり四つに組むと勝ち目がなくなる。だから,白鵬はなんとしても,自分の相撲の流れに持ち込む必要がある。そのためには気魄で相手を圧倒する以外にない。だから,仕切り直しのときからはじまる,あの「にらみ」ようは異常だ。しかし,最近はその「にらみ」をものともせずに,むしろ無視するかのように,自分の仕切りに徹する若手力士が現れた。

 いま,白鵬の心中をよぎっているものはなにか。それを土俵上にみとどけるのも大相撲の醍醐味というものだ。その点で,後半戦が楽しみだ。

 さて,新横綱の鶴竜。飄々とした土俵態度は先場所と変わらない。しかも,からだの張りもいい。強くなっているようにもみえる。いつもの自分の相撲をとるだけ,という淡々としたこころの置き所が素晴らしい。勝ち負けを超越している。だから表情もまったく変化なし。気合が入っているのか入っていないのかもわからない。これぞ勝負師。終盤の横綱対決を制するのは鶴竜ではないか,とわたしは期待する。がっぷり組み合えば負けないという自信のようなものが伝わってくる。

 だから,あわてない。相手力士にも相撲をとらせておいてなお,余裕がある。あるいは,相撲がみえている。またまた,ひとまわり大きく成長したようにみえる。だとすると,まだまだ強くなりそうな予感に包まれる。わたしが注目している鶴竜の相撲のポイントは「股関節」のよさ。ここを見極めるのは「股関節」についての相当にレベルの高い知識を必要とする。それは,いつか書くことにして,結論だけ書いておこう。

 股関節がいいので,まず第一に腰がよく割れている。ついで,低い姿勢からの立ち合いができる。それ以後の攻防も腰の位置が低いまま相手を正面にとらえることができる。だから上体と下半身の軸が股関節を中心にしてぶれない。その結果として,軸脚にしっかりと体重が残ったままの半回転しての「はたきこみ」が生きてくる。もちろん,この「はたきこみ」は軸脚がぶれるとときおり失敗することがある。だから,安易に「はたき」に行ってはならない。でも,この「はたき」がある,と相手力士が意識するだけでもひとつの武器にはなっている。

 まだ大相撲ははじまったばかりだ。これから日を追うごとに,どの力士の相撲内容も変化してくるだろう。みんな智恵をはたらかせて作戦を練ってくる。そのせめぎ合いなのだから。

 しばらくは,じっくりとなりゆきを楽しむことにしよう。今場所の後半は眼が離せなくなるような,そんな充実した場所になりそうだ。楽しみ。

「つぎの段階の治療に入りましょう」(院長先生)。「はい,わかりました」(わたし)。

 4週間ぶりに院長先生の診察があって,病院に行ってきました。前の診察のときに予告されていましたように,つぎの段階の治療計画が提示されました。院長先生はことばを慎重に選んで,「薬剤による治療です」と仰る。そして,薬剤を飲み始めたら8日目に入院,さらに別の薬剤を投入して,副作用の反応についての追跡チェック・観察をおこないます,と。そこから,さらに詳しい治療内容についての説明がありました。その途中で,わたしの考えや疑問についても何点か相談に乗ってもらいました。そのつど,納得のいく説明がありましたので,いよいよ抗ガン剤治療だな,と覚悟を決めました。

 その決め手となったのは,ステージ「C-3」とリンパに転移あり,という最終の診断結果でした。現段階では他臓器への転移はないものの,リンパへの転移はとりあえず薬剤によって抑え込んでおく必要がある,というわけです。

 抗ガン剤による副作用は個人差があって,実際にやってみないことにはわからないので,その点については慎重に取り組みたい,と院長先生。だから,薬剤投与8日目からの入院によって,慎重に追跡チェックをします,とのこと。その結果をみて,からだに合った薬剤のレベル,投与の方法を検討していきます,と仰る。

 わたしが,あまりにいろいろのことを質問するものですから,院長先生はひととおり説明をしたあとで,「稲垣さん,腰が引けてますねぇ」と,例のジョークまじりのちょっかいをかけられてしまいました。わたしも負けずに「もちろん腰が引けてますよ。できることなら抗ガン剤治療は受けたくないくらいです」と応酬。院長先生にカッカと大笑いされてしまいました。そして,「稲垣さんのからだにもっとも合うように,薬剤のレベルや投与の方法を見つけ出しますので,ご心配なく」と慰めてくださいました。

 こうなったら,院長先生を全面的に信頼するしかない,と腹をくくることにしました。わたしをこの病院に紹介してくれたドクターYさんやKさんとの関係もあります。ここまでくるにはいろいろの経緯もありました。ひょっとしたら,いまごろ,まったく別の病院で,まったく知らないお医者さんのお世話になっていたかもしれません。いや,その方が展開としてはありえたことです。それが,まったく大した意味もなくはたらいたわたしの直感が,一度は乗り込んだ救急車から引き上げる,という選択でした。そうして,一日,様子をみた結果が,こんにちへの道を開くことになりました。偶然とはいえ,これもひとつの流れなのだから,この流れに便乗していこう,とも考えました。

 が,なにより優先させたことは,信頼でした。院長先生との波長がうまい具合に合うのです。ですから,院長先生もかなりはっきりとものを言ってくださいますし,わたしも負けずに言い返したりしています。とりわけ,ジョークの好きな院長先生の生き方に,ひとりの人間としての余裕といいますか,なんとなく安心感が漂います。このことが,わたしにとっては,とても大きな要素のひとつになっています。

 それともうひとつは,医療全体のあり方についても,とても勉強家で広い見識をもっていらっしゃるという点です。わたしの入院中に,ふらりと病室に現れて,それとなくわたしの様子を窺いながら,いつしか話題が脱線して,とても大まじめな医療の話に及ぶことがありました。わたしはN教授の「医療思想史」を下敷きにして,いろいろと院長先生に問いを発したところ,一気に院長先生は饒舌になられ,ふだんからお考えのことを話してくださいました。このときは,もはや,患者と医師の関係から解き放たれた,人間対人間のありがたい時間でした。

 この関係は,わたしとドクターYさんとの関係と同じです。120%信頼できる医師,そう信じることができる医師に出会えたことはラッキーとしかいいようがありません。ありがたいことです。あとは運を天にまかせて・・・・よい結果が生まれることを祈るのみ・・・と考えています。

 まあ,これでしばらくは,真っ正面からからだと向き合う生活がはじまることになります。あまり力むことなく,自然体で付き合って行くことにしたいと思います。病いと闘う,「闘病」ではなく,戯れ合うくらいの気持で,これを「戯病記」と命名。折に触れ,書いてみたいと思います。

 というわけで,ひとことご挨拶まで。

 

2014年5月12日月曜日

W杯競技場建設工事で死者が続出(2014年ブラジル,2022年カタール)。

 他山の火事だなどと呑気なことは言ってられない。W杯競技場の建設工事現場で死者が続出しているという。それも半端な数ではない。無理に無理を重ねると,どこの国で起きても不思議ではない。なにも,ブラジルやカタールだけの話では済まされまい。

 これから東京五輪のための競技施設づくりが,新国立競技場を筆頭に,あちこちで着手される予定だ。もうすでに,いまから,資材不足と労働力不足が叫ばれている。その結果は,建設費が当初の予定よりもはるかに高額なものになることがはっきりしている。しかも,法外な値段に。となると,建設費削減が当面の大きな課題になってくる。そのしわ寄せがどこにいくか。少し考えるだけでそれは明らかだ。

 同時に,外国人労働者の導入がもうすでにはじまっている。政府もその方針で,さまざまな手を打っている。しかし,労働者は頭数だけ揃えばいいという問題ではなかろう。ことばもままならない労働者が即戦力になるとは考えられない。工事現場の意思疎通はきわめて重要なことだ。チームワークのいい熟練の労働者によって,はじめていい仕事が生まれる。

 こうしたしわ寄せが,建設工事現場の事故の誘因になる。新聞に報じられたブラジルとカタールの死亡事故はこうした背景と無縁ではないだろう。

 ことしの6月にはじまるサッカーW杯開催に向けてブラジルではいま急ピッチで工事が進んでいる。これまでにもいろいろとトラブルがあって,競技会までに間に合わないのではないか,と心配されていた。その矢先,ブラジルではついに死者8人目が記録されたという。

 6月24日に日本対コロンビアの試合が予定されている,ブラジル中西部のクイアバの競技場建設現場で,電話回線を設置していた作業員(32)が感電事故で死亡した,という。かねてから工事が遅れていて,W杯の開催に間に合うのかと懸念されていた現場だ。地元警察は工事を中断させて捜査に入った。こうして,またまた,工事は遅れていく。そして,そのしわ寄せが・・・・。という具合に悪循環に陥ってしまっている。

 いっぽう,2022年にサッカーW杯開催が予定されているカタールでは,「関連の工事のために低賃金で雇われた外国人労働者の事故が多発している」という。すでに,1200人超の死亡者があったのではないかという情報もあり(国際労働組合総連合:ITUC),国際人権団体アムネスティ・インターナショナルはカタールに対して外国人労働者の環境を改善するよう求めた,という。いったい,1200人もの外国人労働者が死亡するような工事現場とはどういうところなのか,わたしには想像もできない。

 こんな考えられないようなことが,これから開催される予定のサッカーW杯の準備段階で起きている。こういう不可解な現実が,これからはじまる東京五輪の競技場建設現場で起こらないとは,だれも保障できないのだ。東京五輪招致が決定した瞬間のあの喜びようの背景には,こうした厳しい現実が待ち受けているということを忘れてはならない。

 そして,なにより恐れるのは,東日本大震災の復興がさきのばしにされていくのではないか,ということだ。すでに,大手ゼネコンの主要チームは東北から引き上げつつあるという。そして,東京五輪関連事業の入札に備えている,と。にもかかわらず,新国立競技場の,きわめて高度な技術を要する現場については,大手ゼネコンも入札に二の足を踏んでいる,という。

 いったい,この国は,なにを考え,どこに向かって,なにを,どのようにしようとしているのだろうか。じっくりと見極めて行かねばならないことが多すぎる。由々しきかな・・・・。
 

2014年5月11日日曜日

1886年・日本にやってきたイタリア・チャリネ曲馬団。

 もう何年か前に,「サーカスがやって来た」というテーマの展覧会が兵庫県立近代美術館で行われていることを新聞で知り,ちょうど神戸にでかける用事があったので,その折に足を運びました。大いに期待してでかけたのですが,その予想をはるかに上回る内容の濃い展覧会で,わたしは存分に堪能しました。

 いつもの習慣で,気に入った展覧会のときには図録を購入します。ついでに言っておきますと,展覧会の図録ほど割安な出版物はない,とわたしはつねづね思っています。とても贅沢な製本で,しかもボリュームもあり,オール・カラーで,一流の執筆陣。こんな本を一般の書店で買おうとしたら倍くらいの値段になるのではないでしょうか。いつも,そんなことを思いながら,ひとり悦に入って購入しています。そして,根をつめて仕事をしたあとなどに,時折,引っ張りだしてきてはこの図録を楽しんでいます。そこには専門家の手になるさまざまな解説があって,わたしの知らなかった新しい発見も多々あるので,とても勉強になります。

 こういう図録が長年の間に相当数たまっていて,退屈しのぎにはとても役に立っています。それ以上に,いま連載中の「絵画にみるスポーツ施設の原風景」の原稿を書く上で,いまやなくてはならないネタ本になっています。この連載は隔月ですが,すでに第31回目を数えるところにきています。なにかの都合で時間がないときのために,とっさに書けるネタはいくつか用意してあるのですが,この写真もそういうネタのひとつでした。

 出典は,図録『サーカスがやって来た』,神奈川県立美術館/兵庫県立近代美術館編集,1996年,P,49,です。なお,掲載誌は『SF』,体育施設出版,April 2014,P.29.です。


 この図像にはつぎのようなキャプションをつけてみました。

 欧米からサーカス団が日本にやってきた嚆矢(こうし)は,1864(元治元)年のことでした。アメリカ人のリチャード・リズリー・カーライルが率いる「リズリー・サーカス」は,10人の団員と8頭の馬で構成されていました。以後,明治に入るとつぎつぎに欧米のサーカス団が来日します。
 なかでも1886年に来日したイタリアのチャリネ大曲馬団は,その規模の大きさとライオンの登場で大評判となりました。この曲馬団は横浜,外神田で興行したあと,吹上御苑で天覧があり,さらに築地,浅草,靖国神社,再度横浜,大阪,京都と長期にわたる巡業を行いました。
 各地で大人気を博し,大きな話題となりました。わけても,円形の小さな馬場を駆けめぐりながら,馬上でつぎつぎに曲芸(曲乗り)を繰り出す曲馬団の芸は,当時の日本人にとっては初めての経験であり,新鮮な驚きだったようです。その驚きがそのまま「曲馬」,「曲馬団」という日本語になって,またたく間に広まっていきました。
 馬を走らせ,その上で曲乗りを見せるために必要最小限の空間は,円形の馬場でした。同じ場所をぐるぐる周りながら,さまざまな曲乗りを見せる・・・・この曲芸を欧米ではサーカスと呼びました。  その語源は,古代ローマのキルクス(circus)にありました。これを英語読みしたものが「サーカス」です。
 キルクスは,古代ローマの人気スポーツ「馬車競技」のことで,観客席に囲まれた広大な楕円形の馬場を7回半,回って勝負の決着をつける競技でした。そのイメージがそのまま受け継がれ,馬場を縮小し,馬車競技に代わって曲馬・曲乗りに変容したものが「サーカス」というわけです。ですから,サーカスは「円形の馬場」で人馬一体となった芸を見せるのが基本です。
 やがて,近代の機械文明の進展とともに,馬に加えて,自転車,オートバイによる曲乗りが新しい演目として人気を博すようになってきます。こんにち私たちが眼にするサーカスは,科学技術の最先端の成果を取り込んで,驚異的な性能をもつ施設・用具を用いた曲芸の世界を切り拓いています。それでも変わらないもの,それが「円形の馬場」です。

 以上です。

 隔月の連載で,この回が第31回となります。ので,丸5年が経過して6年目に突入という,かなりのロングランとなっています。でも,とても愉しい企画ですので,ネタのつづくかぎりこの連載は大事に継続したいと思っています。

 というところで今日のブログはおしまい。
 

2014年5月10日土曜日

「ボクサー崩れ」という偏見に抗して──袴田事件 もう一つの闘い(落合博)を読む。

 雑誌『世界』6月号が「冤罪はなぜ繰り返すのか」──刑事司法改革の行方,という特集を組んでいます。冤罪にかかわる諸問題を取り扱っていてじつに読みごたえがありました。この特集の引き金となったのが「袴田事件」であったことはだれの目にも明らかなところでしょう。

 この特集と連動して,とても興味深いエッセイが掲載されています。「ボクサー崩れ」という偏見に抗して──袴田事件 もう一つの闘い,と題した落合博さん(毎日新聞記者)が書いたものです。しっかりとした取材に裏付けられたみごとなエッセイで,なかなか読みごたえがありました。記者でなければ書けない内容になっていて,すっかり感心してしまいました。わたしのような立場とはまったく違った視点からの分析で,半ば羨ましくも感じました。

 落合さんのエッセイの書き出しは以下のようにはじまります。
 最高裁で上告が棄却され,死刑が確定していた約30年前,元プロボクサー袴田巌さん(78)が死刑執行の恐怖にさらされながら,拘置所で書いた手紙がある。
 「リングの中で応援してくださっているとのこと,誠に誠にありがとうさまでございます。リングの中は前も後ろも右も左もみなお客様が見ておられます。その中で拳ひとつだけで闘ってきたことが私の唯一の誇りなのです。リングの中において応援してくださることが何よりの真実であり,本当に本当にうれしいです。リングの中においてもリングを降りてからも反則行為は一度たりともしておりません・・・・」

 ここまで読んだだけで,わたしはもう胸が詰まってしまって,あとが読めませんでした。涙があふれ出てきて文字が読めません。それどころか,もう,読む必要はない,と感じました。これだけでもう十分。袴田巌さんという人がどういう人であるかは,もはや疑う余地がない,と確信したからです。こんなにも純で,まっすぐなこころの持ち主が,どうしてまた死刑囚の汚名を注がれなくてはならなかったのか,わたしには信じられません。

 落合さんはここから書き起こして,ボクシング界がいかにして袴田さんを支え,いかにして再審決定にこぎ着けたかを丹念に描き出しています。そこには,いかにも落合さんらしい「愛」が通っている,と感じました。ボクシングを愛するこころ,あるいは,広くスポーツを愛するこころが,このエッセイを生き生きとさせている,と。

 そして,最後にちくりと蜂の一刺しをすることも忘れてはいません。「モノ言わぬスポーツ界」にあって,ボクシング界のこの快挙は異例のことであるとし,「この事実をスポーツの歴史に書き留め,袴田事件を語る時に思い出したい」と結んでいます。この落合さんの指摘はまことに当をえた,わたしにとっては「痛い」ひとことでした。

 つまり,このところ世情を騒がせている「特定秘密保護法」や「集団的自衛権の行使」,あるいはまた沖縄の「基地移転問題」や「尖閣諸島の問題」などに関して,映画監督や俳優たちが名前を連ねて自分たちの主張を明らかにしているのに,スポーツ界は沈黙を守ったままだ,と。それでいて,オリンピック招致が決まったときのあの熱狂はいったいなんなのか,と。さらには,東日本大震災以後,声高に言われるようになった「スポーツの力」とはいったいなんなのか,と。

 ここに籠められた落合さんのメッセージをわたしは重く受け止めたいと思いました。できることなら,このつづきの話を落合さんと個人的にでもいいので,してみたいと願っているところです。落合さんが,みずから提起された「モノ言わぬスポーツ界」のことをどのように考えていらっしゃるのか,とくとご意見を伺ってみたいのです。もちろん,わたしにも考えがありますので,それを落合さんに聞いてもらいたいのです。その目指すところは「スポーツとはなにか」という根源的な問いです。もっと言ってしまえば,いま,この時代を生きているわたしたちにとって「スポーツとはなにか」という問いです。

 いま,わたしのようなスポーツ史・スポーツ文化論に身を寄せている者も,そして,メディアでスポーツを取り扱っているジャーナリストも,決定的に欠落しているのは,この根源的な「問い」だ,とわたしは考えているからです。こういう議論を,できることなら公開の「場」でとことん尽くすことが喫緊の課題だと考えるからです。いつか,落合さんとそういう機会をもちたいと切に願っているところです。

 その意味で,この落合さんのエッセイはわたしにとってはきわめて重要なメッセージを伝えてくれるものとなりました。

 というところで今日のブログはおしまい。
 

2014年5月9日金曜日

五輪放送権料,うなぎのぼり。2032年夏季大会まで契約(米・NBC)。狂気の沙汰。

 スポーツは政治とは関係ありません。スポーツは経済とも関係ありません。純粋なアマチュアリズムの精神のもとで,純粋にスポーツの優劣を競うことに価値があるのです。だから素晴らしいのです・・・・・・・と,わたしたちは教えられ,それを信じていました。ですから,みんな手弁当で競技会に参加していました。旅費も滞在費もユニフォーム代も,みんな自己負担。

 いまから50年前。それが当たり前でした。

 それがいまから30年前,1984年のロサンゼルス大会から五輪の金融化の幕が切って落とされました。詳しいことはこのブログにも,雑誌『世界』にも書いてきましたので割愛します。今回は,その五輪の金融化が,ついに狂気の領域に踏み込んだ(とわたしが感じる)ニュースに接し,あきれ果てたというか,世も末だと思いましたので,その問題を考えてみたいと思います。

 今朝(9日)の朝日新聞は,「五輪放送権料 天上知らず」という大きな見出しの記事を掲載しました。見出しを順にあげておきますと以下のとおりです。「米向け6大会7780億円でNBC獲得」,「契約の相場に」,「日本のTV局『東京に影響』」,という具合です。

 内容を読んでみますと,アメリカではこれまで自由競争で入札が行われてきたのに,IOCは今回初めてNBC側とだけ交渉し,契約してしまった,という驚きの事実がひとつ。もうひとつは,2022年冬季大会から2032年夏季大会までの6大会を一括して7780億円という巨額の契約をNBCが結んだという事実。

 アメリカではこれで採算がとれるらしいが,これが他の国との契約額の相場になるといいます。だとすると,日本のTV局(ジャパン・コンソーシアム:NHKと民放連で組織)はとても対応できない,といまから恐れているという。

 たとえば,2018年の平昌(ピョンチャン)冬季大会と2020年の東京・夏季大会は時差の心配がないので,前回の倍近い700億円くらいの強気の提示をIOCがしてくるのではないか,という。だとしたら,日本のTV局は対応不可能だという。なぜなら,すでに2012年のロンドン五輪ですら収支が赤字になった,という事実があるからだ。にもかかわらず,その倍もの金額を要求されたら,日本のTV局はお手上げだ。場合によっては,東京五輪をリアル・タイムで見ることはほとんど不可能になってしまう,という。

 こんなことをIOCと米国のNBCが,まるで独占して,決定してしまっているというのです。しかも,この契約金額にすべての国が「右へ習え」というのです。もちろん,これから個別の交渉がはじまるのですが,それにしても,すでに現実ばなれした金額になってしまっています。このところ,IOCは恐ろしいほど強気ですから,東京五輪のときの放送権料を,NBC基準で(あるいは,自国開催だからというのでもっと高額で)提示してくるのではないかと思います。

 IOCは,だれでもご承知のように,もうすでにいい加減馬鹿げたマネーゲームに終始しています。そして,前倒しをして(NBCは2032年大会まで。どの都市で開催されるかも決まってもいない大会までもふくめて)まで,各主要国にテレビの放映権料を要求してきます。いったい,これほどの巨額の金をIOCはなぜ前倒しをしてまでして手に入れようというのでしょうか。

 こういう姿勢そのものが,すでに,狂気の領域に踏み込んでしまっている,というのがわたしの受け止め方です。こういう事態もまた,IOCがひとつの時代精神をになう役割を終えて,幕引きの段階に入った(あるいは,自己崩壊の段階に入った),典型的な表象のひとつではないか,と。

 IOC帝国もいよいよ断末魔の情況を露骨に示すようになったか,とわたしは本気で考えています。しかも,その情況に歯止めをかけようという動向もみられません。大きな国家(帝国)や大企業が崩壊していくときというのは,わが身の重さに耐えかねてつぶれていきます。ローマ帝国しかり。そして,IOC帝国もしかり,と。

 ついでに書いておけば,2020年の東京五輪は(つまり,東京だからこそ),ほんとうに開催可能なのかという不安がわたしのなかには「つねに」あります。フクシマは「under control」どころか,ますます「uncontrollable 」な状態へと日々突き進んでいます。この状態に蓋をすべく,アベ君は出かけても物笑いにされるだけのヨーロッパ歴訪の旅にでかけ,ニュースをつくることに必死です。そして,積極的平和主義という名の戦争擁護論まで展開しています。もどってきたら,またまた集団的自衛権の行使をちらつかせ,あまり先を急がないと言って,国民の目をここに釘付けにしようとしています。こうして,フクシマはますます過去のことにされつつあり,忘却の彼方へと追いやられていきます。ほんとうに困ったものです。しかし,フクシマの事態は深刻です。ますますその度合いを日々深めています。ですから,いまからでもいい,辞退すべきではないか,と。

 またまた,脱線してしまいましたので,このあたりで今日のブログはおしまいにしたいと思います。
 

2014年5月8日木曜日

パウル・クレーの「十字架のもう一人の天使」と『ユダ福音書』について。

 パウル・クレーの描いた「新しい天使」を,ヴァルター・ベンヤミンが「歴史の天使はこのような様子であるに違いない」と評したことを多木浩二さんが取り上げ,「歴史の天使」というタイトルの短いエッセイを書いている(『多木浩二 映像の歴史哲学』,今福龍太編,みすず書房,2013年,oS.)。そして,この「新しい天使」の絵は本文の脚注のところに小さく紹介されている(P.122.)。しかし,あまりに小さすぎて,うまくイメージがつかめない。そこで,もう少し大きな絵がないだろうかと思って探したみた。

 たまたま手元にあるパウル・クレーの画集をめくっていたら,めざす絵はみつからず,別の「天使」の絵がみつかった。題して「十字架のもう一人の天使」とある。鉛筆で描かれた,いかにもクレーらしい絵である(写真参照。1939年,45.6×30.3㎝)。



 ぼんやり眺めているうちに,さまざまなことを連想しはじめている自分に気づき,おやっ?と思う。一般的な十字架の絵から連想される残酷な痛ましい受難のイエス・キリストの像とはまったく次元が異なる絵なのに,なぜか妙に惹きつけるものがある。なぜだろう,と考えていたら,ひょっこりと思いがけない記憶にたどりついた。

 それは『ユダ福音書』である。山形孝夫さんと西谷修さんとの対談をまとめた『3・11以後 この絶望の国で』──死者の語りの地平から(ぷねうま舎,2014年)のなかで,この『ユダ福音書』がとりあげられ,熱く語られている。言ってみれば,この本の肝に相当するきわめて重要な部分である。だから,この話を読んだわたしは衝撃のあまり,しばし呆然としてしまったほどである。そして,歴史とはなにか,と頭を抱え込んでしまったほどである。

 詳しくは,山形孝夫さんの語りの部分と,そこにも紹介されている山形さんが翻訳された『『ユダ福音書』の謎を解く』(E.ベイゲルス/K.L.キング著,河出書房新社,2013年)にゆずるが,その骨子は以下のとおりである。

 わたしたちは,ユダがイエス・キリストを裏切って密告をし,イエスの逮捕・身柄の拘束・裁判,そして処刑というイエスの受難物語を,信じて疑おうとはしていない。それほどに『正典福音書』が広く知られていて,すべてのキリスト教徒がその教えに沿って生きている姿に馴染んでしまっている。そして,ユダとユダヤ人を悪者に仕立て上げ,「裏切り者」のレッテルを貼って,それで納得してしまっている。わたしも,そういうものなのだ,と思い込んでいた。しかし,それはキリスト教が生き延びるために時の権力にすり寄っていき,ほんとうのイエス・キリストの教えを歪曲してでっちあげた,まやかしの物語である,という新たな証拠が見つかったというのである。それが,つい最近になって発見された『ユダ福音書』だというのである。

 そして,いま,この『ユダ福音書』読解の研究が深まりつつあり,ますます,このテクストのみがイエス・キリストの教えを純粋に受け止め,伝えているのだ,という結論に至りつつある,というのである。それによれば,イエスは贖罪も殉教も否定しており,それとはまったく逆に,イエスにとって十字架は朽ち果つべき肉体からの自由を意味していた,というのである。つまり,朽ち果つるべき肉体にたいして,それからどのように脱出し,霊的自由を獲得するかが救済なのだ,と説いているというのだ。

 だとしたら,キリスト教はこの2000年の長きにわたって虚構の歴史を刻んできたことになる。そして,それはもはや取り返しのつかない歴史である。しかも,ローマ・カソリックが,こんご『正典福音書』を改めて,『ユダ福音書』に宗旨がえをする,などという保障はどこにもない。まず,不可能であろう。あるとすれば,グノーシス派が息を吹き返し,いささかの隆盛をみるかもしれないという程度にすぎないであろう。もうすでに出来上がってしまったキリスト教の「権威」はあまりにも堅固であるためにゆるぎもしないだろうし,ゆるがせもしないだろう。この虚実逆転の宗教思想がヨーロッパの歴史をリードしてきたという現実の前で,わたしはたじろいでしまう。歴史とはこんなものだったのか,と。

 それは日本の古代史も同じだ。でっちあげにつぐでっちあげの連続。権力・権威を維持するためには不可欠の手法だ。だからこそ,「歴史の天使」が焦っているのだ。時の権力によって推進される「進歩」という名の「強風」に煽られてしまって,もとに戻れないどころか吹き飛ばされてしまった結果,取り返しのつかないとんでもないカタストローフを目前にしてしまうことに・・・・。

 この話はともかくとして,クレーの描いた「十字架のもう一人の天使」は,この『ユダ福音書』の説く「霊的自由を獲得し,救済」されることを目指した真のイエス・キリストの姿に重なってみえてくる。このことがわたしの言いたかったことである。

 ちなみに,クレーはつぎのような詩を残している。

 この世はぼくを捉えようもない。
 死者たちや,生まれてもいない者たちのところで
 ちょうどよく暮らしているのだから。
 創造の中心にふつうよりちょっと近く。
 
 でもまだ十分に近くにはない。

 ぼくから発するのは温かみか,冷たさか?
 すべての炎を超えてしまったら,もう分からない。
 遠く離れているほどぼくは敬虔な気持ちになる。
 この世では時々ひとの不幸を喜んでいるけれど。
 でもそれは同じひとつのことの濃淡(ニュアンス)に過ぎない。
 坊さんたちはそれに気づくほど敬虔じゃないだけだ。
 それで少しばかり腹を立てるのさ,律法学者の奴ら。
  (1920年)
 

2014年5月7日水曜日

『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(島田裕巳著,幻冬舎新書,2014年3月)を読む。

 わたしの育った穂の国(愛知県の東三河地方)では八幡神社のことを「八幡さま」とか「八幡さん」とか「八幡社」と呼んでいたように記憶します。そして,とても多かったという印象もあります。そうしたら,見出しタイトルに挙げましたように『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』という名の本を書店でみつけました。そうか,やっぱり八幡神社が多いはずだ,と納得しました。

 そこで,すぐに購入して読んでみたのですが,最後まで,なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか,という問いの答えが見つかりません。しかし,よくよく読んでみると,いろいろの八幡神にまつわる話題をとりあげながら,これらがその根拠なのだと言っているようにも読み取ることができます。が,わたしが期待したような内容で,はっきりとこれこれの理由で八幡神社が日本でいちばん多いのだ,とはどこにも書いてありません。

 なぜ,著者の島田裕巳さんはそのような言説を避けたのでしょう。そのことが,かえって,わたしには気がかりになってきます。なのに,島田さんは,わざわざ「八幡は外来,韓国の神だった!」という小見出しまで立てて,その根拠についてかなり詳細に語っています。これだけはっきりと「外来,韓国の神だった」と書かれたものは,わたしにとってははじめてのことです。ですから,逆に驚きました。なぜなら,わたし自身も,宇佐八幡はどう考えてみても半島からの渡来神に違いない,とひそかに考えていたからです。しかし,それを誰憚ることもなく声高に宣言する人はこれまでなかったように思います。そこに,突然,宗教学者とてしの評価の高い,つまり,ある程度の信頼のできる著者として,島田裕巳さんが現れたというのが,わたしの印象です。

 ここまではっきりと島田さんは書いているのに,「なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか」という問いに真っ正面からは応答していない,というのがわたしの不満です。もっとはっきりと言えばいいのに・・・とわたしは考えます。わかり切っているのですから・・・・。

 そこで,わたしが島田さんに書いてほしかったことを代弁してみますと,つぎのようになります。

 韓半島から九州に渡来した宇佐八幡の氏子になる人たちが,またたく間に日本全国に広がっていった,あるいは,八幡神の信仰を旗頭にした氏子集団を形成しながら,全国各地に定住していった,やがて,そういう人たちが全国ネットワークを構築してひとつの大きな勢力をもつにいたった。その数もはんぱではなかった。だから,のちの大和王権もこの八幡信仰をおろそかに扱うことはできなくなって,なにかことあるときには宇佐八幡宮にお伺いを立てる必要が生じてきた。そして,ついには伊勢神宮と並び称される石清水八幡まで建立されるにいたった。そこに神仏習合が起こり,八幡大菩薩が誕生する。こちらは武士の守り神としても多くの支持を集めるようになり,八幡さまの人気は一気に高まっていき,他の神社を圧倒するまでにいたった。

 という程度のことは書いてほしかったのだ。でも,もう一度きちんと,このテクストを読み返してみると,島田さんはもっともっと詳細に八幡さま信仰の広がりを語っていることがわかる。しかし,表題の疑問文に真っ正面から答えることを忘れてしまったようだ。あるいは,意図的に。

 しかし,島田さんがこのテクストをとおして言いたかったことは,もっと他にもいっぱいあったのではないか,とわたしは読後の感想として持った。そのあたりのことを,さりげなく忌避しながら,でも,読む人が読めばそれとなくわかるように,みごとな言説を連ねていることも事実だ。

 それもわたしが代弁してしまうと以下のようになろうか。
 天孫降臨の神々もまた「渡来」系の神々と考えられる。それより先に大きな勢力を築いていて「国譲り」をさせられた出雲神もまた「渡来」系であったと考えられる。というように考えていくと,日本全国の神社のほとんどが「渡来」系の神々を祀っているということになってしまう。それでは具合が悪いというので,百済を経由して伝来した仏教を取り込んで,うまく神道と仏教を習合させることを試みた。その切り札ともいうべき考え方が「本地垂じゃく説」で,神々はみんな仏・菩薩の生まれ変わりとなって天から降ってきたのだ,というみごとなものだ。こうして「渡来」系の神々も,じつはみんな仏教からきているのだという印象を植えつけ,ほんとうの話をもみ消してしまった,というわけだ。なぜ,そんなことまでしなくてはならなかったのか。ここからが,じつは,ほんとうの問いのはじまりである。

 こんなことを思い描きながらこのテクストを読んでいると,つぎからつぎへと新しいアイディアが浮かんでくる。このテクストでは日本にもっとも多い神社10傑を取り上げて,一つひとつ詳細な解説を付している。その10傑の神社もよくよく眺めてみると,おやおや?と思うことがいっぱい湧いてくる。ひとことで言ってしまえば,出雲系の神様が圧倒的に多いということである。が,ここではこれ以上は踏み込まないことにする。

 われわれ日本人は,いずれにせよ,韓半島からにせよ,中国本土からにせよ,あるいは北方の樺太からにせよ,あるいはまた南方諸島からにせよ,あらゆる地方から移住してきた人びとが混血してできあがったことには間違いがない。その人びとが,この土地の気候風土に馴化しながら,特有の骨格や性格や心情を生みだし,独特の美意識に支えられた文化を構築してきたのだ。だから,渡来してきた時期が早いか遅いか,混血の度合いがどの程度のものなのか,ただ,それだけの違いでしかない。それどころか,いまや,世界中の人びとが日本にやってきて住み着く時代を迎えている。日本人はますます混血していく。それが過去から現在までを貫く,人類全体をカバーする自然な流れなのだ。

 一方で,このような認識を保持しながら,この島田さんのテクストを読むと,日本の古代はますます面白い話題が満載であることがわかってくる。その意味で,お薦めである。
 

2014年5月6日火曜日

コンピューター(ロボット)が脳(人間)を超えるとき。「2045年問題」。ほんとうだろうか。

 2045年といえば,わたしは106歳。こんなことはありえないので,ちょっとだけ安心。
 でも,このときにはコンピューター(ロボット)が脳(人間)を超えていく,と聞くといささか不安。
 というよりは,いったい,どういうことが起きるのか,いまのわたしの脳では理解不能である。
 その理解不能なことが起きるということが不安なのである。

 4月21日(月)の東京新聞に「20XX年の人類」という記事があって,「機械進歩 脳を超える」という大きな見出しが躍っている。そのつぎの見出しは,「2045年問題」技術予測困難に,とある。なあんだ,専門家でも予測困難だというのであれば,わたしごときが理解不能であってもなんの不思議もない。が,それにしてもいったい,なにが,どういうことになってしまうのか,不安ではある。なにせ,予測不可能な時代に突入していくというのだから。

 新聞によると,ムーアの法則というものがあって,大雑把に言ってしまえば,コンピューターに積み込まれたトランジスタの数が一年半ごとに倍になる,というものだ。その法則にしたがえば,5年で10倍,10年で100倍,20年で一万倍になる。こんなことは起こりえない,集積回路には限界があると何回も言われてきたが,そのつど,その難題を克服して,法則どおりにいまもその数を増やし続けている,というのである。

 その結果が,新聞でも取り上げられたように「コンピューターソフトに敗れ,頭を下げるプロ棋士」である。新聞記事によれば,すでに優れた人工知能が一部のスマートフォンには搭載されていて,単に博学なだけではなく,「愛している」と呼びかけると「ごめんなさい」と応答するという。これに豊かな表情をする顔が加われば完璧だという。そうかなぁ・・・とわたしは疑心暗鬼。

 さらに新聞記事はつづく。引用してみる。
 コンピューターは人間的になってきた。特定の機能に優れているだけでなく,感情を持ったコンピューターの登場もありうる。コンピューターの能力が全人類を超えてしまう今世紀半ばのある時期は,技術的特異点とも呼ばれる。こそれから先は,どのように技術が進歩していくか,見当がつかなくなるからだ。

 そして,さらに,
 特異点を超えて進歩した人口知能は,人類には理解できない文化を築き,その動向を予測できなくなる可能性もある。一方,人間が脳を直接コンピューターに接続し,生物としての限界を超えることもできるとみる。

 こんな記事を読んでいると,そういえば,どこかで不思議な話(講演)を聞いたことがあるなぁ,と思い出す。詳しいデータは省略するが,そこでの話は以下のようである。イギリスとアメリカの研究者が共同で研究プロジェクトを立ち上げ,人間の身体を遠隔操作で動かす実験をやっている,と。ある特定の筋肉細胞にチップを埋め込んだアメリカにいる人間を,イギリスからコンピューターで操作して動かす,というのである。しかも,すでに原理的には成功している,という。あとは実用段階で,チップを埋め込まれた人間の意志と,それを操作する人間の思惑とをいかにして同調させるか,だという。

 ここでパッとわたしの脳にひらめいたことは,ドーピング・チェックをかいくぐるスポーツ選手の登場である。たとえば,100mランナーの脚部に必要なチップを埋め込んでおいて,遠隔操作をして,早く走らせることが可能となるのでは・・・というようなこと。あるいはこんなことは極秘裏に,すでに行われていて,だれも気づかないでいるのかもしれない・・・ということ。

 でもまあ,スポーツの領域でのことは小さな問題だ。それより,「人類には理解できない文化を築」いたり,人間が「生物としての限界を超える」ような事態が生まれてくることの方がはるかにことは重大である。そうなると,もはや「人間の歴史」は終焉を迎え,新しい「ロボット人間の歴史」がはじまることになるのだろう。ということは,「人間が生きる」という根源的な問いをどのように克服していくのか,という新たな難題がそこには生まれてくることになる。

 しかし,ここにはさらに考えるべき重大な問題が横たわっている。特異点に立ったときに,人間はいったいなにを考えるのだろうか。あるいは,その前にどれだけのことを考えておかなくてはならないのか。コンピューターの急速な進展と人間の「思考停止」は無縁ではない,と考えているのでなおのこと,そこはかとない恐怖感が襲ってくる。

 20XX年にならないと,だれも,なにも予測もできないのだろうか。それにしても「2045年」がその年に相当するとすれば,そんなに遠い先のことではない。下手をすると,わたしは106歳で生きていたりして・・・・。あな恐ろしや。

2014年5月5日月曜日

練習量がすべてを決定する柔道(井上靖『北の海』)。柔道の真髄は寝技にあり。

 作家井上靖の自伝的小説三部作といわれている作品群があります。『しろばんば』,『夏草冬濤』(上・下),そして『北の海』(上・下)です。いずれも主人公は「洪作」。すなわち,作家井上靖の少年時代のある側面を代弁する人物。

 父親の職業(軍医)の関係で転勤が多く,幼少時から親元を離れて育てられた「洪作」少年の,こころ暖まる忘れられない日々を描いた作品『しろばんば』,親の監視の目のとどかない旧制中学時代の自由奔放な生活ぶりを描いた『夏草冬濤』,そして,高校受験に失敗して浪人の身でありながら柔道三昧に明け暮れる日々,そんななかで高専柔道の名門・四高(旧制第四高等学校・現金沢大学)受験を決意するまで,を描いた作品『北の海』です。

 時代は大正末期から昭和のはじめにかけての,ある意味では日本の激動期にあって,洪作少年はそんな世の中の動向とはまったく無縁な,天衣無縫な生活を堪能します。金は親元から必要なだけは送られてくる。ふしだらな日頃の生活ぶりを監視する人はいない。まことに自由奔放な生活をこころゆくまで満喫します。その結果は二度にわたる受験の失敗(中学受験,高校受験)となって跳ね返ってきます。が,そんなこともどこふく風とばかりに,生活そのものをエンジョイします。

 洪作少年の特異な生活環境と生来の性格がうまくマッチングして,古きよき時代の少年の「暮らし」ぶりがもののみごとに描かれています。わたしが育った時代はもう少しあとになりますが,それでもかなり多くの部分が共有・共感できるものがあって(バンカラ風を装う立ち居振る舞い,など),その意味では「懐かしさ」でいっぱいになります。

 前置きが長くなってしまいましたが,本題に入りたいと思います。

 「練習量がすべてを決定する柔道」というものの存在を,浪人中の洪作少年は,たまたま沼津中学の柔道部の道場に遊びにきた四高柔道部の蓮実に教えられます。そして,この蓮実の説得力のある話に惹きつけられ,即座に,四高を受験し,柔道部に入ることを決意します。その説得力の一つは,蓮実は背も低く,体格も貧弱,筋力もそれほどでもない,そんな蓮実に洪作少年は,立ち技では勝っていても寝技に入ると手もなく締められてしまいます。この寝技こそが柔道の真髄であり,「練習量がすべてを決定する」と蓮実がいうのです。つまり,寝技は練習すればするほど強くなる,というのです。

 四高柔道部のめざすところは高専柔道大会で優勝することにあります。高専柔道大会の存在はあまり知られていませんが,第二次世界大戦前までは(つまり,1945年までは),講道館が主催する柔道大会など,比べ物にならないほどの,圧倒的な人気がありました。

 高専柔道大会とは,旧制の高等学校・専門学校の柔道大会であって,その主催は京都大学(のちに,東京大学と共催)でした。全国の予選大会を勝ち抜いてきたチームが集まってきて決勝大会を開催します。試合の方法は,10人1チーム(人数は何回も変更されている)で,「勝ち抜き」戦。したがって,戦法・戦略は,最悪でも「負けない」柔道をすること。たとえ弱くても強い相手と引き分ければ互角の勝負。そのための最大の武器は寝技。立ち技は,たとえ強くてもはずみで投げられる,ということが起こりえます。しかし,寝技は「練習量がすべてを決定する」というわけです。勝てないと思ったら逃げて逃げて「引き分け」ればいい。それで立派に一人前の役割をはたすことができるというわけです。

 ご存じのように寝技は「関節技」か「締め技」のいずれかで勝負が決まります。つまり,相手がギブ・アップするまで闘います。しかし,チームの名誉を背負って闘う選手たちは,自分からギブ・アップするのは不名誉なので,関節技は「折れる」まで,締め技は「落ちる」まで,闘うことになります。それでは困りますので,これを「防ぎ切る」ための研究を徹底的にやります。それが「練習量」ということの意味です。

 もともと柔道は素手で闘う格闘技です。格闘技の最終ゴールは「相手を殺す」ことです。殺すためには「締め技」が手っとり早い。関節技で腕をへし折ったとしても相手は死ぬわけではありません。ましてや,立ち技で相手を投げ飛ばしたところで,相手は立ち上がってきてまた闘いを挑んできます。ですから,立ち技はみた目には派手でも実用性という意味では,ほとんど役に立ちません。最終的には寝技にもちこんで「締める」しかありません。

 高専柔道大会はこの精神を保守していたというわけです。ですから,寝技の優劣が高専柔道大会を制することになる,とどこの柔道部も考え,そのための練習をし,新しい「締め技」の研究に取り組みます。そして,新しい「締め技」が毎年のように開発され,そのチームが活躍することになります。ですから,どこの柔道部も必死です。

 かくして,四高柔道部では「練習量がすべてを決定する柔道」を目指すことになります。洪作少年をスカウトにきた蓮実は,その代表的な存在だったというわけです。そして,そのことばに鋭く反応した洪作少年は四高受験をめざすことになります。そして,受験勉強もほったらかしたまま,まずは,四高柔道部の練習とはいかなるものかを知りたくて,四高柔道部の熾烈をきわめる夏合宿に参加します。

 ここでの描写が,この作品の一つのクライマックスを構成しています。このあたりには作家井上靖実体験にもとづく描写がふんだんに盛り込まれているはずです。ですから,迫力満点です。柔道を語らせたら井上靖にまさる作家はほかにいないのではないでしょうか。のちに,みずからも選手として活躍した高専柔道大会がめざしたものはなにか,ということがリアルに描かれています。その意味で,この時代の柔道の実情を知る上で,これ以上の優れたテクストはないと言っていいでしょう。

 さらに付け加えておけば,講道館柔道が戦後になって追求した柔道は「スポーツ」でした。開祖嘉納治五郎は総合格闘技としての柔道を構想していましたが,戦後は,GHQの占領政策に迎合するかたちで「柔道はスポーツである」宣言をします。このあたりから,柔道の形骸化が一気に進展していきます。なぜなら,高専柔道大会も武徳会柔道も姿を消してしまうからです。その結果,講道館柔道の一人勝ちとなります。こうなりますと,もう,歯止めがききません。その醜態ぶりは,近年の不祥事をみれば明らかです。

 時代の風(GHQ占領政策)に吹き飛ばされた高専柔道大会も武徳会柔道も,じつは柔道の真髄を死守しようとした結果です。「歴史の天使」(ベンヤミン,クレー)は必死で「柔道の真髄」を死守すべく振り返るものの,強い風(GHQ,講道館)に吹き飛ばされてしまいました。その結果が,こんにち目の当たりにする「JUDO」の惨状です。

 「根をもつこと」(シモーヌ・ヴェイユ)を忘れてしまった現代人の頽落(ハイデガー)ぶりは目を覆うばかりです。この問題は,なにも柔道に限ったことではありません。現代社会・世界を生きるわたしたち全員が背負わされた宿命のようなものです。そこからの脱却のために,いまこそ智恵を絞り,行動を起こさなくてはならない,きわめて重大な局面を迎えている,とわたしは考えています。

 さらに,もう一点。高専柔道大会と寝技の関係を,わたしは,「歴史の天使」と「Kunst」の関係で捉え直してみたいと考えています。どこまで可能か,5月17日(土)の楽しみです。
 

2014年5月2日金曜日

瑞穂の国と穂の国との接点はなにか。出雲族の存在か。出雲幻視考・その17。

 それは,子どものころからの疑問でした。いまも,その謎は解けていません。

 日本全国には八百万(やおよろず)の神様が点在していて,神無月(旧暦の10月)になると,すべての神様たちが出雲大社に集合するのだ,と初めて聞いたのは敗戦の年の秋(つまり,1945年10月),母方の祖母からでした。この祖母は結婚する前までは尼さんとして修行をしていた人です。そのとき,わたしは小学校2年生(戦中の国民学校が敗戦によって小学校に呼称が変わる)でした。

 どういうきっかけで,なんのために祖母がこんな話を,それも敗戦直後の世の中が混乱している真っ最中に,しかも,まだ幼いわたしにしたのか,不思議でなりません。しかし,最近になって「ハッ」と気づくことがありました。ここからは,現段階でのわたしの推理であり,「幻視」です。

 祖母の生まれは下佐脇(愛知県豊川市)。この「佐脇」には「上佐脇」と「下佐脇」の二つの集落があります。三河湾に面した海沿いの集落です。この辺りの海岸に,そのむかし,持統天皇が周囲の反対を押し切って伊勢行幸をはたし,さらに足を伸ばして伊勢から船で穂の国にやってきて上陸した,と言われています。この佐脇というロケーションは穂の国の玄関口に相当します。三河湾でいえば,一番奥まったところです。その地に,なぜ,わざわざ持統天皇はやってきたのでしょうか。しかも,持統天皇は歓迎されるどころか,激しい戦いとなり,尾張に逃れて,伊勢を経由して大和にもどって行ったと考えられています(柴田晴廣著『穂国幻史考』に詳しい)。

 つまり,大和朝廷のあった瑞穂の国と,こんにちの東三河地方を指す穂の国とは,なんらかの深い関係があって,しかも,どうやら敵対する関係にあったらしい,ということです。その穂の国の玄関口の一つが佐脇です。ひょっとしたら,佐脇の祖先は,先陣を切って持統天皇と戦った人たちだったかもしれません。だとすると,その祖先とはいかなる人たちだったのでしょうか。もっと言っておけば,大和朝廷にまつろわぬ人びととは・・・?

 そういう地政学的な背景をもつ下佐脇で生まれ,育った祖母が,なぜ,渥美半島の中程にある尼寺に修行にでたのか。そのとき,だれが,どのように仲介したのか。そこには表面にはでてこない,なにか大きな力がはたらいていたのではないか,と思われてしかたありません。

 その近くには長仙寺という古刹があり,別名「おたがさま」とも呼ばれています。この地方の人たちの多くが,初詣にでかける名所です。わたしも何回も初詣をした思い出があります。「おたがさま」とは多賀神社の親称です。祭神はイザナギ・イザナミです。この地方では「おいせさん」よりも親しまれている,と言っていいでしょう。わたしのなかにもそういう心象があります。なぜなら,アマテラス(おいせさん)はイザナギ・イザナミ(おたがさま)の娘なのですから。

 この渥美半島の「あつみ」という地名は,「あずみ」族との結びつきが考えられており,もしそうだとすると信州の安曇野に鎮座する穂高神社との関連も視野のうちに入ってきます。また,その近くには諏訪大社があります。いずれも出雲族との関係が深い神社です。こうなってきますと,穂の国だけの問題ではなくなり,さらに広大な視野に立つ考察が必要になってきます。しかも,きわめて煩瑣な分析・思考が必要になってきますので,ここでは,この程度にとどめおきたいと思います。(※この話を敷衍していくと,八百万の神様の話になっていきます。)

 話をもとにもどします。祖母が下佐脇から渥美半島の尼寺に修行にでた経緯は不明ですが,なにか地政学的なつながりがあったのではないか,とわたしは推測しています。つまり,穂の国という視野に立つとき,下佐脇も渥美半島も同じ根をもつ同族意識がつよくはたらいていたのではないか,ということです。そして,祖母の若かったころにはまだその意識がかなり濃厚に残っていたのではないか,と。

 さらに飛躍しますが,穂の国の時代からこの地方で重要な役割をはたしてきたと考えられる神社に砥鹿神社があります。のちに三河一宮となり,その祭神はオオクニヌシです。つまり,砥鹿神社を支えてきた氏子は出雲族ということになります。そういう目で,もう一度,この地域の神社を総ざらいしてみますと,まぎれもなく出雲系の神社が多いことがわかってきます。わたしの子どものころは,神社といえばみんなスサノオ神社だ,思い込んでいたほどです。

 少なくともわたしの子どものころの生活圏で目にした神社は,そのほとんどがスサノオ神社でした。しかし,その当時,スサノオ神社がいかなる神社であるかということなど知るよしもありません。のちになって『古事記』に登場する神話によれば,アマテラスの弟がスサノオである,つまり姉弟関係である,ということになっていることを知ります。しかも,姉アマテラス神にまつろわぬ弟スサノオ神という設定になっています。このことがなにを意味しているのか,じつはまことに意味深長である,とわたしは考えています。

 もっと言っておけば,アマテラスのモデルは持統天皇だ,というかなり有力な説もあります。だとすると,では,スサノオのモデルはいったいだれか,ということになります。姉弟なのに「うけい」までして,子孫を残しています。まことに不思議な話です。ここに隠されている秘密はなにか。アマテラスとスサノオを姉弟関係にして封じ込んでおかなければならなかった,きわめて重大な問題がそこにはあった,と考えるのが妥当でしょう。

 まつろいつつ,まつろわぬ関係。それは大和と出雲の関係ではないか,とわたしは「幻視」しています。それが瑞穂の国と穂の国の関係にも影を落としているとしたら・・・・・。興味はつきません。

 というところで,今日のところはおしまい。

山中六さんから詩集『指先に意志をもつとき』(南方新社)がとどく。

 一昨年(2012年)の奄美自由大学(今福龍太主宰)でお会いした詩人の山中六さんから新しい詩集『指先に意志をもつとき』(南方新社)が送られてきました。二泊三日の奄美自由大学の全日程が終了し,これで解散という間際になって山中六さんと,あわただしくことばを交わし,メール・アドレスを教えていただいてお別れしました。が,わたしが聞き間違えたのか,このメール・アドレスでの交信はできませんでした。ああ,ご縁がなかったんだ,と諦めていました。

 そこへ,つい先日,鷺沼の事務所の方に山中六さんの新しい詩集がとどきました。文庫本サイズのとてもおしゃれな詩集です。書名の「指先に意志をもつとき」というのは,「私が書き続けていくこと。感謝の意」である,とあとがきにあります。この書名からも推測ができますように,六さん(奄美では「六さん」でとおしていましたので)は肉体派の詩人だと,わたしは受け止めています。

 奄美でお会いして最初に話がはずんだきっかけは,六さんが若いころに土方巽が立ち上げた暗黒舞踏に触発されて舞踏をめざしたことがあった,と聞いたときです。そうか,この人は奄美で生まれた人なのに,どうしてまた舞踏なのか,とそれはまた新鮮な驚きでした。舞踏に反応するそういう感性の持ち主であり,また,そういう肉体を持ち合わせている人なのだ,と。

 ひところ,わたしも大野一雄や土方巽の「舞踏」に惹かれたことがあり,舞台公演を追いかけたことがありました。そして,この人たちの書いたものも,かなりまじめに読み込みました。そこには確たる思想があって,そこから舞踏が立ち上がってくるのだ,ということも知りました。それは土俗的な,あるいは土着的な,大地から突き上げてくるようなエネルギーを,生身の肉体を剥き出しにして表出させる,そんな生の躍動なのだ,ということも知りました。

 こういう舞踏に反応して,若き日の情熱を注ぎ込んだ六さんという人の生き方に興味がありました。そうして,お話を伺っているうちに,舞踏のつぎは焼き物の世界に飛び込み,ゼロからの修業をした,とも伺い,これまたどういう人なのだろうか,びっくり仰天です。それからまた紆余曲折を経て,こんどは詩人になります。もう書かずにはいられない,そういう強い衝動が沸き上がってきて,その衝動のままに書いた詩集『見えてくる』(1992年)を刊行。この詩集で翌年,第16回山之口貘賞を受賞。以後,詩人として創作に励むかたわら,出版社のお仕事をなさっています。(※これらはわたしの記憶と略歴をたよりに書いていますので,あるいは間違っているかもしれません。その場合にはお許しください。)

 気がつけば,わたしの指先が勝手にキー・ボードを叩いています。六さんの情念のような,それに似たなにかに突き動かされてでもいるかのように。こころをまっさらにしてパソコンに向かうとき,時折,こういうことが起こります。これってなんだろうなぁ,と思うことがあります。が,考えてもしかたがありません。指は動くのです。もちろん,脳からの指令で動くのですが,その自覚がありません。そして,目の前に現れる文字をみて,わたしの脳がわれに返ります。そんな時は,かけがえのないわたしの至福のとき。

 六さんが詩のことばを書きつけるときというのは,どんな具合なんだろうなぁ,と想像しながら詩集を繰り返し読んでいます。しかし,詩を論評する力はありませんので,最後に,書名となった詩「指先に意志をもつとき」を紹介しておきたいと思います。


指先に意志をもつとき


反論などない
生かされている
闘争のなかに
一瞬の合間
見えてくるのは 愛

日常と非日常
醸し出す文字
その愛 闘争
反映することは
あるのだろうか

雨が降る
今日という日常
変えようとしている
友といる
勘違いをしてしまう

ゆ る ぎ な き こ と

親指の先
人指し指の先
中指の先
脈々と流れている
薬指の先
小指の先
たしかな水脈

そこに船を 浮かべよ!

掲げる拳
この
指の
先に

意志を も つ と き
 

2014年5月1日木曜日

「日米共同声明全文」を読む。空虚感が漂う。なぜか?

 オバマ大統領から「オーラ」が消えた,これがわたしの第一印象。ぐいっと惹きつける魅力が消えた。それどころか疲労困憊の,疲れ切った老人の顔が透けてみえてきた。

 どうしたのだろうか。結論は簡単。

 バラク君はシンゾウ君が好きではない。できることなら会いたくない。しかし,なんとしてもTPPでリーダーシップを発揮して米国議会の支持を得たいバラク君としては,最終段階にきているTPPの目処をつけたかった。そのためには直接会って,強引に押し切るしかない。だから,苦渋の選択をして来日した。

 ところが,「オーラ」がない。いまひとつ迫力が伝わってこない。これはいままさに国際社会からも見放されつつある米国が凋落の一途をたどりはじめた象徴のように,わたしには見える。なのに,シンゾウ君にはそれが見えないので,わき目もふらずこれまで以上に「自発的隷従」の態度をとりつづける。そして,それをマニピュレートするかのように尖閣問題とTPPを際立たせる。しかも,メディアまで便乗して,まるで取引に成功したかのように報道する。

 はたしてそうか。メディアは信用できないので,自分で「日米共同声明全文」を読んでみる。この手の文章は読み慣れていないので苦戦する。日本語として理解不能の文章もある。わたしの能力の低さかと反省しつつ,外務省のHPに公開されている「英文版」と比較してみる。日本文を読んでから英文を読むととてもよくわかる。手間がかかるが,一文ずつ,それを繰り返してみる。そういうことなのか,と納得できる部分が多々ある。でも,最後までどういうことを言おうとしているのか分からない部分も少なくない。これは明らかにわたしの予備知識の不足からくるものなのだろう。でも,一国民として,最小限の努力だけはしておこう,と必死。その甲斐あってか,一応の目的は達したとみずからを慰める。

 そうしてわたしなりにみえてきたことを少しだけ書いておきたいと思う。

 一つは,「日米両国は・・・」ではじまる文章が多いのは当然として,時折,「米国は・・・」という文章が織り込まれているにもかかわらず,「日本国は・・・」ではじまる文章はひとつもない,ということだ。これはいったいなにを意味しているのだろうか,と考える。こんなところにも「日米安保条約」よりも怖い「日米地位協定」の影がちらついているように,わたしにはみえる。日本国はいまだに米国の属国でしかないのだ・・・・と。日本国がこんな米国にべったり追随の姿勢を維持しているかぎり,沖縄の基地問題の解決は永遠に不可能だ。米国のいいなりなのだから。それどころか,それ以上の「贈与」(沖縄特別措置法の連発,たとえば沖縄県民の人権侵害をも正当化する特別措置法を制定して,米国に代わって沖縄を弾圧する,など)まで自発的に進呈しているのが,これまでの実態なのだから。

 二つには,尖閣諸島は日米安全保障条約によって守られるという確約をえた,だから安心だ,という誤った言説が横行していることだ。しかし,日米共同声明をよく読めば,それが日米両国によるみごとなまでの「マニピュレーション」にすぎないということがよくわかる。にもかかわらず,メディアもこぞってシンゾウ君の発言を鵜呑みにしたまま,その情報を「垂れ流す」だけだ。ジャーナリズムの批評精神はどこに行ってしまったというのだろうか。

 日米共同声明の該当する文章を引いておこう。

 ・・・・・米国は,最新鋭の軍事アセットを日本に配備してきており,日米安全保障条約の下でのコミットメントを果たすために必要な全ての能力を提供している。これらのコミットメントは,尖閣諸島を含め,日本の施政の下にある全ての領域に及ぶ。この文脈において,米国は,尖閣諸島に対する日本の施政を損なおうとするいかなる一方的な行動にも反対する。

 この声明文を読み解く上でのポイントはいくつもあるが,問題の核心を明らかにするために,ここでは一つだけ取り上げることにしよう。それは「日米安全保障条約の下でのコミットメントを果たす・・・」という文章だ。この文章をどのように読み解くか,それが問題だ。つまり,日米安全保障条約の下に尖閣諸島も含めて対応する,ということの内実である。

 ならば,日米安全保障条約では具体的にどのように記述されているのか,そこを確認しておく必要があろう。そこで,外務省のHPにアップされている「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」を読んでみると,第五条にその対応の仕方が記述されていることがわかる。そこには,つぎのように記述されている。

 第五条 各締約国は,日本国の施政の下にある領域における,いずれか一方に対する武力攻撃が,自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め,自国の憲法上の規程及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。

 ここにははっきりと「自国の憲法上の規程及び手続に従って・・・」と記述されている。ということは,日本国にあっては「憲法第九条に従って・・・・」尖閣諸島にも対応する,ということを意味している。すなわち,米国サイドからすれば,これまでとなんら変化はない,ということだ。尖閣諸島の問題が生じているので,これまでよりも一歩踏み込んだ姿勢を米国が示した,と日本国は受け止めているようだが,それは事実に反している。「憲法九条」が生きているかぎり,米国サイドもいかんともしがたいのである。

 そこで,この窮状をなんとか打破すべく,シンゾウ君は「解釈憲法」を提案し,「集団的自衛権の行使」が可能になる道筋をつくろうと必死なのだ。しかし,このシンゾウ君の意図がきわめて重大な危険性をはらんだものであることは,米国も百も承知で,むしろ危険視さえしている。バラク君の不機嫌さはそこにある。だから,一見したところシンゾウ君の意図に妥協したかのように見せかけておいて,その交換条件としてTPPを・・・ともくろんだのだ。

 この声明文ですら難産の末の苦肉の策だったのだ。米国は,尖閣諸島の問題については戦略どおりうまくかわしておいて,TPPで内実をとろうという策をとった。問題は「水面下」でどのような「駆け引き」(裏約束)がなされたか,にある。それらはこれから徐々に明らかになってくるだろう。

 こんな風にして日米共同声明文の読解を進めていくと,この声明文とはいったいなんなのだろうか,という「空虚感」ばかりがひろがってくる。にもかかわらず,日本政府は鬼の首をとったようにはしゃいでいる。そして,メディアをも躍らせている。虚々実々どころか,「虚々」ばかりが情報化されて,日本国を席巻していく。しかも多くの国民がその情報を鵜呑みにする。

 かくして,また新たな,権力好みの「歴史」が創造されていく。
 わたしのこころは満たされることのない「空虚」ばかり。

 

『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』(多木浩二著,岩波現代文庫,2013年)を読む。

 3月29日(土)に今福龍太さんにお出でいただき,わたしたちは「ISC・21」3月東京例会(第81回)を開催しました。主たるテクストは『多木浩二「映像の歴史哲学」』(今福龍太編,みすず書房,2013年)でした。内容は,レニ・リーフェンシュタールの映画『オリンピア』(1936年のオリンピック・ベルリン大会を撮った二部作)の話題からはじまって,『プロヴォーグ』の時代の話題,そして,ベンヤミンの話題へと展開させながら「映像」というものの「歴史哲学」を,多木浩二さんが語ったものです。

 このテクストを手がかりにして,今福さんは多木浩二さんの生き方,思想,哲学について,じつに愛情の籠もったことばで,わたしたちに語りかけてくださいました。予定していた時間をはるかに延長する,熱弁をふるってくださいました。それは,ある意味で,多木浩二さんに対する今福さん流のレクイエムにも聞こえました。その触手はわたしにも及んでいて,わたしはいたく感動し,同時にたくさんの宿題を胸に秘めることになりました。

 そのひとつが,多木浩二さんとヴァルター・ベンヤミンとの関係でした。とりわけ,多木浩二さんが「歴史の天使」(パウル・クレーの絵をベンヤミンが読み解いた断章を多木浩二さんが引用しながらみずからの写真論を展開。ここにベンヤミンと共振する多木さんの「歴史哲学」を見届けることができる)と「Kunst」(カントのいう意味での「生活のなかの技芸」)との関係をどのように考えておられたのか,この点にいたく惹きつけられるものがありました。なぜなら,これを明らかにすることが,たとえば「スポーツの歴史哲学とはなにか」「スポーツにとってKunstとはなにか」を考えていく上できわめて重要であると気づいたからでした。

 そこでやおら取り出してきたテクストが,この多木浩二さんが書かれた『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』でした。この種の本は,いつか読まなければならないという本として,かなりの量の買い込みがしてあります。ですから,まずは,このテクストを読むことから作業にとりかかろうと,ピンとくるものがありました。

 わたしたちにとって必要なことは,レニ・リーフェンシュタールの記録映画『オリンピア』(二部作)をどのように受け止めるか,そして,それをどのように「批評」するのか,という大きな課題に応えることです。そのためには「映像」というものを読み解くための「歴史哲学」が必要です。となると,多木さんがみずからの「歴史哲学」を構築する上で大きな位置を占めてきたと仰るベンヤミンの「歴史哲学」を見届けることが不可欠となります。

 そのテクストのひとつがベンヤミンの書いた論文「複製技術時代の芸術作品」であります。しかも,この論文を多木さんが「精読」する,というとてもありがたいテクストまであるのですから,これを手始めに読むのは常道というものでしょう。しかも,当たり前といえば当たり前の話ですが,「複製技術時代」に当面した芸術作品の問題は,そっくりそのままスポーツ文化に当てはめて考えることができます。

 たとえば,ベンヤミンが提示した芸術作品が「礼拝的価値」から「展示的価値」へと移行するという概念装置は,そっくりそのままスポーツ文化を分析する手法として応用できるのではないか,と考えるからです。ベンヤミンは,絵画というものが前近代までは(とりわけ,「複製技術時代」が到来するまでは),たったひとつの作品として,ある特定個人の所有になっていて,その所有者の承認がなければ鑑賞することができない,そういう「礼拝的価値」をもっていた(つまり,アウラがあった)のに対して,近代の,それも「複製技術時代」(写真から映画へと移行する時代)にあっては美術館に公開「展示」されるものへと絵画のあり方そのものが大きく変化することに注目しています。なぜなら,この変化によってそれを享受する人間の生き方(あり方)そのものも大きく変化していくことになるからです。この問題は,そっくりそのまま,わたしが提示してきました「ヴァナキュラー・スポーツ」から「セントラル・スポーツ」へという概念装置と二重写しになってみえてきます。これが一つです。ですから,このことを知ったことだけでも,多木さんの「精読」は,わたしにとっては大きな転機になりそうです。ほんとうにありがたいかぎりです。

 問題は,この概念装置を用いて,では,そこからなにを導き出すのか,そのための方法はなにか,ということになります。すなわち,複製技術時代(写真,映画,など)を通過するときに,スポーツ文化と人間との関係はどのように変容したのか,そこに分け入っていくための方法,すなわち「歴史哲学」が問われることになります。さらには,その時代になって新たに生まれたものはなにか(新たな可能性はなにか),そして,それによって失ったものはなにか,を腑分けしていく作業が必要になってきます。わたしちの作業(スポーツ史,スポーツ文化論)は,大きな概念装置を設定したところまでで,止まってしまっています。なぜなら,スポーツ史研究のための「歴史哲学」を欠いていたからです。

 このような問題意識で,このテクスト『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』を読み進めていきますと,目からウロコが落ちるような新しい発見の連続です。そこはまさに,新しいスポーツ史研究のための発想の宝庫だと言っても過言ではないでしょう。

 このことに勇気づけられましたので,次回の「ISC・21」5月大阪例会では,「『歴史の天使』と『Kunst』について」というテーマで問題提起をさせていただこうと考えています。これまでのスポーツ史研究の大きな壁を,この際,ひとつ突き破ってやろうではないか,と意欲満々です。きっと多くの人がなんらかの反応を示してくれ,さらに面白い議論が展開できるのではないか,と期待しているところです。そして,そのさきに新たに見えてくる地平がどのようなものか,いまから楽しみにしているところです。

 ということで,今日のところはこのテクストに触発された,そのほんの一部を紹介させていただきました。

2014年4月30日水曜日

2014年全日本武術太極拳競技会を観戦。

 全日本武術太極拳競技会を初めて観戦させていただきました。これまでは年に一回開催されます全日本武術太極拳選手権大会を時折,覗き見させていただく程度でした。覗き見とは失礼な,と叱られそうですが,三日間にわたる選手権大会を全部観戦することは,いまのわたしには不可能ですので,とくに注目している選手が登場する日と時間に合わせてでかけ,それが終わると帰ってきてしまうからです。でも,今回の「競技会」は一日だけでしたので,開始から終了まで全部観戦することができました。

 その開催要領は以下のとおりです。

2014年全日本武術太極拳競技会
日時:2014年4月29日(火・祝)10:00~
会場:東京・江戸川区総合文化センター
主催:公益社団法人日本武術太極拳連盟/江戸川区武術太極拳連盟
主管:日本連盟選手強化委員会・審判委員会
後援:文部科学省,公益財団法人日本オリンピック委員会,公益財団法人日本体育協会,江戸川区,アジア武術連盟

 この「競技会」への選手の参加資格は,連盟の強化指定選手で,しかも選手強化委員会が指名した選手ということでしたので,まさにハイレベルの,内容の充実した大会でした。そのせいか,驚くべき発見がいくつもありました。

 その一つは,女子の二人の選手でした。もう,すでに長い間,日本のトップを凌ぎを削りながら競り合ってきた選手です。お互いによきライバルとして切磋琢磨してこられたその成果が,ここにきてもののみごとに花開いた,その演武に感動しました。お二人とも演武に「華」がある。このお二人が演武をはじめると,それまでざわついていた会場が水を打ったように静かになります。姿勢を正しただけで,見ている者のハートをぐいっとつかみ取る,そういう「力」があります。これは世阿弥が『風姿花伝』のなかで力説した「華」に通ずるものだなぁ,と感動しました。元気のいい応援席からの応援コールも黙ってしまいます。これはとても珍しい光景です。つまり,単なるスポーツとしての「競技会」のレベルを突き抜けて,ついに「芸術」の域に達したんだなぁ,とわたしは感動しました。別の言い方をすれば,異次元世界を垣間見せてくれる,そういうアーティスティックな演武だ,とわたしは感じとりました。

 もう一つは,男子選手の世代交代でした。わたしが記憶していた素晴らしい選手たちの名前がありません。しかも,演武する選手たちの動きがピチピチしていて「若さ」が全開でした。ああ,もののみごとに若返っているなぁ,という感動でした。やはり,若い生きのいい選手が登場するのは夢があって愉しいものです。ついこの間までジュニアの選手として活躍していた選手たちが,もう,そのままスライドして全日本のトップに躍り出てきているのですから,頼もしいかぎりです。その中の一人にわたしは注目していました。太極拳では,ちょっとしたミスがあって僅差の三位に甘んじましたが,太極剣ではみごと優勝を飾りました。まだまだ,のび盛りだと思いますので,こんごの成長ぶりを楽しみにしたいと思いました。

 競技人口が比較的少ないと聞いています南拳女子の二人の選手の演武も印象に残りました。すでに国際大会でも活躍してきたベテランの域に達しているK選手と,それを凌駕するまでに成長してきた若手のS選手。いっとき,K選手のスランプの時代がありましたが,またまた全盛時の元気を取り戻してきました。あとは,発する声の迫力が全盛時のものに戻れば,おのずから演武のレベルもあがってくるのでは・・・・と素人ながら楽しみにしているところです。いまは,S選手が頭ひとつ抜け出した印象がありますが,そのS選手を脅かすK選手の存在は貴重です。やはり,よきライバルがいてこそレベル・アップにつながるのですから。K選手にこころからの声援を送りたいと思っています。ひとこと申し添えれば,ネックスプリングの技に磨きをかけると(これは男子も同じ),もう一味違った演武になるのでは・・・・と思い描いています。

 最後に,中国からのお二人の招待選手の演武が,強烈な印象となって残りました。なるほど,中国現役選手のトップの演武とはかくなるものか,とこれは文句なく脱帽でした。寸分の隙もない演武。それどころか「溜め」があって,演武全体に余裕すら感じられました。一つは滞空時間の長い跳躍力,そして,着地の磨き上げられた精確さ,そして攻撃的な技のスピード。静から動へ,そして動から静へ,この切り換えの妙もみごとでした。それから,なによりも太極拳は「武術」であるという強い意識が表出していて,一つひとつの簡単な動作(技)にも,神経のゆきとどいた「武」のこころが浸透していました。これはとてもいい勉強になりました。

 こういう演武をみてしまいますと,やはり「武」のこころとはなにか,という根源的なテーマにわたしの思考は走っていきます。漢字の「武」と「舞」は,そのむかし同根・同義であったと諸橋轍次の『大漢和辞典』に書いてあります。いまでは,この二つの漢字はまったく別の意味になってしまいましたが,その根は一つ。その一つ根のなかに封じ籠められている「武」のこころ,そして「舞」のこころ,つまり,「ぶ」「む」のこころ,これはいったいなにか,とこれはもう長い間考えてきたことです。これは「無」につうじているのではないか,といまのところは考えています。つまりは,「無」のこころ。すなわち「無心」。

 これはたいへんな宿題をもらったことになります。これからも考えつづけながら,稽古に取り組んでいきたいと思っています。

 なお,最後に思いがけないことがありました。それも,これから帰ろうとしたときです。
 李自力老師から携帯に電話が入り,岡山のご婦人がたを引き合わせてくださったことです。李老師の話では,わたしのこのブログ(「李自力老師語録」)を楽しみに読んでいてくださる方がただとのことです。しかも,100人ほどの人が楽しみに読んでいる,とのこと。びっくり仰天です。さらに驚いたことは,李老師が26歳のときからの長いお付き合いだそうです。わたしは思わずかぶっていたベレー帽をとって最敬礼をさせていただきました。恐るべき姉弟子集団の,突然の登場でした。わたしのような,まだ年数の浅い李老師の弟子とは桁が違います。

 これからはこころしてこのブログを書かなくては・・・と身の引き締まる思いでした。
 とてもいい一日でした。
 

2014年4月27日日曜日

日本(ヤマト)は沖縄(ウチナァ)から独立せよ。基地の当事者意識に目覚めるために。

 久しぶりに鳥肌の立つシンボジウムを傍聴させていただいた。その功績の多くは,コーディネーターを務めた西谷修さんによるところが大であった。この人はいま絶好調だ。コーディネーターとしての最初の話をはじめたとたんに,7人のパネリストたちの顔つきが変わった。身を乗り出すようにして,西谷さんの方を向き,じっと耳を傾けている。切れ味がいいのだ。

 それはシンポジウムのまとめの話でも同じことが起きた。西谷さんは「戦争」とはなにか,と問いかけ二つの大きなポイントがあるとしてそれを提示した。一つは,戦争とは個人の存在(尊厳)を抹殺して全体に奉仕する仕組みであること。つまり,「個」(人間であること)を消してしまう装置なのだ,と。二つには,人間は戦争をすることはできない,ということ。戦争は突発的にはじまるものであって,気がついたときには「巻き込まれて」いる,そういうものなのだ,と。だからこそ,いかなる理由があろうとも戦争だけは回避しなくてはならない,と。そのための叡知を結集しなくてはならない,と。

 短い,ほんとうに短い時間のなかで(パネリストが7人もいて,この人たちも苦労していた),濃密な話をコンパクトに,しかも切れ味鋭く語る西谷さんのパッションに感動した。このシンポジウムを傍聴してよかった,としみじみ思った。

シンポジウム:沖縄の問いにどう応えるか──北東アジアの平和と普天間・辺野古問題
日時:2014年4月26日(土)午後2時開会
場所:法政大学市ヶ谷キャンパス さったホール
主催:普天間・辺野古問題を考える会(http://urx.nu/7cSD)
共催:法政大学沖縄文化研究所

 プログラムは,大江健三郎(作家),我部政明(琉球大学教授),ガバン・マコーマック(オーストラリア国立大学名誉教授)による三つの講演があって,それを受けてシンポジウムが展開された。こちらは,冒頭に触れたようにコーディネーターが西谷修(立教大学教授),そして,シンポジストに佐藤学(沖縄国際大学教授),島袋純(琉球大学教授),遠藤誠治(成蹊大学教授),川瀬光義(京都府立大学教授),古関彰一(獨協大学教授),西川潤(早稲田大学名誉教授),和田春樹(東京大学名誉教授),という錚々たるメンバー。

 冒頭の講演で,大江さんが「われわれはもはや沖縄から問いかけられてはいないのではないか」というテーゼを提示して,話を切り出し,最後には「琉球独立に向けた新しい時代に踏み出した」ように思う,と結論づけた。つづいて我部政明さんが立ち,沖縄サイドからの「問い」を提示するとすれば,「当事者意識」を持ってほしいのひとことだ,と強烈にアピールした。本土の人間が当事者意識を確保するためには沖縄の基地を軽減して,本土に移転することだと強く訴えた。そして,最後のガバン・マコーマックさんは,「普天間飛行場閉鎖・名護市辺野古への新基地建設に関する声明」(声明①世界の識者と文化人による,沖縄の海兵隊基地建設にむけての合意への非難声明,署名人には,ノーム・チョムスキー,ジョン・ダワー,ナオミ・クライン,オリバー・ストーン,などの著名人が名を連ねている)を発進するにいたった経緯について語ってくれた。そして,アメリカ政府の「対日政策委員会」の内部でも,「辺野古移転計画は現実的ではない」という議論がなされている,と力説。

 つづいてシンポジウムに入る。
 シンポジストの選定と時間配分がよかったので,じつに内容の濃い問題提起がつづいた。シンポジスト全員の発言を紹介するだけの余裕はもはやないので,なかでももっとも強烈にわたしの印象に残った島袋純さんのお話の骨子だけを書いておきたいと思う。

 島袋さんはいま,「オール沖縄の再結集」という運動を展開していて,その輪が次第に大きくなりはじめている,と現状を報告。これまでの「立憲主義」に寄り掛かった運動の限界を突き抜けていくために,住民一人ひとりの「人権」を守ることから運動を立ち上げるにいたった経緯を熱く語る。つまり,運動の原点に立ち返って,新たな沖縄(琉球)の再構築のために「オール沖縄の再結集」を呼びかけ,「建白書」を提出することをめざしている,と。この運動は「沖縄独立学会」とも連動しながら,これからの新しい沖縄(琉球)を模索していく,という。そして,現段階では「日本国は琉球国から独立すべきだ」という主張を展開している,と。そして,日本国が琉球国に基地依存をつづけて平気でいられること自体が,日本国の最大の「病理」だ,と断じた。

 この最後のことばを聞いて,わたしは全身に電撃が走った。そうか,「病理」なのだ。そのことすら気づかずに日常の中に埋没してしまっている。この状態こそが,わたしたちヤマトの人間にとっての最大の「病理」なのだ。しかも,その「病理」から脱出するには,琉球国からの日本国の分離独立しかない,と。

 琉球国の日本国からの分離独立ではない。日本国こそが琉球国からでていけ,ということだ。そのとき,初めて日本国を成り立たせるにはどうしたらいいのか,ということに気づく。つまり,基地問題を当事者として考えはじめる契機となる。それしか「薬」はない,と。

 この話に共振したのか,和田春樹さんは,単刀直入に「わたしは沖縄の人に抱きつきたい」と言い切った。コーディネーターの西谷さんも,この話と和田さんのことばに強く共鳴し,最後のまとめの話のなかに盛り込んだ。

 夕闇迫る外壕の土手道を「抱きつく」「抱きつく」とつぶやきながら,沖縄からの自立ということをこれまで深く考えてこなかったわが身を恥じた。「抱きつく」ことも忘れて。美味しいところだけをご馳走になって,あとは無視。「贈与」の精神に悖る。情けない,と。

 戦後70年を経て,いま,ふたたび沖縄が大きな転機を迎えている,しかも,日本国最大の危機とともに(西谷修)。

 時あたかもバラクがやってきて,尖閣諸島は安保条約の第5条に相当すると断言し,その上で「集団的自衛権の行使」を支持した。となると,シンゾウ君は喜び勇んでつぎの行動にでるだろう。その延長線上には,沖縄の米軍基地は,時を待たず「日米軍基地」となり,ついには「日本軍基地」となりはてるだろう。「自発的隷従」を恥じとも思わないシンゾウ君なれば・・・。しかし,あまりにやりすぎると,バラクの思惑とは逆方向に向かうことになるので(すでに,そのような危惧を抱いている),ひょっとしたら,シンゾウ君そのものがバラクによって切って捨てられる日も遠くないのでは・・・と勘繰ったりもしている。

 それにしても,わたしにとってはとても熱くなる,稔り多いシンポジウムであった。コーディネーターの西谷さんにこころから感謝したい。

2014年4月25日金曜日

(下巻)『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也著,新潮文庫)を読む。

 「木村の前に木村なし,木村の後に木村なし」と謳われた不世出の柔道家・木村政彦の生涯を追ったノン・フィクションの傑作です。文庫本化の際に,上下2巻に分冊しましたが,それでも上下とも600ページに達する大部の作品です。著者・増田俊也の執念ともいうべき情熱が全巻にみなぎっていて,木村政彦を理解するためには必読の作品です。のみならず,力道山という人間についても,わたしがこれまでに読んできた伝記もののどの作品をも凌駕する,最高のノン・フィクションになっています。その理由は,綿密な取材・調査にもとづくしっかりとした裏付けにあります。ですから,説得力が抜群です。

 上巻は木村政彦の生い立ちからはじまり,木村が柔道家として大成していくプロセスを綿密に追っていきます。ですから,木村の歩んだ柔道の世界がリアルに描き出されています。その結果,これまでの講道館柔道史が無視してきた,日本武徳会の柔道や高専柔道が綿密に描写されることになっています。しかも,戦前までは講道館柔道は私的な家元柔道でしかなかったという事実が浮かびあがってきます。その意味で,このノン・フィクションは立派な「日本柔道史」にもなっている,ということに注目すべきでしょう。

 下巻は大づかみに言えば,第二次世界大戦後の木村政彦の人生を追っていきます。敗戦後の柔道界は大変でした。まずは,GHQ(連合軍総司令部)による柔道の禁止命令があって,柔道家の活動の場がなくなってしまいます。ですから,生き延びるために闇屋はもとより,裏社会とも結びつきながら(用心棒,など),ありとあらゆる仕事に手を出すことになります。木村政彦もその例外ではありませんでした。

 が,いつまでもそんなことはしていられないということになって,柔道をショーとして見せる「プロ柔道」を木村の師匠である牛島辰熊が中心になって旗揚げをします。もちろん,柔道日本一の木村はそのスターとして駆り出されます。が,所詮は武士の商法で,最初は興行として成り立っていましたが,徐々に問題(さまざまなトラブル)が露呈してきます。そのプロセスで木村と師匠の間に亀裂が走ります。そして,木村は自分で「プロ柔道」の仲間をかき集めて海外遠征に飛び出していきます。

 この海外遠征によって,日本の柔道の真髄が世界に知れ渡ることになります。木村は行くさきざきのナンバーワン格闘家(主としてプロレスラー)と戦い,連戦連勝をつづけ,柔道は世界最強の格闘技であり,無敵であるという強烈な印象を各地の人びとに与えることになります。ここでの柔道は立ち技ではなく寝技が中心でした。なぜなら,格闘技では(とくに,プロレスでは)立ち技で投げても勝敗には関係ありません。寝技に持ち込んで,相手をギブアップさせて,初めて一本をとることができるからです。木村は立ち技でも,目にも止まらぬスピードで,みごとな一瞬の技を見せつけます。その上で寝技に持ち込んでいきます。これは「ショー」としても,それまでの「プロレス」にはない面白さがありました。ですから,どこの会場も満員の盛況。

 かくして,木村は巨額の富を手にして凱旋します。力道山がプロレスを目指して海外行脚にでるのは,木村が地ならしをしたあとのことでした。が,興行主としての才覚も持ち合わせていた力道山は行くさきざきのプロレス界に大事な人脈を構築していきます。帰国したときには,日本でのプロレス興行は力道山抜きにはできない,そういうネットワークを確立していました。しかし,木村政彦の興味・関心は格闘技の攻防の内容にあって,興行主になって一旗挙げてやろう,などとは考えていませんでした。ここが,力道山と木村政彦の大きな違いでした。

 力道山は帰国するとすぐに木村政彦とタッグを組んで,アメリカの最強のプロレスラー・シャープ兄弟を招聘して,日本各地を転戦してまわります。が,興行の主体は力道山が握っていましたので,木村は一試合のファイトマネー契約で雇われた形となりました。そして,そこでの木村の役割は「負け役」でした。木村は律儀にも,その「負け役」を演じていきます。本気でやれば俺の方が強いという自負を胸のうちに秘めながら・・・・。しかし,いくら興行とはいえ,勝負のシナリオが決まっているという事実を知らない当時の日本国民は,連戦連勝の力道山の強さに惹かれ,あっという間に力道山は国民的ヒーローになっていきました。

 契約上のこととはいえ,木村政彦の胸のうちには面白くない感情が鬱積していくことになります。真剣勝負をすれば,力道山などはまったく相手にならないほどの力量の差があるにもかかわらず,興行のために力道山に主役を譲っている・・・・。そして,力道山の人気はうなぎのぼり・・・・。

 こうした流れが伏線になって,あの世紀の対決「木村政彦vs.力道山」戦が立ち上がることになります。こんにちでは「伝説」となっている巌流島の対決の虚実を,著者・増田俊也は丹念に描きだしていきます。それは,ことごとく「伝説」をひっくり返す作業にもなっています。ここからさきの話はここでは封印しておきましょう。読む人の楽しみを残しておくために。

 最後にひとこと。「歴史は創られる」・・・このことばが全巻をとおして,わたしの脳裏から離れませんでした。そして,ひとたび「歴史が創られ」てしまうと,それはもはや立派な「伝説」となり一人歩きをはじめます。多くの人びとは,その「伝説」を「真実」であると信じて,生きていきます。そして,その「伝説」はいまも生きつづけています。

 著者・増田俊也は,その「伝説」崩しに全エネルギーを注入していきます。その作業は,まるで「歴史の天使」(ベンヤミン,多木浩二)が強風に煽られて吹き飛ばされてしまったあとに残った「瓦礫」や「屑」を一つひとつ掘り起こして,歴史の「真実」に迫っていく,鬼気せまるほどの戦慄を覚えずにはいられません。その意味で,資料実証主義とはなにか,という根源的な「問い」が二重,三重の構造となってわたしに迫ってきます。

 書名「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の問いに対する解答は,最後まで読み切ったところで,さまざまなイメージとなって浮かび上がってくる仕掛けになっています。人間の強さと弱さが渾然一体となって,木村政彦という人間の人生模様が織り上げられている・・・・そこから発せられているメッセージはなにか,とわたしは受け止めました。深い感動とともに。

 あとは読んでのお楽しみ。

2014年4月24日木曜日

「外三合」「内三合」ということについて。李自力老師語録・その43.

 太極拳の動作は,それが武術の技の連鎖であることを忘れさせてしまうほど,ゆったりと動いていきます。しかし,李老師の動作をよくよく観察してみると一瞬たりともとどまることなく,流れるように,それでいてゆるぎない力強さも伝わってきます。要するにどこにもスキがないのです。やはり,武術だなぁ,と納得してしまいます。

 そこで,どのような稽古をすれば李老師のような太極拳の境地に近づくことができるのでしょうか,と尋ねてみました。すると,太極拳の教えのなかに「外三合」「内三合」ということばがあります,と仰る。これらがうまく融合して一つになるように心がけなさい,と。

 「外三合」とは,腕で言えば「手首,肘,肩」の関節のこと,脚でいえば「足首,膝,股」の関節のこと。これら三つの関節をうまく同調させ,融合させることによって動作が滑らかになっていく。一つひとつの関節をそれぞればらばらに動かすのではなく,三つの関節がほとんど同時に,連動するように動かすところに「コツ」がある。そうすれば,流れるような動作が生まれてきます,と。

 しかし,それだけでは舞踊と変わりがなくなってしまう。太極拳がしばしば舞踊的だと批判されるのはこの点にある。そこで,太極拳が舞踊とは異なることを明確にするために「内三合」ということばがある。

 「内三合」とは,「こころと意識」「意識と気」「気と力」の三つをいう。
 「こころと意識」は,まずは「こころ」の緊張を解き放ち,軽く笑みを浮かべられるようなこころの状態を確保した上で,一つひとつの動作に意識を集中すること。つづいて「意識と気」は,こころが解き放たれてわざに意識が集中していけば,そこにおのずからなる気が生ずる。この気の流れを生みだすこと,これが「意識と気」。最後の「気と力」は,気が生ずることによって力強さが生まれてくること。つまり,筋力による力強さではなく,気に支えられた力,これが太極拳のめざす力となる。

 この三つは,個々バラバラに存在し,機能するわけではない。それとは正反対に,この三つの機能が一つに合一し,この三つの機能の間を自在に往来する境地に到達することが肝要である。この境地は,いまのバイオメカニックスのことばを借りれば「自己組織化」ということになる。すなわち,「自動化」。気持をそこに向けるだけで,からだがおのずから反応する,そういう境地。からだが勝手に動く世界。

 さらに,「外三合」と「内三合」は表裏一体のものである。もちろん,主従の関係もない。この両者が完全に融合すると,さらに別次元の世界が広がってくる。いつしかからだの中心の芯から湧き出ずるような「心地よさ」がつたわってくる。その「心地よさ」が,またまた「外三合」と「内三合」の関係を増幅させ,太極拳の理想的な動作が生まれてくる。そうなると,それを見る人のこころをもうっとりさせつつ,悠揚迫らざる圧倒的な「力」を伝えることにもなる。

 以上は,李老師がこれまで折にふれわたしに語ってくださったことを,わたしなりにアレンジして文章化したものです。ですから,間違った解釈や余分な解釈も含まれているかもしれません。ほんとうは,李老師の校閲を経たものをブログにアップすべきだとは思いますが,その時間が待てません。と同時に,このようなブログをアップするのも勇気のいることです。李老師に叱られるのではないか,と内心怯えています。ですから,ある意味で「覚悟」をしています。これもまたわたしの太極拳「修行」の一環である,と。ということで,どうぞご寛容のほどを。

 以上,「如是我聞」まで。
 

「中立って何」(斎藤美奈子さんの「本音のコラム」)。分かりやすく鋭い指摘。快調。

 4月23日の東京新聞「本音のコラム」で,斎藤美奈子さんが快調にとばしています。短い文章のなかに籠められた分かりやすく,鋭い指摘が光っています。いつのまにか,週に1回のこの人のコラムの登場を心待ちにするファンになっています。

 今回は「中立って何」というタイトルで,自治体が「政治的中立」を理由に市民の自由な活動に横やりを入れている実態を取り上げ,みごとな批評を展開しています。その書き出しは以下のようです。

 「二十一日のNHK午後七時のニュースが『”政治的中立への配慮”が相次ぐ』と題して講演会や展示会に対する自治体の対応を報じていた」と切り出しておいて,「施設の貸し出しを断った」自治体が2件,「内容の変更を求めた」が6件,「後援の申請を断った」が22件,という数字と同時に自治体名を列挙しています。今回の調査は121自治体だけなので,実際はもっと多いだろうとのことです。その内容は憲法11件,原発7件,ほかにTPPや介護,税と社会保障,など。

 このあとの美奈子節が心地よいので引いておきましょう。
 「この件が暗に発するメッセージは『政治的な意見を持ってはいかんよ』『政府に楯突く意見などもってのほか』という言論統制が平気でまかり通っている現実だろう。
 笑っちゃうのは,この種の『配慮』には熱心な自治体が,選挙になると急に投票を呼びかけるバカバカしさだ。『政治的に中立』で,どうやって誰かひとりに投票するのさ。このように建前と本音を使い分けるダブルスタンダードが人々の政治離れを助長する。投票率が低いと嘆く資格はないよ。」

 いつものことながら,読み終わったあとスカッとします。おみごととしか言いようがありません。

 同じような話題をとりあげた政治学者の山口二郎さんは,同じコラムで「忖度」ということばを用いて説明をしていました。的確な読みごたえのある内容だったのですが,やや重くて,理屈が先行している感じで説得力に欠けている印象でした。それに引き換え,斎藤美奈子さんの文体はひょうひょうとしていて,読みやすく,するりと読者のふところに飛び込んできます。

 どこでどのような力学が働いているのかは知る由もないですが,自治体が「政治的中立」を騙って,責任逃れをしつつ,しかもなんのことはない権力にすり寄っているだけの話です。これは「忖度」などというレベルではなくて,立派な「自発的隷従」です。言われる前に,率先して「贈与」(ギフト)を差し出し,権力に対して忠誠心を表明する。そうして,補助金や助成金のおこぼれを頂戴する,という算段なのでしょう。

 同じようなことを,なんのことはない,シンゾウ君がオバマ君にしようとしています。「集団的自衛権の行使」という「贈与」を差し出して,ご機嫌をうかがおうと思ったいたら,どうやらこれはシンゾウ君の計算違いで逆効果になるらしい・・・・。それどころかヤスクニ問題でクギを刺されそうな雰囲気です。

 「強い日本をとりもどす」のスローガンも国内向けには受けがいいのでしょうが,外からみれば,大戦前の日本に逆戻りというとんでもない所業にみえていることに,シンゾウ君が気づいていません。アメリカも中国もポツダム宣言をとおして「強い日本」をぶっつぶした同盟国なんだ,というもっとも基本的な事実を忘れています。

 おやおや,脱線してしまいました。「政治的中立」という隠れ蓑が,じつは,それ自体が立派なイデオロギーであるということすらわかっていない,そういう自治体の長がいかに多いことか。そして,それがじわじわと浸透しつつあるというのですから,恐ろしいことです。市民はますます萎縮していくしかありません。そこにポピュリズムが乗っかってきます。とんでもない「暴力」だらけの世の中へとまっしぐら。

 いつものことながら「困ったものです」。大火傷をするまでは気づかないのでしょうから。

2014年4月22日火曜日

「立憲デモクラシーの会」の活動に賛同者は署名を。

 「立憲デモクラシーの会」結成の記者会見(18日)についてのブログを19日にアップしました。NHKや大手新聞社も取り上げてくれたせいか,このブログにも大きな反響がありました。集団的自衛権を行使する道は国家の命運を賭けた大きな博打です。そのことの危険性について,わたしが思っていたよりも多くの方々が理解し,同調してくださっていることを知り,少しばかり安心しました。

 この「立憲デモクラシーの会」設立の呼びかけ人の一人である西谷修さんのブログに,懇切丁寧な設立の趣旨が書かれていますので,ぜひ,ご覧になってみてください。西谷修の名前で検索すれば,すぐにブログに入っていくことができます。

 そのブログのなかに,「立憲デモクラシーの会」の活動に賛同される方はぜひ署名をしてください,という呼びかけがなされています。署名の書式も「ホームページ」を開くと,ただ書き込むだけで済まされるように準備されています。むつかしい手続きは一切ありませんので,ぜひ,覗いてみてください。

 なお,つぎのようなシンポジウムが予定されていますので,紹介しておきます。

シンポジウム:「私が決める政治」のあやうさ:立憲デモクラシーのために
 共催:立憲デモクラシーの会・法政大学現代法研究所
 日時:4月25日(金)午後6時~8時
 会場:法政大学富士見キャンパス58年館3階834教室
開会挨拶:奥平康弘(憲法学)
基調講演:
 
 愛敬浩二(憲法学・名古屋大学)「立憲デモクラシーは『人類普遍の原理』か?」
 山口二郎(政治学・法政大学)「民意による政治の意義と限界──なぜ立憲主義とデモクラシーが  結び付くのか?」
シンポジウム:
 毛里和子(中国政治・早稲田大学)
 青井未帆(憲法学・学習院大学)
 大竹弘二(政治学・南山大学)
 シンポジウム司会:阪口正二郎(憲法学・一橋大学)
閉会挨拶:杉田敦(政治学・法政大学)
総合司会:齋藤純一(政治学・早稲田大学)

 以上です。たった2時間でこれだけのプログラムではもったいないような充実ぶりです。ぜひ,足を運んでみてください。

 取り急ぎ,緊急のお知らせまで。

入院・手術にいたるからだの異変。いま思い起こせば・・・・。わが「解体診書」・その2.

 「あとの後悔,さきに立たず」といいますが,こんな大手術をしなければならないからだになるにはそれなりの予兆があったことが,いまになって思い当たるようになりました。それだけ,余裕といいますか,いまのからだの回復ぶりが順調である,ともいえるのだと思いますが・・・・。

 それとなく考えてみますと,予兆らしきものはいくらでも思い浮かんできます。とりあえず,すっと思い浮かぶことからを箇条書きにしてみましょう。
 1.今日やってしまった方がいいということがわかっている仕事を明日にまわしてしまう。
 2.頭でわかっているのに,からだがついてこない。
 3.排便の色が変だなぁ。でも快食・快便なのでまあいいか。
 4.からだが冷える。気温は低くないのにからだが冷たい。寒くて仕方がない。暖房器具を購入。
 5.いつも見慣れた景色が,いつもと違う景色にみえる。
 6.いままで目につかなかった(気づかなかった)ものが,どんどん増えていく。
 7.部屋の明かりが暗い,と感ずる。実際にも本が読みづらいので,電気スタンドを購入。
 8.道を歩いていて,つまずくことが多くなる。段差がわかっているのにつまずく。
 9.空腹なのに平気で耐えられる。一日の食事の総量が減る。
10.体重がすとんと落ちる。以後,増えない。リバウンドがない。減量成功と喜んでいる。
11.酒がうまくない。酒を飲みたいという欲望がほとんどなくなる。
12.昼食後の午睡が多くなる。毎食後,必ず眠くなる。
13.歩くスピードが遅くなる。ふと気づくと,道行く人びとに追い越されている。
14.本を読むスピードが遅くなっている。視力が落ちたのかな,と考える。
15.集中力,持続力が落ちる。老化現象かなぁ,と考える。
16.机上の整理がめんどうになる。片づけない。どうしたのだろう,と自分でも不思議に思う。
17.手紙の返信が書けない。メールはすぐに応答できるのに。
18.背中全面に違和感を感ずる。どこか変だと気づく。が,異変の場所が特定できない。
19.ときどき背中に痛みが走る。痛みの場所は日によって異なる。なんだろう,と様子を伺う。
20.睡眠時間が長くなる。いくらでも眠れる。でも,ほどほどにと考え起きることに。
21.以下,省略。

 という具合に挙げていくと際限がありません。
 いま考えてみれば,一つひとつ,全部「アウト」なのに,当時は都合のいいように解釈して適当に自分を納得させていました。これがいけないのです。やはり,身近にホーム・ドクターのような親しいお医者さんがいて,気軽に相談できる環境を整備しておくことが肝要と,今回は痛く反省しています。

 子どものころ,小さな村に一軒しかなかったお医者さんが,なにかと親身になって相談にのってくれたことを思い出します。困ったら,躊躇することなくお医者さんに走りました。同じような年齢の子どもさんもいたので,遊びにもよく行きました。まあ,家族ぐるみのお付き合いでした。家には電話がなかったので,電話の取り次ぎもしてくれました。いま考えるとありがたい存在でした。

 わが人生を振り返ってみますと,転々と引っ越しばかり繰り返してきましたので,近所にそういうお医者さんを確保するいとまもないまま,こんにちに至ってしまいました。医療のあり方もむかしとは大違い。とても便利であるような,不便であるような・・・・。

 あっ,話が脱線してしまいました。今回の話は,わたしの「解体診書」でした。今回は,とりあえず,ざっとこんなことがありました,という総論で終わりにしておきます。次回から各論に入って,一つひとつの話題の深層(真相)に迫ってみたいと思います。今回はここまで。

2014年4月21日月曜日

女子ゴルフ界に,さわやかな「みなみ」風が吹いてきた。アスリートの育て方・考。

 勝みなみさん。15歳。鹿児島高校1年生。
 二日目のラウンドは「六甲おろし」(阪神タイガースの応援歌)を口ずさみながら回ったという。この記事を読んで,すぐに新聞の切り抜きを始めたわたし。

 テレビのニュースも新聞も,みんな「15歳 勝選手ツアー最年少V」を大きく取り上げ,過去の記録との比較をする。その相変わらずのメディアの報道姿勢にうんざりしながら,今日の東京新聞を読んでいたら,あちこちに「勝みなみ」さんの人柄についての記事が掲載されているのを見つけ,少しく安心する。そして,わたしの関心はそちらに吸いつけられていく。

 世間をアッと言わせるような偉業をなしとげるアスリートがどのようにして育ってきたのか,と考える。すると意外なことが少しずつわかってくる。たとえば,持って生まれた性格そのままに,じつにのびのびと育っているということ。

 勝みなみさんのコーチはゴルフ好きの祖父。まだ小さかったころは近所の体操教室に通っていたという。だから,バック転も側転もできるそうだ。が,あるころからおじいちゃんのやっているゴルフに興味を示す。おじいちゃんも孫可愛さに手ほどきをする。みるみる上達するので,おじいちゃんの指導にも熱が入る。かなりの腕前になっても(日本ゴルフ協会のナショナル・チームに所属),コーチはおじいちゃん。

 高校進学も,ゴルフの強豪校に留学することは考えず,迷わず地元の鹿児島高校に進学。まずは高校を卒業することが第一の目標で,プロになることはそのつぎの問題だ,という。もちろん,プロになるには「18歳以上」という年齢制限がある。が,優勝もしたので単年登録という方法もあるが,いまは考えない。プロは将来の夢として残しておくという。

 わたしが記事のなかで興味をもったのは,「ドキドキしなかった」という彼女の性格。ついでに,興味深かった記事をもう少し拾ってみると以下のとおり。

 「生まれてから緊張したことがほとんどないんです」。
 「ドキドキしなかった。自分なら(優勝)できると思っていた」。
 「が,自分の体じゃないなとも思いました」。
 「これは,みなみなら優勝すると確信していた」(おじいちゃん)。
 「コーチは必要だと思うが,理想は自分で全部やるべきだと思う」。
 「将来はオリンピックで金メダルを取りたい」。
 「しかりつけても,次の瞬間には忘れてケロッとしている。怒りがいがまるでない子です」(母親)。

 緊張しない性格,(最終ラウンドは二位発進ながら)優勝できるという自信(おじいちゃんをも確信させるなにかをもっている),自分を超え出る経験(を自覚している),理想は自立・自律だという考え方,(叱られてもすぐに忘れる)打たれ強さ・・・・など。

 アスリートにはいろいろの個人差があるので,ひとくくりにして一般論を語るのはむつかしいが,それでもやはりなにか共通するものがあるように思う。それは,もって生まれた<持ち合わせ>が違うということだ。加えて,その<持ち合わせ>がうまく「引き出される」僥倖に恵まれるかどうか,がつぎの問題。別の言い方をすれば,才能と環境。最終的には,アスリートとコーチの「マッチング」の問題。

 結果論とはいえ,勝みなみ選手とおじいちゃんとは最強のコンビ。おじいちゃんは名伯楽。孫の性格を見抜いた上で,その良さを引き出すために指導・助言をしてきたはずだ。だから,「6年早かった」(いま,74歳のおじいちゃんが80歳になるころには優勝できる選手になってほしいと期待していたので,おじいちゃんの口からでてきたことば),というほどの成果が上がったということだ。祖父と孫という距離感も抜群。これが両親だとそうはいかない。お互いにわがままがでる。

 「私の能力,知識では教えることはもうできない」とおじいちゃんの談話。そんなことはない。おじいちゃんにしかできない指導・助言がある。ベテラン・コーチにもできない祖父の目からみた孫のとらえ方がある。みなみさんの自立・自律のためには,まだまだ,おじいちゃんの出番がたくさんあるはず。このコンビでさらなる高みをめざしてほしい。

 「自分の体じゃないな」と感じられる境地にどのようにして到達したのか。わたしの興味・関心はこの一点に集中する。つまり,自分を「超え出て」いく体験こそが,トップ・アスリートにとっての不可欠の条件だから。しかも,断るまでもなく,その境地を維持することはたやすいことではない。やはり,名伯楽のおじいちゃんとの二人三脚がいいのでは・・・・。ちょうどいい緊張のバランス。そして,「六甲おろし」を口ずさみながら(おじいちゃんも阪神タイガースのファン)プレイを楽しむことのできる才能。そこから最高のパフォーマンスが生まれる。

〔付言〕
このブログを書きたかった動機のひとつは,女子柔道で起きた「コーチと選手」の「主人と奴隷」の関係にも等しい不祥事がある。しかも,それはスポーツ界にあっては「氷山の一角」にすぎないということ。ゴルフ界にもきな臭い話がないわけではない。とりわけ,女子ゴルフ界にあっては・・・。こういう話には触れずに書く・・・を目指したつもり。
 

2014年4月20日日曜日

北の湖理事長と九重親方の確執が露呈。貴乃花親方は漁夫の利。その背後にあるものは?

 数の横暴。一門の保有する潤沢な票数を自在に操る北の湖理事長。ワンマン体制をほしいまま。こんなことがまかり通ると思っているのだろうか。いずれ,どこかで,抑圧された怨念は「亡霊」となって表出する。その恐ろしさは百も承知のはずなのに・・・・。それにしても九重親方の人望は急速に失われてしまったらしい。その背景にあるものはいったいなにか。

 わたしの耳に入ってきた極秘情報とネット上を流れている情報がほんとうだったとしたら,という前提条件つきで,以下はわたしの個人的な虚実入り交じっての仮説。

 さきの理事選挙で九重親方(元横綱千代の富士)が落選してしまった。本人はもとより,相撲界を熟知するタニマチにしても,予想だにしなかったことが起きた。角界ナンバー2で,次期理事長の声も聞かれていたのに・・・・。「わたしの不徳のいたすところ」とは九重親方理事落選のおりの弁。ぐっと唇を噛みしめた顔が印象的だった。が,その顔にはすでに舞台裏の動きを読み切ったかのような,不敵な自信も表われていた。なにかを期するかのように・・・・。

 しかし,4月3日に,新しく公益財団法人に移行した新体制のもとで,新しく選出された理事による理事会が開催され,親方衆の新しい担当職務が決定され,発表されると,関係者の間に大きな波紋が広がったという。たとえば,九重親方に代わって角界ナンバー2の事業部長に座ったのは八角親方(元横綱北勝海)。つまり,九重親方の弟弟子である。しかも,この人事は次期理事長のためのショート・リリーフで,長期政権をになうことになる理事長の本命は貴乃花親方だという。そのためのお膳立てが今回の新人事だったというのである。

 しかも,九重親方の扱いはみるも無惨なものであった。悪くても,理事からワン・ランク下がって副理事待遇か,もしくはもうワン・ランクさがって役員待遇あたりで落ち着くはずと思っていたら,そうではなかった。それらもすべて飛び越えて「3階級降格」という前代未聞の扱いを受けることになった。その結果,どういうことが起きたか。単なる平の「監察委員」に就任させたのである。

 監察委員は,場所中の取り組みの内容を一番一番チェックして,八百長や無気力相撲がなかったかどうかを打ち出し後に責任者である監察委員長に報告することが仕事。その監察委員長に貴乃花親方が就任している。ということは,九重親方は貴乃花親方の部下として相撲協会の仕事を引き受けなくてはならないのである。昨日までの部下が上司になってしまったのである。九重親方の心中やいかに。しかも,貴乃花は41歳。最年少理事である。

 この貴乃花親方が,これまた破格の出世をしたのである。貴乃花親方が任命された役職は以下のとおり。広報部長,総合企画部長,指導普及部長,生活指導部長,監察委員長,危機管理部長の六つの役職に加えて,相撲博物館運営委員にも任命されている。しかも,北の湖理事長は「これからの角界を背負って立つ貴重な人材なので,たくさんの勉強をしてもらって,将来に備えてほしい」という談話まで発表しているのである。

 この貴乃花親方と九重親方の天と地ほども違う扱い方はあまりに酷すぎる。普通では考えられない。よくよく情報を集めてみると,北の湖理事長と九重親方との間に,とんでもない怨念の応酬があったという。両者の間には以前から小さな確執があってお互いにそりが合わないという噂は聞いていた。しかし,今回のこれほどまでの酷い処遇に関しては,そうなるべく理由があったというのだ。

 ことの発端は,北の湖理事長の腹心といわれる男が協会と業界との間に入って仕事をまとめた報酬(賄賂)として500万円を受けとった現場を,九重親方サイドが隠し撮りしていて,それをネット上に流したことにある,という。つまり,北の湖理事長失脚をねらったシナリオだ。これを知って激怒した理事長が,理事改選の折に九重親方の票の突き崩しに全力を傾け,落選予定の候補を当選させるという挙にでて,それがまんまと成功した。

 すると,旧理事の最後の理事会の折に,九重親方はくだんのフィルムの問題を持ち出し,理事長の責任問題を追求した。しかし,時すでに遅しで,理事長サイドはしっかりと根回しがしてあって,九重親方の動議はいともかんたんに否決されてしまったという。その上で,新旧入れ代わった新理事会での九重親方の処遇である。ここを先途とばかりに,徹底的な追い打ちを九重親方に課したというのが,角界通のもっぱらの噂である。

 長年,理事を務め上げ,次期理事長の最有力候補と多くの理事が信じて疑わなかった元横綱が,それも輝かしい戦績を残した名横綱が,理事選挙で敗北を喫した直後に「3階級降格」という,みるも無惨な処遇をしたなどという話は前代未聞である。それに引き換え,貴乃花親方に対する目にあまるほどの厚遇も,これまた前代未聞である。

 これにはもう一つの裏がある,という。現役時代の千代の富士の身辺には八百長の噂が漂っていた。また,稽古場での暴力問題もしばしば話題になった。それに引き換え,貴乃花親方の身辺には「兄弟対決」以外には八百長の噂はいっさいなかったという。そのことは力士仲間の間ではよく知られた事実だという。だから,貴乃花親方は一門を超えた他の親方衆たちからの人望もきわめて篤いという。北の湖理事長はここに目をつけ,貴乃花親方を自分の陣営にひきつけて,身の保全をはかったのだ,という。

 それにしても,九重親方の理事長への道を断ち切ったばかりか,八百長問題を監視する監察委員に任命し,清廉潔白で知られる貴乃花親方の部下に据えるという,あまりにできすぎたシナリオの展開には,どこか恐怖に似たものを感じてしまうのはわたしだけであろうか。

 ついでに触れておけば,貴乃花親方の父である先代貴の花(元大関)に引導をわたして引退に追い込んだのが千代の富士であり,その千代の富士を引退に追い込んだのがその息子の貴花田(当時)だった,という奇しき因縁までついてまわっている。

 こうなってくると,まだ,ひと波瀾もふた波瀾もありそうな気配が漂ってくる。これもまた大相撲を楽しむ醍醐味の一つだと言ってしまうと叱られるだろうか。わたしには,これぞ人間のドラマであって,だから大相撲は面白い,と感じられるのだが・・・・・。

2014年4月19日土曜日

「立憲デモクラシーの会」結成(4月18日)。大きな輪になるよう支持・支援したい。

 憲法の「解釈」を見直して,戦争ができる国にする(集団的自衛権の行使)というとんでもない暴走をはじめた安倍内閣の姿勢に,「待った」をかけようという学者たちが立ち上がった。しかも,憲法学や政治学といった特定の専門領域の学者たちに限定しないで,広く哲学,経済学,文学,物理学などの分野の学者たちも取り込んだ点が,これまでの護憲運動とは一味違う視野の広さと重みをもつことになり,大きな特徴となっている。

 その名は「立憲デモクラシーの会」。4月18日(金),会設立の報告記者会見を衆院第二議員会館地下の会議室で行った。記者会見した10人の呼びかけ人のなかには,わたしにも馴染みのある西谷修(哲学・立教大学特任教授),小森陽一(文学・東大教授),金子勝(経済学・慶応大学教授),山口二郎(政治学・法政大学教授)といった人びとの名前もある。こうなると他人事ではなくなる。

 わたしもスポーツ史・スポーツ文化論を専攻する学者のはしくれのつもりである。そして,わたしはわたしのスタンスから,「解釈改憲」を目指す安倍内閣の姿勢にたいして大いなる疑念をいだいてきた。だから,可能なかぎり「9条の会」や「96条の会」や個別に開催されるシンポジウムなどにも参加し,問題の本質を学びながら支持・支援の意思表明をしてきたつもりである。

 そこに今回の「立憲デモクラシーの会」の結成である。わたしの方から手を挙げてでも,会の支持・支援の意思表明をしていきたい,と考えている。そして,「スポーツ学」(Sportology)にかかわる研究者仲間にもその輪を広げていきたい,と。つまり,自分の手のとどく,自分の専門領域の足元から,この運動の輪を広げていきたい,と。

 今日の東京新聞の記事から,話題を拾ってみると以下のとおり。

 「解釈変更は法や政治だけの問題に限らない」

 哲学者の西谷氏は会見で,会に賛同した理由を説明。「哲学は言葉に強くこだわる学問だが,首相は合議や手続きもなく(9条など)言葉の意味を変えようとしている。合議をせずに原則を崩せるなら,全ての制度も好きに変えられてしまう」と力説した。

 専門家の横断的な動きは,安倍政権が改憲に踏み込もうとしたり,憲法が保障する国民の権利をないがしろにするような政策を押し通そうとするたびに,自然と広がってきた。

 首相が政権復帰後,改憲手続きを定めた96条の要件緩和に意欲を示すと,憲法学者と政治学者を中心に「96条の会」が誕生。文学者やメディア研究者も加わって「立憲主義の破壊だ」と世論を喚起し,96条改憲論は下火になった。

 という具合につづく。
 今回の「立憲デモクラシーの会」も,「96条の会」のようなはたらきができることを期待したい。問題は,どこまでその運動の輪を広げることができるかどうかにかかっている。憲法の根幹にかかわる解釈を合議もなしに変更しようという暴挙は,なにがなんでもストップをかけなくてはならない。話を簡単に要約しておけば,戦争を容認するのか,それとも,あくまでも戦争放棄を守り平和主義を貫くのか,という岐路にいまわたしたちは立たされているのだ。

 憲法第9条で,戦争放棄を宣言してまもなく70年になろうとしている。この「9条」をノーベル・平和賞の候補に推薦する努力がみのって,受理されたという報道がつい最近あったばかりだ。もっと大きなニュースとなってしかるべきなのに,メディアはマヒしてしまっている。いな,安倍内閣に「自発的隷従」の姿勢を示している,と言うべきだろう。

 いまや,地方自治体の会議室やホールを借りるにも,政権の顔色をうかがいながら,その許認可を判断している状況になってきている。場合によっては,この「立憲デモクラシーの会」の集会も,地方自治体によっては許可しないところもでてくるのではないか,そんな危惧さえ感じられる。すでにして恐るべき時代・社会に突入しているのだ。

 「政権と民意のギャップが広がっている」(山口二郎),「今ほど憲法9条が危機にさらされていることはない」(小森陽一),などの声をしっかりと受け止めて,わたしたち一人ひとりが腹をくくらなくてはならない,とわたしは考えている。その意味で,今回の「立憲デモクラシーの会」の旗揚げにこころからの声援を送りたいと思う。

 地球が活動期に入ったのと同調するかのように,人間の意識も大きな変動期に入った,とわたしは考えている。まさに,正念場を迎えた,と。

それでも新国立競技場建造を推進するのでしょうか。独立行政法人・日本スポーツ振興センターどの。

独立行政法人・日本スポーツ振興センターどの。

 拝啓 新緑の美しい季節となりました。国立競技場周辺の新緑も目が覚めるような爽やかさです。この辺りを散策する人びとやジョギングを楽しむ人たちの表情も生き生きとしています。この人たちの多くも,自然に恵まれたこのヘリテッジ・ゾーンがいつまでもこのままであって欲しいと願っているに違いありません。

 すでにご承知のように,建築家の槙文彦さんが「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」という論考を建築の専門誌に発表したのは,東京五輪招致決定前のことでした。以後,新国立競技場建造をめぐって批判的な論考があちこちで発表されています。反対運動を展開する市民団体まで組織されています。また,槙文彦さんらが中心になり,シンポジウムまで開かれ,問題提起がなされています。

 これまでにどのような問題提起がなされてきたのか,という点についてはここでは繰り返しません。が,それらの問題提起にたいして,新国立競技場建造の責任者としてなにも応答されようとはしないのはなぜでしょうか。とりわけ,デザイン・コンペの中心的役割を果たされた建築家の安藤忠雄さんもだんまりを決め込んだままなのは,なぜでしょうか。

 多くの国民が疑念をいだき,その疑念について真剣に問題提起をしていることがらについては,真摯に受け止め説明する義務があるとわたしは考えています。なぜなら,独立行政法人・日本スポーツ振興センター(JSC:Japan Sport Council )は,わざわざ「独立行政法人日本スポーツ振興センター法」(2002年)という法律によって定められた,文部科学省の外郭団体であるからです。つまり,2003年10月1日に,それまでの「日本体育・学校健康センター」を改組して,いまのJSCとしてスタートするときには1,953億円もの多額の金を政府が出資している,そういう特別の団体であるからです。

 JSC設立の趣旨は国民の健康増進にあるとHPに記載されています。しかも,その前史を見ますと,1955年日本学校給食会の設立がそもそものはじまりだといいます。以後,着々とその事業内容を拡大し,いまでは国立競技場の運営,スポーツ科学の調査研究,スポーツ振興くじ(toto)の実施,などのスポーツ関連事業と,学校災害共済給付制度の運営,学校における安全・健康保持の普及,などの学校関連事業の二つに取り組んでいらっしゃいます。

 しかし,よくよく考えてみますと,これだけ多岐にわたる事業内容をどのような専門職の人たちが,どのように役割分担をして,事業を管理・運営していらっしゃるのだろうか,と素人には不思議です。よほどのスーパーマン(エキスパート)がその重職を支えていらっしゃるのだろうなぁ,と想像するのみです。

 が,その一方では,JSCの役員には文部科学省や財務省などの中央官僚からの天下り官僚が就任しているという批判もあります。さらには,公開であった会議も,2007年以降は非公開になったという批判もでています(運動記者クラブにのみ公開)。公開されていた会議が密室化するのはどうしてなのでしょうか。

 そのために,わたしたち国民はJSCの内部でどのような議論がなされているのか,まったくわからないままです。たとえば,新国立競技場の建造をめぐって,どのようなコンセプトのもとに,どのような条件を満たす施設が求められているのか,そして,その管理・運営はどのようにして行われるのか,わたしたちはなにも知ることができません。もっと言ってしまえば,これだけの批判の声があがっているにもかかわらず,JSCとしての公式見解を発表しようともしません。

 このままですと,わたしたちはなにも知ることもできないまま,この7月からは国立競技場の解体工事にとりかかると聞いています。そうして一年余ののちには新国立競技場の建造がはじまるとのことです。しかも,この新国立競技場は「風致地区・高度地区・用途制限・容積率制限・都市公園」という五つの法律に定められた「制限」に抵触する(柳沢厚氏による「神宮外苑と国立競技場を未来へわたす会」公開勉強会),といいます。それでも,設置者が国の機関である場合には許認可の手続きは不要とされていますので,その特権を全面に押し立てて「反対運動」を強行突破しようとお考えのようですね。

 でも,それだけは避けてください。将来に禍根を残すもとです。
 もし,どうしてもこの巨大な競技場が必要であるというのであれば,どうか「東京ベイ・ゾーン」に建造することを検討してみてください。更地に建造するのであれば,まだ一年余の時間的余裕があります。じっくり時間をかけて検討してみてください。

 まだまだ書いておきたいことは山ほどありますが,それでも限度というものがありますので,この辺りで終わりにしておきます。
 最後になりますが,どうか,国民の付託を裏切らないよう,最後の最後まで,大いに智恵を働かせてくださることを祈っています。

2014年4月18日金曜日

講道館柔道中心史観のはじまりは敗戦後のGHQ対策にあり。「柔道はスポーツである」(昭和24年)。

 柔道といえば講道館柔道,そして嘉納治五郎の名前がまっさきに浮かんできます。
 しかし,講道館柔道が脚光を浴びるようになるのは第二次世界大戦の敗戦後のことだ,といえば驚く人は少なくないでしょう。かく申すわたしも,この事実を知って驚いたひとりです。

 端的に言っておきましょう。敗戦後のアメリカによる占領政策のもとで,GHQ(連合国軍総司令部)は,ただちに柔道をふくむ日本の武道・武術全般を禁止しました。あわてた講道館は家元として,お家芸の柔道の存亡をかけた智恵をしぼります。そして,お家芸の柔道が生き延びるための苦肉の策として「柔道はスポーツであって武道ではない」と主張して,GHQのお墨付きをもらいます。こうして講道館柔道だけが,つまり「スポーツとしての柔道」だけが敗戦後の日本で活動が許されます。

 じつは,ここに大きな落とし穴がありました。というか,日本柔道史にとって致命的なターニング・ポイントとしての足跡を残すことになります。ひとことで言ってしまえば,武道の精神が形骸化してしまい,スポーツの勝利至上主義が最優先される,そういう柔道への大転換です。もっと言ってしまえば,嘉納治五郎のめざした総合武術としての「柔道」をかなぐり捨てて,単なるスポーツ競技への道をめざした,ということになります。

 このことを,作家の増田俊也氏がみずからの作品『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮文庫,平成26年3月刊)をとおして明らかにしています。作品名にだまされてしまいがちですが,この作品は,じつに丹念に当事者たちの聞き取り調査をし,当時の新聞,雑誌を洗いざらい調べ尽くして,手堅く裏付けをとった上で,持論を展開しています。言うなれば,講道館柔道中心史観の誤りを徹底的に突き崩す,批評精神に満ちた素晴らしい作品です。

 以下に述べることがらも増田俊也氏の主張にもとづくものです。もちろん,わたしの脚色が多少なりとも加わっていることもお含みおきください。

 GHQが禁止した敗戦前までの柔道には,大きく三つの流れがありました。一つは,国策にもとづいて武道の再編・統合がなされた大日本武徳会での柔道です。当時の日本の柔道を統括する全国組織です。したがって,ここが主催する柔道の全国大会がもっとも権威あるものとして高く評価されていました。二つには,「高専柔道大会」というものがありました。こちらは,京都帝国大学が中心になって組織された大会で,旧制高校(国立)と専門学校(私立)の柔道の強豪校が地区予選を経て全国大会に進出してくるものです。この「高専柔道大会」が,当時もっとも人気があったといいます。三つめが,講道館柔道でした。ここは嘉納治五郎の権威(家元)による段級制度は認知されていたものの,講道館が主催する柔道大会への参加者はきわめて少なかったといいます。

 この三つの流れのうち,大日本武徳会と講道館が主催する柔道大会は「個人戦」が中心でした。が,高専柔道大会だけは「団体戦」でした。しかも,競技ルールにも大きな違いがありました。前二者の「個人戦」は,すべて競技審判がコントロールし,「一本」「技あり」「押さえ込み」を判定しました。が,高専柔道柔道大会は,対戦相手が「参った」というまで,つまり,「負け」を認めるまで試合がつづきました。立ち技で相手を投げても相手が「負け」を認めなければ勝負が決まったことにはなりません。したがって,その主たる戦法は「寝技」でした。しかも「負け」は認めたくないので,「関節技」が決まっていても「負け」を言わない。「締め技」が決まっていても「負け」をいわない。どういうことになるか。関節が折れるまで,締められて「落ちる」まで,という試合も少なくなかったといいます。団体戦ですから,チームの名誉が個人にのしかかってきます。なかには,からだは小さいけれども「引き分け」専門のエキスパートという選手もいたといいます。ですから,試合会場はものすごい熱気にあふれたといいます。

 この三つの流れのうち,GHQの占領政策のもとで,講道館柔道だけが敗戦後に生き延びて,他の柔道はその姿を消してしまったというわけです。言うなれば,講道館柔道だけが漁夫の利に与った,という次第です。ここから,柔道といえば講道館,そして講道館の発する情報がすべてとなり,権威づけられ,やがて講道館柔道中心史観が構築されていく,という次第です。同時に,全日本柔道連盟が結成されたときも講道館館長が連盟の会長を兼任しました。つまり,講道館と全日本柔道連盟とは表裏一体となったのです。この「癒着」がいまも混迷をつづける根源にあります。ですから,こんにちの柔道の世界的な隆盛と頽廃の端緒は,すべて「柔道はスポーツである」と主張した講道館自身の播いた種にある,と言っても過言ではないでしょう。

 さて,ここからさきは「柔道とはなにか」という基本的な問いに立ち返ることになります。作家の増田俊也氏はみずから北大柔道部での経験もふまえて,この問いに恐るべき執念をみせつけます。そして,「木村政彦」という希代の柔道家をとおして,その解を求めていきます。この木村政彦の残した足跡が,のちの「プロ柔道」「プロレス」「異種格闘技」へと連なっていく,その過程を丹念に描いていきます。

 オリンピックのJUDOをめぐって「これはもはや柔道ではない」という発言が有名になりましたが,その端緒は,敗戦直後の講道館のとった「苦肉の策」にあったということを,わたしたちは忘れてはなりません。日本柔道史が蓋をしてきた「秘事」に,思い切ってメスを入れた作家・増田俊也氏の「批評精神」に拍手を送りたいと思います。

2014年4月17日木曜日

オボカタ劇場の幕切れ。「無責任」という「スタンプ」印だけが残る。

 だれも責任をとらない。わたしはここからしか関与していない,わたしはここだけしか担当していない,その前後のことは知らない,だから責任はない,となすり合い。みっともない。ならばオボカタさんが書いた論文の「共同研究者」あるいは「共同執筆者」に名前を連ねるな。しかし,一つでも多くの業績を稼ぎ,研究費を多く確保するためには,論文の全体像を確認することもなく(学者としてもっとも恥ずかしいことなのに),恥じも外聞もなく共同研究者を名乗りたがる。ましてやノーベル賞級の研究らしいとなればなおさらである。その後の特許の利害もからんでくる。言ってしまえば,みんなカネの亡者ばかり。そして,「無責任」。

 共同執筆者のたったひとりでもいいから,オボカタさんの書き上げた論文を通読すれば,引用文献の出典が抜け落ちている論文作法の初歩の初歩くらいは見抜けたはずだ。この段階ですでに論文としては失格なのだから。

 メディアもアホだから,理系の研究者間のコミュニケーションはとてもむつかしいらしい,と報道する。もし,それが事実なら,共同研究者としての条件が最初から欠落しているではないか。それぞれの専門のパートの実験・検証をした結果をメールで送信して終わりではないはずだ。わたしの理解している範囲では,ひとつの研究プロジェクトが立ち上がり,それが完了し,論文に仕上げるまでには,共同研究者が全員,複数回は顔を合わせてお互いの意見を交換して,最終結論を導きだした上でユニット・リーダー(ファースト・オーサー)が論文執筆にとりかかるはずだ。そして,少なくとも共同研究者のうちの複数の人が仕上がった論文を通読して「校閲」をするはずだ。科学者としてもっとも基本的な,こんな作法も欠落していた・・・・というのでは話にならない。

 オボカタさんが率いるユニットのプロジェクト研究のために使われた経費は膨大なものであるはず。そのなかには,共同研究者間の通信・連絡費はもとより,全員が集まってディスカッションをするための会議費(交通費,宿泊費,日当,など)も計上されているはずだ。研究が完了すれば,それに要した科学研究費の決算報告書が提出されるはずなので,そのあたりもしっかりとチェックしてほしいものだ。ひょっとしたら,とんでもない「からくり」が露呈してくるのではないか,とわたしは想像している。すでに,壁紙をピンクに張り替えたり,研究とは直接無縁と思われる高級家具の購入が報道されているように・・・。こんなのは序の口で,その裏にはとんでもない会計処理がなされているのではないか・・・・とわたしは危惧する。

いずれにしても,研究結果についての「責任」の所在だけは,だれの目にも明らかにしてほしい。断るまでもなく,膨大な国民の税金がそこに注ぎこまれているのだから。

 たとえば,自動車の部品を下請け会社に発注して,その部品を組み立てて不具合が生じれば,その自動車を販売した会社が前面に立って謝罪をし,該当する自動車を全部回収し,修理してもどすのは世間の常識だ。

 理化学研究所は,研究所としての責任をとろうとはしていない。トカゲの尻尾きりでことを済ませようとしている。ササイ君もその姿勢を貫いた。ノヨリさんはもっと酷い。所長としての責任をもっと重く受け止めるべきだ。今回のオボカタ問題は理化学研究所の組織としての致命的な欠陥が露呈した,という認識が薄い。ササイ君もノヨリさんも研究者としてはだれの目にも疑いようのない立派な人たちだ。理化学研究所にはそういを人たちが結集しているとも聞いている。しかし,組織の「管理者」としてはどうか。

 少なくとも,ノヨリさんは「今回の不祥事の全責任はわたしにあります」とお詫びをすべきだ。そうすれば,ササイ君もまた「いえいえ,わたしの責任です」と言えたはずだ。それが内部委員による調査委員会を設けて,オボカタ論文の是非論に終始した。すると,悪いのはオボカタさんだけで,あとはだれも責任をとらなくてもいい,というところに逃げ込んでしまう。そこでは,同僚同士のお互いの脛の傷の舐め合いという防衛本能だけが,無意識のうちにはたらいてしまう。

 この問題は,もののみごとに日本の現状を映し出している,とわたしは考える。アベ君を筆頭に,堂々と嘘をつき,都合の悪いことはすべて蓋をし(「秘密」にし),だれも責任をとろうとはしない。経済産業省もそうだ。東京電力もそうだ。原子力規制委員会とて同類だ。みんなで「絆」という名のタッグを組んで,カネのためなら国民の命も勇んで犠牲にする「原子力ムラ」という運命共同体のなかに逃げ込む。こんなことがまかりとおっている。

 一事が万事。この「無責任」体制(体質)は日本の社会の隅々にまで浸透していて,もはや手のつけようがない。理化学研究所も同じだった,というだけの話。

 奈落の底に向かってまっしぐら。どこまで転げ落ちていけば気がつくのだろうか。火の粉が自分の身の上に降りかかるまで,「待つ」しかないのか。
 

2014年4月16日水曜日

横綱日馬富士,大学院生となる。「人間道」で論文を書きたい,と。

 「人間として正しく生きること」。日馬富士が横綱に昇進したときに「どういう横綱を目指すか」と聞かれて答えたことばです。それを聞いた瞬間,わたしは鳥肌が立った。この男はなにを考えているのだろうか,と。並の男ではない。勝ち負けを超越しているではありませんか。

 「日本とモンゴルを比較して,どうしたら安心安全で人を信じて暮らせる場所が作れるかということについて論文を書きたい。横綱という最高の地位をはることができたが,いろんな意味で一人前の人間になるように”人間道”に向かって頑張りたい」。こんどは,大学院生として初登校したときのことば(4月12日)。日馬富士のまなざしはどこまでも「人間」に向かっています。しかも,そこには立派な人生哲学があります。

 「モンゴルでは,男は30歳からと言われる。全ての力や考えがしっかりしてくるから。ぼくもしっかりと相撲に集中する」。4月14日は日馬富士の30歳の誕生日。三十路の決意を述べたことば。ここでも立派な人間,立派な男として生きる「人間」の覚悟が述べられています。

 この三つの談話を並べてみますと,そうか,日馬富士という男は「人間」に強い興味・関心をいだいているんだ,そして,自分の生き方はこれでいいのかと常に問い続けている,ということがはっきりと浮かび上がってきます。わたしは日馬富士の,あの天才的な切れ味鋭い相撲が好きでファンになりましたが,こういう談話を聞いていると,ひとりの生きる人間としての日馬富士にも強く惹かれるものを感じます。一度,会って話を聞いてみたい・・・と。

 出典を示すことができませんが,どこかの雑誌対談で,「相撲道を究めるということは,結局,人間道を究めることだと思います」と語っていたことを記憶しています。そうか,この人は「求道」の人なのだ,とそのときに思いました。

 しかし,日馬富士についてのイメージは,一般的にはあまりいいものではありません。なぜか,メディアも日馬富士バッシングに加担してきました。白鵬だけが,なぜか,善玉。朝青龍は典型的な悪玉あつかい。そして,日馬富士も喫煙する,ガムを噛む横綱という目で,一方的に片づけられています。しかも,横綱として安定していない(調子の波が大きすぎる),と。思い出すのは,「連続優勝しても横綱にすべきではない」と主張した女性の横綱審議委員(名前は書きたくない)のこと。偏見と独断の強い人間は,男女を問わず好きにはなれません。「連続優勝すれば横綱になれるのなら横綱審議委員会は不要だ」とまでのたまわれました。相撲のなんたるかが少しもわかってはいない横綱審議委員でした。

 横綱審議委員や,あるいは,ジャーナリストたちは,力士についてどれだけの情報にもとづいて発言したり,報道をしているのでしょうか。わたしはずっと疑問に思っています。なぜなら,力士についての報道のレベルが低すぎます。そのために一般のファンの力士理解のレベルもまことにお粗末です。その結果が,勝ち負けだけ。記録主義。勝利至上主義だけが一人歩きをしています。力士の人間性などはメディアの関心事からは抜け落ちてしまっているのです。

 この日馬富士についても同じです。12日にはNHKも日馬富士の大学院生としての初登校をテレビで放映しましたが,ただ,それだけ。つまり,「横綱が大学院生になったんだって?」という,単なる面白ニュース扱いでした。ですから,13日には「なんで横綱が大学院へ行く必要があるんだ」とわたしに詰め寄ってきた人がいました。この人はかなりの相撲通の人です。しかし,強いか弱いか,そこにしか興味がもてない人です。仕方がないので,わたしの知っている範囲で,日馬富士に関する特殊な経歴についての話をかい摘んでしました。要旨はつぎのとおりです。

 日馬富士は,モンゴルのNPO法人「ハートセービングプロジェクト」(HSP)の会員で,心臓病の子どもへの医療支援をしていること。とりわけ,医療の遅れているモンゴルの田舎での検診活動の費用を懸賞金で全額賄っていること。日本の小児循環器病棟への慰問活動も熱心に行っていること。首都ウランバートルにある視覚・聴覚障害者のための雇用施設を運営していること。その他の慈善活動も積極的に行っていること。こういう活動をとおして,日馬富士は本気で勉強したくなったのだろうと思う,と。そのために,モンゴルの大学の通信制で法律の勉強をし,去年,卒業。そして,この春の,法政大学大学院政策創造研究科への入学につながっていること,など。

 「そんなことは知らなかった」と。そして「なぜ,NHKはそういう情報も流さないんだ」と憤っていました。そうなんです。メディアのスポーツ報道の根幹が狂っているのです。モンゴルからはるばるやってきた,しかも,あまりからだも大きくはない少年が,臥薪嘗胆,必死の稽古をとおして横綱の地位にまで登りつめるには,単なる才能だけではなく人間としての総合的な「力」が必要だったことは,少し考えればわかることです。ですから,横綱になるのは「なりたい人がなる」のではなく「なるべくしてなる」のだ,ということを日馬富士は言っています。こういうことばがするりと出てくるところが日馬富士のすごいところだと思います。

 ちなみに,日馬富士のお父さんは警察官。ブフ(モンゴル相撲)の国家ザーン(大相撲でいえば関脇)。「日本に行って立派な人間になりなさい。そして,人のために尽くす人間になりなさい」と言って送り出したといいます。この父の教えをひたすら守りとおして,ひたすら研鑽を積み重ね,今日の日馬富士があるのです。その研鑽はいまもつづいています。その到達点の一つが「横綱大学院生」の誕生です。2年課程ですが,4年かけて論文に挑戦するとのこと。はたして,どんな修士論文を書くのか,いまから楽しみです。しかも,日本語で書くことを目指すと言っていますから。

 日馬富士のことですから,修士論文を書き終えた暁には,また,つぎの目標が忽然と眼前に立ち現れることでしょう。そのとき,経済学修士・日馬富士公平がどんなことばを吐くか,これもまた楽しみの一つ。

 日馬富士の魅力は,わが道をまっしぐら。自立していること。つねに自己と向き合いながら,人間とはなにか,という「人間道」を追求していること。勝率や優勝回数も大事ですが,わたしは人間として立派な横綱をめざす日馬富士の生き方にこころから声援を送りたいと思います。そして,ひとまわりもふたまわりも大きな存在になることを期待したいと思います。

 絵画はセミプロの腕前だと聞いています。日馬富士のアーティスティックな相撲の取り口はそこからきているのかもしれません。あなたの相撲はまぎれもなく「アート」です。過去のどの力士も踏み込んだことのない特殊個の境地を切り開く世界です。その意味では孤高の人でもあります。だれも真似のできない世界に向かって,自己を超え出て行ってください。そういう相撲をわたしは一番でも多くみられればそれで充分です。勝敗を度外視した世界に飛び出し,自由自在に遊んでください。そこに待っているものが「相撲道」の奥義であり,「人間道」の最高の境地ではないでしょうか。

 あなたならできる,と信じています。

2014年4月15日火曜日

宮武外骨著『アメリカ様』(ちくま学芸文庫,2014年2月刊)を読む。

 久しぶりに本の方から「買ってくれ」と声をかけられました。しばらくなかったことなので,ちょっとばかり驚きました。書店のたくさんの本のなかで『アメリカ様』宮武外骨,という背文字だけがまわりの書名を圧倒して,ひときわ輝いているのです。こういう本にこれまで「はずれ」はありませんでした。ですから,もちろん,即,購入。

 なぜ,こういう現象が起きたのかは,すぐにわかりました。帰りの電車のなかでこの本の目次をみていたら,最後の解説のところに,「アメリカ様」と「強い日本」(西谷修・P.211),とありました。そして,「あっ,そうか」と急に記憶が蘇ってきました。そうです。最近,西谷さんが書かれたブログの文章のなかに,「アメリカ様」(宮武外骨),という文言があったことを思い出したのです。このこと自体はすっかり忘れていたのですが,本の背文字をみた瞬間に忘却の暗闇のなかで無意識が反応した,というわけです。

 で,早速,西谷さんの解説から読み始めました。この解説がまた,いつもにも増して歯切れがよく,じつに刺激的でした。まるで宮武外骨の向こうを張るかのようなテンポのよさでした。その冒頭の書き出しを引いてみましょう。

 どういう巡り合わせか,戦前の満州国の設計者を自認しながらアメリカ(CIA)と取引して戦犯の科(とが)をまぬがれ,やがて首相になって日米安保の体制固めをした岸信介の孫が,再登板でまた首相になり,今度こそ「強い日本を取り戻す」と称して,交戦権回復(集団的自衛権)の画策,治安維持法まがいの特定秘密保護法制定,相変わらずの札冊で沖縄再処分と次々に手を打ち,年の終わりに意気揚々と靖国参拝までやったところ,TPPの国売り出血大サービスですり寄っているにもかかわらず,そのアメリカからとうとうダメ出しが出たという,このあんまりなタイミングで宮武外骨の『アメリカ様』が再刊される。

 という具合に一気呵成に安倍政権を厳しく批評しながら,日本と『アメリカ様』との結びつきを明確にしていきます。言ってみれば,安倍政権は「アメリカ様」への献身的なほどの「自発的隷従」の姿勢を示しているにもかかわらず,そのことごとくがダメ出しを受けるという憂き目に会っている,といっても過言ではなさそうです。

 なにより目が覚めるのは,集団的自衛権を「交戦権回復」,特定秘密保護法を「治安維持法」,沖縄の基地移転を「沖縄再処分」,TPPを「国売り」という具合に,それぞれの問題の本質を剥き出しにしたことばの批評性です。いまのジャーナリストは宮武外骨のような批評精神を持ち合わせてはいないために,政府の記者会見をそのまま垂れ流すだけです。ですから,集団的自衛権などというわけのわからないことばをそのまま鸚鵡返しのように用いて平然としています。これを,わかりやすく言えば「交戦権回復」ということなのだ,と言い切るだけの批評精神がいまの多くのジャーナリストには欠落しているというわけです。

 こういうジャーナリストの現状をみるに見かねて西谷さんは,あえて,権力から嫌われることも承知の上で,「ほんとうのこと」を言わなくてはいけない,とみずからを鼓舞していらっしゃるように見えます。ましてや,宮武外骨の『アメリカ様』の解説を書くにあたっては,さらなる覚悟が必要だったのではないか,とこれはわたしの推測です。

 この解説の末尾にも,思わず目を見張らずにはおけない強烈な文章がおかれています。ちょっと長くなりますが引いておきましょう。

 要するに,国民全体がアメリカに自発的隷従しているわけではない。そうではなく,「自発的隷従」とは,権力に与(あずか)る者たちが自らの権力を守るために国民を売ってでも強者に媚びる,という事態を言うのだ。「アメリカ様」への好みの「ご進物」を差し出して,自分たちが日本の統治者として居座ることを許してもらう。「お役に立ちますぜ」というわけだ。それを「代官」という。すると,一見,国際社会のパートナーという形をとっても,実質は「属国」あるいは植民地と変わらない。だから日本の首相は,就任するとすぐ,まず「アメリカ様」に認めていただこうとワシントン詣でをし,大統領といっしょに写した写真を自国の新聞に掲載させる。それが日本の首相であることの承認手続きになる。ついでに言えば,安倍首相はそのとき「大統領様」に冷たくあしらわれ,晩餐会を開いてもらえなかった珍しいケースだった。
 もうそういう状態が七〇年も続いている。いい加減にわれわれも「アメリカ様」から自立したいものだが,「自立」とは戦後のもたらした資産を一掃して旧体制のゾンビたちが生き返ることではない。そうではなく,彼らを生き延びさせた「自発的隷従」を断ち切って,グローバル世界に対応する新たな地歩を作り出すことだ。その自立の胎動はいま,「ご進物」として久しく差し出され続け,もはやその運命に甘んじまいとする沖縄から最も強く起こっている。

 最後の「自立の胎動は・・・・・・・沖縄から最も強く起こっている」という文章が目に焼きついて離れません。

 宮武外骨は,その歯に衣着せぬ舌鋒の鋭さゆえに,入獄4回,罰金・発禁29回という輝かしい記録の保持者です。詳しくは本書の後半に収められている「改訂増補 筆禍史」をご覧ください。
 

2014年4月14日月曜日

「なにを食べてもよろしい」,術後の回復は驚異的と褒められました。

 今日(14日)は診察の日でした。3週間ぶりでした。いつものように採血をして血液検査,その結果にもどづく診察。今日から担当医が代わって(執刀医は3月末で退職し,母校の大学に復職・栄転),院長先生がそのあとを引き継いでくださいました。入院のときから,ずっと見守っていてくださいましたので,とても安心です。

 「やあ,お久しぶり。元気そうですね。とてもいい顔をしてらっしゃる」。これが院長先生の第一声。「お蔭さまでもうすっかりよくなった気分です」とわたし。で,すっかり打ち解けた雰囲気のまま,すぐに診察に入りました。

 「血液検査の結果は驚くべき回復ぶりです。ただ,若干,貧血気味なところが残っていますが・・・。でも,徐々に数値はよくなってきているので心配はいりません。で,その後の様子はいかがですか」と問われましたので,自分で感じているからだの具合をできるだけ精確にお伝えしました。そして,最後に,「4月に入って食欲がでてきて,一回に食べる量も増えてきました。そのせいか,体重も1キロちょっと増えてきました」と伝えました。

 すると,「それはいい傾向です」と言ったあと,やおらカルテになにかを書き始め,うん,うん,とひとりでうなづきながら熱心に記録を残していらっしゃる。かなり長い時間,パソコンで過去のデータなどを確認しながら,カルテを書き続けていらっしゃる。それが終わると,「じゃあ,ちょっとお腹を診せてもらいましょうか」となり,ベッドに横になりお腹を出しました。

 「いやーっ,お腹、しわだらけになりましたねぇ」と笑う。そして,手術の傷を中心にあちこち手で押さえながら,「ここも大丈夫,ここもいい具合,ああ,もうどこも心配ないですねぇ。術後の回復は驚異的です。もう,なにを食べてもいいですよ」というお墨付きをいただきました。そのあと,「体重が落ちた理由は筋肉細胞のエネルギーが胃の回復のために消費されたのであって,皮下脂肪ではありません。だから,体重がもどるには相当の時間がかかります。慌てないでじっくりと構えてください。まだ,多少の体重のアップダウンは繰り返すでしょう。なかなか体重がもどらないからといってがっかりする必要はありません」とのこと。

 このお話はわたしにはとてもいいヒントとなりました。なるほど,と納得できるものがありました。体重の増減は一筋縄ではないということを経験的に熟知していたからです。健康なときでさえそうなのですから,ましてや,病後となればもっともっと複雑な要因があるはずです。これからじっくりと向き合ってみようと思います。

 そして,椅子にもどってから,つぎのようなお話がありました。
 「体力がもどってきましたので,つぎの治療計画を検討したいと思います。最終ゴールに達するには数年を要すると思っていてください。次回までにこれからの治療計画を立てておきますので,そこでまたご相談をということにしましょう。」

 つぎの治療計画とは,要するに「抗ガン剤治療」ということです。院長先生はなぜか「薬剤による治療です」という表現をされました。いやいや,これは長距離レースになるぞ,と覚悟せざるをえない状況になってきました。次回の診察は5月12日(月)。それまでに,わたしの方もそれなりの覚悟を決めておかなくてはなりません。

 が,まあ,今日のところは「なにを食べてもよろしい」というお墨付きをいただいただけで充分。そして,「驚異的な回復」のおかげで,つぎの治療計画に手がとどくようになった,といい方に頭を切り換えることにしましょう。折角,院長先生に褒められたのですから・・・。

 朝,曇っていた空が,帰りには晴れ上がり,ポカポカ陽気。気分がよかったので,あちこち眺めながら最寄りの駅まで歩きました。厚着をしてでかけましたので,うっすらと汗をかきました。この暖かい日差しはなにものにも代えがたい快感です。太陽の力は偉大です。ときどき立ち止まっては,顔を太陽に向けて「ジワーッ」とくる熱に身を委ねたり,手のひらで太陽の熱を受け止めたり,しながら散策気分を楽しみました。

 その気分に浮かれて途中で書店に立ち寄りました。突然,わたしの目に飛び込んできたのは宮武外骨の『アメリカ様』(ちくま学芸文庫)。大きな声で「買ってくれ」と言ってます。ですから,即,購入。そして,電車のなかであちこちめくっていたら,おやおや,という発見がありました。この話はまた,このブログで書くことにしましょう。

 とりあえず,今日のところは「なにを食べてもよろしい」という主治医のお墨つきをいただきました,というご報告まで。もちろん,お酒もOK。これがなにより。
 

2014年4月12日土曜日

八重桜が満開。いつもの道を歩きながらの花見。

 
 
 
 

 安倍政権が,気が狂ったように,いな,まさに狂いっぱなしのまま暴走をつづけるなか,自然は偉大です。どんな世の中になろうと,自然の法則どおりに季節がくれば開花し,実をつけ,落葉し・・・をごく当たり前のこととして繰り返します。

 駄目なのは,動物の世界から<横滑り>して,突然変異を起こした「サル」です。その成れの果ては,ことばを獲得し,考えることを覚え,飛び出してきた自然をみずからの欲望のままに支配しようとしてきた「人間」です。そして,いまではお互いの欲望と欲望とがぶつかり合い,無駄な消尽を繰り返すばかりです。懲りることもなく・・・・。

 フクシマの避難地域の桜の名所も,毎年,間違いなく満開の花を咲かせています。「ことしは,例年よりも綺麗に咲いているような気がする」と元住民の方がボツリとつぶやいた姿をテレビでみました。「だれもみる人がいない・・・・。それがなにより寂しいし,残念だ」とも。みんな避難させられて,だれも住民がいなくなってしまっても桜は無心に生きつづけ,時節がくれば花を開きます。まるでなにごともなかったかのように・・・・。

 それを考えると人間さまは駄目ですね。目先の欲望にとらわれて,全体をみる目が欠落したまま,無駄な労力を費やすことになります。そこから目を覚ますそぶりもみえてきません。どうしてこんな中途半端な動物になりはててしまったのでしょう。

 こんなことを考えているうちに気持が滅入り,落ち込んでしまったわけではありませんが,ことしも花見はできませんでした。仕方がないので,鷺沼の事務所に通う道すがらの花見でよしとすることにしました。鷺沼は駅前のロータリーの桜もみごとですが,旧道沿いの商店街の桜並木もみごとです。ぶらりと一往復することも何回も試みてみました。でも,ひとりだけの花見は寂しいものです。

 やはり,なじみの顔がそろってゴザを敷き,車座になってお重でも開いて,一献傾けながら心置きなくワイワイやるのが一番。でも,それをやるには相当にエネルギーが必要なんだということが,加齢とともにわかってきました。いつしか,歳とともに億劫になり,まあどうでもいいや,と簡単に諦めてしまうのです。これこそ老化現象なのでしょう。

 ことしは,鷺沼の事務所に通ういつもの道すがらの花見で終わりそうです。今日(12日)はカメラを持っていましたので,いつもの植木屋さんの屋敷に咲いている八重桜を撮ってみました。ついでに,この八重桜に並んで植わっている緋色のもみじ,黄緑の新緑が輝いてみえた名前のわからない木,それとヒイラギ。花が終わって実をつけていました。やがて,色づいてくると,これまた美しく輝いてきます。

 この植木屋さんには,一年中,お世話になっています。無断で,立ち止まっては,あちこち眺め,写真を撮らせてもらっています。一度だけ,ここの主人と会話をしたことがあり,いろいろと樹木の名前を教えてもらいました。桜だけでも,河津ざくら,緋寒桜,しだれ桜,染井吉野,八重桜,もう一種類(名前を忘れてしまいました)があります。少しずつ時間差をつけながら開花しますので,この季節はとても楽しみでもあります。

 政界全体の体たらくにこれほど絶望したことが過去にあっただろうか,と思いを巡らしながら鷺沼の事務所での時間を鬱々と過ごしています。救いは自然の力だけです。いつに変わらぬ大自然の運動だけは嘘をつきません。人間もまた自然存在であることを,もっともっと自覚的に生きるすべを身につける必要がある,とわが身に言い聞かせながら・・・・。いまも,空を仰いでいます。
 

とうとう「原発稼働ゼロ」方針を撤回した安倍政権。原子力ムラのいいなり。

 どさくさに紛れて矢継ぎ早に「閣議決定」というカードを切り続ける安倍政権。国民は「猫だまし」にあったように,一瞬,あっと驚くが,翌日にはまた新たな「閣議決定」。これが繰り返されると,それが日常化してしまい,国民の多くは「思考停止」してしまう。テレビは「首相談話」だけを一方的に繰り返し垂れ流す。国民の圧倒的多数は無意識のうちに「操作」され,いまや,官邸のいいなり。いや,官邸を動かしている原子力ムラのいいなり。

 その結果は,なにより「国民不在」。いや,「国民無視」である。いやいや,国民は虫けら同然。使い捨て自在の道具でしかない。原子力ムラと官邸は一心同体となって,国民の命を犠牲にして,みずからの利益を守ることに猛進。その姿勢が,恥じも外聞もなく,露骨にでてきた。ただ,それだけの話。それが自分たちの首を締めることに等しいということも知らずに・・・・。

 「政府は11日,国のエネルギー政策の指針となる新たな『エネルギー基本計画』を閣議決定した」。これが今日(12日)の東京新聞一面のトップ記事の書き出しである。つづけて「原発を『重要なベースロード電源』と位置付け,原子力規制委員会の基準に適合した原発を再稼働させ,民主党政権が打ち出した2030年代の『原発稼働ゼロ』方針を撤回することを正式に決めた」と報じている。

 そこで,この基本計画をチェックしてみる。そこには,再生可能エネルギー導入をも最大限加速させ,その後も積極的に推進する,というようなとってつけたような文言も入っている。実際にも,テレビで流れた首相談話でもこのことを力説している。だから,このことばの影に「原発再稼働推進」の主張がかすんでしまう。また,それを意図した談話の発表の仕方であり,メディアの編集の仕方である。それを計算に入れた安倍首相の得意技(めくらまし談話)である。

 しかし,その一方では,「計画案の了承に向けた与党協議が大詰めを迎えた3月下旬。経産省資源エネルギー庁の担当課長は,再生可能エネルギー導入の数値目標の明記を求められ『できません』と拒否した。『その態度はなんだ』。要求した自民党の長谷川岳参議院議員によると,課長は椅子に反り返り,足を組んだまま受け答えしたという。長谷川氏の激怒で協議は中断した」という実態がある。

 要するに,再生可能エネルギーの導入は,国民の目を欺くための,たんなる文言だけの話であって,原子力ムラも官邸も本音はまったくやる気はないということだ。その実態は,いまも遅々として進まぬ再生可能エネルギーの推進状況をみれば明らかだ。音頭だけは推進のボーズだが,実際にはなにもしない,むしろ,足を引っ張っているのが現実だ。

 かくして,安倍首相の「ごまかし」戦略が日毎に顕著になっている。つい最近では,全面改定された「武器輸出三原則」は,この表現の代わりに「防衛装備移転三原則」を用いることになったという。こうして,内実が見えない文言に変えることによって,国民の目を欺こうというのである。しかし,よく考えてみると「防衛装備」とは「武器」を意味することになり,「移転」とは「輸出」をも意味することになる。となると,国語辞典に新しい「語釈」を追加する必要がある。

 こんな愚かなことまでして,国民の意識を「操作」しようとする政権を,若者たちが支持しているというのだから不思議である。若者たちが,この暴走をはじめた政権を面白がって追随していこうとする心情はどこからくるのだろうか。それは若者だけではない。支持率がいっこうに下がらないという事実の背景にあるものはなにか,本気で考えなくてはならないところにきている。

 鬱屈した国民感情,一向にさきが見えてこない絶望感,ますます生きにくくなる人間関係,日常の凡庸化・空疎化,コミュニケーションの「機械化」「モノ化」,などなど。どこか,1930年代のドイツ・ヒトラーが選挙によって多数を独占し,一気にファシズム化していったときの雰囲気に似ている気がしてならない。これがわたしの単なる杞憂に終わればいいのだが・・・・。

 日本国はいま「カタストロフィ」に向かってまっしぐら。にもかかわらず国民の多くは「茹でカエル」。無反応。

2014年4月11日金曜日

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』・上(増田俊也著,新潮文庫,平成26年)を読む。

 このぶっそうな名前の本は刊行と同時に大きな話題になりました。わたしも書店で手にとって読み始めたとたんに,「この本はいけない」と直感して,すぐに元にもどしました。なぜなら,こんな本を買ってしまったら,しばらくは仕事ができなくなってしまう,と思ったからでした。分厚い上に細かな文字がびっしり詰め込まれた大部な本でした。ここは禁欲,とみずからに言い聞かせました。

 が,このほど文庫本となって(上・下2巻,平成26年3月),ふたたび書店に並びました。もう,どうにも我慢できなくて,即刻,購入。でも,一日50ページまで,それ以上は読まないと自分に言い聞かせました。この作戦はどうやら正解でした。なぜなら,じつに密度の濃い内容で,よくぞここまで調べ上げたものだと感心してしまうこほど,その情報量はいわゆるノン・フィクションでは考えられないレベルの高いものだったからです。つまり,わたしの惚けはじめた頭にも,しっかりとした記憶として残すには「50ページ」くらいがちょうどよかったからです。

 いま,ちょうど上巻を読み終えたばかりです。「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」というなんとも怪しげなタイトルに惹かれて読み始めたわたしは,完全に裏切られてしまいました。なぜなら,少なくとも上巻にはその謎解きも答えもどこにも書いてなかったからです。ヒントらしきものもなにもありません。それなのに,まったく別の意味で,この本には驚かされ,こころの底から感動させられました。

 この本は,多くの日本人が信じて疑わない,講道館柔道にまつわるまったく根拠のない「神話」を根底から突き崩し,日本の柔道史の真の姿を描き出すことを大きな目的のひとつとしてかかげているからです。少なくとも,上巻は徹底して講道館柔道の虚像を突き崩すことに,筆者・増田俊也は全力を傾けています。そして,そこには柔道史には相当明るいつもりでいたわたしにも,びっくりするような内容が満載されていました。

 著者の増田俊也氏は北大柔道部出身の,柔道をこよなく愛する柔道マンのひとりです。その著者が「柔道とはなにか」という根源的な問いを内に抱え込みながら,木村政彦のライフ・ヒストリーを丹念に追っかけていったら,そこには講道館柔道とはまるで別の柔道の世界が広がっていて,しかも,そちらの方が日本の柔道としては「主流」であった,という「事実」が明らかになってきます。いわゆる武徳会柔道と高専柔道の二つの系譜が圧倒的な力をもっていて,講道館柔道は細々と流派柔道の伝承に励んでいたにすぎない,ということが。

 上巻を読んだかぎりでの結論を言ってしまえば,講道館柔道は第二次世界大戦後になって,ようやく柔道界の中心に位置づけられるものであって,それまでは単なる流派柔道の家元にすぎなかった,と(増田俊也は力説します)。それも,戦後のGHQの占領政策のもとで,講道館柔道以外の柔道団体がすべて解散させられてしまったからだ,と。講道館柔道は,要するに漁夫の利を拾ったにすぎない,と。

 その結果,講道館柔道と全日本柔道連盟とが表裏一体の癒着関係が生じてしまったこと,つまり,講道館柔道こそが柔道の本家本元である,という「神話」が一気に広まり,いつのまにか定着し,みごとにその「神話」が構築されてしまったこと,ここに日本の柔道が堕落・頽廃していく根源的な理由があった,と。このまったく偶発的に,降って湧いたような,つまり,GHQですら意図しなかったであろうような,戦後の柔道政策の,とんだ置き土産が「講道館柔道中心主義」を導き出し,同時に柔道の歴史を語る上でも,「講道館柔道中心史観」がまかりとおるようになった,と増田俊也は主張します。そして,その根拠を一つひとつ提示していきます。その迫力たるや,読む者をして「目からウロコ」にさせてしまいます。

 しかも,その一つひとつが木村政彦という希代の柔道マン誕生の足跡を綿密にたどることによって,確たる根拠をもって浮かび上がってきます。その説得力は,これまでわたしが目にしてきた柔道の歴史に関する本にはなかった,みごとなものです。もっと言ってしまえば,著者の一歩も譲らないぞという気魄さえ感じられます。

 そうです。この本は,木村政彦という柔道界のレジェンドの謎解きをしていったら,期せずして日本の柔道界の「虚実」が一気に露呈し,噴出してきた,そういう本なのだというべきかもしれません。場合によっては,著者自身が「虚実」の第一発見者であり,もっとも興奮しながら,その謎解きに挑んでいった,というのがほんとうかもしれません。だからこそ,読む者のこころを打つのだと思います。

 この本のなかに埋め込まれた柔道の「虚実」の面白さは,計り知れないものがあります。それらの「各論」については,また,追々,このブログでも取り上げてみたいと思っています。いずれにしても,歴史は「創られる」という見本のような作品です。と同時に,わたしもまた「スポーツ史」という領域で,同じような「愚」を侵しているのではないか,と痛く反省を迫られるそういう本でした。

 こんどでた文庫本の帯には「大宅壮一ノンフィクション賞・新潮ドキュメント賞」受賞と仰々しく謳われています。が,その名に恥じない力作であり,傑作だとわたしも思いました。

 これから下巻にとりかかります。一日50ページを禁欲的に遵守しながら。
 いまからこころが躍ります。こんどこそ「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の謎解きがはじまるはずですから。
 

2014年4月9日水曜日

笹踊り・考。朝鮮通信使との関係について。

 ことしも笹踊りの季節がやってきました。『穂国幻史考』の著者・柴田晴廣さんから,この季節になると笹踊りの写真が送られてきます。ことしもきれいな写真を送ってくださいました(前回のブログに掲載)。笹踊りの特徴を絶妙なタイミングでとらえた素晴らしい写真です。わたしの育った村祭りでも笹踊りが伝承されていて,毎年,楽しみにしていたものです。このことを知っている柴田さんは親切にわたしに写真を送ってくださるという次第です。

 笹踊りは穂国(ほのくに・愛知県東三河地方の古称)のほんの限られた地方にのみ伝承されている伝統芸能の一つです。詳しいことは柴田さんの著書『穂国幻史考』にゆずることにして,今回は,朝鮮通信使との関係について,少しだけわたしの頭のなかにみえてきたイメージについて書いてみたいと思います。

 笹踊りと朝鮮通信使との関係については,柴田さんも著書のなかで書かれていますように,ほぼ間違いはないと思います。が,朝鮮通信使が江戸に向かう途中で,東海道を練り歩いたとされる,その情景がわたしにはいまひとつイメージが湧いてきませんでした。ですから,朝鮮通信使に関する専門書にあたって,「練り歩き」の実態を確認してみたいと考えていました。が,ついつい後回しになっていて,いまだにそこまで手がまわりません。

 そんななかで,雑誌『世界』の4月号で,寺島実郎さんが連載「能力のレッスン」(144)──「朝鮮通信使」にみる江戸期の日朝関係──17世紀オランダからの視界(その21)を書いていることを知り,飛びつきました。もちろん,笹踊りのことはなにも書いてはありませんが,朝鮮通信使の「練り歩き」について興味深い描写をしています。そこにはつぎのようにあります。

 「一行の楽団パレードは多くの日本人に衝撃を与え,唐人行列,唐人踊,馬上才(曲馬)は今日の韓流ブームどころではない人気を博して各地の行事や芸能に影響を残した。興味深い偶然もあった。第四回使節(1636年)の行列を江戸参府中のオランダ商館長クーケパッケルが目撃し,『行列が通り過ぎるのに五時間かかった』と記述している。オランダ商館長一行の参府は,あくまで株式会社の地域代表の表敬訪問だが,朝鮮通信使は国家を代表する外交使節であった。」

 こんな記述に出会いますと,なるほど,穂国の人びともまた東海道を練り歩く朝鮮通信使の行列(約500人といわれる)に惹きつけられ,じっと見入っていたんだろうなぁ,というイメージが鮮明に浮かんできます。いまに伝わる笹踊りの衣装のきらびやかなデザインは,往時の影響を如実に写し取っているものと思われます。

 1636年といえば,関が原の戦い(1600年)が終わってようやく天下統一がなり,平和が訪れ,人びとのこころもようやく安らぎがえられたころと言っていいでしょう。そんなときに,朝鮮通信使が歌舞音曲とともにきらびやかな衣装に身をかため,500人もの大行列が練り歩いた,というのですから,それはそれは大騒ぎだったことでしょう。東海道からかなり離れた地方からも大挙して見物に集まってきただろうことは容易に想像ができます。

 さきの引用から推察すれば,「唐人踊」が,いまわたしたちが目にする笹踊りの原型のようです。だとすれば,朝鮮通信使の「唐人踊」がどのようなものであったのか,これを調べればもっとイメージがはっきりしてくるということになります。

 同じく引用にあるように「行列が通り過ぎるのに五時間かかった」という描写もまた興味を引きます。いま行われている笹踊りも,一つところを行ったり戻ったりして,なかなか前には進みません。わたしの寺の前の道路は村のメイン・ストリートにもなっていましたので,そこでは必ず笹踊りが行われました。たった,50メートルほどの門前を通過するのに相当の時間を要しました。笹踊りの人は大変だなぁ,と子どもごころにも思ったものです。

 それともう一点は,穂国の人びとが,たとえば,この唐人踊にほかの地方の人びと以上に強いシンパシーを感じたのはなぜか,という問題があります。穂国には花祭りのような伝統芸能を筆頭に,三河漫才など,数々の伝統芸能が伝承されています。わたしの子どものころの村祭りでは,村の若い衆が歌舞伎を演じていました。わたしの育った寺はその稽古場でした。近隣の村には少女歌舞伎が盛んに行われていました。考えてみれば,穂国は伝統芸能の宝庫のようです。

 そんなことを考えながら,柴田さんの送ってくださった写真を眺めていますと,その写真の向こうに隠れているさまざまなイメージが際限もなく湧き上がってきます。幻視の悦び。至福のとき。やはり,子どものころに触れた祭りは,いまごろになって生き生きと蘇ってきます。やはり,いいなぁと思います。柴田さんに感謝。

〔追記〕
冒頭の「笹踊りの季節がやってきました」という書き出しについて,柴田さんからコメントが入りました。笹踊りはたしかに春が多いけれども,秋にも盛んに行われていること,また,夏にも行われているので,春を「笹踊りの季節」と断定することにはいささか違和感がある,とのことです。わたしは子どものころの記憶で,どこの笹踊りもみんな「春」だと思い込んでいました。わたしのブログはその程度のものであることをお断りし,ここでも柴田さんに感謝です。

 

牛久保の若葉祭の笹踊り。写真の部。

 
撮影・柴田晴廣
撮影・柴田晴廣
撮影・柴田晴廣

撮影・柴田晴廣

 
※文章はつぎのブログ「笹踊り・考」にまわします。
 

2014年4月8日火曜日

「ウクライナの安定はウクライナ人にしかできない」(西谷公明・『世界』5月号)。

 雑誌『世界』の5月号に,西谷公明(ともあき)さんの目が覚めるような説得力のある論考が掲載されています。西谷公明さんとは,かれがまだ学生だったころに一度だけお会いしたことがあり,かれの瞬発力のある会話力,そのテンポの良さが強烈な印象となっていまも鮮明に残っています。その西谷公明さんが「誰にウクライナが救えるか──友ユーシェンコへの手紙」というタイトルの論考を『世界』に寄せたのです。

 
初めてお会いしたときから幾星霜,ウクライナの第3代大統領を務めたユーシェンコ氏(1999年12月22日~2001年5月29日)を「友」とし,「貴殿は」と呼びかける人になられたことにある種の感慨を覚えます。この論考の冒頭には,公明さんが3年間のウクライナの日本大使館勤務を終えるお別れの会(1999年3月15日)に,当時はウクライナ国立銀行総裁だったユーシェンコ氏を招いた話がでてきます。それ以後も,公明さんはモスクワに居住しながら,ユーシェンコ氏との交友を持続されたこともこの論考のなかにでてきます。公明さんは,いろいろ紆余曲折を経ながらも,トヨタのモスクワ支社の社長として勤務され,大きな業績を残されます。そして,この時代をとおしてプーチン大統領とも直に電話で話をすることもあったと伺っています。いうなれば,ロシア,ウクライナに関しては日本で屈指の情報通であるというわけです。

 その西谷公明さんがこの論考の最後のところで「ウクライナの安定はウクライナ人にしかできない」という,鮮明な結論を導き出しています。この結論にいたるまでの論考の展開が,わたしにはこころの底から符に落ちるものでしたので,「やはり,それしかないよなぁ」と独り言をつぶやいてしまいました。

 このところずっと考えていることは,国連とか,欧米とかが,そして,ロシアが,一国の国内紛争に介入することの意味でした。とくに,アメリカを筆頭とする「欧米」の介入とはどういうことなのか,と。それは体のいい「戦争」と同じではないか,と。たとえば,経済制裁という名の代理戦争ではないか,と。それは,もっと言ってしまえば,欧米のキリスト教文化圏のなかで構築されてきた価値観の押しつけではないか,と。そして,その価値観だけが「正義」であって,それ以外はすべて「邪悪」なるものとして排除の対象とされてしまう,この事実はなにを意味しているのか,と。

 しかも,それらの一方的な介入はことごとく失敗に終わっていること。たとえば,アフガニスタン。最後まで責任をもつということはしないで,採算が合わなくなれば「投げ出し」て終わり。長い歴史と伝統のもとで構築されてきた部族社会に欧米型の民主主義を持ち込んでも,それはなんの役にも立たないことは,もはやだれの目にも明らかです。かえって混乱を大きくするだけの話。

 いま,また,その悲劇がウクライナで繰り返されそうとしています。欧米とロシアの利害打算のぶつかり合い・・・つまりは,戦争にあらざる戦争。これはどこまで行っても終わりのない戦争。主役であるはずのウクライナ人は宙に浮いたまま。双方の情報合戦の行き交うなか,なにを,どうすればいいのかさえ見えてはこないまま右往左往するばかり。まさに泥沼化の一途をたどるのみ。

 しかし,西谷公明さんはこの論考の最後のところで,一条の光明を見出そうとしています。
 それは,キエフの友人から西谷公明さんのところにとどいたメールです。そこにはつぎのように書かれていたといいます。
 「ウクライナで何が起こっているか。これについて答えることは数日前にはむずかしかった。しかし,ロシアがクリミアに侵略したいま,私は平易な言葉で答えることができます。私たちはいま,自由と独立のために闘っているのです,と」。

 そして,さらに別の友人からのメールにあった「ウクライナ人とロシア人の兄弟のような友愛の情に満ちた関係」という文章も紹介しています。

 その上で,「しかし問題は,暫定政権が内部にはらむリスクです」からはじまる最後の迫力のある文章は,どうぞ,ご自分の目で確認してみてください。

 なにはともあれ,西谷公明さんと誌面をとおして再会できたことをこころから言祝ぎたいと思います。エコノミストとしてのこんごのより一層のご活躍を祈りたいと思います。

「戦後レジーム脱却」──戦後史にゆがみをもたらす乱視鏡(西谷修×小森陽一対談)に注目。

 雑誌『世界』5月号(8日発売予定)に表題の対談が掲載されています。朝日カルチャーセンター新宿での対談(1月28日・講座「現代社会への視点」)を編集して,密度の濃い,しっかりとした読み物になっています。西谷さんと小森さんは年に2回,朝日カルチャーセンターで対談を,ここ数年,つづけていらっしゃると聞いています。ですから,お二人の呼吸もぴったりで,もののみごとに問題の本質に迫っていきます。この迫力はこのお二人でなくてはでてこないのではないか,と思います。

 
この対談の大きなポイントは,安倍首相の「暴走」がどこからはじまるのか,そして,その「暴走」はどこに向かっていくのか,ということを徹底的に論じているところにあります。そして,その「暴走」のはじまりを自民党結党以来の「戦後レジーム」のねじれを安倍首相が「錯誤」してしまったために,そこからの脱却の手法もまたとんでもない「逸脱」となってしまっていると論じています。しかも,ここにきて明らかになってきたことは,第二次世界大戦前の「強い国家」に向かってまっしぐら,という体たらくである,と断じています。それは,戦後史にゆがみをもたらす「乱視鏡」以外のなにものでもない,と。

 わたしの頭のなかにあったもやもやした曇りガラスが,これを読んですっかり取り払われ,とても見晴らしのいい高台につれてきてもらったような,いい気分です。このお二人には,いつものことながら,こころから感謝です。

 この対談のすべてを紹介することはできませんが,一つだけ,対談の冒頭で展開されたとても刺激的な話題を紹介しておきたいと思います。

 一つは,安倍首相がかかげる「積極的平和主義」というスローガンです。
まず,小森さんが懇切丁寧にこの「積極的平和主義」を首相が打ち出す背景について説明をしてくれます。安倍首相が「積極的平和主義」を言い出したのは2013年9月からで,以後,国連総会でこれを強調し,10月15日の臨時国会所信表明演説では「三つの現実」があるために,積極的平和主義が求められている,と述べます。「三つの現実」とは,一つは尖閣諸島をめぐる緊迫した状況,二つにはジプチの海上自衛官の現実,三つには非常に厳しくなってきた安全保障の現実,を指摘しています。このあとの詳しい経緯については省略しますが,その最終的な目的は「集団的自衛権の行使」を可能とするための憲法解釈を導き出し,憲法9条の改憲に向かう・・・,つまりは立憲主義の抹殺だ,と小森さんは強調します。

 この話題を受けて西谷さんはつぎのように語ります。
 「積極的平和主義」とはもちろん,「平和主義」を空洞化させるレトリックです。平和のために戦争を構える,というわけだから。ものの言い方で内容をひっくり返してしまうこういう言語戦略は,9・11以降のアメリカが駆使しました。その筆頭が「テロとの戦争」です。戦争とは通常,国家間でするもので,そこにはルールがあり,双方が責任を持たなければなりません。ところが,「テロとの戦争」では,相手は国家ではないとされ,宣戦布告も講和もいらない。自らが敵がと名指ししたものを殲滅することができるのです。いまり,「テロとの戦争」は,テロとまったく同じ構造をしており,テロ殲滅のためのあらゆる無法な措置が,予防として正当化されるのです。同様に,「積極的平和主義」とは,ただ戦争をなくすというのではなく,戦争になりそうな存在をすべて力で抑えこんで,あらかじめ潰すというレトリックです。そのためには軍備を強化しなければならない。そして武器を使って敵とみなした人を殺す。積極的平和主義とはつまるところそういうことでしょう。

 というような具合に,お二人の対談は冒頭から熱を帯びています。この対談に付された「小見出し」を拾っておきましょう。それをみるだけで,内容を読んでみたくなること請け合いです。
 〇「積極的に」平和主義を空洞化させる
 〇異次元のえげつなさを見せる安倍政権
 〇戦後すぐに生じたねじれ
 〇ズレと覚悟の安倍首相
 〇人間を損なうアベノミクス
 〇希望は「自発的隷従」を拒否することから

 これらのどのパーツも,お二人による鋭い切り込みと,そこに横たわる根源的な問題の抉りだしに満ちあふれています。あとは,どうぞ,直接,手にとって読んでみてください。溜飲の下がる思いがするはずです。乞う,ご期待,です。

2014年4月7日月曜日

プロ棋士とコンピューターソフトの勝負? なにか勘違いしてませんか?


 「電王戦」という将棋の勝負の世界がある。2012年にはじまり,翌年から5人のプロ棋士と5台のコンピューターソフトとの団体戦となり,ことしはその第二戦。昨年は一勝三敗一持将棋(引き分け)で,プロ棋士が負けた。ことしはすでに一勝三敗となり,プロ棋士の負けが決まった。

 写真は,第4戦を戦った森下卓九段(47)が敗北を認め,コンピューターソフトの「ツツカナ」に頭を下げているところ(4月6日,東京新聞)。この写真をみながら,わたしはえも言われぬ違和感を覚えた。なにか変だ。どこか根本的なところで間違いを侵しているのでは・・・・?と。そこで,その違和感がどこからくるものなのか考える。

 この写真をみた瞬間のイメージは,人間よりもコンピューターソフトの方が「上」なのだ,というものだ。そうして,そういうイメージが無意識のうちに人びとのなかに浸透していく。そこに,いわゆる「科学技術神話」の発端をみる思いがする。が,それだけではない。もっと大きな問題がそこには見え隠れしている。

 それは,人間が行う将棋とコンピューターソフトが行う将棋とでは「世界」が違うということ。別の言い方をすれば「次元」が違う。つまり,それぞれの存在の「次元」が違う。その「次元」の違うもの同士は比較の対象にはなりえない,という大前提がここでは無視されている。

 コンピューターソフト同士の戦いはあってもいい。というより,別の次元の戦いとして面白そうだ。なぜなら,ソフトの性能の勝負だから,これは対等である。しかし,人間の頭脳とコンピューターソフトの計算能力は「次元」が違う。かつて文化勲章をもらった数学者の岡潔さんの名言を思い出す。「数学は情緒である」と岡潔さんは断言している。つまり,人間の頭脳の働きをささえているのは「情緒」だ,というのである。だとすれば,コンピューターソフトには「情緒」は不要だ。

 もちろん,「電王戦」を仕組んだ人たちも,そんなことは百も承知のはずだ。にもかかわらず,この勝負を成立させているには理由がある。すなわち,将棋人気の活性化をもくろむ日本棋院とコンピューターソフトの性能のよさを売り込みたいソフト業界の利害が一致したからだ。

 しかも,これはあくまでも「余興」の範囲内のことだ。つまり,「面白半分」だということだ。だから,どちらが勝ったとしても,その結果はどうでもいいのである。要は,大きな話題を呼ぶこと。そして,多くの人びとの関心を惹きつけること,それだけでいいのだ。

 そして,忘れてはならないのは,コンピューターソフトをつくったのは「人間」である,ということだ。面白いのは,人間がつくったものに人間が逆襲されている,というこの現象である。これは遊びやゲームの世界であるうちは平和な娯楽ですまされる。しかし,いまや,人間が生みだしたテクノサイエンスに人間が「支配」される時代に突入しているという事実を忘れてはならない。

 その最たるものが「核」である。人類が「核」を保有したときから,人類は「神」の領域に踏み込んでしまった。自然界に存在しない(ということは「神」が創ったものではない)ものを人類が「創って」しまったのである。その結果が,原子爆弾であり,原子力発電である。それと同じ路線を歩んでいるものがiPS細胞だ。そして,いま話題の・・・・へとつづく。

 なにが言いたいのか。コンピューターソフトもまた自然界には存在しなかった「人工頭脳」なのだ。そして,あくまでもそれは「モノ」である。つまり,純粋に「人為的」な物理的存在である。もっと言ってしまえば,それは「自然存在」ではない。それに引き換え人間の頭脳は自然界のなかで育まれたものであり,「生きもの」としての「自然存在」なのである。

 「存在」の「次元」が違う,と最初に書いたことの意味はこういうことである。

〔追記〕
 チェスをはじめいわゆる盤上遊戯は,ヨーロッパでは「スポーツ」の概念に含まれている。その考え方にしたがえば,日本の将棋も立派なスポーツである。その意味で,わたしにとってはこの「電王戦」は他人事ではないのである。
 もう一点。この「電王戦」で戦っているコンピューターソフトは,市販されている将棋盤や将棋の駒には対応できない,ということだ。特別の,コンピューターソフト用の将棋盤と駒でないと,将棋は指せない。このことも忘れてはならない。

葛西臨海公園に五輪用カヌー施設だって。たった数日の競技のために。

 
葛西臨海公園の写真が今日(6日)の東京新聞紙上で紹介されました。月1回,東京都の各地の注目の場所を新聞社のヘリから撮影し,その地の話題を紹介するシリーズ企画です。今回は,「東京湾に面して緑の広がる葛西臨海公園」(本社ヘリ「おおづる」から川上智世撮影)でした。写真の中央上部にうっすらと「東京スカイツリー」が写っています。右奥から左河口に流れている川は荒川。中央の緑地帯が葛西臨海公園。その手前にみえるのが「葛西海浜公園・東なぎさ」,その左奥にみえるのが「西なぎさ」。

 この「野鳥の楽園」が正念場を迎えている,というのです。なぜなら,この葛西臨海公園の一角に,2020年東京五輪用のカヌー会場が予定されているからです。しかも,人工的に「激流」を流すことのできる五輪公認の施設を,ここに建造しようというのです。しかも,たった数日の競技会を開催するために。

 東京都には青梅市に立派な自然のままの野趣に富んだカヌー競技場があります(このブログでも紹介済み)。しかも,近年では国際的な競技会も開催されています。そこにわずかな資本を投ずるだけで素晴らしいカヌー競技場が出来上がります。しかも,半永久的に多くのカヌー・ファンが楽しむことができ,地元青梅市の活性化にもつながります。わたしは,ここ青梅市で,五輪のカヌー競技を開催すれば一挙三徳になる,と考えています。

 新聞の記事は短いので転載しておきます。
 荒川と旧江戸川に挟まれた深い緑の森が,東京湾に突き出るように広がる。先月下旬には春を告げるツバメが飛来した。
 東京ドーム17個分の広さがある23区最大級の公園は1989年にオープンした。都が埋め立てた土地が家族連れらの憩うウォーターフロントとして整備された。マグロが回遊する水族園,高さ117メートルの日本最大の観覧車で知られているが,カワウやカワセミ,カルガモ,春はシギの仲間も観察できる「野鳥の楽園」としての顔もある。
 整備時,ハゼや水鳥が暮らす環境を守ろうと,埋め立て域を縮小し干潟を残した経緯がある。これまでに200種以上の野鳥が確認され,対岸の東なぎさには,世界に3000羽しか生息しないというクロツラヘラサギも立ち寄るまでになった。
 「人の手で造り上げたせっかくの自然。将来も野鳥のすめる環境を残したい」。週末に野鳥解説をするNPO法人生態教育センターの大原庄史(まさし)さん(31)は話す。公園は2020年東京五輪のカヌー会場の予定地となり,影響が心配されている。自然は守れるのか。再びの正念場だ。(奥野斐)

 ここに五輪用のカヌー施設を建造するというのです。しかも,なにもないところに水をくみ上げ,そこから落として激流を生みだそうというのです。途中には人工的に岩をセットしたり,カーブをつけたり,とさまざまなデザインがこらされるはずです。距離も相当の長さが必要でしょう。しかも,五輪会場となれば相当の広さの駐車場も確保しなくてはならないでしょう。となると,この葛西臨海公園の大半がカヌー競技場のために「改造」されてしまうことになります。それは,もはや,大いなる環境破壊としかいいようのない暴挙です。

 それもこれも東京五輪のためなら,と当局に無視されています。この暴挙によって,25年もかけて「野鳥の楽園」をつくりあげてきた,その努力も水の泡となって消えてしまいます。東京都の貴重な財産を,たった数日のカヌー競技会のために,ご破算にしてしまって平気な人たちが,2020年東京五輪を開催し,運営しようとしているのです。これはもう狂気の沙汰としかいいようがありません。

 その狂気の最たるものが「新国立競技場」の建造をめぐる一連の不祥事です。それについても,なんの弁明もありません。もっと言ってしまえば,その責任の所在すらあいまいにされたままです。ですから,だれも責任をとろうともしません。フクシマで起きていることとまったく同じことが,東京五輪でも行われようとしています。「under control」も同罪です。しかも,これらを断罪する意見は「空虚な議論」(安倍首相の発言)として排除しておしまいです。

 いよいよ,この国は「カタストロフィ」に向かってまっしぐら,と言わざるをえません。いつになったら,多くの国民が身に危険を感ずるようになるのでしょう。それまでは「盲目的に」突き進んでいくしかないのでしょうか。困ったものです。